第51話 身の上


 オルティア王国からラブラドライト王国へと続くとある街道。

 両国の国境にほど近い地域を、騎馬と馬車の一団がゆっくりと移動していた。

 一口に一団と言っても、その規模はかなり大きい。

 一行の中核をなす馬車は全部で五台。その内の一台は一際大きく、また豪華な装飾が施されており、主人格の人物が乗っているだろうことを容易く連想させる。

 そんな馬車を取り囲むように展開している騎馬たちもまた、一目で統率の取れた一団だということが分かる。

 大柄な軍馬に跨るのは、細かな彫金の施された金属鎧を纏った騎士たち。そんな騎士たちが百騎近く同行していることからみて、この一団の主は相当身分の高い人物だろう。

 そしてそれを示すように、装飾の施された大きな馬車の横腹には、オルティア王国を示す紋章が描かれていた。

 そう。この馬車はオルティア王国の王族が用いる馬車なのだ。

 その馬車に続く四台の馬車は、大き目ではあるがごくありふれたものだ。おそらく、こちらには使用人たちが乗っているのだろう。

 先行していた騎士の一人が、愛馬の速度を落として大きな馬車と並走する。

 騎士は馬上から腕を伸ばし、馬車の窓を数回軽く叩く。

 すると窓が内側から開けられ、高貴な雰囲気を漂わせる少女が顔を見せた。

「シルビア姫、フォレスタ猊下。間もなくモルバダイトの街です。夕方までには到着するでしょう」

「そうですか。ではもうしばらく周囲の警戒を続けてください、グラシア卿」

「は!」

 グラシア卿と呼ばれた騎士は、騎上で軽く頭を下げると騎馬の速度を上げ、元の持ち場へと戻って行く。

 それを確認した少女が視線を馬車の中に戻せば、その先に緩やかな笑みを浮かべる一人の男性がいた。

「どうやら間もなく街に着くようですね」

「はい、フォレスタ猊下。今夜はゆっくりと宿で眠れそうですよ?」

「ははは。私も元々は市井のしがない薬師でしたからね。こう見えても薬草を求めて数日間野山を歩き回ったものです。ですから、殿下よりはよほど野営に慣れております」

「まあ、そうなのですか? 私は野営の時に馬車の中で寝るのはどうも……いえ、もちろん、外で休む騎士たちより恵まれていることは承知しておりますが」

「致し方ありますまい。殿下のような方は殆ど王城から外へは出られませんからな」

 男性の穏やかな笑みに、少女もまた笑みを浮かべた。

「ところで、私のような者が殿下の馬車にご同席してもよろしかったのですかな? これから婚礼を控えている御身が、旅の間中馬車の中で独身男一緒とあってはあらぬ誤解を招くやもしれませんぞ? 下手をすれば破談になりかねません」

