第41話 情報屋


 布で周囲から仕切られたその空間は、薄暗いものの相手の姿が識別できる程度の光度はある。

 甘い香がふわりと漂うその空間にいた、三十前後と覚しき女性はたゆたう香と同じような甘い笑みを浮かべた。

「久しぶりだねぇ、レグナム坊や」

「おいおい。坊やは止めてくれよ。オレももうそんな歳じゃない」

「くくく。随分と偉そうな口をきくようになったじゃないか」

 喉の奥で笑いながら、ルーテシアと名乗った情報屋の女性は、腰を下ろしていた寝台にその身をゆっくりと横たえた。

 彼女が動いたことで空気が揺れ、充満していた甘い香に更に甘い彼女の体臭が混じる。

 それは男の理性をぐずぐずに崩すだけの破壊力を秘めていたが、ルーテシアとはそれなりに付き合いのあるレグナムには慣れ親しんだ香りであり、理性を犯されるようなことはない。

 寝台の上で、彼女の美しい曲線を描く身体のあちこちが艶めかしく揺れる。

 おそらく、彼女が今身に纏っているのは僅かな薄布のみだろう。

 このルーテシアという女性は、情報屋であると同時にこの界隈の娼婦の元締めでもあり、彼女自身もまた娼婦である。

 客たちが娼婦相手に寝物語に零す話を集め、それらを纏めて各種の情報として売っており、その確度には定評があることで知られた人物である。

「ふふふ。どうやら、本当に成長したようだね、レグナム坊や……おっと、もう坊やなんて呼べないね。以前ならばこういう所で二人きりになった途端、がっつくように私の身体を貪ったのにねぇ」

 これまで、何人もの男を手玉にとってきたルーテシアである。先程の仕草も、男を誘う仕草としてかなり自信のあるものだった。加えて、焚かれている香には微量ながらも媚薬が混ぜてある。

 普通の男ならば、我を忘れてルーテシアにのし掛かっているだろう。それなのに平然としているレグナムに、彼女は肉体だけではなく、精神の方も相当鍛えたのであろうと内心で感嘆した。

 だけど。

「ば、ば、馬っ鹿野郎っ!! こ、こんなところで昔の話を蒸し返すんじゃねえっ!!」

 薄暗い灯りの中でもはっきりと分かる程赤面し、おたおたと横にいる少女と自分を交互に見るレグナム。

 そんなレグナムに、ルーテシアは彼の評価を下方修正する。

 先のルーテシアの言葉通り、客と娼婦という関係ではあるものの、レグナムと彼女の間には身体の関係があった。

 傭兵としての初仕事を無事に乗り越えた祝いとして、モルバダイトに戻った時にブレイザーが彼を娼館に連れて行き、その時にレグナムの相手をしたのがルーテシアだったのだ。

 その後も、傭兵としての仕事を終えてモルバダイトに戻った時に、何度かレグナムは客としてルーテシアを買ったことがある。ちなみに、レグナムにとってルーテシアは初体験の相手だったりもする。

