第54話 国王


 翌朝。

 レグナムの身体の右半分にはカミィのしなやかで暖かい裸身が絡みつき、左半分にはクラルーの柔らかくてちょっとひんやりした裸身が纏わり付いていた。

 そんな状態で目を覚ましたレグナム。しばらくぼーっと見慣れた天井を見上げていた。

「慣れって恐ろしいな……まさか、こんな生殺しのような状態でも眠れるようになるとは……」

 夕べはカミィとクラルーに挟まれてとても眠れるとは思えなかったが、実際に寝台に入った途端、あっと言う間に睡魔に捕らわれた。

 久しぶりに帰ってきた自分の部屋だったからだろうか。それとも、カミィやクラルーが傍にいるという状況に慣れたからだろうか。はたまた、左右からしがみついている二つの身体が、ふにょんふにょんのぷにぷにでそれだけでも気持ち良かったからだろうか。

 天井を見上げたままレグナムがそんなことを考えていると、扉をこんこんとノックする音がした。

「おはようございます。お目覚めでございましょうか、レグナム殿下」

 扉の向こうから女性の声。どうやら侍女が朝の支度の手伝いにきたようだ。

 そういや、武者修行に出る前はこうして着替えから食事の用意から、何から何まで侍女たちの手を煩わせていたな、と改めて思い出す。もちろん、武者修行に出た以降は全部自分でやっているのだが。

「起きている。入っていいぞ」

 レグナムの許しを得た数人の侍女たちが、しずしずと部屋の中に入ってくる。

 入って来た侍女たちに、レグナムは全員見覚えがあった。

 彼女たちは幼い頃からレグナムに仕えていた侍女たちであり、久しぶりに再会した主人の姿を見て頬を綻ばせた。

「お帰りなさいませ、レグナム殿下。我々は殿下がお戻りになられる日をずっとお待ちわびておりました」

「ああ。皆も元気そうでなりよりだ」

「今朝、インプレッサ殿下からレグナム殿下がお戻りになったと聞き、こうして侍女一同、揃って挨拶に参上────」

 先頭にいた中年の侍女が代表して口上を述べる。そして更に何かを言おうとしたものの、寝台の上のレグナムたちの姿を見た途端、彼女たちは一斉に顔を真っ赤にした。

「────し、失礼いたしましたっ!!」

 侍女たちが慌てて退出する。

「あー……しまったな」

 自分の両隣でいつものように全裸で眠るカミィとクラルーの姿を見下ろしながら、レグナムはがりがりと頭を掻いた。

 どうも、自分はこの二人がいることに相当慣れてしまっているらしい。

 他人が今の自分たちを見れば、どうしたって情事の後にしか見えないだろう。しかも、一度に二人の美女を相手にするという、女性に縁のない男たちから見れば後ろから刺されかねないような状況で。

 間違いなく、先程の侍女たちもそのように誤解したに違いない。

「……ま、いいか」

 誤解の相手が他ならぬカミィなのだ。ならば誤解されたところで一向に構うことはない。

 そんなことを考えて、レグナムはまだ寝ている二人を起こさぬようにそっと寝台を抜け出した。




 自室を後にしたレグナムは、真っ直ぐに兄であるインプレッサの執務室を目指す。

 この時間ならば、兄は既に執務中のはずである。

 病気のためもう何年も自室から出てこないと噂されている第二王子。その第二王子が王城の廊下を元気そうに歩いているのを見て、事情を知らない兵士や使用人たちが目を見張って驚く。中にはレグナムのことを知らない者もいて、そんな者たちは不審そうにレグナムを眺めている。

 本来ならば不審者として取り押さえられても不思議ではないのだが、あまりにもレグナムが堂々と歩いているので迂闊な行動に出ることを躊躇ったらしい。

 やがてレグナムは、兄の執務室の前に到着する。

 執務室の扉を守る守衛に自らの身分を告げると、通達がされていたようであっさりと執務室へと通された。

「おはよう、レグナム。夕べはよく眠れたかい?」

「ああ、兄貴。お陰様でぐっすりさ」

「それは良かった」

 執務の手を休め、にっこりと微笑むインプレッサ。

「早速で悪いが、兄貴に聞きたいことがある」

「分かっているよ。おまえとオルティア王国の第三王女の婚姻の噂の件、だろう?」

 レグナムは兄の言葉に頷きながら、彼の執務机に両手を付いてずいっと身を乗り出した。

「そもそも、どうしてオレとオルティアのシルビアが結婚なんて話になったんだ? オレたちは幼い頃に数回会った程度の仲でしかないぞ?」

「それは我らの父上が、半年ほど前にとある式典でオルティア王国に赴いた際、酒宴の席で互いに酔っ払ったオルティアの国王とその場の勢いで決めたそうだよ。両国の一層の友好と繁栄のため、ラブラドライトの第二王子とオルティアの第三王女を婚姻させよう、とね」

「はああああぁっ!?」

 信じられない、といった表情で兄を見つめるレグナム。

「おまえもシルビア姫も互いに王族だ。王族ともなれば、結婚相手が勝手に決まるぐらい不思議でもないだろう?」

「そ、そりゃ確かにそうだが、だが親父は政略結婚って奴が大嫌いで、以前からオレたちの結婚相手を勝手に決めることはないと公言していただろう? それに、師匠の指示で武者修行に出る際、修行に出る条件としてオレは王子の位も王位継承権も棄てたはずだ。つまり、オレはもうこの国の王子でも王族でもないだろうっ!?」

