第40話 捜査開始


 レグナムとカミィが階下の酒場に戻ると、なぜか酒場は大混雑だった。

 集まっている客たちの殆どは男で、彼らの野太い歓声が酒場のあちこちから聞こえてくる。

「……一体何事だ?」

「何か、催しものでも始まったのか?」

 場を包む熱狂に、レグナムとカミィは揃って周囲を見回す。

 そして。

 そして、二人は見つけた。見つけてしまった。

 どうして、ここに集まっている男どもが騒いでいるのか、を。

 騒ぐ男どもの視線の先には一人の女性。

 身長は五十五ザム(約一六五センチ)ほど。肩口で切り揃えられた艶やのある蒼い髪と金の瞳。

 整ったその容貌は、十人中九人が美人と認めるだろう。

 その女性が身に着けているのは、貴族の館に勤める侍女か女中が着るようなお仕着せ。

 ただし、その女性の自己主張の激しい胸元は大きく開かれていて、深く刻まれた谷間がはっきりと見える。

 スカートの裾も極めて短く、すらりとした肉付きのいい白い太股が半分ほど覗いていた。

 しかもそのお仕着せは女性の身体にぴったりと張り付き、彼女の艶めかしい身体の曲線をはっきりと浮かび上がらせている。

 その女性が注文された料理や酒を持って厨房から現れる度、酒場にいる男どもが歓喜の声を上げていたのだ。

 その女性に眼がレグナムとカミィを捉えると、その顔に花が咲いたような喜びの表情が浮かび上がる。

「ご主人様っ!! レグナム様っ!!」

 そして、視線と声が向けられた二人は、その場に突っ立ったままその女性を見る。

「……クラルー……?」

「貴様、どうしてそんな格好をしておるのだ?」

 二人の元へと駆け寄った女性──クラルーは、なぜか嬉しそうにその場で一回転。

「これはこのような格好をすれば、ご主人様やレグナム様がお喜びになるから、と、プリメーラ様が……」

「プリメーラああああああああああっ!!」

 怒りよりも呆れが含まれたレグナムの声。その声に応じて、厨房の奥からプリメーラがひょこりと顔を覗かせた。

 ちろり、と舌を出しながら。

「こいつに店の手伝いをさせたのは、こんな格好をして男どもを煽るためじゃねえっ!! そもそも、いつの間にこの店は、女給に場末の酒場みたいな格好をさせるようになったんだよっ!?」

「あははー。ごめんねぇ。だって、クラルーさんてば物凄く身体の線が艶めかしいんだもの。思わず悪乗りしちゃった」

 口では謝罪しているものの、全く謝っているようには感じられないプリメーラの態度。

 この店で働いていた女給が行方不明になり、酒場の手が回らないから手伝ってくれないか、とプリメーラから頼まれたレグナム。

 酒場に様々な情報が集まるのは世の常識。ならば、例の行方不明事件に関した情報も得られる可能性があるのでは、と考えたレグナムはプリメーラのこの要請を受諾した。

 と、ここまでは良かったのだが、それからが問題だった。

 正直言って、カミィに客商売など絶対に無理。以前は下心満載な男の言葉にほいほいと従って、その場で服を脱ぎ出しかけたほどだ。

 かと言って、男の自分が手伝うのもどうだろう。

 この『月光の誘い亭』に集まる客は、やはり女性よりも男性の方が多い。これまでにプリメーラに仕込まれて──こき使われたとも言う──この店の手伝いをしたことはあるが、やはりここで情報を集めるならば、男が相手よりも女が相手の方が口の回りも良くなるというものだ。

 そう考えて、レグナムは多少の不安を抱えながらもクラルーに店の手伝いを任せた。行方不明事件に関する些細な情報でも得られればと考えて。

 だが、彼の思惑はプリメーラのせいで、斜めの方向に横滑りしてしまったみたいだった。




 その後、クラルーにはそのまま『月光の誘い亭』での情報収集を任せ、レグナムはカミィと共にこの街の衛兵の屯所へと向かう。

 店を出る際、クラルーがレグナムたちにまるで捨てられた子犬のような眼を向けていたが、あえてそれは黙殺。

 カミィからも直々に、『月光の誘い亭』でプリメーラの指示に従うように言われたクラルーは、件の格好のまま接客を続けながら情報を集めているだろう。

 すっかり日が暮れてしまったが、レグナムは慣れた足取りで目的地へと向かう。

 やがて辿り着いた大きな建物。そこが、この街の衛兵たちの屯所である。

 屯所の入り口に立っていた守衛に自分の名前と会いたい人物の名前を伝え、その場で待たされることしばし。

 何やら屯所が騒がしくなったと思えば、建物の中から一人の男が姿を見せた。

 四十代半ばから五十代ほどの禿頭の偉丈夫だ。大柄な身体に鎖帷子チェインメイルを着込んで厳つい視線でぎろりとレグナムを睨み付ける。

 その男性の姿を確認して、レグナムが口を開くより早く。

 数ザームはあった彼我の距離を一瞬で殺したその男性は、その場でがっしりとレグナムを抱き締めた。

「レグナあああああああああああムっ!! ほ、本当にレグナムなんだなっ!? 元気にやっていたかっ!? 病気になんかかかっていないだろうなっ!? 会いたかったぞおおおおおおおおおおおっ!!」

