第52話 王城侵入


 その青年が普段執務に使用する部屋に、突然の来客があった。

 その来客は部屋の主である青年に一切断ることもせず、平然と扉を開けて部屋へと足を踏み入れる。

 もちろん、部屋の前には警護の兵士がいるし、部屋の中にも兵はいる。

 突然押し入った来客に警護の兵士たちの表情が強張るも、入ってきた人物を見て兵たちは元通り彫像のような直立不動の姿勢に戻る。

「おや、老師じゃありませんか。私の執務室に何用でしょうか?」

「ああ、おまえさんにちょいと聞きたいことがあってなぁ」

 そう口にしたのは、青年が言う通り老齢に差しかかった女性だった。

 普通、このサンバーディアスに住まう人間の寿命は六十歳から七十歳ほど。今、青年の前に立つ老婆はどこからどうみても六十は超えているだろう。

 だが、そこに老いによる衰えは一欠片も見受けられない。

 身長こそ五十二ザム(約一五五センチ)ほどと小柄だが、その腰はしっかりと伸びており、各動作にもキレがある。

 そして何よりその背中に背負った大剣グレートソード。小柄なその老婆が身に帯びるには些か大き過ぎる剣だが、当の老人は背中の得物の重量を苦にする風もなく。

 白く染まった真っ直ぐな髪を背中に無造作に流したその立ち姿に、付け入る隙は髪の毛一本ほども見当たらない。

 そして、その老婆は目の前の青年におもしろくもなさそうに告げるのだった。

「どうやら、あちらさんがこっちの縄張りに入ったそうじゃないか?」

「はい。私もそのように報告を受けております」

 にこにことした笑みを崩すことなく返答する青年に、老婆は更におもしろくなさそうに顔をくしゃりと歪ませる。

「どうする気だい? あちらさんがこっちに着いたって、肝腎のあのボンクラがいないんじゃ話にならんだろが?」

 苛立ちからか凄みさえ見せ始めた老婆に、青年は相変わらず笑みを浮かべるばかり。

「大丈夫ですよ。あいつの耳にも、今回の噂はもう入っているはずですから。噂を聞いたあいつが、じっとしているはずがありません。きっと今頃、王都に向かって……いえ、既に到着しているのではないでしょうか?」

