第55話 愛の戦士


 猛然と抱きつき、涙に濡れた頬を自分の胸にすりすりと擦り付ける人物を、レグナムは思わず呆然と見つめていた。

 だが、ふと我に返ったレグナムは、その人物を強引に引き剥がして数歩後ろへと下がる。

「お、親父……?」

「そうとも! おまえのお父様だよっ!!」

 再度その腕で息子を抱き締めようとする父親をひらりと交わし、レグナムは傍らに立つ兄を見た。

「お、おい、兄貴……? 親父は病気じゃなかったのかよ……?」

 確かに先程、兄であるインプレッサは父が最近すっかり気落ちしていると言ったはずだ。

 だからレグナムは、父が病気にでも罹ったのかと思ったのだ。

 しかし、当の父親は全く病気には見えない。

「そんなことはないぞっ!! 儂は確かに病気なのだっ!!」

「嘘つけっ!? そんな元気に動き回る病人がどこにいるっ!?」

「ここにいるっ!! なんせ儂の病名は『レグナムにずっと会えないと寂しくて死んじゃう病』だからなっ!!」

 びしっと親指を自らに突きつけ、爽やかな笑顔でそう宣言するラブラドライト王国現国王。

 そんな国王に、第二王子は力一杯の突っ込みを入れる。

「そんな病気があるかあああああああああああああああああああっ!!」

 そうしながら、足に縋り付いて嬉し涙を流す父親を、げしげしと蹴りつけるレグナム。

 そんな親子の姿を見て、第一王子であるインプレッサはにこやかに微笑んだ。

「うん、どうやら父上もお元気になられたようだ。やはりレグナムに帰ってきてもらって正解だったね」




 その後も、久しぶりに息子と再会した嬉しさで暴走する国王を何とか宥めながら、レグナムたちは場所をインプレッサの執務室から王族専用の談話室へと移動した。

 この部屋は王族、もしくは王族に招かれた者だけが入ることが許される部屋で、レグナムが修行の旅に出る前はここが家族の団欒の場であった。

 もちろん、侍女などの使用人が数名壁際に控えているが、王族である彼らにとって使用人たちは風景の一部である。

「……じゃあ、詳しい説明をしてもらおうか」

 ソファの一つに腰を下ろしたレグナムが、同じように腰を下ろした父と兄を順に見る。

「そもそも、オレは修行の旅に出る時、王子であることも王位継承権も棄てたはずだ。それなのに、なぜオレとオルティア王国の第三王女との婚姻なんて話が出たんだ?」

 第二王子と隣国の第三王女との婚姻話など実現するわけがない。第二王子そのものがいないのだから。

 いくら酒に酔っていたからといって、それぐらいの判断できなくなるような父ではないはずだ。

「ああ、それならば、おまえの身分は前のままだ」

「は?」

 レグナムはぽかんとした顔で父親を見る。

「だから、おまえは今でも第二王子のままだし、王位継承権もインプレッサに次ぐ第二位。何も昔とは変わっておらんよ」

「どうしてだよ? 俺が修行の旅に出る時、身分を捨てるってのが条件だったはずだろ?」

「ああ、あれか。あんなものはその場の勢いで言っただけだ」

 侍女が用意してくれたお茶を飲みながら、ウィンダム国王はしれっとそんなことを口にした。

「はあぁぁぁ?」

「だって……だって、ああ言えばおまえも修行の旅に出るのを躊躇うと思ったんだもんっ!!」

「父上は、おまえに旅になんか出て欲しくなかったんだよ」

 にこやかに微笑む兄と、うるうると目を潤ませる父。

「家族は、一緒にいてこそ家族なんだぞっ!! その家族が離れ離れになるなんて……そんなもの、この『愛の戦士』たる儂が認めるわけがなかろうっ!!」

「…………この中年親父……いい歳こいてまだ『愛の戦士』とかかしてやがんのか……」

 げんなりとした表情で、レグナムが呟く。

 かつては妻への愛に生き、今では息子や娘たち家族への愛のために戦う《愛の戦士》。

 それがウィンダム王国現国王の二つ名──あくまでも自称──だ。もちろん、自国の民に対する愛も忘れはしない。

 彼は妻たる女性への愛を貫くため、側妃や愛妾は絶対に持たないとまで公言している。そして、愛のない結婚などあり得ないとして、子供たちに政略結婚は絶対にさせないというまで宣言していた。