「や、止めてくれよ、ブレイザーの親父さんっ!! ほ、ほら、みんなが眼を丸くして見ているってっ!!」

 普段から厳めしい表情を崩すことなく、常に厳しく部下たちを指導する衛兵長ブレイザー・アスパイア。

 そのブレイザーがここまで感情を露にして、しかも人目を憚ることなく抱き締める人物とは一体何者なのか。

 その場に居合わせた衛兵たちは、驚き半分興味半分でレグナムに注目していた。

 やがて興奮が収まったのか、それともレグナムを抱擁することに満足したのか、ブレイザーはレグナムを解放すると、今度は彼の連れへと視線を向けた。

「ほほう。この娘がおまえの嫁か。確かに凄い別嬪だな。でかした、レグナム! やはり男たるもの、美人の嫁を娶れば人生に潤いと勢いが出るってものだ! 儂も若い頃はそりゃあもう────」

「ち、ちがっ……っ!! カミィは嫁なんかじゃねえってっ!! てか、いつ誰からそんな話を聞いたんだよっ!?」

「ん? さっきプリメーラが屯所まで来てな? レグナムが凄い別嬪の嫁を連れて来たって言ったんだ。だから、今日の仕事を早目に片付けて急いで帰ろうとしていたんだが……こうしておまえの方から嫁を連れて挨拶に来てくれるなんて、儂はとっても嬉しいぞぉっ!!」

 感きわまったらしいブレイザーが、再びレグナムを抱き締める。

 大柄な身体に見合った膂力で抱き締められたレグナムが、思わずぐえっと蛙が潰れたような声を漏らす。

「ちょ、ちょっ……待……親父……興奮し過……く、くそ……プリメええええええラあああああああああああああっ!! 覚えてろおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 怨嗟に満ちたレグナムの悲鳴が、モルバダイトの衛兵の屯所に響き渡った。




「────いやあ、儂は昔から息子が欲しくてなぁ。だが、生まれてきたのは娘のプリメーラだった。確かに娘は娘で可愛いかったが、やはり、息子も……な。でも、死んだ女房はそんなに身体が丈夫じゃなかったから、プリメーラの次は望めなかったのだ……そこへ現れたのがこのレグナムでな。こいつが家へ来てくれた時は息子ができたみたいでなぁ。儂はもう嬉しくて嬉しくて……嬉しさのあまりにあちこち連れ歩き、先々の知り合いに自慢したもんだ。儂の息子はこんなに立派だぞ、とな。そのレグナムが……儂にとっては本当の息子に等しいこいつが、遂に嫁を娶ったとは……お嬢さん! こいつは剣の腕以外には大しておもしろみのない奴かもしれんが、悪い男ではない! どうかひとつ、末永く────」

「ちょっと待てや、おっさんっ!!」

 どん、とテーブルに拳を打ちつけ、レグナムは永遠に続くかと思わせるブレイザーの言葉を遮った。

 場所を衛兵長の執務室に移したレグナムたちは、行方不明事件についてブレイザーに尋ねた。最初のうちこそ事件について説明してくれたブレイザーだが、いつの間にか気付けば彼の口からは事件に関する情報ではなく、レグナムに対する家族愛が溢れ出していた。

 レグナムにとって、この禿頭の偉丈夫は傭兵としての師匠であり、世間知らずだった自分に色々と知識をくれた恩人であり、まさに父親にも等しい存在であるのは間違いない。

 だが、常軌を逸したこの自分に対する想いだけは、昔から受け入れ難かった。

 確かに以前も必要以上に自分を構うところはあったが、それでもここまで強烈ではなかったはずだ。

 どうやらしばらく会わなかったことで、レグナムに対する家族愛が胸の内に溜まりまくっていたようだ。その愛情が久しぶりに再会し、しかも嫁を連れてきたということで一気に噴火したのだろう。

