第29話 相棒


 夕べの大騒ぎの後片付けも一段落つき、ふうと溜め息を零したパジェロ。

 昨夜は本当に皆が嬉しそうに騒いでいた。だが、それも無理はなからぬことだろう、とパジェロは思う。

 もう長いこと、この街の住民たちの悩みの種だった魔獣、よろいねずみ

 直接迷宮に潜る発掘屋たちはもちろんのこと、その発掘屋を主な客とする武具屋や各種の道具屋、そして発掘屋たちが拠点とする宿屋など。この街の住民の殆どが、何らかの形で迷宮と関わって生きている。

 その迷宮に潜る発掘屋たちの数が少なくなれば、いろいろと立ち行かなくなる部分が出てきて当然だ。

 そんなチャロアイトの住民にとって、鎧鼠は本当に目の上の瘤にも等しかった。

 だが、その魔獣が──実に三体も同時に──ついに倒されたのだ。誰しもが浮かれるというものだろう。

 そして、夕べのような騒ぎは、この店だけではなかったはずだ。おそらく、この街のあちこちで同じような騒ぎが起きていたに違いない。

 そんなことを考えながら、パジェロは魔獣を倒した連中のことを改めて思い浮かべる。

 《剣鬼》という異名を持つ青年傭兵と、《我輩様》と呼ばれていたとても美しい黒髪の少女。そして、そんな二人に一歩下がった態度で接する蒼い髪の美女。

 彼らは、最近港街ラリマーに現れたというだいかいでさえ倒しているという。

──本当に大した奴らだ。

 長年、この街で宿屋を営んできたパジェロも、あれ程の連中はこれまで見たことがない。

 知らず、宿屋の中年主の顔に、まるで少年のような笑みが浮かぶ。あの連中のことを考えただけで、年甲斐もなく心が沸き立つのをパジェロは感じていた。

 そんな時、上の階から泊まり客の一人がふらふらと姿を見せる。彼は夕べの騒ぎの中、くだんの黒髪の少女に盛んに酒を勧め、逆に討ち取られた一人でもある。

「うぅぅぅぅぅ。パジェロの親父ぃぃぃぃ。水くれぇぇぇぇ」

 彼を始めとした酔いつぶれ連中は、明け方近くにパジェロが勝手に各自の部屋の中に放り込んでおいたのだが、喉の乾きで目が覚めたのだろう。

 パジェロは呆れつつも木製のジョッキに水を注ぎ、テーブルの一つの上に置いてやる。

 その客はごくごくと喉を鳴らして水を飲み干すと、何かを思いついたようにきょろきょろと辺りを見回した。

「なあ、パジェロの親父。《剣鬼》の兄ちゃんと《我輩様》たちはまだ寝てんのか?」

「馬鹿言え、おまえじゃあるまいし。連中なら朝一番に迷宮に向かったよ」

「へえ。いやぁ、若いっていいねぇ。元気があってよ……って、ちょっと待て! も、もしかして、あいつも一緒じゃないだろうな?」

 彼の言う「あいつ」が誰なのか。聞き返すまでもなくパジェロにはそれが誰だか分かっていた。

「大丈夫かねぇ、《剣鬼》の兄ちゃんたち。あの《罠感知娘》と一緒で……」

 男の言う《罠感知娘》という言葉に、パジェロの眉がぴくりと揺れる。

「……一応、レグナムの奴には忠告しておいた。それにあれ程の手練たちだ。そう簡単にはくたばらんだろうさ」

「……だと、いいがねぇ……」

 男の視線がとある方向へと向けられる。

 パジェロも、男と同じ方向へ視線を向ける。彼らの視線の先には、チャロアイトの迷宮への入り口がある。




「あ。これ、何だろ?」

「ちょ……っ!! ま、待て、パレットっ!! 迂闊にその辺のものに触るんじゃねえっ!!」

 慌てたレグナムが止める間もなく、パレットは通路に不自然に突き出ていた棒のようなものに触れた。

 それは突き出した棒を上下させることで何かを作動させる仕組みになっているようで、パレットがその棒を押し下げた途端、ごごごごごという何かが動く音が迷宮の通路に響き渡った。

