第47話 狂神の影で蠢くもの



 レグナムとカミィを真っ正面から見据え、狂神の狂信者の教祖は威風堂々とした姿勢を崩すことなくその口を開いた。

「きさま腐乱は何物がいくらだ?」

「…………」

「名のもっくんが泣いてここに居留守?」

「……………………………」

「古今東西ここは割れ煉瓦の精緻。無官の卿の桃は葬送に立ち枯れよ」

「…………………………………………」

 レグナムは思わず泣きそうな顔で隣のカミィを見た。

 いや、正直泣きたかった。それぐらい、目の前の男が理解できない。

 しかも、目の前の男はふざけているわけではないようだ。それどころか、至極真面目な表情でじっとこちらを見つめている。

 そういえば、とレグナムは思い出す。

 昼間捕えた狂信者たちも支離滅裂なことばかり口にする、とブレイザーが言っていた。

 もしかすると、狂神の信者とはこういうものなのかもしれない。

「気にするな。狂神の信者とは、多かれ少なかれこういうものなのだ」

 そして、その考えを読み取ったかのようなカミィの言葉。

 狂神の信者は、彼らの神から多少の違いはあれ狂気を与えられている。

 当然、信仰の深い者ほど与えられた狂気は大きくなり、それは言動や行動などに影響を与える。

「なるほど。狂神の信者は狂人ってわけか……じゃあ、昼間のあれはどういうことだ? あの時のこいつは、ここまで酷くなかった……というか、ごく普通だったぞ?」

「うむ……これは我輩の推測だが……もしかすると、何らかの理由で心が割れたのかもしれんのだ」

 カミィがそう答えた時だった。

──ぱちぱちぱちぱちぱち。

 背後から不意に拍手が聞こえてきた。

「ご名答にございます。さすがは我が愛しき方。なかなかのご慧眼ですな」

 だが、レグナムはそれほど驚いた様子もなく、肩越しにちらりと背後を確認した。

 そしてそこには、予想した通りの人物の姿。

 相変わらずリュートを構えているのはイプサムである。だが、その顔に浮かんでいるのは、今まで見たこともない粘ついた笑み。

 彼は器用にも眉の片方だけをひょいと持ち上げた。

「……おや? ご両名ともあまり驚きではありませんな?」

「ああ。おまえがここの連中の仲間であることは気づいていたからな」

「それは、それは。では、どうして本日は私に導かれてここへ? 何らかの罠であるとは考えなかったのですか?」

「おまえが言っただろ? 竜窟に入らなければ、竜卵は得られない、ってな」

「おやおや。これは一本取られました。では、別のことを尋ねましょうか。いつ私が事件の関係者だとお気づきになりました? できましたら、今後の参考のためにお聞かせ願いたいのですが……」

 正確にいえば、イプサムが事件に関わっていることに気づいたのはカミィである。だが、「誰が気づいた」とも言っていないでの、レグナムの言葉は嘘ではない。

「生憎だが、おまえに今後なんてねえよ」

 レグナムとカミィは前後からの挟撃を警戒して数歩横へと後退し、教祖とイプサムの双方を視界に収める。

 そしてレグナムは、右手の長剣ロングソードの切っ先を教祖へ、そして左手の小剣ショートソードの切っ先をイプサムへと向けて身構えた。




 カミィがイプサムに不信感を抱いたのは今日の昼間。狂神スギライトの神殿に行った時だ。

 神殿にいた初老の神官──今、彼らの前にいる教祖と呼ばれる男──は、スギライトを狂神と呼んだレグナムに大層憤っていた。

 だが、この吟遊詩人は最初に協力を要請した時に、スギライトを狂神と呼んでもなんの驚きも怒りも現してはいない。

 伝承や噂に通じる吟遊詩人であれば、スギライトが狂神と呼ばれていることもあると事前に知り得ていても不思議ではないが、あの時の彼はそれが自然とばかりに聞き入れていた。

