第43話 吟遊詩人



──どういう状況なんだ、これ?

 それが『月光の誘い亭』に一歩足を踏み入れた時の、レグナムの心境である。

 彼の視線の向こう。そこでは例の女給のお仕着せ姿のクラルーが、美形と呼んで差し障りのない容貌の青年に迫られていた。

 明るい茶髪に同色の瞳。細身ですらりと背の高いその青年は吟遊詩人らしく、手にした楽器リュートを爪弾きながら、その曲に合わせて砂糖のように甘い言葉をクラルーに向かって囁いている。

「あなたの蒼く美しい髪はまるで広大な海。そしてあなたの金の瞳はその大海を気ままに泳ぐ黄金の魚……ああ、いや違う。瞳だけではなく、あなた自身が大海を優雅にたゆう人魚ではないだろうか?」

 青年の言葉を彩るように、彼が爪弾くリュートがりぃぃんと甘い旋律を奏でる。

 言っていることはあながち間違いではないな、と青年の言葉を耳にしたレグナムは思う。

 確かにクラルーは海を漂う存在だ。違うとすれば、それは彼女が人魚ではなく海月くらげという点か。

 その後も、青年はクラルーにさらさらと砂を吐くように甘い言葉を垂れ流し続けた。

 いい加減、彼の言葉のあまりの甘さに胸焼けし始めたレグナムは、カミィを連れてクラルーへと近づく。この時になって、クラルーもようやくレグナムたちに気づいたようで嬉しそうに顔を輝かせて立ち上がった。

「ご主人様! レグナム様! お帰りなさいませ!」

 ぺこりと頭を下げるクラルーに、レグナムは片手を上げて応える。

 彼女が頭を下げた際、その大きく開いた胸元から深くて豊かな谷間がはっきりと覗いたが、レグナムはあえてそれは無視。ちなみに、吟遊詩人らしき青年はしっかりと見ていたようで、彼が爪弾くリュートの音が思わず少々乱れた。

「ただいま、クラルー」

 クラルーに対して返答しつつ、レグナムは「こいつは誰だ?」という意味を含んだ視線を吟遊詩人へと向ける。

 それと同時に、それまで甘い旋律を奏でていた吟遊詩人のリュートの音が不意に止む。

 おや? と思いながら改めて吟遊詩人を見てみれば、彼は目を見開いて呆然とレグナムを──いや、レグナムの背後を見つめていた。

「な……なんと美しい……いや、美しいという言葉でさえ、あなたの美は現しきれないっ!! 大地に咲き誇る花々、宙を自由に舞う蝶、地の底より生まれ出でたる金銀宝石……それらの全てを集めても、あなたのまばゆい美貌には敵わない……まさに……まさにあなたは地上に舞い降りた美の女神……っ!!」

 吟遊詩人はリュートをじゃかじゃかとかき鳴らしながら、レグナムの背後にいたカミィを称える言葉を羅列していく。

 また間違ったことは言っていないな、とレグナムは溜め息を吐きながら思う。

 確かにカミィは比肩する者がいないぐらいの美少女だし、正真正銘の神である。もっとも、彼女が美を司る神かどうかまでは知らないが。

「さっきからじゃかじゃかとうるさいのだ。貴様は一体何者なのだ?」

 カミィは自分に向けられる賛美の言葉に嬉しがるどころか、逆に嫌そうな顔を吟遊詩人に向けている。

 明白あからさまに不審がられているというのに、なぜか吟遊詩人は逆に嬉しそうな表情を浮かべた。

「おお……っ!! 姿だけではなく、声もまた美しい……まるで神々の座に存在すると言われる七色の羽を持つ神鳥の囀りのよう……おっと、これは失礼。思わず熱く語ってしまうところでした」

