剣鬼帰郷編

第50話 ラブラドライト王国


 足元の闇を通してその下に広がる世界を見下ろしていた、その場に集った五人の男女の視線がその中の一人へと集中した。

「どういうことだ……っ!?」

 真紅の長い髪を複雑に編み込んだ、黄金の鎧を纏った中性的な容貌の青年が、怒りを押し殺したような圧力を秘めた声で問う。

「あれは……おんかたの傍らにいるあの人間……あれはあの許されざる大罪人ではないかっ!? なぜ、あの大罪人があそこにいるのだっ!? あの大罪人は貴様の迷宮内を未来永劫這い蹲って彷徨っているはずではなかったのかっ!?」

 青年の真紅の髪が、まるで炎にように揺れ動く。

 いや、青年だけではない。この場にいる他の三人もまた、冷ややかな視線を向けていた。

 五人の内の一人である、肩口で切りそろえた金の髪を持つ女性へと。

 批難めいた四人の視線を集めつつも、金の髪の女性は特に取り乱す様子もなく、ただ淡々と事実だけを他の四人に告げた。

「抜け出したのだ」

「……なんだと? し、信じられん……」

 そう口にしたのは赤い髪の青年だが、他の三人もまた、同じ思いだとその視線が告げていた。

「あの者は、御方にもう一度会いたいその一心だけで、我の迷宮を潜り抜けたのだ。擦り切れてぼろぼろに……まさに消滅寸前になりながらも、な」

 女性の語る言葉に感情は見られない。ただそこにある事実を単純に述べるだけだ。

「では、なぜその事実を我らに伝えなかった?」

「その必要はないと我は考えたからだ」

「なに……っ!?」

 激昂する赤い髪の青年に対し、金の髪の女性は特に感情を揺れ動かすでもなく、平坦な表情のまま言葉を続ける。

「迷宮の管理は我が御方からその全てを任されている。よって、迷宮における事変を、逐一汝らに伝える義務はない、と我は判断する。そして、我の迷宮を突破した者に与えられるのは、過去の罪を全て消し去って他の者と同じ道を歩む権利。それもまた、御方がお定めになったことわり。よって我は迷宮を出たあの者に、その理に則った処置を施したまでのこと。それとも汝らは、御方がお定めになった理に異論があるとでも?」

 金の髪の女性の言葉に、赤い髪の青年が悔しそうな表情で黙り込む。

 しばらく怒りに肩を震わせていた赤い髪の青年は、その場にいる四人に背中を向けると、すたすたと歩き始めた。

「どこへ行くつもりかな?」

 穏やかな表情を浮かべた青い髪を短く刈り込んだ男性が問うと、赤い髪の青年は立ち止まった。しかし、立ち止まりはしたものの、以前、他の者には背中を向けたままだったが。

「知れたこと。彼の地へと赴き、御方をお迎えに上がるのだ」

「もうしばらく待ったらどうだい? 人間の寿命など、どんなに長くても百年にも満たない。あの者が寿命を使い果たしてから御方をここにお迎えしたとしても、我らにとってはそれほど先のことではないよ?」

「もう待てぬのだっ!!」

 緑の髪の男性の言葉に、赤い髪の青年が吐き捨てるように告げた。

「我らはもう十分に待ったのだっ!! 御方が再びお目覚めになり、この場にお戻りになられるのを……それが……」

 決して背後を振り返ることなく、赤い髪の青年は仇を見るような目で足元を睨み付ける。

「あの者だ……っ!! あの者が存在する限り、御方はここにお戻りになられぬのだ……っ!! おのれ……ただの人間風情が御方の御心を惑わすなど……それも一度ならず二度までも……決して……決して許されるものではないわっ!!」