 そして、その帰り道の狂信者たちの襲撃。

 レグナムもスギライトに関して探りを入れていれば、その内に向こうから何らかの接触があるとは考えていた。

 だが、その接触は初日からあった。

 しかも、その襲撃は待ち伏せである。探りを入れ始めた初日に、待ち伏せを受けるなど普通に考えてみればおかしい。

 これが後をつけた上での奇襲ならばまだ理解できる。だが、レグナムたちが受けたのは待ち伏せ。どう考えても、これはあり得ないことである。

 彼らがスギライトの神殿を訪れることと、通る正確な道を狂信者たちに誰かがあらかじめ知らせていなければ。

 そう考えた時、怪しいのは一人しかいなかった。

 レグナムたちがスギライトの神殿を訪れる正確な時刻。そして、その時に通るであろう正確な道順。

 このどちらをも知り尽くしている人物。それは、彼らをスギライトの神殿に案内した張本人であるイプサム以外にあり得ない。

 その事実から、レグナムとカミィはイプサムがこの事件に関わっていると確信したのである。




「それで、いかがでしょう? お教えいただけますかな?」

「教える理由も必要もないと思うが?」

「……そうですか。それは残念です」

 イプサムは落胆したかのように肩を落として両眼を閉じ、次いで手にしていたリュートを邪魔とばかりに背後へと放り捨てる。

 がしゃん、と音を立てて地下室の床と激突し、そのまま壊れてしまうリュート。

 イプサムはそれに振り返ることもなく、目を閉じたまま大仰な仕草でその場で跪く。

「教祖様。こやつらは御身の神を邪神と呼ぶ異教徒どもです。教祖様自らの手で、こやつらにスギライト神の偉大さをお教えしてさしあげてはいかがでございましょう?」

「ままいやである」

 教祖は組んでいた腕を解くと、両の拳を握り締めて腰の位置へと引き寄せる。

 そして、大きく吸気。肺一杯に酸素を取り込んだ彼は、裂帛の気合いと共に鋭くレグナムたちに向けて踏み込んだ。

 だん、という轟音と共に、強すぎる踏み込みが床に敷かれた石を割り砕く。

 細かな石の破片を撒き散らしながら、教祖はレグナムへと高速で迫る。

「ち……っ!! こいつ、カミィと同じ空拳使いかよっ!?」

 あっと言う間に間合いに踏み込んだ教祖は、レグナムの頭を粉砕せんと戦棍メイスのような拳を真っ直ぐに突き出す。

 だが、こと戦闘になれば、レグナムも易々とは遅れを取らない。しかも、空拳使いとはカミィとの手合わせで慣れきっている。

 至近距離では右手の長剣は取り回しが悪い。よって、左手の小剣で迫る拳を迎撃する。

 教祖の拳と、レグナムの小剣の切っ先が真っ正面からぶつかり合う。

 普通に考えれば、どんなに鍛え込もうが寸鉄纏わぬ素手の拳が、鋼を鍛えた剣に勝てるはずがない。

 だが。

 だが教祖の拳は、小剣の切っ先を一寸たりともその内側に食い込ませることもなく、レグナムの小剣を受け止めてみせた。

「……な……んだと……?」

 これに驚いたのはもちろんレグナムである。

 彼は目を丸くしながら、自らの小剣の切っ先と教祖の拳が拮抗しているのを見つめていた。

「我が忍苦鯛は加味の温度頸を受けて折る。子供の霊井戸の河辺の樹ではびっくりして扇子なり」

「だから、おまえの言っていることは意味不明なんだよっ!!」

 レグナムは教祖の腹に蹴りを入れる。

 その衝撃は鍛え抜かれた腹筋に殆ど吸収されてしまうが、それでも教祖の身体を押し返すことに成功する。

 そして改めて身構えるレグナムと教祖の間に、小柄な人影がその長い黒髪をたなびかせながら悠然と割って入った。

「こやつの相手は我輩に任せるのだ。レグナム、貴様はあっちの相手をするのだ」

「お、おう。任せた!」

 同じ空拳使い同士、そしてカミィの実力を熟知するレグナムは、教祖の相手を彼女に任せた方がいいと判断して、自分はもう一人の敵へと向き直る。

「おやおや。私の相手はレグナム殿ですか。できましたら私としては、我が愛しき方に相手をして欲しいのですがねぇ。そうすれば、あの小柄ながらも可憐な身体を隅々まで堪能でき────」

