第56話 家族たち
レグナムとカミィは肩を並べて王城の廊下を歩く。
その二人から少し離れて、侍女のお仕着せを着たクラルーが従う。
結局レグナムの説得もあって、カミィは侍女たちが用意したドレスを着ていた。
白を基調に所々に鮮やかな青い糸で細かな刺繍を施したそのドレスは、カミィの飛び抜けた容貌とも相まってとてもよく似合っていた。
「……我輩と貴様が結婚だと?」
「いや、親父や兄貴が勝手に言っているだけなんだが……面倒だからこのまま口裏を合わせてくれるとありがたい」
父や兄が言うように、カミィが結婚相手ということにしておけば、例のオルティアの第三王女との婚姻話も流れることになるだろう。
それはレグナムにとっても好都合なのだ。
「……まったく、この我輩と結婚したいなど……赤の小僧でもあるまいし、貴様の親や兄は何を考えているのだ?」
「いや、我が肉親ながら本当にな……って、そういや前から疑問だったんだけどな?」
レグナムの言葉に、カミィはこきゅっと首を傾げつつ彼を見上げる。
「おまえが時々口にする赤の小僧って……
赤神カーネリアン。
神々の中で最も美しい神であるとも言われ、同時に戦神である事から気が荒い神であるともされる。
だが、赤神の神殿では女神として絵姿や神像が祀られており、カミィのいうように彼の神を男神として扱うなど聞いたことがない。
レグナムのこの問いに、カミィはどこか人の悪い笑みを浮かべながら答える。
「それは我輩の仕業なのだ。以前……あやつととある遊戯をした際、勝利した我輩は敗者であるあやつに一つの罰を与えたのだ」
その罰こそが、三百年の間女装を強いるというものだったらしい。
更に、その時の赤神の姿を、絵画と芸術を司る神に描かせ、それを人間たちの世界にわざと流布させたのだそうだ。
そして、その絵姿の美しさに心打たれた当時の人間たちは、それ以降赤神を女神として崇めるようになったという。
「あやつは元より女顔だったからな。女装がよく似合っていたのだ」
「…………なんか……赤神が哀れに思えてきたぞ……」
同じ男性として、三百年もの間女装させられた彼の神を憐れむレグナム。
「何を言う。もしも我輩がその遊戯に負けた時の条件は、我輩が赤の小僧の妻になるというものだったのだぞ? その条件に比べれば、三百年の間女の格好をするぐらい大したものではないのだ」
「確かにそうかもしれんが……ちょ、ちょっと待て! お、おまえ……赤神から求婚されたことがあるのかっ!?」
この世界を統べる神々の頂点、
「カミィ……お、おまえは一体……?」
「我輩は我輩なのだ。それ以外の何者でもない」
カミィの金の瞳が真っ直ぐにレグナムの瞳を射抜く。
その視線の中に、ほんの僅かではるが怯えのようなものが含まれているのに、レグナムは何となく気づいた。
──カミィが怯える……? そんな馬鹿なことが……
一瞬、自分の気のせいだと思った。だが、相変わらず真っ正面から自分を見つめるカミィの視線には、確かに僅かな揺らぎがあった。
だから。
だから、レグナムは少し乱暴にカミィの髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜてやった。
「ぶらべぶら。な、何をするのだっ!?」
ぐるぐると頭を揺らされながら文句を言うカミィ。だが、その表情には確かに嬉しそうな、それでいて安堵したものが現れていた。
「それで、おまえと赤神の間で行なった遊戯ってのは一体どんなものだったんだ?」
「うむ、それは我輩と赤の小僧がそれぞれ選んだ一人の人間に加護を与え、どちらが大陸全土を統べる王になるか、というものだったのだ。当然、我輩が加護を与えた人間が勝利し、大陸を統べる王となった。だが……」
カミィの顔に困惑が浮かび、上目使いでレグナムを身ながら先を続けた。