「だったら、オルティア王国のシルビアとの婚姻話なんて持ち出すなよ。それだって立派な政略結婚じゃねえか」

「何を言う。おまえたちは幼い頃に出会った時、『将来、ボクたち結婚しょうねっ』『うんっ』ってお互いに約束していただろう。覚えておらんのか?」

「お、覚えてねえよっ!! ってか、覚えているわけねえだろ、そんな子供の時のことなんてっ!!」

 赤面しつつ、レグナムは立ち上がって抗議する。

「ああ、実は父上。そのことなのですが……」

 赤面する弟をおもしろそうに眺めていたインプレッサは、何かを思いついた風に切り出した。

「実はレグナムは……妻となる女性を一緒に連れてきているのです」




「ちょ、ちょっと待て、兄貴っ!! あいつは……カミィはそんなんじゃ……っ!!」

 突然の兄の言葉に、しばらく呆然としてしまったレグナム。だがすぐに我に返ると、慌てて兄の言葉を否定する。

「そうなのかい? 侍女たちからの報告によると、今朝も仲良く同衾していたそうじゃないか」

「そ、そうだけど違うっ!! あ、あれはいつもの癖で……」

 必死に言い訳するレグナムに対し、インプレッサはいつものように涼しい笑顔を浮かべている。

「ほう。つまり、癖になるぐらいいつもいつも同衾している……と? しかもその女性は全裸だったそうじゃないか。これはもう、何か言い逃れができる状況じゃないね?」

 にこにこと微笑みながら、それでもずいっと有無を言わさないインプレッサ。

「そうそう。同衾していた女性は二人いたそうだが……どうやら、我が弟の気持ちはカミィ殿の方に傾いているみたいだね」

 レグナムの顔色が更に赤くなる。

 たった今、レグナムが口にしたその名前。それは彼の想いの片鱗に他ならないだろう。

「実を言うとね? 私の方でもカミィ殿については事前に調べてあるんだ」

「まあ……兄貴のことだから、それぐらいはするだろうよ」

「でも、彼女について分かったことと言えば、ラリマーで伝説の海魔を退治したり、チャロアイトで魔獣を倒したということぐらいしか分からなかった。それ以前の……出自などに関する情報は一切入手できなかった」

 それはそうだろうとレグナムは内心で頷いた。

 おそらく、いや間違いなくカミィについて一番詳しい人間──クラルーは人間ではないので除外──はレグナムだ。その彼自身、カミィについて知っていることは多くはないのだから。

 レグナムが知っているは、カミィが本物の神であること、そして今は力の大半を失っているということだけだ。

「正直に言うと、私はカミィ殿をあまり信用していなかったんだ。当然だろう? どこの馬の骨とも知れない女性を、大切な弟の傍に置いておくわけにはいかない。私たちは、この国の王族なのだからね」

 相変わらずにこにこと笑っているインプレッサだが、その視線は鋭い。そのことが、彼が真剣に胸の内を語っていることをレグナムに知らしめていた。

 そして、レグナムにも兄の言いたいことは理解できる。

 王族である自分たちが良くない素性の者を伴侶として迎え入れることは、下手をすると国を乱す原因となるのだから。

「だけど……」

 インプレッサの瞳から、鋭さがすっと消え失せた。

「今のおまえの様子を見て、私は考えを改めたよ。どうやら、彼女は信用できる人物のようだ。おまえの今の態度を見れば、それぐらいは容易に分かる。我が弟がここまで信頼しているんだ。私もおまえの兄として彼女のことは……いや、将来の義妹いもうとのことは信用しようじゃないか」