「黙れっ!!」

 レグナムはイプサムの言葉の途中で、大きく踏み込んで右手の長剣を一閃する。

 だが、イプサムは特に避ける仕草さえ見せず、その場にただ立ち尽くすのみ。

 まるで、レグナムの剣が彼の身体に届かないと予め分かっていたかのように平然と。

 渾身の一撃を躱されたことに、レグナムの顔がしかめられる。

 いや。今のは躱されたのではない。目測を誤ったのだ。

 そう判断したレグナムは再度鋭く踏み込み、今度は剣ではなく地を這うような低い軌道の蹴りでイプサムの足を狙う。

 だが、それもイプサムには届かなかった。やはりレグナムの蹴り、イプサムの数歩手前を虚しく横切った。

 ここに至り、レグナムも気づく。

 どうやら、何らかの方法で自分の遠近感が狂わされているらしい。

 その原因を探るべく、レグナムはきっと鋭い視線でイプサムを睨み付ける。

 当のイプサムは、目を閉じたまま相変わらず粘ついた笑みを浮かべて立っていた。

「おやおや。たった二回の攻撃で、もう気づきましたか? さすがですねぇ」

 並の相手ならもうしばらくは無駄な攻撃を繰り返すものなのですが、と続けたイプサム。彼は閉じられ続けていたその両の瞳をゆっくりと開いた。

 露になった彼の瞳。その瞳を見たレグナムが思わず息を飲む。

 彼の瞳の色は、髪と同色の明るい茶色だった。だが、今の彼の両眼は磨き抜かれた鋼のような色彩を帯びていた。




「お……おまえ……せいじんだったのか……?」

「その通りにございます。私は我が神……セレスタイン神の代行者なのです」

「セレスタイン……?」

「左様にございます。我が神セレスタイン様は幻影の王にして偽りの代弁者、そして他者の影の中で暗躍する者……すなわち、欺瞞を司る神なのです」

「欺瞞……神……」

 もしもイプサムが、彼の言う通りの存在だとすれば。

 レグナムは自分の攻撃が二度も空を切ったのも分かるような気がした。

 その名の通り、イプサムは何らかの力──「神の息吹」で、レグナムの五感を欺いたのだろう。

 欺かれたのはおそらく視覚だ。そのため、彼は目測を誤って無駄な攻撃を繰り出してしまった。

「そうか……貴様が今回の事件の黒幕というわけか……?」

「いかにも。教祖様を始めとしたスギライトの狂信者たちは、尽く私の掌で踊ってくれました。そして彼らは貴重な贄を、スギライトではなく我が神へと捧げるためにとてもがんばってくださいました」

 連続した行方不明事件。その犠牲者たちは、どうやら神への生け贄とされていたようだ。そのことには薄々とは感じていながらも、この時レグナムは初めてその事実を知った。

 しかもイプサムの言葉を信じるならば、実行犯のスギライトの狂信者たちは自らの神へと生け贄を捧げているつもりでありながら、実際はまるで別の神──欺瞞神へと捧げていたと言うのだ。

「────特に教祖様は得難い人材でした。彼は聖人というわけではありませんが、元々はスギライトの声を聞いたほどの優れた神官でした。しかしの神が心の平安を司る存在なのか、それとも狂気をもたらす邪神なのか……彼にも判断がつかなくなり、いつしか信仰が揺らぐようになっていたのです」

 そんな信者を哀れに思ったのか、スギライト神はその信者に恩恵を与えた。

 それ以来、彼の心は二つに割れ、心の平安を司る神の信徒である初老の神官と、狂気を司る邪神の教祖という二つの人格を一つの身体に宿すようになったのだ、とイプサムは語った。

「……以来、彼はあちこちを流れ、初老の神官は心の平安を司るスギライトの存在を民に説き、教祖の方は邪神としてのスギライトに祈りを捧げてきたのです。そんな彼と出会った私は、彼をこの街に導き、初老の神官にここに教会を建てることを提案しました。もちろん、邪神の教祖様には、地下で秘密裏に邪神に生け贄を捧げるように勧めたのです。ですが──」

 ぱちん、とイプサムが指を鳴らす。

 その途端、壁にかけられていた聖印がぐにゃりと歪む。

 驚いて見つめるレグナムの前で、スギライト神の聖印はまるで別のものへと変貌した。おそらく、いや、間違いなくあれは欺瞞神セレスタインの聖印だろう。

「彼らが祈りと供物を捧げていたのは、彼らが信じていた神とはまるで別の神でしたが、ね」

 粘ついた笑みをさらに歪に歪め、イプサムは喉の奥でくつくつと笑う。

 それを見たレグナムは、ぎりっと奥歯を噛みしめる。

 沸き上がる怒りを、文字通り噛み殺したのだ。

「てめえ……てめえのような外道には久々に会ったぜ……」

「これは、これは。お褒めをいただき恐悦至極」

 道化じみた仕草で腰を折るイプサム。そんな彼に、とうとうレグナムの怒りが爆発した。

「褒めてねえよ、この外道がっ!! 今すぐに叩っ斬ってやるから覚悟しなっ!!」

「おや? そうでしたか? ですが、私を斬るのは少々無理ではないですかな?」

 踏み出した足の裏に感じる床の感覚。両手で握り締めた愛剣の感覚。炎のような視線で睨み付ける、許されざる敵とその背後の聖印。地下室特有の黴臭い匂い。教祖とカミィが巻き起こす激闘の騒音。

 それらの各種感覚が、ぐらぐらと揺らめいているのをレグナムが感じた時。

 既にどこにいるのかさえ不明瞭なイプサムの声が、麻痺しはじめた彼の耳に確かに響いた。

「なんせ、あなたは既に我が術中に陥っているのですからねぇ」


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