第28話 迷宮再挑戦
心地よい微睡みの中から、ゆっくりと意識が浮かび上がる。
朝日が差し込む部屋の中、目覚めたレグナムは一瞬ここだどこだか分からなかったが、すぐにパジェロの経営する宿屋の部屋であることを思い出した。
そして、夕べの大騒ぎも。
夕べ、パレットの様子を見たレグナムが食堂に戻ると、そこは既に混沌が支配する場だった。
酔いに任せて笑いながら殴り合う者、調子っぱずれな唄を大声で唄う者、床でなぜか空樽を抱えたまま眠る者、おもむろに着ている服を脱ぎ出す者、膝を抱えて部屋の隅でさめざめと泣く者など、混沌としか言い表わしようがないとレグナムには思われた。
そんな混沌の中、カミィとクラルーだけは普段通りであったが。
カミィはテーブルの上に高く積まれた果物──おそらく男たちからの献上品だろう──を、両手で持って順番にぱくついているし、クラルーは相変わらず涙を流しながら様々な料理をせっせと口に運んでいる。
しかし、そんな彼女たちの周囲には
どうやら彼らは、レグナムがいない間にカミィたちを酔わせようとしたところ、見事に返り討ちにあったようだ。
何があっても変わらない二人の様子に、苦笑しつつも優しげな笑みを浮かべるレグナム。
彼はそのまま二人の近くに腰を落ち着けると、手近にあったジョッキを適当に引き寄せ、中に入っていた酒を勢い良く喉へと流し込んでいった。
そしてそのまましばらく、酒や料理を適当に楽しんだ三人は、明日に備えて確保した部屋へと戻ったのだ。
ちなみに、レグナムが一部屋、カミィとクラルーでもう一部屋借りている。パジェロの宿には一人部屋はないらしく、三人が借りたのはどちらも二人部屋だった。
部屋の中には寝台が二つと小さなテーブルと椅子、後は窓があるだけの簡素な部屋だが、掃除は行き届いており居心地はかなり良い。
「……どんなに飲んでも、この時間になるとしっかり目が覚めるんだよなぁ……」
窓から入り込む朝日を眺めながら、レグナムはぽつりと独りごちる。
強くなるには、まず正しい生活から。
というのが、彼が剣の師匠より最初に教わったことである。
早寝早起きで睡眠はしっかりと。そして、食事も栄養のあるものをきちんと摂る。それが師匠の最初の教えであり、口癖でもあった。だからレグナムが師匠より教わったのは、剣をどうこうよりもまずは美味い食事を作ることからだった。
「……弟子入りした当時はそれが不服だったが……今になってみれば当然のことだよな」
強くなるには、まず頑強な身体がなくては話にならない。そして、その頑強な身体を造り出すには、規則正しい生活が一番なのだ。
よく食べてしっかりと寝る。そんな生活を師匠の元で長年繰り返したレグナムは、今でも夜明け近くに必ず目を覚ます。もちろん、二度寝などはまずしない。
「今日も迷宮に挑戦、か。ま、我が神のためにも頑張りますかね」
寝台で仰向けに横になったまま、レグナムはゆっくりと身体を伸ばす。
それだけで、鍛え込まれた身体が隅々まで覚醒していくのが分かる。毎朝のこの感覚が、レグナムは結構好きだった。
さて、起き上がるか、と思った時。
視界の隅に何かが映り込んだ。
何となく嫌な予感を感じつつも、レグナムがそちらを振り向けば。
そこにはすやすやと安らかな寝顔の、黒髪の娘さんが一人。
「…………またか。しかも、やっぱり裸だし……ってえええええっ!?」
カミィが彼の寝台に忍び込んでくるのはいつものことであり、その際、彼女が全裸なのもいつものことだ。
だからそのことについては、レグナムも今更驚くほどのことではない。だが、今日は少しばかり様子が違った。
なぜなら、彼自身もまた全裸だったのだから。
「あ、お目覚めになられましたか、レグナム様? おはようございますぅ」
突如聞こえた声に驚いて、稲妻の如き速度でそちらへと振り向けば、空いていたはずのもう一つの寝台から、蒼い髪の美女がもぞもぞと身を起こすところだった。
やっぱり、こっちも何も着ていない。どうやら、主従揃って寝る時は何も着ない派のようだ。
身体を起こした際に、カミィとは比較にならない大きな二つの果実がたぷんと揺れ、本能的にレグナムの視線が釘付けになる。
「お、おおおお、おま……っ!! そ、そこで何を……っ」
震える指先をクラルーに突きつけながら、小声で──こんな状況でもカミィを起こさないようにとの気遣いに乾杯──レグナムが問い質す。
「はい。夕べ寝ようとしたところ、ご主人様がレグナム様と一緒でないと寝台が冷たくてよく寝られないと仰せだったもので……」
「おまえと一緒に寝ればいいだろっ!?」
「わ、わたくしも是非ともそうしたいのですが……ご主人様が仰るには、わたくしの身体は冷たいとかで……」
「あー……」
そう言われて納得するレグナム。
クラルーは見てくれこそは人間、それもかなりの美人だが、その正体は
そんなことを考えていたレグナムの頭の片隅に、ふととある事実が思い浮かんだ。
「あれ? 鍵、かけてなかったか?」
ぽつりと零すレグナムに、クラルーは明るい顔で答える。
「確かに鍵はかかっていましたが、こうして──」
クラルーの人差し指の指先が、ぐにゃりと形を失う。どうやら、鍵穴に変形させた指を押し当てて鍵の形に合わせて再度固め、そのまま鍵を開けたらしい。彼女さえいれば、今後は鍵をなくしても困ることはなさそうだ。
