第30話 《罠感知娘》
ふと、その気配にそれは気付いた。
自分の領土ともいうべき「ここ」に、極々僅かではあるが自分と同じ気配が感じられたのだ。
「……へえ……こんな所にご同輩が来るとはね。でも……」
それは、その余りにも弱々しい気配に眉を顰める。
「……随分と弱い気配だね……もしかして、なったばかりの新米かな?」
目を閉じ、自分の領土に漂う気配を辿る。
どうやらそれは、中層部と深層部の境界あたりで動いていない。おそらくは休息でも取っているのだろう。
「新米とはいえ、せっかくご同輩が来てくれたんだ。ここはきちんとご招待するのが筋ってものだよね?」
誰に言うでもなくそう呟いたそれは、目の前の地面から突き出した様々な棒をがちゃがちゃと弄り回す。
「これでよし。後はこの
いくつかの棒をそうして操作した後、それは満足そうな笑みを浮かべた。
「……オレも聞きたいことがあるんだが……いいか?」
カミィやパレットたち女性陣に相変わらず背を向けたまま、毛布に包まったレグナムが問いかける。
もちろん、その問いの先はパレットである。
レグナムには当然見えていないが、パレットの表情にすっと影が差す。
「宿屋のパジェロの親父さんから、おまえのことは少しだけ聞いた。おまえが、同じ発掘屋たちから敬遠されているってな。そして今日、おまえと一緒に行動して、どうしておまえが敬遠されているのか……大体だが理解できた」
レグナムはちらりと肩越しにパレットを振り返る。その際、相変わらず全裸の身体を晒したままでいるカミィとクラルーを視界に入れないように配慮しながら。
「どうして、おまえはわざと罠を発動させる? 罠を解除するわけでもなく、そうやってわざと発動させてばかりいれば、発掘屋仲間から敬遠されて当然だ。そんなことも分からないわけじゃあるまい?」
チャロアイトの迷宮の各所に仕掛けられた罠。それは言うまでもなく、迷宮に挑む発掘屋たちの進路を妨害する障害である。
そして障害である以上、それは時に死を招く危険なものでもある。
迷宮に挑む発掘屋たちは、それらの罠に引っかからないように、仕掛けを起動させないように最新の注意を払う。
それなのに、パレットは自分からそれらの罠を発動させるのだ。そんなことをすれば、彼女と組もうとする同業者は自然といなくなっていく。
レグナムは視線を戻し、再び背中を向けたまま黙り込む。
しばらく、周囲には持ち込んだ薪の弾ける音だけが響く。カミィとクラルーも、何を考えているのかは不明だが、口を開くことなく視線もまたパレットの方へと向けていない。
そんな彼らの耳に、ぽつりとパレットの小さな声が響いた。
「《罠感知娘》……私は同業の発掘屋たちからそう呼ばれているわ……もちろん、これはいい意味ではなく、悪評の類ね」
自嘲的な笑みを浮かべるパレットは、じっと焚き火の炎を見ながら呟いた。
「仕掛けられた罠を見つけた端から発動させていく……悪い意味で、私が行く先々では罠が明るみに出ることになる。だから、《罠感知娘》ってわけ。確かに私はこの街ではちょっとは名の知れた発掘屋よ。だけど、それはいい意味で名が知れてるわけじゃないわ」
例え悪評ゆえだとしても、名が知れていることには変わりない。そういう意味では、彼女は嘘は吐いていない。
しかし、レグナムにはそのことを彼女を追及するつもりなどなかった。レグナムにあるのは、たった一つの疑問だけ。
「どうして、わざと罠を発動させていくんだ? 何か理由があってしていることなんだろ?」
レグナムはパレットを見ない。パレットもまた、レグナムへとは振り返らない。
互いに視線が絡み合うこともないまま、二人の会話は続く。そして、カミィとクラルーもその会話に割り込むことはない。
「……………………だって、そこに未知の絡繰や仕掛けがあるのよ? それがどんなものなのか見てみたいと思わない?」
「…………………………………………………………………………は?」