 まるで嵐のような勢いで、赤い髪の青年の周囲に荒々しい力が満ちる。

「あなたが彼の地へ赴くのは構いませんが、しっかりと力だけは封じてからにしてくださいな。さもなければ、彼の地が……サンバーディアスが崩壊しかねません」

 波打つような漆黒の長い髪の、少しふくよかな女性が子供を諭すような口調で言う。

「心得ている! サンバーディアスは御方が自らお作りになり、その愛情を注がれた大地だ。その大地を壊す気など毛頭ない!」

 その言葉を残し、赤い髪の青年の姿がその場から消え去った。

 後に残った四人の内の三人──青と緑と黒の髪を持つ者たち──が、我が儘を言う子供の対処に困った親のような表情を浮かべて顔を見合わせる。

 只一人、金の髪の女性だけが、特に表情を浮かべることもなく、じっと自らの足元を見つめていた。




 ラブラドライト王国へと入るためには、当然関所を通り抜けなければならない。

 関所といっても、ラブラドライト王国とオルティア王国の関係は極めて良好なため、普段であればそれほど難しい手続きは必要ない。

 だが、今は少々違った。

 オルティア王国の第三王女とラブラドライト王国の第二王子の婚姻の噂が広まり、それに合わせて人の流入が一時的に増えたのだ。

 王族同士の婚姻ともなれば、それは庶民にとっては祭にも等しい。王都のみならず、各地の領主たちは王子と王女の婚姻を祝い、領民たちに酒や食事を振る舞うからだ。

 加えて、各地の商人たちもまた、人々が落とす金を目当てに集まってくる。

 結果として、まだまだ噂の段階でしかないのに拘わらず、先を見越したかなりの数の人間がラブラドライトへと流入し始めているのだ。

 そして、そんな人々の流れの中に、レグナムとカミィそしてクラルーの姿も見受けられた。




「……何と言っても、ラブラドライトの名物は大角鹿だな。ラブラドライト王国は山岳地が多く、農耕に向いた平地は少ないんだ。そのため、山岳資源である木材や、各地で取れる鉱石をオルティアへ輸出し、代わりに麦や各種の豆を輸入している。そしてラブラドライトの山岳だけに棲息する大角鹿は、身体も大きくてその名の通りに立派な角を持ち、その角や毛皮が他国では重宝されているんだ。もちろん、大角鹿の肉が美味であることは近隣諸国でも有名だぞ」

「ほほぅ……それは是非、食してみたいのだ!」

「はい、ご主人様の言う通りでございます! そしてその際は、是非、このわたくしにも一口お零れを!」

 今にも涎を垂らさんばかりの美少女と美女の主従に、レグナムは思わず苦笑を浮かべる。

 暇を持て余したカミィに、ラブラドライトに美味いものはあるかと聞かれたレグナムが、の国の名物を思いつく順に挙げている途中だった。

 今、彼らは関所をくぐる順番を待っている真っ最中だった。

 彼らの前にも後ろにも、多くの人々がきちんと並んで関所をくぐる時を待っている。

「……しかし、レグナムさんはラブラドライトの名産にお詳しいですな」

「ラブラドライトはオレの生まれ故郷だからな。それぐらいは知っているさ」

 レグナムたちの前に並んでいた、行商人らしき人物が振り返って微笑む。彼とは関所の順番を待っている間に、何気なく会話を交わすようになっていた。

「……しかし、私も行商人としてラブラドライトとオルティアの間を何度も行き来していますが、これほどまでに関所が混雑するのは始めてですなぁ」

 行商人は前方に続く人々を眺めながら、呆れたような呟きを零した。

 彼ら行列の周囲には関所の衛兵と覚しき兵士が何人も頻繁に行き来しており、何か問題がないか目を光らせている。

 以前にレグナムがこの関所を通り抜けた時は、これほどの警備はしていなかったはずである。

「随分と物々しいな……何か問題でもあるのか?」

「それはやはりあれでしょう。オルティアとラブラドライト、両国の王子と王女が婚姻するとなると、警備の都合などいろいろとあるのでしょうな」

「そういうもんかねぇ。だがよ? ラブラドライトの第二王子って、今はいないはずじゃなかったか?」

「れ、レグナムさんっ!!」

 行商人は、慌ててレグナムの口を押さえ、身体をやや屈めて中腰になったまま辺りをきょろきょろと見回した。

「あまり滅多なことは言わない方がよろしいですぞ? 王族について良からぬことを口走ると、何かと災いの種になりかねません。特にラブラドライトの王族は民に慕われておりますからな。下手なことを言うと兵士だけではなく、庶民からも手酷いことをされるやもしれません」

 声を抑え、レグナムの耳元で行商人はそう囁いた。

「確かに第二王子殿下は長の病を患っておられるとかで、長く公の場に姿をお見せになられません。ですが、決していないというわけではありませんぞ。それに王族の方をいないなどと口にすると、王族を侮辱した罪で首が飛びかねません!」

「お、おう、そ、そうか……い、以後、注意する」

 行商人の妙な迫力に押され、レグナムも思わず了承する。

 そしてレグナムのその反応に満足したのか、行商人は屈めていた身体を起こして前方を見やる。

「しかし、まだまだ関所に入れるまでかなりかかりそうですなぁ」

「全くだな。ところで、例の第二王子と第三王女の婚姻の話だが……どこまで本当なんだ?」

「さて……私も噂に聞いた限りですからな。ですが……いや、これも所詮は噂に過ぎませんが、オルティアのシルビア姫は現在、ラブラドライトの王都を目指して旅をされているそうですぞ? その旅の目的が、単なる第二王子との顔合わせなのか、それともそのまま輿入れするのかは分かりませんが……国境の警備が厳重なのは、そのせいかもしれませんな」