「おめぇ……そこまで計算して、前もって噂を故意に流してってワケかい……」

 驚きを見せる老婆に、青年は笑みを帰すばかり。

「……ちっ。おめぇは剣の腕は儂はおろかあのボンクラにも及ばないが、悪知恵だけは一級品だぁな。ふん、おめぇみたいな奴が敵に回した時一番厄介なんだよ」

「褒め言葉として、受け取っておきましょう」

 そう言ってさらに笑みを深める青年を、老婆はどこか薄気味悪そうに眺めた。




 ラブラドライト王国、王都ラブラドライト。

 国名と同じ名を持つこの街は、ラブラドライトで最も大きく華やかな街である。

 シンジーユ湖という巨大な湖の中に存在する小島に王族の暮らす王城があり、その湖畔に築かれた巨大な街。それがラブラドライトの街であった。

 このシンジーユ湖が天然の要害になっているのは言わずもがなであり、王城の存在する小島と街が存在する湖畔とは一本の橋で繋がれているのみ。

 当然この橋さえ封じてしまえば、王城は難攻不落の砦となる。

 また、王城の存在する島はその周囲が殆ど断崖で囲まれており、湖から侵入するのも難しい。

 船着き場は幾つかあるが、そちらは厳重に警備されているので、そこから入り込むことはまず不可能だろう。

 そんな美しくも堅牢な王城を、一人の青年と二人の女性がラブラドライトの街のとある宿屋の窓から眺めていた。

「さて……問題はどうやってあそこに入り込むかだが……」

 いや、正確には王城を眺めていたのは青年一人。残る二人の女性たちは、ラブラドライトの街で買い込んだ名物の大角鹿の串焼きを上手そうにぱくついていた。

「うむ、うむ。実に美味いのだ。さすがにレグナムが名物と言うだけはあるのだ!」

 串焼きを齧っていた女性──カミィが、口の周りを串焼きのタレでべとべとにしながら満足そうに言う。

「全くでございます。さすがはレグナム様。ご主人様の好みをよくご存じです。もちろん、わたくしもこの串焼きはとても美味しいと思います!」

 全く人の話を聞いていない二人にがっくりと肩を落としながら、レグナムは再び王城へと視線を向ける。

「さすがに正面から堂々と乗り込むってわけにはいかないよな……となると……」

 レグナムは視線を再び宿屋の中へと戻す。そんな彼の視線の先には、蒼髪の美女がいた。




 国境の関所での一件から十日と少し。

 レグナムたちはラブラドライトの街にいた。

 彼らが王都であるこの街に来た理由は一つ。「ラブラドライトの第二王子とオルティアの第三王女の婚姻」という噂の真偽を確かめるためだ。

 そして噂の真偽を確かめるには、とある人物に会って話を聞くのが一番であるとレグナムは判断した。

 だが、そこで問題が一つ。

 そのとある人物というのが、普段は王城にいてそこから外へ出ることは殆どないことだった。

 レグナムはその人物に会うために、こうして王城へ忍び込む計画を練っているのだ。

「さっきも言ったが、正面の橋や船着き場は当然警備の兵がいる。となると、そこ以外から島に上陸しなくちゃならない」

「ふむふむ。では、どうするのだ?」

 相変わらず串焼き片手に尋ねるカミィ。レグナムはカミィのその問いに答える前に、手拭で彼女の口の周りを拭ってやる。

 擽ったそうにしながらも、どこか嬉しそうにされるがままのカミィ。

「だから、クラルーの力を借りたいんだ」

「わたくし……ですか?」

 自分を指さしながら、きょとんとした顔のクラルー。

「そう。おまえに乗って湖を渡るんだ」




 月が雲間に隠れる。

 完全に闇に包まれたシンジーユ湖。その湖上をゆっくりと移動するものがあった。

 その大きさはかなり大きい。大人が数人乗っても余りあるだろう。

 だが、それに乗るのは一人の青年と一人の少女の二人のみ。

 二人はそれの上で低い姿勢を保ったまま、じっと前方──ちらちらとあちこちに篝火の灯りが見える王城を見つめていた。

 この時、気まぐれな風が雲を押し流し、月が再び顔を出した。

 月光に照らされたそれは、半透明の身体をきらきらと輝かせる。

 だがその輝きは決して強いものではなく、王城の城壁を歩く警備の兵からは湖の湖面が月光を反射しているように見えるだろう。

「よし……どうやら、今のところは気づかれていないようだ。クラルー、このまま進んでくれ」

 青年──レグナムの声に応えるように、足元がふるふると揺れた。

「なるほど。神獣の姿に戻ったこやつに乗れば、この程度の湖など楽に渡れるというものだな」

「そういうことだ」

 王城の建つ島に渡るためにレグナムの考えた方法は、大クラゲの姿に戻ったクラルーに乗って渡るというものだった。

 どこかで小舟を調達してもいいのだが、湖の上で発見された場合に逃げ場がない。

 その点、大クラゲなら身体が半透明で目立たないし、いざとなれば小舟などよりも余程早く泳ぐこともできる。

 それに島に上陸した後、小舟だと逃げる際のために小舟自体をどこかに繋いでおく必要があるが、クラルーならば人間の姿になればいいのでその必要もない。

 そもそも、どこの誰がこのような巨大なクラゲに乗って湖を渡るなんて考えるだろうか。

 レグナムは警備の手薄な場所へとクラルーを巧みに誘いながら、どうにか王城の建つ小島へと接近することに成功した。