「その辺りの詳しいことは、父上に直接聞くといい」

「親父にか? オレは親父に会いたくないから、こっそりと城に忍び込んで兄貴に話を聞きたかったんだが……勝手に身分を棄てたオレが、今更どの顔で親父に会えと言うんだよ?」

 数年前、レグナムは王子の位を棄てた。

 それは彼の剣の師匠の指示に従い、実戦を経験するために旅に出るためだ。

 その際、武者修行に出ることを父であるラブラドライトの国王に告げたのだが、当然ながら猛反対された。

「王族が……それも王位継承権第二位の第二王子が、武者修行のために各地を回るだとっ!? そんなことが許されると本気で思っているのかっ!? 王族には王族の責務があることを貴様もよく知っているであろうっ!? それを承知の上でどうしても武者修行に行きたいのならば、今すぐに王子の位と継承権を棄てよ! そうすれば貴様はただの人間だ。どこへなりとも自由に行くがいい!」

 父であり国王でもあるその人にそう言われたレグナムは、本当にあっさりとその場で王子の位と継承権を放棄することを宣言した。

 呆気に取られた様子の国王の前を辞したレグナムは、その足で武者修行に旅立ったのだ。

 ちなみに、レグナムが名乗っていた「スピアーノ」という姓は、彼の乳母の姓である。

 そんな勝手な行動を取ったレグナムは、父親に会わせる顔がないと思っていた。それに父親の方だって、勝手に身分を棄てた息子など、とうに見限っているだろう。

 そのはずなのに、ラブラドライトの第二王子であるレグナムと、オルティアの第三王女であるシルビアの婚姻の噂が広がった。

 それがレグナムには疑問であり、その理由を確かめるために王城に忍び込んだのだ。




「だけど、そんな酒の席での与太話が、どうしてあんなに広まっているんだ? しかも……これはここに来るまでに噂で聞いたんだが、オルティアのシルビアは既にこっちに向かっているらしいじゃないか」

 オルティア王国のシルビア第三王女が、ラブラドライト王国の第二王子と婚姻するために、ラブラドライトの王都を目指している。

 その噂話はこの王都に到着するまで、あちこちでレグナムたちも聞いていた。

「ああ、その話なら本当だ。シルビア姫一行は既に我が国の領土に入っている。あと十日もすることなく、この王都へと到着するだろう。ただし、その目的は婚姻そのものではなく、婚姻の挨拶のためだが」

「おいおい、もしもシルビアがこの王都に着いた時、オレがいなかったらどうするつもりだったんだ?」

「それは杞憂というものだろう? 現におまえはこうして私の前にいるのだから」

 しれっとそんなことを言う兄を前にして、レグナムは今回の婚姻騒ぎの大体の絡繰が読めてきた。

「そうか……オレたちの婚姻の噂を流したのは兄貴なんだな?」

「正解。より正確に言えば、噂が広まるようにあれこれ指示した、だけどね。その目的はもちろん、おまえをこの城に帰って来させるためだ。おまえがこの噂を聞けば、必ず私の前に現れると確信していたよ?」

 どうやら、自分は兄の掌の上でいいように動かされていたらしい。現にこうして自分はこの城に帰って来たのだから。

 レグナムは敗北感に苛まれながらも、それでも兄を睨み付ける。

「じゃあ、オレよりもシルビアの方が早くこの王都に着いた時はどうするつもりだったんだ?」

「その時は、おまえが長年の病で寝込んでいるという噂を盾にして、今回は面会させなければいいだけさ。なんせ今回のシルビア姫の訪問は、単なる挨拶なのだからね」

 どうやら完敗のようだ。レグナムははっきりとそう悟った。

 尤も、昔からこのような企みごとや悪戯で、兄に勝てたことなど一度もないのだが。

「さて、そろそろかな?」

「ん? 何がそろそろなんだ?」

 執務用の机に肘をつき、両手の指を組み合わせたインプレッサは、相変わらずにこやかな笑みを湛えたまま言葉を続けた。

「おまえに帰って来させたのは、確かにシルビア姫の来訪時におまえがいた方が都合がいいからだ。だが、他にも理由がある」

 言われたレグナムは不思議そうに首を傾げる。彼にはシルビア姫との婚姻の話以外に、帰らなければならない理由が思い浮かばなかったからだ。

「実は……」

 ふっとインプレッサの表情から笑みが消える。この兄の顔から笑みが消えるなど、レグナムは生まれてこのかた数度しか見ていない。

 何か余程の理由がある。レグナムの勘がそう告げていた。

「……最近、父上がすっかり気落ちしてしまわれてね……」

「親父が……? ま、まさか、病気か何かなのか……?」

 もしも、本当にレグナムたちの父が病気なのだとしたら。インプレッサの表情からして、それは思いの外深刻なのではないか。

 レグナムがそれを心配して思わず身を乗り出した時。

 ばたん、という豪快な音と共に、インプレッサの執務室の扉が突然開けられ、恰幅のいい一人の中年男性が飛び込んで来た。

「レぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇグぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅナぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁムぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 中年男性は喜色満面の笑みを浮かべ、両手を広げてレグナムに向かって飛びかかる。

「会いたかったっ!! 会いたかったのだっ!! 会いたかったぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

「お、親父……っ!!」

 突然レグナムにとびかかり、嬉し涙を流しながら彼の身体を全身の力で以て抱擁する中年男性。

 彼こそ、インプレッサとレグナムの実父にして、ラブラドライト王国現国王、ウィンダム・ラグレイト・ラブラドライトその人であった。

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