「我輩も小僧も互いに負けまいとして、少々やりすぎてしまってな……選んだ人間に多大な加護を与えすぎてしまって……我輩が加護を与えた者が王になったのはいいが、最終的には大地の方が我輩たちが与えた力に絶えきれずに崩れてしまったのだ……」
「……………は?」
「今、我輩たちがいる大陸の南に小さな島々があるだろう?」
「あ、ああ……ただ単に『群島』と呼ばれている地域だな……って、まさか……」
「うむ。あれは元々は大陸だったのだ。だが、我輩たちが加護を与えた人間たちの力がぶつかり合い……大地の方が絶えきれずに崩壊し、ああやって小さな島々になってしまったのだ」
レグナムは呆然とした表情を浮かべて、思わず立ち止まってしまった。
『大陸』の南に存在する無数の『群島』。そこがかつて大陸であったなど聞いたこともない。
おそらく、当時のその南の大陸に住んでいた人々の大半が、崩れた大陸と共に命を落としたのだろう。そのため、かつて『群島』が『大陸』であったことさえ、今に伝わっていないのではないだろうか。
もちろん、助かった者もいるだろうが、大陸が崩れるような「世界の終わり」だったのだ。生き残った誰もがそのことは禁忌として、誰にも語ろうとはしなかったのではないか。
レグナムは何となくそんなことを予測した。
それと同時に、レグナムは神々というものに疑問を感じていた。
かつて青神とカミィが神獣を造り出し、その神獣を互いに戦わせるという遊戯をしたことがあったという。
その時にカミィが造り出した神獣こそが、今彼らの後ろを歩くクラルーなのだが、その時も大勢の人間がその遊戯に巻き込まれて命を落としているはずだ。
神々とは人間を生み出し、見守り、導く存在のはずである。
その神々が人間の犠牲を厭わないような遊戯をするなど、到底信じられるものではない。
だが、カミィが嘘を言っているとも思えない。
では、神々とは一体、どのような存在なのか。
そんな疑問が、レグナムの心の片隅に根を下ろし始めていた。
レグナムがカミィとクラルーを連れて行ったのは、王城の中庭だった。
その中庭の奥まった一角に小さな東屋があり、そこに数人の人間が集まっていた。
その中の一人──恰幅の良い中年の男性が、レグナムの姿を見た途端に立ち上がって満面の笑みを浮かべた。
「おお、我が息子よ! 待ちわびたぞ! それで、おまえの隣の女性が……?」
「ああ。こいつがカミィだ。オレのそ、その……つ、妻になる予定の女性だ」
照れながらも隣に立つカミィを紹介するレグナム。
紹介されたカミィはと言えば、別段頭を下げるでもなくいつもの調子で自信満々に宣言する。
「我輩がカミィなのだ。とはいえ、カミィという名前はレグナムがつけたものであって我輩の本来の名前ではなく、我輩の本当の名前は今はまだないのだ。なぜなら我輩は神であり、今は神としての力の殆どを失っている故に。だが、今後は遠慮なく我輩を神として崇めよ! 奉れ!」
「お、おい、カミィっ!! いきなり何を言い出しやがるんだっ!?」
突然全部をぶっちゃけたカミィに、レグナムは慌ててその口を塞いだ。
「何を言うもないのだ。ここにいるのは全員貴様の家族なのだろう? 貴様の家族である以上、我輩のことは包み隠さず告げることにしたのだ」
花が咲いたような可憐な笑顔でカミィにそう告げられて、レグナムは何も言えなくなってしまった。
そして、恐る恐る家族の様子を窺う。
立ち上がっていた父は呆然とレグナムとカミィを交互に見比べていた。
座っている兄はいつものようににこにこと笑っているが、果たして心の中では何を考えているやら。
その兄の隣に座っている初対面の妙齢の女性。おそらくは兄の妻であろう。以前に傭兵をしている時、風の噂で兄が結婚したことは聞いていた。
その女性も、目を大きく見開いて驚きの表情でカミィと義弟を見ていた。
そして、この場には他に三人の女性の姿がある。
一人は中年に差しかかった女性。言うまでもなく、レグナムやインプレッサの母親にしてこの国の王妃であるシエンタ・ラグレイト・ラブラドライトである。