「よし、クラルー。手筈通りに頼む」

 再び足元が震え、次いで湖面から細長い紐のようなもの──大クラゲの触手が現れて、レグナムとカミィの身体にするすると巻き付く。

 そして触手は二人の身体をふわりと持ち上げると、そのまま高さ三ザーム(約九メートルほどある断崖の上へと運び上げた。

 断崖の上へと二人を運び上げると、触手は二人を解放する。そして今度は二人が触手をしっかりと握り締める。

 ぐいっとレグナムの腕に負荷がかかる。しばらくそれにカミィと共に耐えていると、断崖の下から人間の姿になったクラルーが現れた。

 ようは伸ばした触手を戻すことによって、身体の方を逆に引き上げたのだ。

 触手に変じていたクラルーの両腕が、一瞬で人間の腕へと変化する。

「ご苦労さん。早く服を着な」

 レグナムは背負っていた背嚢から、彼女の衣服を取り出して手渡してやる。

 大クラゲの姿に戻っていたため、今の彼女は全裸だった。さすがに夜とはいえこの姿で王城の中を歩かせるわけにはいかない。

 クラルーが服を着ている方を極力見ないように気をつけながら、レグナムはカミィへと向き直る。

 その時、カミィの姿にふと何か違和感をレグナムは感じた。

 月明かりに照らされているカミィ。その長い黒髪が、湖面を吹き渡る風にゆらゆらと揺らめいている。

 その揺らめく髪の中に、何やらきらきらと煌めくものが僅かだが見えたのだ。

「お、おい、カミィ? おまえの髪……」

「うむ? これか?」

 カミィは自分の髪に指を通して持ち上げ、無造作にさらさらと滑らせた。

「ここ最近、信仰が集まったのか、我輩本来の髪の色に戻りつつあるようなのだ」

「おまえの本来の髪の色……?」

「そうなのだ。我輩の髪は、力を失ったことで象徴する色も失っていたのだ。それが神力が戻るに合わせて、本来の色に戻りつつあるのだ」

「お、おまえを象徴する色……? それって────」

 レグナムが更に尋ねようとした時、不意に周囲に赤い光が出現した。

「侵入者だ! 本当にいたぞ!」

「動くな! 怪しい奴らめ!」

 松明を手にした衛兵たちが、どこからともなく沸き上がるように現れ、剣を手にしてレグナムたちの方へと集まってくる。

「ちっ!! どうしてここが分かったんだよっ!?」

 本来、この場所は断崖に面していることもあり、王城の中でも警備が最も手薄な場所の一つである。それなのに、これだけの数の兵がいるとは。

 これはレグナムたちの行動が、前もって王城側に漏れていたとしか思えない。

 とはいえ、レグナム自身もカミィもクラルーも、今日の計画を誰かに話した覚えはない。つまり、彼らがここにいることが王城側に漏れるはずがないのだ。

「今は考えても仕方ないかっ!! カミィっ!! クラルーっ!! ひとまず逃げるぞっ!!」

 そう。今はそれよりも逃げる方が重要である。

 そう判断したレグナムは、カミィたちを先導して素早く逃走に移る。

 月明かりだけを頼りに、レグナムは迷いのない足取りで全力で走る。彼はまるで王城を熟知しているかのように、巧みに衛兵たちの死角を突いて逃げていく。

 だが。

「いたぞっ!! こっちだっ!!」

「本当に言われた通りにこっちにいるぞっ!!」

「囲めっ!! 逃げ道を塞ぐんだっ!!」

「誰か上に伝令に走れっ!! 命令通り侵入者を追い詰めつつあるとなっ!!」

 どういうわけか、本来いるはずのない所に衛兵たちの姿があった。

 まるでレグナムが選ぶ逃走路を、前もって予測でもしていたかのように。

 当然、そのことは当のレグナムも気づいていた。

 自分が逃げる先に、前もって人員を配置する。そんなことができる人間など、レグナムには一人しか思いつかない。

──つまり、あいつにはオレがここに来ることが分かっていたってことか。

 レグナムが考えている間も迫る衛兵たち。だが、衛兵たちの包囲網にはどういうわけか必ず穴がある。

 ならば、このまま穴をついて逃げればいい。きっとあいつは自分の元へとオレを誘導しているだろうから。

 その人物がレグナムの行動を読みきっているように、レグナムもまたその人物の考えを的確に見抜いていた。

 そのまま逃走劇を続けることしばらく。レグナムたちはとある場所へと辿り着いた。

「ここは……王城の中庭か……?」

 周囲を見回したレグナムは、自分がいる場所に見当をつける。

「レグナム。誰かいるのだ」

 レグナムと同じように周囲を見回していたカミィは、中庭の植え込みの向こうに人の気配を感じ取っていた。

 カミィに一つ頷き返し、レグナムはそちらへと歩いていく。

 植え込みを回り込むと、そこには休憩用に置かれた長椅子が一つあり、そこに一人の青年が腰を下ろしている。

「やあ。ようやく来たね」

 青年はレグナムの姿を確認すると、にこやかな笑みを浮かべながら立ち上がる。

「やっぱり、あんたの仕業か……」

「あははは。バレていたかい?」

 悪びれもなくそう言った青年は、更に笑みを深めて言葉を続けた。

「お帰り。我が親愛なる弟よ」

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