 青年は姿勢を正すと、改めて名乗る。

「私の名はイプサム。イプサム・ブルーバードという吟遊詩人でございます。以後、よろしくお見知りおきを。我が女神よ」

 イプサムと名乗った吟遊詩人は、リュートをじゃかじゃかじゃんとかき鳴らしながら大袈裟な仕草で頭を下げた。




 彼──イプサム・ブルーバードは、ちょくちょくこの『月光の誘い亭』に出入りしている吟遊詩人である。

 今日も稼ぎを得るためにこの界隈の宿屋や酒場を回り、丁度この店の前を通りかかったところ、女将であるプリメーラに呼び止められた。

「おや、どうされましたか? 今日も相変わらずお美しいプリメーラさん」

「相変わらずなのはあなたの方でしょ? それよりちょっといいかしら?」

 イプサムのいつものように軽い調子に半ば溜め息を吐きながら、プリメーラは彼を店の中へと招き入れた。

「私の知り合いが例の行方不明事件について調べているのよ。それであなたなら何か知っているかもと思って」

「おお、そうだったのですか。ですが残念ながら、私もあの事件についてはあまり知らなくて……このことはあなたのお父上であるブレイザー衛兵長にもそう伝えてあります」

 吟遊詩人といえば、伝承や噂に通じている存在である。そのため、この街の衛兵を束ねるブレイザーも真っ先にこの街の吟遊詩人たちに聞き込みを行った。

 だが、彼らからも事件と関連のありそうな情報は得られていない。

「あら、そうだったの? ごめんなさいね、そうとは知らなくて。わざわざ足を止めさせて悪かったわ」

「いいえ、お気になさらず。それにこうしてあなたの店で足を止めたのも何かの縁。このままここで少し唄わせてもらってもよろしいですか?」

「ええ、いいわよ」

 笑顔でイプサムを店内へと招き入れるプリメーラ。

 女性に対して過分に甘い言葉を囁くという問題はあるものの、イプサムは吟遊詩人としては中々の腕を持っている。酒場としては、彼のような吟遊詩人の来訪は売り上げに大いに関わってくるので大歓迎である。

 だが今日、結局イプサムが『月光の誘い亭』でその喉を披露することはなかった。

 なぜなら、店に入った途端にあちこち危ない女給のお仕着せ姿のとある蒼い髪の美女を見つけた彼は、仕事であるはずの唄を放り出してまで熱心に彼女に迫り始めたからだった。




「──とまあ、そんな経緯で、こちらのクラルー嬢と出会ったわけです。そして! 私は今また、運命の出会いを果たしてしまいました! クラルー嬢との出会いも運命ならば、こちらの更に美しい女性との出会いもまた運命! ああ、神々はなぜこのような過酷な運命を私にお与えになるのか? かくも美しい女性を一度に二人も私の前に登場させ、私にどちらかを選ばせようとは……ああ、私はどうしたらいいんだっ!?」