「構いません!」

 少女は拗ねたようにつんと顔を逸らした。

「今回の婚礼の話、正直申し上げて私は納得しておりません」

「殿下……殿下も王族である以上、そのような我が儘が通るとは思っておられぬでしょう?」

 幼子を諭すように男性は少女に優しく声をかける。どうやら少女も自分の我が儘であることは承知しているようで、男性の言葉に力なく肩を落とした。

「確か……相手のラブラドライトの第二王子殿下とは幼馴染みであるとお聞きしましたが?」

「はい。ですが、幼い頃に二、三度会ったことがあるだけです。今はどのような殿方に成長したのか……それさえ知りません」

 とはいえ王侯貴族の間では、見ず知らずの相手と婚姻を結ぶことなど珍しいことではない。

 そのことは当然、この少女も重々承知している。

「それに……第二王子殿下は長の病を患っているらしく、ここ何年かは公の場に姿を見せていないとか。きっと痩せ細った顔色の悪い病弱な方なのだわ」

「そのために、この私が同行することを殿下のお父上……国王陛下は命じられたのではないですかな?」

「はい。どんな病とて、猊下の『神の息吹』で癒せない病などありませんものね」

 にこやかに男性にそう告げた少女だったが、すぐにその表情を陰らせた。

「申し訳ありません。本来なら王権とは関係のない猊下を、私の婚姻の関係でこうして隣国まで同行させてしまいましたわ」

「お気になさらず。病人がいれば誰であろうとそれを癒す。それが私がりょくしんより与えられた使命だと思っておりますから」

「さすがはフォレスタ猊下。素晴らしいお志しです!」

 きらきらとした視線で、男性を熱く見つめる少女。

 その曇りのない真っ直ぐな眼差しに、男性は内心でこっそりと苦笑を浮かべた。




 ヒュンダー・ミライース男爵は、まじまじとレグナムの顔を見た。

 彼のその顔色は、青を通り越して既に白に近い。

「お、おまえは……い、いや、あなた様は、アスパイア公爵とはどのようなご関係で……?」

「ん? オレか?」

 反対に、レグナムの顔には意地の悪い笑みが広がっている。

 二人のやり取りを、関所に居合わせた旅行者や兵士たちが固唾を飲んで見守っている。

 唯一、カミィとクラルーだけはいつもと変わらない様子だったが。

「オレ自身は別に公爵家とは直接関係ないし、貴族ってわけじゃないがエディックスの爺さん……アスパイア公爵は一応オレの祖父ってことになるな」

「な……なななななななっ!?」

 今にも腰を抜かさんばかりに驚くヒュンダー。

 いや、彼だけではない。今、関所に居合わせた者たち全てが、驚きの目でレグナムを見ていた。

 それもそのはず。

 アスパイア公爵と言えば、ラブラドライト王国でも三本の指に入る大貴族である。

 特に、現国王の王妃がエディックス・アスパイア公爵の令嬢ということもあって、その力は実質上──今の時点ではあるが──この国の第二位と言っていい。

 そんなアスパイア公爵の当主が祖父に当たるというのだ。皆が驚くのも無理はないというものだろう。

「あ、ああああ、あなた様自身は貴族ではないと仰ったが……それはどういう意味でしょうか……?」

 既に卑屈にまでに低姿勢なヒュンダー。そんなヒュンダーにちらりと侮蔑の視線を投げかけながらレグナムは答える。

「それを男爵閣下にご説明する必要はないかと愚考致しますが?」

 嫌味ったらしくわざと丁寧な言葉で返すレグナム。

 だが、ヒュンダーにはそれを指摘する余裕はない。

 彼はこう考えていた。

 目の前の青年自身は貴族ではないと言う。それはつまり、アスパイア公爵が公にしていない妾か何かの血筋ということだろう。

 妾の血筋とはいえ孫は孫。アスパイア公爵も孫の身上を保証ぐらいはするに違いない。もちろん、正式な血縁などは伏せたままで。

 アスパイア公爵に限らず、貴族の当主に市井に隠し子がいるのは別に不思議でもない。そんなものよくある話だ。

 だが、例え市井の者でも相手は公爵家の血筋の者。しがない男爵風情が相手にできるわけがない。

 アスパイア公爵がその気になれば、ミライース男爵家など文字通り風前の灯火だ。

「それで? オレたちはこの関所を通ってもいいのか? いけないのか?」

「も、もちろん、お通りくださいっ!!」

 その顔に盛大な作り笑いを浮かべ、ついでに大量の冷や汗を浮かべながら、ヒュンダーはレグナムにぺこぺこと頭を下げる。

「そういえば、男爵閣下はオレの連れたちにこの場で裸になれとか言っていたような……ありゃ、オレの空耳だよな?」

「は、ははははいいいいいっ!! そ、空耳にござりまする……っ!!」

 この青年と連れの女性たちがどのような関係なのか定かではないが、下手をすると青年の恋人か伴侶ということも十分に考えられる。

 公爵家と縁のある青年の恋人や伴侶を公衆の面前で辱めようものなら、下手をしなくても自分の首が飛ぶのは間違いない。そのため、ヒュンダーは土下座せん勢いでただひたすらレグナムに頭を下げた。

