第46話 教祖
顔に異様な模様を描いた数人の人間たち。
そんな怪しい連中が、レグナムたちが見つめる中、不気味な呪文のようなものを一斉に唱えている。
その光景は、はっきり言って異常でしかない。
少なくとも、一般的な常識を持っているレグナムにはそう思える。
異様な連中が熱心に祈りを捧げるのは、壁にかけられた大きなとある神の聖印。
その聖印に描かれた紋章は、紛れもなくこのモルバダイトの街の裏通りに建っていた、スギライト神の神殿で見たものと同じものだ。
「……狂信者……」
レグナムの口から、そんな言葉が小さく零れる。
レグナムとカミィ、そしてクラルーとイプサムの四人がじっと見つめる中、スギライトの狂信者たちの祈りは、更に熱を高めて行った。
狂信者たちの集会場の場所を突き止めた。
そう言いながら『月光の誘い亭』にイプサムが飛び込んで来たのは、夜もかなり遅くなってからのことだった。
「朗報ですぞ、我が愛しき方々──と、レグナム殿」
「……何だよ、オレがまるでカミィたちのおまけみたいなその言い方は?」
飛び込んで来たイプサムに、レグナムはじっとりとした視線を向ける。
だが当のイプサムはそんなレグナムの視線など気にした風もなく、じゃかじゃかとリュートをかき鳴らしながら興奮を抑えきれずにカミィとクラルーに向かって捲し立てる。
「この私が他の酒場で自慢の喉を震わせつつスギライト神の狂信者に関する情報を集めていたところ不穏な噂を耳にしまして聞くよりも見た方が確実とばかりにその噂を頼りにとある場所へと赴くと怪しい集団がたむろしているのを発見し少々おっかなかったのですが勇気を奮ってその連中を尾行したところ古ぼけた怪しげな建物の中に入っていくのを見まして竜窟に入らなければ竜卵は得られないという故事にのっとりその建物に足を踏み入れたところその地下に怪しげな祭壇が築かれているのを発見致しましたっ!!」
じゃかじゃかじゃじゃじゃじゃーんっ!!
イプサムの興奮に合わせて、彼のリュートも勇壮な音楽を奏でて行く。
「……それだけの長い台詞を一息で言えるのは、流石は吟遊詩人ってところだな」
「レグナム殿っ!! よりによってそこに突っ込みを入れますかっ!?」
そこじゃないでしょう、と
「勇猛果敢に! 敵の巣窟へと! 侵入を果たしたこの私を! もっと褒め称える場面ではありませんかっ!?」
じゃーんじゃじゃん。イプサムの指先が躍り、リュートが高らかに鳴り響く。
レグナムでは意味がないと悟ったのか、イプサムは自慢顔をいまだにぱくぱくと料理を食べている美少女と美女の主従へと向けた。
「どうです、我が愛しき方々? 噂から重要な情報を的確に判断した私のこの情況判断能力! そして実際に噂となった場所まで行ってみた行動力! 怪しげな建物に単身挑んだこの勇気! ささ、この私に惜しみない称賛を! 熱い抱擁でも愛の篭もった
さあこい! とばかりに、イプサムはカミィとクラルーに向けて両腕を拡げる。
だが、当の二人はイプサムに振り向くこともなく、もくもくと皿の上の料理を片付けていく。
拡げたイプサムの両腕の指が、どこか寂しそうにわきわきと動く。
何となく彼が哀れに思えたレグナムは、優しくその肩を叩いてやった。
「あー、なんだ。取り敢えず、おまえが見つけたっていうスギライトの狂信者たちの拠点とやらに行ってみようぜ? な?」
「……時に優しさは刃物となる、ということを私は改めて思い知りました……」
ぽろろん、とイプサムのリュートが悲しげな音を立てた。
そしてイプサムがレグナムたちを案内したのは、
スギライトの神殿から更に細く入り組んだ路地を入り込んだその先。そこにイプサムの言う怪しい建物は存在した。
かつては何かの倉庫だったのだろうか。
しっかりとした石造りの建物だが、長い間放置されたせいか所々が崩れ落ちている。
辺りに人気はない。どうやら見張りの類はいないようだ。
ゆっくりと、そして慎重に建物に近づいたレグナムは、壊れかけた扉を極力音を立てないように押し開く。
当然ながら、建物の中は真っ暗である。ランタンの光を頼りに中を覗けば、そこには壊れた木箱や崩れ落ちた石材などが転がっていた。
そんな中、床の真ん中に地下へと続くと思われる落とし戸が、ぽっかりと口を開けたままになってる。
レグナムは背後を振り返って、合図として決めておいた通りにランタンを数回振る。
すぐに夜の闇の中を、後続の三人が静かに近付いて来た。
レグナムは一度だけ一行の顔を見回してから、ランタンの光量を絞って最低限にすると、地下へと続く階段を慎重に降りて行った。
「どうやら、あの男がこの狂信者たちの指導者のようですな。差し詰め、教祖といったところでしょうか」
レグナムの背後から、イプサムが一人の人間を指し示す。
地下へと続く階段の途中からこっそりと様子を窺っているレグナムたちに気づくこともなく、一心不乱に祈りを捧げる狂信者たち。その集団の先頭で壁の聖印に向かって跪いている一人の男がいた。
遠目なので年齢などまでは分からないが、男なのは何とか分かる。どうやら、イプサムの言うようにその男がこの集団の頭目のようだ。
「どうするのだ?」
カミィがレグナムを見上げる。
「……こいつらが狂信者で、行方不明事件に関わっているのは間違いないだろう。ならば、放っておくわけにはいかない。クラルー」
「はい。なんでございましょうかレグナム様?」