「そ、それよりも、聞きたいことがある!」

 いまだに顔の朱が引かないまま、憮然とした表情でレグナムが言う。

「ええ、あんたの望む情報を与えようじゃないか。それが情報屋の商売だからねぇ。ただし、あんたも知っている通り、私の情報は確かな分だけ高くつくよ?」

 ルーテシアは情報屋としてのを浮かべながら、それでも楽しそうに目を細めてレグナムに告げた。




「なるほど……連続した行方不明事件のことは私も耳にしているよ」

 上は二十五歳ぐらいから下は十五歳ぐらいまで。いなくなったのは全て未婚の女性で、身寄りのない者ばかり。

 いなくなった娘たちの職業は様々。一番多いのは酒場などの女給が八人中四人を占め、その他にはどこかの商店で雇われている娘や、中には娼婦の娘もいる。

 とはいえ、身寄りのない娘が働く場所となるとどうしても限られる。それを考えれば、行方不明者の内、四人が女給であることは別段不思議なことではないだろう。

 今、分かっているのはそんなところだ、とルーテシアはレグナムに語った。

 レグナムはルーテシアの話を聞いた後、すぐに質問を追加する。

「どこかの奴隷密売組織が動いているような話は聞かないか?」

「それはないね。そんな組織が動いていれば、すぐに私の耳に入ってくるさ」

 ルーテシアはいわゆる「裏稼業」の人間である。同じ「裏稼業」である奴隷の密売組織の情報ならば、彼女が何らかの情報を仕入れていないわけがない。

 それにブレイザーが率いる、この街の衛兵たちは決して無能ではない。奴隷の密売組織のような分かりやすい相手ならば、とっくに洗い出しにかかっているだろう。

 よってレグナムは、この件に奴隷の密売組織が関わっている可能性は低いと判断した。

「いなくなった娘たちの暮らしぶりはどうだ? どこかに借金でもあって、それから逃げ出したなんてことはないか?」

「その可能性も低いね。そりゃあ身寄りのない娘のことだから、どこかに借金ぐらいはあるかもしれない。だけど、逃げ出さなきゃならないほどの借金じゃないだろうよ。それに、中には最近意中の男ができた、なんて周囲の者に嬉しそうに話していた娘もいるそうだ。自分からこの街を出ていくとは思えないけどね」

 ルーテシアの言う通り、身寄りもない娘が住み慣れたこの街を離れる理由は殆どないだろう。

 仮にこの街を出たとしても、それから先のあてがなくては野垂れ死ぬか、それこそどこかで奴隷にでも売り飛ばされるのが関の山だ。

 そう考えると、娘たちが自分からこの街を出た可能性は低い。

「さて、聞きたいことは以上かい? だったら、情報の代金を払ってもらうよ?」

「分かっているさ。いくらだ?」

「そうさね。本来ならばそれ相応のお金をいただくところだが……あんたと私の仲だし、久しぶりに再会したって嬉しい理由もある。そこで……」

 一旦言葉を遮ったルーテシアは、男の本能をぞくりと刺激するような蠱惑的な流し目をレグナムへと向けた。

「……あんたが一晩、私に付き合ってくれるって言うなら……今回の代金はロハでいいよ?」

「悪いが、それは断る。代金は通常通り支払う」

 自分の申し出を即断で断ったレグナムに、ルーテシアは思わず目をぱちくりとさせた。

「……まさか、このルーテシア姐さんのお誘いを断るなんて……あんた、しばらく会わないうちに不能になったんじゃないだろうね?」

「そ、そんなわけあるかっ!? そ、それにこんな所でそういう話をするんじゃねえっ!!」

「こんな所って……ここはそういう所じゃないか?」

「う……」

 確かに、ここは連れ込み宿の一種だ。別に店の外から連れ込まなくても、店の中で踊っている踊り子や、女給なども交渉次第では一晩限りの甘い夢を見せてくれる。

 そんな当たり前のことを忘れていた自分に驚きつつも、レグナムは再び顔を真っ赤にして視線をしきりに行き来させた。

 ルーテシアと、自分の隣できょとんとした顔をしている自らの神との間を。

 そんなレグナムを見て、ルーテシアはにんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「くくく。そうかい、そうかい。そういうことかい。だったら、野暮なことはなしにしようじゃないか」

 意味有りげにレグナムを見つめつつ、ルーテシアは規定通りの代金を提示し、レグナムもきっちりと情報の代金を支払う。

 レグナムから受け取った銀貨を机の上に積み上げつつ、ルーテシアはふと思いついたような表情を浮かべた。

「そういや、その行方不明に関連した噂があったね」

「噂?」

「ああ。本当に根も葉もない、ついでに突拍子もない噂なもんだから、ついつい忘れていたよ。何でもその噂によれば、その行方不明になった娘たちはとある邪神の生け贄にされたって言うんだよ」