レグナムがどこか間抜けな声を出したのは、たっぷりと数呼吸は間を置いてからだった。
「この迷宮に仕掛けられている罠の殆どには、精巧な絡繰が用いてあるわ。それは精巧でありながら優美! 優美でありながら緻密! そんな絡繰がどんな仕掛けを発動させるのか……人として見てみたくなるのは当然よねっ!?」
「当然よね、じゃねえええええええええええっ!!」
思わず立ち上がって振り返るレグナム。同じように立ち上がって振り向きながら力説していたパレット。
当然、そうなると身を包んでいた毛布ははらりと落ちるわけで。
パレットは見た。
下着以外を脱ぎ捨てた、逞しい半裸姿を晒したレグナムを。
レグナムは見る。
濡れた衣服を乾かすため、下着も含めた総てを脱いでいたパレットの全てを。
先程は絡み合うことのなかった二人の視線。その視線が、今度はしっかりと絡み合った。
「きゃああああああああああああああああああっ!!」
「う、うわあああっ!! す、済まねえっ!!」
互いに背中を向け合い、落ちた毛布を拾い上げてそれに包まるレグナムとパレット。
そんな二人を余所に、カミィとクラルーは相変わらず黙ったまま。
いや、よくよく耳を澄ませば、もっきゅもっきゅと何やら咀嚼音が。
どうやら彼女たち、空気を読んで静かにしていたのではなく、単に保存食をしがんでいたため静かなだけのようだった。
「罠があったら、それがどんな罠か確かめずにはいられないでしょ? どんな罠かを確かめるには、その罠を発動させるのが一番手っ取り早いじゃない?」
「それだけの理由で危険な罠を発動させるなよっ!?」
「何よっ!! 例えば男の人って、目の前を綺麗な女の人が横切れば、思わず目で追っちゃうでしょ?」
「お、おう。そりゃあ、男なら誰だって、美人を見かけたら思わず目をやるさ」
過去にそのような経験のあるレグナムは、思わずパレットの言葉に頷く。
「ほらご覧なさい! 更に例えば……」
パレットは、ちらりと向こうでがしがしと干し肉を齧っているクラルーに目を向けた。
「朝目が覚めた時、クラルーみたいに美人で胸も大きな女の人が、同じ部屋に裸でいたらどうする? 思わずその胸に見入っちゃうでしょ?」
「お、おおおお、おう。そ、そりゃあ、男なら誰でもそ、そうなんじゃねえか?」
なぜか、どもるレグナム。現に今朝、目覚めた時に同じ部屋に裸でいたクラルーの胸が、たっぷんたっぷんと揺れるのを思わず見入ってしまったのは彼だけの秘密である。
「でしょでしょ? だったら私が思わず罠を発動させたくなる気持ちも理解できるわよね?」
「理解できるかっ!! ってか、そもそも同じ扱いの問題じゃねえしっ!!」
男の本能と彼女の迷惑な探求心を一緒にしないで欲しい。
レグナムは心のなかでげっそりと呟いた。
そして同時に彼は思う。パレットは確かに人一倍好奇心が強いと言っていた。その好奇心を満足させるため、発掘屋になったのだとも。
そんな彼女だからこそ、迷宮内の危険な罠とはいえ、その仕組みや構造を見てみたいと思って罠を発動させてしまうのだろう。
パレットはそれでいいかもしれないが、彼女と組み他の者にはいい迷惑である。
現に、ここまで来るのに彼女は幾つもの危険な罠を発動させている。一緒にいるのがレグナムやカミィといった、人より秀でた運動能力の持ち主でなければ、とっくに罠の餌食となっていただろう。
「……確かに、他の発掘屋たちから煙たがられるわけだぜ……」
思わず、小声でぽつりと呟くレグナム。
とか言いながらも、彼にはここで彼女と別れて別行動するつもりなどない。
そんなところが、傭兵仲間や知人から人がいいとか、面倒見がいいと言われる所以である。
濡れた衣服が乾いたことを確認したレグナムたちは、改めて迷宮の探索に戻った。
今まで一番前を歩いていたパレットに代わり、レグナムが先頭に立つ。理由はもちろん、パレットに罠に触れさせないようにするためだ。