「────鍵はまあ、いい。おまえらが寝る時に裸なのも、おまえらの勝手だ。だが、なぜ、俺まで裸なんだ?」
まさか、夕べ酒に酔った勢いでこの二人とナニをいたしてしまったのでは? という思いがレグナムの脳裏を横切る。
それは「二人に手を出してしまったかも」という後悔では決してなく、「手を出したなら出したで、どうしてその時のことを全く覚えていなんだ」という類の後悔だったが。
だが、どうやら心配するような事実はなかった模様である。
「それはですね、ご主人様がレグナム様も裸の方がきっと暖かいと仰せになられたので、不肖ながらこのわたくしが脱がさせていただきました」
「……曲がりなりにも自分の主人を、裸の男と同衾させるのは部下としてどうよ?」
「はぁ……裸だと何か問題が?」
「……………………所詮は海月のおまえに、こんなことを尋ねたオレが馬鹿だったよ……それに、これじゃあ二部屋取った意味が全くねえじゃねえか……」
全裸のまま、こくんと首を傾げるクラルー。
対してレグナムは、朝から何かいろいろと奪われたような気がして、がっくりと頭を垂れた。
改めて、迷宮に挑んだレグナムたち四人。
昨日
これには、パレットのこれまでの経験が大いに役立った。
元々一人で迷宮に挑んでいた彼女は、浅層部の地図を殆ど完成させていたのだ。
その地図には罠の存在なども書き記してあり、それを頼りにレグナムたちは次々と部屋や罠を突破していく。
チャロアイトの迷宮の中には、昨日の鎧鼠のような上位の魔獣は殆どいない。それどころか、中位や下位の魔獣でさえも数が少ない。
その代わりというわけでもないだろうが、迷宮の中には実に様々な罠が仕掛けられていた。
自動で矢を放つ罠や毒を塗った小さな針に始まり、落とし穴や吊り天井、中には真っ直ぐな通路の真ん中以外は全て布で偽装された通路で、その下にはご丁寧に粘塊状の魔獣がびっちりと敷き詰められている何ともえげつない罠などもあったりした。
しかも、それらの罠の殆どが、
落下してきた天井がからからと音を立てて元に戻るのを見た時、レグナムとカミィそしてクラルーは、その巧妙な絡繰に迷宮の中ということも忘れて感心したものだ。
「凄えもんだな……一体、誰がこれだけ大がかりな絡繰を組み上げたんだ……?」
完全に元に戻った天井を見上げつつ、レグナムが感心するやら呆れるやらといった風に零せば、それを聞いたパレットが解説を加えてくれた。
「学者さんたちがこの迷宮で見つかる古い文字を長年かけて解読してきた結果、このチャロアイトの迷宮を造り出したのは
「技巧神アマラント……? あまり聞かない名前だな。で、その技巧神ってのはどんな神なんだ?」
レグナムの言葉の前半はパレットに対する相槌だったが、後半はカミィに向けての問いかけだ。
「技巧神と言えば、確か
「へえ。カミィって神様に関して詳しいんだ? もしかして、どこかの神殿の偉い人の娘さんか何かなの?」
すらすらと技巧神についての講釈を述べるカミィに、パレットは感心した様子で呟いた。
技巧神アマラントは迷宮を造り出した神と言われているだけあり、チャロアイトでは信者の数も多く神殿だって存在するが、逆にここら以外の土地では殆ど信仰されていない下級神である。
その技巧神を詳しく知っているカミィを、神殿関係者と疑うのは当然な成り行きだろう。
だがそんな巧妙な罠たちも、パレットの地図のおかげで殆ど無事に回避することができた。仕掛けられているのが分かっている罠など、既に罠として機能していないにも等しいのだから。
魔獣と遭遇することもなく、レグナムたちは易々と迷宮の浅層部を突破していく。
しかし。
しかし彼らの順調な迷宮攻略は、地図のない中層部に差しかかった途端、その進行速度が目に見えて落ち始めて行った。
かちり、と何かが作動する小さな音と共に、空気を切り裂いて十数本の矢が壁に設けられた
前を歩いていたパレットを強引に引き寄せ、素早くその前に踏み出したレグナムは、引き抜き様に
かんかかん、と石製の床に斬られた矢が力なく落ちる軽い音が響く。
現在、レグナムたちはチャロアイトの迷宮、第三十一階層まで到達していた。
先行していたパレットが誤って発動させてしまった罠を、レグナムの機転とその鋭い太刀筋でどうにか回避したのだ。
「す……凄い……。あれだけの数の矢を、あっという間に全部斬り払うなんて……」
ぽかんとした表情で、パレットは二振りの剣をそれぞれ納めるレグナムの背中を見詰める。
だが、そんなパレットへと振り返ったレグナムの顔は、盛大に引き攣っていた。
「……パレット……てめぇ……」
「あ、あはははははは。ご、ごめーん。またやっちゃった」
ぺろっと舌を出すパレットの脳天に、レグナムが盛大に拳骨を落とす。
ごちん、という何とも痛そうな音が、薄暗い迷宮の中に響く。
「これで何度目だよ? おまえが罠を発動させるのは……大体、おまえはこの街ではちょっとは名の知られた発掘屋じゃなかったのか?」
じっとりとした視線を向けながらレグナムが言うと、パレットはその目に涙を浮かべながら両手で痛む脳天を押さえる。
彼らの進行速度が落ちた理由。それは今レグナムが言った通り、パレットが罠にかかる確率が極めて高くなっていたからだった。
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