「邪神だと?」

 本当に突拍子もない噂だろ? と笑うルーテシアに対して、レグナムは至極真面目な顔で更に尋ねた。

「それで……その邪神がどんな神なのかは分かるか?」

「私が聞いたところによると、狂気を司っている随分とイカレた邪神様らしいよ?」




 ルーテシアの店を辞したレグナムは、カミィと共に『月光の誘い亭』に向けて歩いていた。

 『月光の誘い亭』に残したクラルーが、何か別の情報を掴んでいるかどうか確かめるためだが、情報屋のルーテシアでさえ知らないような情報を、クラルーが掴んでいるとは思えない。

 とはいえ、もしかしたら、ということもある。

 それに、レグナムには聞きたいことがあったのだ。自らの隣を黙って歩く信仰する美しき神に。

「なあ、カミィ」

「何なのだ?」

 問いかけられ、カミィは隣のレグナムを見上げる。だが、レグナムの視線は真っ直ぐ前へと向けられたまま。

「さっきルーテシアが言っていた狂気を司るとかいう邪神……心当たりはないか?」

「狂気を司る邪神だと? そのようなモノはから存在しない。ゆえに知らないのだ」

「狂気を司る邪神は存在しない……?」

 思わずカミィへと振り向いたレグナム。そこに、真面目な表情で自分を見上げる金の瞳を見た。

 カミィはレグナムの顔をじっと見つめ、更に言葉を続ける。

「だが、きょうしんスギライトならば知っているのだ」

「…………どういう意味だ?」

 狂気を司る邪神は存在しないと言いつつ、スギライトという狂神ならば知っていると言うカミィ。

 レグナムには、カミィの言いたいことが丸で理解できない。

「そもそも、貴様は……いや、貴様たち人間は思い違いをしているのだ」

 いつしか、二人の足取りは止まっていた。

 例の行方不明事件もあって、裏通り界隈以外にこの時間に家の外を出歩く者はまずいない。

 今、天空に輝く月と星だけが、人通りのない街路で立ち止まった二人を見下ろしている。

「……思い違い……?」

「そうだ。そもそも、我輩たち神に正も邪もない。神はすべからく神であり、それぞれが司るものに対して純粋なのだ。例えば、貴様たちが言うさいたいしんの一柱であるおうしんシトリンは、死を司る神であろう。だが、黄の小娘を貴様たちは邪神とは呼ぶまい?」

「そ、そりゃあ確かに黄神は死を司る神であるけど、同時に転生も司っている。そもそも、死は邪悪なものではないだろう?」

 サンバーディアスにおいて、死とは人生の終わりであると同時に、新たな旅立ちであると考えられている。

 人生を終えた人間の魂は、死と転生を司る黄神シトリンの元へと誘われ、そこで裁定を受ける。

 何らかの功績を認められた魂は、神々の手によって神々の座へと救い上げられて、神の一柱となる。

 功績を認められなかったり、まだまだ未熟と判断された魂は再び人間へと転生し、サンバーディアスに生まれ落ちる。

 その際、生前に大罪を犯した者は、黄神が管理する「冥界の迷宮」へと落とされ、迷宮を抜け出すまで次の転生は得られないとされている。

 ただし黄神の神殿によると、これまでに「冥界の迷宮」へと落とされて、無事にこの迷宮を抜け出した者はいないとされているが。

 人間は神になることができる。それがサンバーディアスの常識の一つであった。

「狂気を司る神は存在する。しかし、そやつは決して邪悪な神などではない。神の正邪の区別は、所詮は貴様ら人間が貴様らの価値観で勝手に判断したものに過ぎんのだ」

 神自身から語られたあまりにも意外な事実と、自分へと真っ直ぐに向けられている金の瞳。

 この世の常識を覆されたに等しいレグナムは、その金色をただ呆然と見つめることしかできなかった。


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