 レグナムたちがそんなことを話している間も、関所を抜ける順を待つ列は遅々として進まない。

 そして頂点に達する前だった太陽が、うっすらと赤い色を帯び始めた頃、レグナムたちはようやく関所の中へと足を踏み入れるのだった。




「怪しいな」

 関所を与る責任者らしき男が、カミィとクラルーを見た途端に好色な笑みを隠すことなくそう告げた。

「女だてらに傭兵の格好で我が国に入り込むなど……貴様ら、どこの国の間者だ? あぁん?」

 手にした革製の乗馬用の鞭を弄びながら、責任者らしき男がにたにたと笑いながらレグナムたちに近づいて来る。

「おいおい。オレたちは他国の間者じゃなく、れっきとした傭兵で──」

「黙れ、下郎っ!! 貴様には聞いておらぬわっ!!」

 ぴしり、と音を立てて手の中の乗馬鞭がしなり、ぴたりとレグナムの首筋にその鞭が当てられた。

 責任者らしき男は、ふんぞり返った態度でレグナムを見上げた。

 そう。正直、この男は小柄だった。年齢は三十代後半ほどで身長はレグナムの胸辺りまでしかない。小柄なカミィよりは高いものの、クラルーよりは確実に低い。

 だが、その体重はレグナムより重いだろう。つまり、この男の外見を簡潔に説明するならば、「ちび」で「でぶ」の二言で事足りる。

 しかし、身分はそれなりにあるようで、身に着けた衣服は上等なもの。もしかすると、貴族に名を連ねる者かもしれない。

 こういう手合いは下手に逆らうと面倒だ。そう判断したレグナムは、とりあえず黙って状況を見守ることにした。

 そしてレグナムが黙ったのを見て取った男は、より一層下卑た笑みを浮かべると再びカミィたちへと目を向ける。

「さて……どこかに間者としての身分を記したようなものを身に着けておるやもしれん……おい、その二人の身包みを剥いで裸にしろ」

「お、おいっ!!」

「貴様は黙っておれと言ったであろうがっ!! それとも何か? ここの関所を与るこの俺に逆らう、とでも? ラブラトライト王国男爵である、このヒュンダー・ミライース様にな!」

 勝ち誇ったような顔で、男──ヒュンダーはレグナムに告げた。

 そして、同時にレグナムは悟る。なぜ、この関所を通るのに時間がかかったのかを。

 辺境の国境の関所であり、中央の目が十分に届かないことをいいことに、この男がカミィやクラルーのように目に付いた女性の旅人を、難癖をつけて裸にして辱めていたからに違いない。もしかすると、裸にするだけではなかったのかも。そしてそれを回避するためと称して、旅人から賄賂でも得ているのだろう。

 そもそも本物の間者が、一目で間者であることを示すようなものを持っているはずがない。そんなことは少し考えれば分かるだろう。

 ヒュンダーに与し、甘い汁を吸っていると覚しき部下たちが、にやにやとした笑みを浮かべながらカミィたちへと近づいていく。

 このことに、レグナムは正直焦りを覚えた。

 ここでカミィたちが暴れでもしようものなら、ラブラドライトに入国することは難しくなる。

 かと言ってこのまま放置するわけにもいかない。なんせカミィとクラルーのことだ。裸になれと言われれば本当にこの場で裸になりかねない。

 それに、レグナムもこの手の権力を笠に着る人間は嫌いだった。

 そもそも、この手の連中を黙らせるのは難しくない。より高位の権力によって押さえつけてやればいいのだから。

──できれば、これは使いたくなかったんだがな。

 レグナムは内心でそんなことを考えながら、懐からあるものを取り出しながらヒュンダーへと近づいていった。

「ん? 何だ貴様?」

「まあまあ、男爵閣下。何も言わずにこれを見てくださいよ」

 憮然とした態度ながらも、レグナムは懐から取り出したものをヒュンダーへと差し出した。

 レグナムが賄賂を差し出したとでも思ったのか、ヒュンダーはそのたるみきった頬肉を醜く歪ませた。

「んん~なかなか話が分かるではないか……あぁん、何だこれは? ただの書状ではないか?」

 ヒュンダーは受け取った書状を無造作に開け、その中に目を通していく。

 長旅と経年であちこち多少劣化しているが、中に記されている文字が読めないほどではない。

 そして、相変わらずにやにやとしていたヒュンダーの表情が、読み進めるごとに徐々に変化していった。下卑た笑みに代わって彼の表情に浮き出たもの。それは明らかな驚愕だった。

 やがて書状を読み終えたヒュンダー。その顔色は蒼を通り越して白くなっている。がたがたと全身を震わせながら、驚愕で見開いた目で改めてレグナムを見つめた。

「き、貴様は……い、いや、あなた様は一体……」

 震えるヒュンダーの手から、レグナムが渡した書状が零れ落ちる。

 はらはらと揺れながら地面に落ちた書状には、流麗な筆致で確かにこう書かれていた。


『この書状を持つ者の身上は、ラブラドライト王国公爵家当主である私が全面的に保証するものである。

    ラブラドライト王国公爵 エディックス・アスパイア』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る