「おまえは信者たちを眠らせろ。その後は手筈通りにな。俺とカミィはあの教祖らしい男を押さえる」
「承知致しました」
「うむ。我輩も承知したのだ」
主従が揃って頷くのを確認したレグナムは、再び禍々しい呪文のようなものを歌い上げている狂信者の集団へと視線を向ける。
「……あ、あのー、レグナム殿? 私はどうすれば……?」
引き攣った笑顔を浮かべながら、遠慮がちにイプサムが尋ねた。
「あんたに荒事を期待してねえさ。連中に見つからないような所に隠れていればいい」
「そ、そうでございますか……では、レグナム殿と我が愛しき方々のご武運を、我が神に祈っておきましょう」
さすがにここでリュートを爪弾くような真似はせず、イプサムは静かに階段を登って行った。
それを真剣な表情で見送ったレグナムは、カミィとクラルーへと振り向く。
「よし。行くぞ。油断するなよ?」
レグナムの言葉に、美少女と美女の主従は黙って頷いた。
しゅるしゅると小さな音と共に、地下室の床の上を蛇がゆっくりと這っていく。
しかも、床を這う蛇の数は一匹だけではない。無数の蛇が、地下室に集う人間たちに気づかれることなくゆっくりと移動していく。
いや、良く見ればそれは蛇ではない。
無数のそれを逆に辿れば、全ては一か所に辿り着く。
地下室で熱心に祈りを捧げる者たち。その者の背後に忽然と現れた、一人の美女の元へと。
その美女の長く伸ばされた両の袖口こそ、無数の蛇のようなものの発生点だった。
蛇のようなもの──長く伸ばされた触手は、祈りを捧げる者たちの足元へと忍び寄ると、その足首にするりと巻き付いた。そして、触手の先にある小さな針を、祈りを捧げる者たちの身体へと音もなく埋め込んでいく。
しばらくすると、一人、また一人と眠るように倒れる者が現われ始める。いや、その者たちは実際に深い眠りへと誘われているのだ。
地下室に集った者たちの二割ほどが突然の眠りに陥った時、祈りを捧げていた他の者たちもようやく異変に気づき始めた。
だが、既に遅い。
この場に集っている全ての者たちの身体には、既に眠りを誘う毒が流し込まれた後なのだから。
壁にかけられている聖印に向かって熱心に祈りを捧げていた男は、ばたばたと何かが倒れる音が耳に入り、祈りを中断して背後を振り返った。
不気味な模様のようなものが一面に描かれているその顔に、不審そうな表情が浮かぶ。
なぜなら、彼の背後には一人の青年と一人の少女が立っていたからだ。
少女の方は得物らしきものは何も持っていないが、青年は既に抜き身の
その二人の向こうに、床に倒れる同胞たちの姿が見えたが、その男はさして気にすることもなく、自分の前に立つ二人へと注意を向けた。
男は立ち上がり、二人へと身体ごと振り返る。
大柄な男だった。上背のあるがっしりとした体格で、その身長は目の前の剣を手にした青年よりも高いだろう。
振り返った男の顔を見て、抜き身の剣を手にした青年──レグナムが明らかに驚きの表情を浮かべた。
レグナムの隣に並び立つ少女──カミィもまた、その美しい形を描く眉を、怪訝そうにきゅっと中央に寄せている。
「あ、あんたは……」
レグナムとカミィの前に立つ、狂信者の教祖と覚しき男。
顔に不気味な模様が描かれているものの、その人物は今日の昼間にスギライト神殿で出会った
「あんたが……あんたが狂信者の教祖だったのか……?」
問い質すレグナムに、男は応える素振りも見せない。ただ、黙ってレグナムとカミィをじっと見下ろすばかりである。
この時、レグナムはおかしなことに気づいた。
昼間会った時、この男はこんなに上背はなかったはずなのだ。
身体つきの方はゆったりとした神官服で隠せたとしても、身長を誤魔化すことは簡単ではない。
昼間に彼と話をした時、彼の身長は確かにレグナムよりも低かったのだ。見た目の年齢も十歳は若返ったように見える。
それに昼間の態度。あの時彼は、スギライト神が狂神だと言われて本気で憤っていた。あれは演技などではなかったと、レグナムの目には確かに映っていた。
そして何より、自分たちを見下ろす男の瞳。その瞳の色は、昼間とは違って鉄が錆びた色を帯びていた。明らかに、神から祝福を授けられた証──聖痕に違いない。
「……どういうことだ?」
「
思わず零した疑問の言葉に、彼の神が応えてくれた。
「後天的に『神の息吹』を与えられた存在……確か、人間たちの間では代行者と呼ばれておったな? その際、神の恩恵が精神だけではなく身体にも作用したのだろう。極稀にだが、そのようなことが起こることがあるのだ」
「じゃあ、昼間のあの姿はなんだ? まさか、姿を自在に変えられるとでも言うのか?」
「そこまでは我輩にも分からん」
目の前の男から決して目を離すことなく、小声で相談するレグナムとカミィ。
この時、ようやく目の前の男が動きを見せた。
自然体で身体の両脇に下げられていた両腕を胸の前で悠然と組み、威風堂々と胸を張りながらぎろりと鋭い視線でレグナムを真っ正面から射抜く。
そして低く響く声がレグナムの鼓膜を震わせた。
「貴様のケツの穴は真っ青に燃え上がっているか?」
「………………はぁぁぁぁぁぁっ!?」
緊迫したこの場面。
だというのに、レグナムは自分の両肩からどっと力が抜けるのを確かに感じた。
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