「クラルーっ!! カミィを連れてすぐにここから離れろっ!!」

「はいっ!!」

 レグナムの指示に迷うことなく即答したクラルーは、カミィの小柄な身体を小脇に抱えて全速力で通路を元来た方向へと戻って行く。

 そしてそれを確認したレグナムは、笑顔でがちゃがちゃと棒を上げたり下げたりしているパレットを強引に抱き寄せる。

「あ、ん。強引なのは嫌いじゃないけど……場所を考えてよね?」

 レグナムの腕の中で頬を赤らめ、もじもじと身体を動かすパレット。そうしている間も、手だけはがちゃがちゃと棒を弄り続けている。

 どうやら彼女、夕べのレグナムの言葉が余程嬉しかったらしく、彼に対して軒並みならぬ好意を抱くようになったらしい。

 そのため、こうして抱き寄せられても──彼女の主観ではあくまでも「抱き締められる」だが──頬を赤めるばかりで文句を言う様子もない。

「……まあ、こんなところ、余り人も来ないだろうけど……それでも誰かに見られたりしたら……きゃ」

 人差し指でレグナムの逞しい胸板をつんつんと突きながら、パレットは無限の妄想世界を勢いよく飛翔する。

 そんな戯言を垂れ流すパレットを腕の中に庇いつつ、レグナムは周囲を警戒する。

 と、ごとん、と重々しい音と共に通路の前後に分厚い石の壁が天井から降りてきた。

「……くっ、前後を断たれたか……となると……」

 レグナムは通路の天井を仰ぎ見る。それと時を合わせるように、今度は天井から大量の水が降り注ぐ。

「ちっ、ご丁寧にも水責めかよっ!!」

 降り注ぐ水はあっという間に水深を増していき、レグナムの膝上にまで達した。このままでは、閉鎖された通路全体を水が埋め尽くすのは時間の問題だろう。

「え? 何なに? 一体全体、何がどうなっているのっ!?」

 ようやく「帰って」来たパレットが、状況を確認して慌てふためく。

「れ、レグナムっ!! あ、あああああんた、あの壁ぶった斬りなさいよっ!?」

「無茶言うなっ!? あの壁、相当分厚いぜ? あんな分厚い石製の壁、斬れるかよ!」

「い、石が斬れないとは言わないところが呆れるわねっ!!」

 二人がそんなことを言い合っている間にも、水はどんどんと増して、今まではパレットの胸の辺りにまで及んでいる。

「そう言うパレットこそあれ何とかしろよっ!? そのために、本職の発掘屋であるおまえと組んだのだろうがよっ!?」

「か、か弱い女の子である私に、あんな厚い壁をどうしろとっ!?」

 そして、いよいよ水深が身長の低いパレットの顎先辺りまで来た時。

 轟音と共に、彼らの背後の壁が突然砕け散った。

 その瞬間、レグナムは誰が壁を砕いたのかを悟る。

「カミィっ!!」

 砕かれた壁から押し流されていく豪流の中でさえ、拳を突き出した姿勢のまま微動だにしない、小柄でありながらも威風堂々たる少女の姿がレグナムの瞳に映る。

「大事ないか? レグナム」

 伸ばした腕をゆっくりと引き戻し、カミィはその人外の美貌ににやりとした笑みを浮かべた。

「おう。助かったぜ」

 さばざばと水位の下がった水を掻き分けながら、彼女へと近づいていくレグナムもまた、カミィとよく似た笑みを浮かべる。

 そして互いの距離が近づいた時、二人は無言で拳と拳をごつんとぶつけ合う。

「むぅ……何か、おもしろくない……っ!!」

 そんな二人のやり取りを、全身濡れ鼠になったパレットが、ぶすっとした表情を浮かべてじっと見ていた。




 適当な空き部屋で、濡れた服を乾かすために小休止を取ることにしたレグナムたち。

 このチャロアイトの迷宮は広大である。そのため、深層部に挑む発掘屋たちは、数日かけて迷宮の階層を下げていく。

 この迷宮には、下の階層に一気に行ける抜け道などはない。もしかするとそのような抜け道もあるのかもしれないが、今のところはそんな抜け道は発見されていない。

 下の階層に降りるには、各階に一つないしはそれ以上ある階段を降りるしか方法はなく、それゆえに深層に辿り着くには数日をかける必要があるのだ。

 当然、深層部に挑むつもりでいるレグナムたちも、迷宮内で野営する準備をしてきている。

 各種の照明──ランタンは補給用の油をいくつも用意してきているし、松明も十分持って来た。

 食料も十日分は各自持参している。そして、野営用に薪や毛布などもだ。

 レグナムたちはその薪に火を付け、濡れた服を乾かしているところであった。

「あ、あああああ、あんたたち……ど、どっかおかしいんじゃないのっ!!」

 パレットはその顔を真っ赤にさせながら、わなわなと震える指先を服を乾かしているカミィとクラルーに突きつける。

 カミィとクラルーの服もまた、先程の罠でレグナムやパレットほどではないものの濡れている。閉鎖された通路から流れ出した水で濡れてしまったのだ。

「……何がおかしいのだ? 濡れた衣をそのまま着ていたら気持ち悪いではないか。こうして衣を乾かすのは当然なのだ」