「兄貴……」

 安堵の表情を浮かべるレグナム。

 そんなレグナムの肩を、背後から誰かががっしりと掴んだ。

 驚いたレグナムが振り向けば、そこには実にイイ笑顔をした実父がいた。

「さあ、息子よ。早くその女性をお父様に紹介したまえ? ん? ささ、早く早く!」

 ウィンダムは心底嬉しそうに、ぱんぱんと手を叩いて息子を催促した。




 とりあえず、カミィたちの準備のためという口実で一度自室に戻ることにしたレグナム。

 あのままあの部屋にいると、父親と兄にずるずると調子を引き摺られそうだったからだ。だからレグナムは一旦部屋に戻り、頭を冷やすことにした。

 自室の前まで辿り着き、慣れた手付きで扉を開ける。

「レグナム。どこに行っていたのだ?」

 中から聞こえてきたのは聞き慣れた声。その声に心が安らぐのを感じながらその声の主を探せば、彼女は部屋の真ん中にクラルーを従えて立っていた。

 全裸で。

「ちょ、な、なんて格好してやがるっ!?」

 慌てて寝台のシーツを引っぺがし、カミィの均整の取れた美しい裸体を覆う。

 クラルーの方はなぜか、侍女と同じお仕着せを着ていた。

「仕方ないのだ! 我輩の服はここの女どもが勝手に洗ってしまったのだっ!!」

 カミィがじっとりとした目を壁際に控えた侍女たちに向ければ、侍女たちは怯えたように肩を竦めた。

 カミィはレグナムが連れ帰った女性だ。つまり、レグナム付きの侍女たちからすれば、カミィは近い将来に主人と等しい存在となるかもしれない。

 そのカミィの気分を害したら、どのような咎めを受けるか分からない。侍女たちが畏れ戦いているのも無理はないだろう。

「脱ぎ散らかした服を片付けるのも侍女たちの仕事だからな。それこそ仕方ないだろう?」

 夕べ、寝る前にカミィとクラルーは着ていた服をその辺に適当に脱ぎ散らかしていた。そのことを思い出したレグナムは、侍女たちに落ち度がないと告げて彼女たちを安心させてやる。

 ちなみに、着替えを含めた他の荷物は、城下の宿屋に置いたままだ。

「それに、着替えは別に用意してあるんだろ?」

 侍女たちの中でも一番年嵩の女性にレグナムは尋ねる。その女性はレグナム付きの侍女たちを束ねる存在であった。

「はい、殿下。お嬢様の代りの御召し物は用意してあります。ですが……」

「我輩は着たくないのだっ!! あんなひらひらとした動きにくい服はっ!! あんな服を着るぐらいなら裸の方がましなのだっ!!」

 侍女たちが用意したのは、貴族の令嬢が着るようなドレスだった。

 もちろん、第二王子の伴侶──かもしれない──が着るに相応しい、豪華な装飾の施された上質な逸品である。

 クラルーに侍女のお仕着せを提供したのは、彼女の態度からカミィの使用人だろうと判断したからで、クラルーもそれを着るのに抵抗はないようだ。

 だが、カミィの方はそのドレスがお気に召さなかったらしい。

 シーツをふわりと纏ったまま、不機嫌そうな雰囲気を隠そうともしないカミィ。

 そんなカミィを見ているうちに、レグナムは笑いが込み上げてきた。やがてその笑いは堪えきれなくなり、遂には大声で笑い出す。

「どうしたのだ? 急に笑い出したりして」

「いやな? おまえと初めて出会った時のことを思い出したんだ」

 初めてこの少女と出会った時、彼女は同じようにレグナムが差し出した服を着るのを嫌い、それぐらいなら裸の方がましだと捲し立てていた。

「そういや、最近は着るものに関して文句を言わないな?」

「当たり前なのだ。他ならぬ貴様が用意してくれる服なのだ。文句を言うわけがなかろう? 貴様は我輩の第一の信者なのだからな」

 えっへんと胸を張り、自信満々に告げるカミィ。

 彼女のその返事が嬉しいやら気恥ずかしいやらで、レグナムは少し乱暴にカミィの髪をかき乱した。

「むぎゃらぶ。な、何をするのだっ!?」

「何でもねえよ」

 口では文句を言いながらも、カミィもどことなく嬉しそうだ。

 そんな端から見ればじゃれ合いにしか見えないやり取りを、部屋の隅に控えた侍女たちは微笑ましげに見守っていた。

 ただ一人、蒼い髪の某人外だけが、指を加えて二人の様子を羨ましそうに見つめていた。



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