 おそらく、プリメーラはブレイザーの胸の内に気付いていたに違いない。だからレグナムがこの街に帰ってきたことを、一足先にブレイザーに教えたのだ。

 プリメーラも、昔からよくレグナムに様々な悪戯を仕掛けてきたものだ。今回もそんな悪戯の一環なのだろう。

 無論、レグナムは二人に悪気がないことは知っている。だからこそ、余計に性が悪いとも言えるのだが。

「────おほん。済まん、話が逸れた。それで、この街で起きている行方不明事件の解決に、おまえが協力してくれるのだな?」

「ああ。こっちも少しわけありでな」

 レグナムはちらりと横にいるカミィに視線を向ける。

 カミィもまた、レグナムをじっと見上げていた。視線が交差した二人は、同じように頷き合う。

 そして二人の息のあった様子に、ブレイザーが満足げに何度も頷いた。

「正直言って、レグナムが手を貸してくれるのはありがたい。今は少しでも多くの人手で事件に関する情報を集めているところだからな」

「というと、親父さんの方にも具体的な情報は殆どないのか?」

「ああ。何せ、事件が発覚したのがつい最近でな」

 行方不明者は半年で八人。その全てが身寄りのない天蓋孤独な人間であったため、誰も衛兵に届け出る者がいなかったのだ。

 だが八人目にいなくなったのが、衛兵長の娘夫婦が営む宿屋兼酒場で働く女給だった。これが切っ掛けとなり過去に同じような境遇の人間が、実に七人もいなくなっていることが最近判明した。

 そのため、この街を治める太守がこれを連続行方不明事件として認め、ブレイザーを始めとした衛兵たちがようやく動き出したのだった。

「現在は、衛兵を総動員して他に行方不明者がいないか探っているところだ」

「分かった。オレはオレでいろいろと当たってみる。おまえもそれでいいな、カミィ?」

「うむ。貴様に全て任せるのだ、レグナム」

 レグナムの言葉に、カミィが不満もなさそうに応じる。

 その様子を見て、ブレイザーが満足そうにその厳めしい表情を和らげた。

「いや、二人とも仲が良さそうで実に結構だ。どうやらこのお嬢さんは見た目だけでなく、度胸の方もかなりのものと見た。お嬢さん! こいつは剣の腕以外には大しておもしろみのない奴かもしれんが、悪い男ではない! どうかひとつ、末永く────」

「それはもういいってのっ!! そもそも、カミィは俺の嫁じゃないからなっ!!」

 モルバダイトの街の衛兵長の執務室に、レグナムの声とテーブルを叩く音が再び響き渡った。




 予想以上に衛兵の屯所で時間をくってしまったレグナムとカミィは、次の目的地へと足を運んだ。

 更に夜はふけている。それでも、今レグナムたちがいる一角から喧騒が絶えることはない。

 モルバダイトの街の目抜き通りから何本も路地を入った街の奥。辺りには安っぽい酒と料理、そして同じく安物の香水と化粧品の匂いが立ち込めている。

 それらの匂いが鼻につくのか、カミィはこの路地に入って以来ずっと顔を顰めたままだ。

 そんなカミィを従えて、レグナムは実に慣れた様子で路地を歩む。

 途中、娼婦と覚しき女性がレグナムに媚を売り、酔っ払いがカミィに下卑た声をかけてくる。

 そう。

 今レグナムとカミィが歩いているのは、モルバダイトの色町だ。それも場末、という飾り文句がつく類の。

 辺りに乱立するのは、全てが酒場か宿屋。そのどれもが連れ込みに対応してくれる。

 細い路地に溢れかえる酔っ払いや娼婦、男娼らを擦り抜けて、レグナムはとある一軒の酒場を目指す。

 やがて目的の酒場に到着し、薄汚れた扉を押し開けると、中から濃密な酒と煙草と香水の匂いが溢れ出してくる。

 それらの匂いを我慢して店の中に入れば、薄暗い店内にはゆったりとした弦楽の音が流れており、その音に合わせるように数人の女性がゆっくりと踊っている。

 女性たちは殆ど全裸といってもいいような姿で、妖艶な笑顔を浮かべながら豊かな胸や尻をゆさりゆさりと振るわせていた。

 そんな女性たちや周りの客たちには一切の興味を示さず、レグナムはカミィを従えたまま無言で店の奥を目指す。

 途中で厳つい男が二人、レグナムたちの進路を遮るように立ちはだかる。

 だが、店の奥から何やら声がすると、男たちは無言で道を開けた。

 レグナムは男たちの間を通り、突き当りに垂れ下がっていた布を捲り上げてその奥へと入っていく。

 奥は暗い。ゆらゆらと揺れる一本の蝋燭の灯りだけが、その部屋を照らしている。

 レグナムとカミィが部屋に入り、再び布が下ろされたのを確認すると、中にいた人物がにたりと口角を歪めた。

「ようこそ、《剣鬼》と《我輩様》。情報屋ルーテシアの元へおいでくださり、心よりお礼申し上げますわ」

 中にいた女性が、艶を帯びた声音でそう告げた。


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