 じゃじゃーんとリュートの音が響く。

「無理だっ!! どうしたって、私にはどちらかを選ぶなどできないっ!!」

 ぶんぶんと腕を振り回し、大仰な仕草で思い悩む姿を強調するイプサム。

──こういう奴は、端から見ているだけならおもしろいんだがなぁ……自分が直接関わるのは正直勘弁して欲しい。

 そんな彼を見て、レグナムは内心でそう零した。

「なあ、プリメーラ。もう少しマシな吟遊詩人はいなかったのか?」

「そうは言うけど、ああ見て彼は吟遊詩人としては中々のものよ?」

 唄に関しても、情報に関してもね、と続けたプリメーラに、レグナムは改めてくだんの吟遊詩人を見やる。

 今、彼はカミィの前に跪き、深々と頭を垂れながら彼女に名を問うているところだった。

「おお、愛しき我が女神よ! どうかあなた様の忠実な下僕しもべであるこの私に、御身の御名をお知らせ願えないでしょうか?」

「我輩の名前か? 我輩に名前はまだないのだ」

「は? 名前はまだない……?」

 名前がないと聞いたイプサムは、最初こそ訝しげな表情をするもすぐに晴れやかな顔になる。

「なるほど! それはつまり、私に二人だけに通じる秘密の名前を与えて欲しいということですね! さすがは我が愛しき方……何とも粋な計らいでございましょうか!」

 イプサムの指が複雑に踊り、じゃじゃんとリュートから軽快な音が響く。

「……あれだけ何でも自分のいい方向に考えられる、ってのは確かに凄いことだな……」

 どこまでも前向きなイプサムに、レグナムは改めて溜め息を吐く。

 その時、カミィがレグナムの方を振り向いた。

「レグナム。こいつは何か変な奴なのだ。取り敢えず、殴ってもいいか?」

 カミィの顔には僅かながら困惑が浮かんでいる。どうやらカミィも、このどこまでも前向きな吟遊詩人にはさすがに対処に困っているようだ。

「あー、殴るのは止めておけ」

 何せ彼女の拳は魔獣を一撃で葬り去る。そんなカミィが殴ったら、吟遊詩人どころかその辺の傭兵でも無事じゃ済まない。

「では、貴様が何とかするのだ!」

 自らの神を困らせたままにしておくわけにもいかないか。

 そう考えながら、レグナムはカミィとイプサムの間に割って入った。

「あー、イプサムだったか? 悪いが、こいつらはオレの連れなんだ。」

 背後にカミィを庇い、親指でクラルーを指し示しながら。

「そうよ。彼女たちは私の大事な弟分のお嫁さん候補なんだから。いくらあなたでも、彼女たちに変なちょっかいをかけたら許さないわよ?」

「ぷ、プリメーラは少し黙ってろっ!! そ、そもそも、この二人とはそんな関係じゃねえって言っているだろっ!!」

 プリメーラの余分な一言に意志が砕けそうになるが、何とか気を取り直してレグナムは力を込めた視線をイプサムに向けた。

 これまでに幾多の戦場を渡り歩いて来たレグナムである。視線だけで相手を威圧するのもまた、傭兵としての技術の一つであった。

 その鋭い視線を向けられれば、一般人などは容易くすくみ上がる。今もまた、視線を向けられたイプサムは大きく目を見開いて身動きを止めていた。

「そ…………」

 彼の顔に浮かんでいた驚愕が徐々に薄れていき、次いで現れたのは明らかに歓喜。

「その手がありましたかっ!! どちらか選べないのならば、二人とも私と……いやっ!! 違うっ!! 二人を私のものにするのではないっ!! 私が美しき方々の愛の奴隷となるのですっ!!」

 ぎゅわわわわん。

 イプサムのリュートが、歓喜の咆哮を上げた。




 結局、どこまでも前向きすぎるイプサムに根負けしたレグナムは、彼に協力を要請した。

 彼も曲がりなりにも吟遊詩人である。情報収集という面に関しては、少なくともカミィやクラルーよりは役に立つだろう。

 今回の事件で、何より不足しているのは間違いなく情報だ。連続行方不明事件を起こしている黒幕は、余程内密にことを運んでいるらしい。

 『月光の誘い亭』の酒場のテーブルの一つを占領した後、それらのことをレグナムがイプサムに告げると彼は即断で協力を受け入れた。

「承知いたしました。不肖このイプサム・ブルーバード、微力ながらも協力させていただきます。もちろん、我が愛しき方々のために!」

 じゃりりりん、と相変わらずリュートを奏でながら、イプサムは満面の笑みを浮かべた。

 まあ、動機はともかく、協力してもらえることは素直にありがたい、とレグナムも前向きに考えてみる。

 目の前に敵がいれば、余程のことがない限りどんな相手でも負けない自信のあるレグナムだが、その相手がどこにいるのか分からないのでは、その実力を発揮することもできない。

 今必要なのは敵を倒す技術ではない。敵の居所を突き止める情報である。

 そう考えてみれば、吟遊詩人の協力者は心強い存在であった。

「……とりあえず、イプサムには情報収集を頼みたい」

「了解です、レグナム殿。では、その情報収集を始める前に、貴殿たちが現在掴んでいる情報の開示と、どのような種類の情報を重点的に集めれば良いのかの指示を願えますかな?」

 イプサムのこの要請はもっともなことだ。

 そう判断したレグナムは、彼らがこれまで掴んでいる情報を全てイプサムに教えた。

「……そんなわけで、オレたちが今のところ一番怪しいと思っているのが狂神スギライトの信者……正確には狂信者だな。だからあんたには、この街のスギライトの信者が集まりそうな拠点の情報を集めてもらいたい」

「は? スギライト神の信者の拠点ですか?」

 ぱちくりと目を見開くイプサム。その顔に浮かぶのは、驚きと困惑が入り交じったようなものだった。

「連中の拠点ならば、探さなくとも心当たりがありますが?」

「な、なんだとっ!?」

 がたりと椅子を倒しながらレグナムが立ち上がる。

「ほ、本当に心当たりがあるのかっ!?」

「はい、本当ですとも。この街にはスギライト神の神殿がありますから」

 イプサムの口から出た言葉に、今度はレグナムが目をぱちくりとさせる番だった。

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