その横に座っているのは、歳の頃は十五、六の少女。レグナムやインプレッサと同じ髪と瞳の色をしており、顔立ちも似通ったものがある。
その少女──ラブラドライト王国第一王女、ステラ・ラグレイト・ラブラドライトが、ぱんと手を打ち合わせて実に嬉しそうに告げた。
「まあ! では、その神様がわたくしのお
「う、うむ! ステラの言う通りだ! でかしたぞ、レグナム。我がラブラドライト王家に神の血筋が加わるのだ。これは実にめでたいことではないか! しかも美人だしな! いいだろう。その者……いや、その方をおまえの妻として認めようじゃないか! おまえはどう思う、シエンタよ?」
「はい、私も賛成いたしますわ、あなた。こんな可愛いらしい方が義娘となるなんて、私も嬉しいです」
神々に対して敬虔な者の多いこの世界──サンバーディアスにおいて、神々の加護を与えられた
時に王家や貴族などは、神々の力の一部を与えられた聖人を進んで迎え入れる。これは一族の中に神の加護が与えられた者がいるということが、ある種の誉れであるからだ。
そのため、レグナムの家族が神であるカミィを進んで迎え入れるのも道理ではある。
「ちょ、ちょっと待てよ、みんな! みんなは素直にカミィの言葉を信じるのかよっ!?」
普通ならば、自分が神であると言ったところで、世間に信じてなどもらえるはずがない。
そしてレグナムも、自分の家族がすんなりとカミィが神であることを信じたのが信じられない。
そんなレグナムに、兄であるインプレッサがいつものにこにこ顔で告げる。
「当たり前だろう。おまえはカミィ嬢が神であると信じているのだろう?」
「あ、ああ。少なくとも、オレはカミィが神であると信じている」
「なら、私たちも信じるさ。おまえが信じるんだ、疑う必要などない」
「兄貴……」
レグナムが家族の顔を見回せば、全員が頷いている。
考えてみれば、もしも立場が逆であったとしたら。
インプレッサがある日突然連れてきた女性が、自分が神だと宣言したら。
レグナムはその女性の言葉を信じるだろう。
他ならぬあの兄が神だと信じているのだ。その女性は間違いなく神に違いない。
今更ながらに、レグナムは自分の家族たちの懐の深さが嬉しく、誇らしい気持ちになった。
だが。
だが、この場で唯一人、まるで敵を睨み付けるような視線をカミィに向ける者がいた。
その者は、赤い瞳を真っ直ぐにカミィに向けて言い放つ。
「儂は反対だぁな。神だか何だか知らねぇが、ボンクラに嫁だなんてまだまだ早ぇよ」
そう言ったのは、五十二ザム(約一五五センチ)の小柄な身体の、真っ直ぐで真っ白な長い髪をした老婆だ。
既に老齢に入って久しいその人物は、傍らに立てかけてあった自身の身長ほどもある愛用の
「ほう。貴様、赤神の加護を受けし者か。あの人間嫌いが加護を与えた者がいるとは……珍しいのだ」
カミィのその呟き通り、その人物は赤神の代行者であった。
物珍しそうにその人物を眺めるカミィを庇うように、レグナムは一歩前へと進み出てその人物へと問う。
「それはカミィがオレに相応しくないということか? それとも、オレがカミィに相応しくないということか?」
「そういう意味じゃねぇよ。おい、ボンクラ。おめぇはまだまだ修行中の身だぁな。そのてめぇが嫁だなんだと浮かれんじゃぇってのよ。おめぇが身を固めるのはまだまだ早ぇってんだ」
「師匠!」
「うるせぇっ!! だからてめぇはいつまで経ってもボンクラなんでぇっ!!」
レグナムが師匠と呼んだ人物。
その人物こそ、剣聖として名高いヴァンガード・トゥアレグである。
ヴァンガードは愛用の大剣の柄にそのしわがれた手を伸ばすと、しゃらんという鞘鳴りの音と共に大剣を引き抜き、まさに神速で抜き打ちの刃をカミィの細い首へと叩き込んだ。
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