「なあ、男爵閣下?」

「な、なんでござりましょうか?」

 必死に作り笑いを顔に張り付かせるヒュンダーに、レグナムは冷たい殺気の篭もった一瞥をくれた。

「今日ここで見聞きしたことは、爺さんには黙っていてやる。その代わり、今後似たような噂を聞いた時には……分かるな?」

「は……ははああああっ!! このヒュンダー・ミライース、今日この時より性根を入れ替えてお役目に殉ずる所存にござりまするっ!!」

 とうとう本当にその場に土下座したヒュンダーは、額を地面にこすり付けながらレグナムに返答した。

「ああ、それからな」

「は、はいっ!? このわたくしめにできることならば、なんなりとお申し付けくださいつ!!」

 この状況でも作り笑いを忘れないヒュンダーに、レグナムは場違いな感心を抱いた。

「あんたが落とした爺さんの書状……いつまでそうやって地面に置いておくつもりだ?」

「──────っ!!」

 ヒュンダーは文字通り飛び上がると、慌てて先程自分が取り落とした書状に飛びついた。

 そして書状を拾い上げて丁寧に土や砂を払うと、それを恭しくレグナムへと差し出した。

 書状を受け取ったレグナムは、カミィとクラルーを従えてヒュンダーに背を向けた。

 その途端、関所で順番待ちをしていた旅人たちから一斉に歓声が上がる。

 彼らも、ヒュンダーの権力を笠に着たやり方に反感を覚えていたのだ。

 そのヒュンダーが、より高い権力によってやり込められるという事実は、彼らの留飲を下げるに十分だった。

 レグナムのこの逸話が元となり、「公爵家の嫡男が身分を隠して国中を旅し、悪事を働く貴族を懲らしめる」という演劇の演目が大流行するのだが、それは後の世の話である。




 何とか関所を通り抜けたレグナムたち。

 関所を抜けた先は宿場町となっていた。本日はこの宿場町で一泊することにしたレグナムは、手頃な宿屋を探して歩く。

 その背中に、カミィが意外そうな表情で声をかけた。

「貴様の先程の言、あれは本当なのか?」

「あれって……オレがアスパイア公爵の孫って奴か? それなら本当だ。だけどあの時も言ったが、オレ自身はアスパイア公爵家とは直接の関係はないけどな」

「ほう。やはり貴様は貴族の血縁だったか」

 納得したとばかりに、カミィは腕を組みながらうんうんと頷いた。

「ん? どういう意味だ?」

「以前……モルバダイトの街で、プリメーラが言っていたのだ。もしかすると、レグナムはどこかの貴族の令息なんじゃないか、とな。貴様の人の良さは、生まれの良さ故だろうとも言っていたのだ」

「おまえら、いつの間にそんな話をしていたんだ?」

 自分の知らないところで交わされた会話の内容に、レグナムは思わず苦笑する。

 しかし、プリメーラの鋭さは相変わらずだな、とレグナムは思い返す。

 以前に僅かではあるが一緒に暮らしていた頃も、レグナムが何か失敗をしでかすとそのことにいち早く気づくのはいつもプリメーラだったものだ。

「しかし、貴様もあのような意地の悪い真似もできたのだな」

「ああ、さっきのヒュンダーに対するあれか。まあ、ああいう手合いはオレも嫌いだからな。確かに、ちょっと調子に乗り過ぎたのは認めるが」

「我輩は貴様が人のいいところばかり見てきたからな。少々意外だったのだ」

 そう言ったカミィに微笑まれて、レグナムはぷいと背中を向けて歩き出した。

 彼が必要以上にヒュンダーを追い詰めたのは、確かにあのような人物が嫌いということもあったが、実はそれだけではなかった。

 ヒュンダーが浮かべていたカミィに対する好色そうな笑み。あの笑みを見た時、レグナムはヒュンダーをどうしても許せなかった。

 だから、あのように徹底的に追い詰めてしまったのだ。

 とはいえ、当のカミィに「あいつがおまえを見た目が気に入らなかったから」などと言えるわけがなく。

 結果として、レグナムはカミィに何も言わずに背中を向けてしまった。

 もしかすると、思わず熱を持ったその顔を彼女に見られたくなかったのかもしれない。

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