「はい。ご主人様の仰る通りです」

 と、二人は濡れた服を焚き火の火に翳しながら、不思議そうな顔を今も尚濡れ鼠のままでいるパレットへと向けた。

「だ、だだだだだ、だからって、し、下着まで全部脱ぐ必要はないんじゃいのっ!? ここにはレグナムが……男がいるのよっ!?」

 そう。

 パレットの言葉通り、カミィとクラルーの二人は下着まで脱いだ素っ裸でいるのだ。

 もちろん、その美しい裸体を隠すようなことはせず、全て開けっぴろげ。二人の身体のあんなところとかこんなところとかが、焚き火の赤い光の中ではっきりと見て取れる。

 ちなみに、この場にいる唯一の男性であるレグナムは、下着以外を脱いだ半裸姿で毛布にくるまっていた。

 努めて二人の裸体を見ないようにしてはいるが、彼のその顔が赤いのは焚き火の灯りのせいだけではないだろう。

 そして、パレットはそんなレグナムを気にして、いまだにずぶ濡れのままというわけだった。

「小娘。貴様はいつまでそうしているつもりだ? そんな姿のままでいては、人間は風邪を引いてしまうのだろう? ならば衣を脱いで、火にあたって身体を暖めるがいいのだ」

 焚き火の前の空間を指差し、次いでちょいちょいと手招きをするカミィ。

 しかし、当のパレットはカミィたちと焚き火、そしてレグナムを交互に見比べ動くことができない。

 特に、パレットの視線はカミィとクラルーの胸周りや腰周りに集中している。

 小柄ながらも均整の取れた美しさを誇るカミィと、ぼん・きゅっ・ぼんという言葉がぴったりのクラルー。それに比べて……と自分のなだらか過ぎる胸元を見下ろして、パレットは思わず泣きたくなった。

 しかし、このままずぶ濡れでいては、風邪を引いてしまうのは明らかで。更に何度も焚き火とレグナム、そして自分の身体を見比べたパレットは、赤い顔を更に赤くして意を決した表情でレグナムを睨み付けた。

「い、いいっ!? ぜ、絶対にこっち見たら駄目だからねっ!!」

「分かっているよ」

 毛布にくるまったままもぞもぞと動いたレグナムは、カミィやパレットたちに背中を見せる。

 そしてそれを確認したパレットは、ようやく濡れて身体に張り付いた衣服を脱ぎ始めるのだった。




「……ねえ、聞いてもいい……?」

 カミィたち同様に濡れた衣服を全て脱ぎ、焚き火の前にきちんと並べたパレットは、裸の身体を毛布で包み込みながら、こちらに背中を向けているレグナムに問いかけた。

「あなたたち……ううん、あなたとカミィってどういう関係なの?」

「オレと……カミィの関係……か?」

 背中をパレットに向けたまま、そう聞かれたレグナムは改めて考えてみる。

 まず、彼自身でもはっきりと言えるのは、「信仰する者と信仰される者」という関係だろう。

 力を失っているものの神であるカミィと、そのカミィを信仰するレグナム。ある意味でそれは、カミィとクラルーのような主従関係と言えなくもない。

 だが、単純に主従関係だと言い切ってしまうのは、レグナムには違和感が感じられるのだ。

 時に文句を言い合い、時に力を合わせる二人は、単に主従関係と言うには余りにも不釣り合いだと彼には思える。

 そんな今の二人を、最も的確に言い表すならば。

「………………相棒、かな?」

 しばらく沈思黙考したレグナムは、そう結論づけた。

「相棒?」

「ああ。息の合う……共に肩を並べて戦うのに不足ない、最高の相棒だよ、あいつは」

「ふぅん……」

 パレットは探るような厳しい視線を、レグナムの背中に送る。しかし、その厳しい視線も、すぐに柔らかなものへと変化した。

「…………そっか、相棒か……良かった……」

 安堵の溜め息と共に吐き出された小さなその言葉は、背中を向けているレグナムには届かなかったようだ。




「……相棒、か」

 くつくつと喉の奥で笑うカミィを、クラルーはきょとんとした顔で見詰める。

「どうかなさいましたか、ご主人様?」

「いや、何でもないのだ。気にするな」

 機嫌の良さそうな主人の様子に、クラルーは不思議そうにしながらも主の言葉通りに気にしないことにした。

 パレットとレグナムの会話は、当然すぐ傍にいたカミィにも聞こえていたわけで。

「くくく……この我輩に対して、不遜にも相棒などと言いおったのは貴様が初めてだぞ?」

 信仰する神に背中を向けるという、ある意味では不敬そのものな態度の信者に対し、カミィは実に優しげな眼を向ける。

「悪くない……貴様と一緒にいるのは、本当に悪くないのだ」

 そっと微笑みを浮かべるカミィ。自分を相棒と呼ぶ青年に向けられたその笑顔は、まさに神の慈愛ともいうべき優しさに満ちたものだった。

 そして、やはりそんな小さな一言も、背中を向けている青年の耳には届かないのであった。

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