そのレグナムの後ろにはパレットとクラルー。レグナムはクラルーに、パレットが無警戒に罠に触れようとしたら遠慮なく触手を使って戒めろと言い含めておいた。
そして殿には、この四人の中ではいろいろな意味で最強のカミィを配置。彼女ならば、背後からの奇襲にも対処できるし、何が起きてもまず大丈夫だとレグナムは判断したのだ。
そのまま何事もなく、一行は数階層を下った。階数にして第五十一階層。この辺りから、迷宮は深層部と呼ばれる区域となる。もちろん、レグナムたちは当然としてパレットも未到達の区域である。
「…………まさか、本格的に迷宮に挑んで、初日でここまで来ちゃうなんて……」
先頭を行くレグナムの後ろで、パレットが呆れ半分感心半分といった表情で呟いた。
チャロアイトの迷宮のこれまでの最高到達階層は第六十四階層と言われている。とはいえ、それは幾重にも経験を重ねた発掘屋たちの頂点に位置するような連中が、長い年月をかけて到達した階層である。
その六十四階層にはまだまだ届かないとはいえ、初めての迷宮探索、しかも初日だけで五十階層以上を踏破したのは、これまでのチャロアイトの百年の歴史の中でも彼らが初めてだろう。
その原因がレグナムとカミィ、そしてクラルーという優れた人材──一部、人ではないものも含まれる……というか、人間なのはレグナムだけなのだが──のお陰であるのは言うまでもない。
彼ら三人にかかれば、低位はもちろん中位以上の魔獣も相手にならない。普通の発掘屋たちなら手を焼くであろう魔獣が相手でも、瞬く間に屠ってしまう。
そして何より、パレットに必要以上に罠に触れさせなかったのが大きい。
何か珍しいものを見つけ、喜々として駆け寄ろうとする彼女を、クラルーはレグナムに言われた通りに素早く拘束した。
時には、クラルーが持つ麻痺毒や睡眠毒を用いるなど、少々危険な手段に訴えることもあったが、まあ、本人も気付いていないようなので、レグナムも許容範囲であると判断する。
下手に彼女に罠を発動させ、それで全滅という結末よりは余程いいじゃないか。それがレグナムが良しとした理由である。
背後で不満そうにぶちぶち言うパレットを無視し、レグナムは一本道の迷宮の通路を進む。
それに加え、彼らがここまでの行程で発見したのは、何も罠ばかりではない。
ここに来るまでに、不運にも力尽きた先人たちの遺産や迷宮内に巧妙に隠された宝箱といった、チャロアイトの迷宮ならではの財宝もいくつか発見している。
とはいえ、それらはそれほど高額なものではなかった。
先人の遺した遺産は、所詮は個人で持ち運べる程度のものである。銀貨や装飾品などを合わせても、精々銀貨千枚ぐらいだし、宝箱に入っていた財宝も宝石などが銀貨二千から三千枚分ほど。
確かにこれだけあれば、しばらくは何もしないでも暮らせるだろう。しかし、その程度といえばその程度でしかないのだ。
この迷宮内で時折発見されると噂される、神の息吹を宿した神器のような稀な財宝は、今のところレグナムたちの前には出現していない。
そして今、レグナムたちの前には一枚の扉。
このところずっと一本道で何もなかった通路に、久しぶりに現れた変化である。
「カミィ、クラルー」
レグナムは背後を振り返り、最後尾のカミィを呼び寄せる。
一緒にクラルーにも声をかけたのは、もちろん今にも走り出しそうな誰かさんの暴走を阻止するためだ。
するすると音もなく、クラルーの触手がパレットの足元に忍び寄る。そして、その先に存在する小さな針を、彼女の足首にちくりと突き刺す。
途端、くたんとパレットの身体が弛緩する。どうやら、クラルーは即効性の眠りをもたらす毒を注入したらしい。
力なく崩れ落ちるパレットの身体を、レグナムが素早く受け止める。そうしている間に、カミィとクラルーは扉へと近づいた。
扉に触れることなく、二人はまずは注意深く扉全体を眺める。
人間よりも鋭い五感を持つ二人は、巧妙に隠された罠でも見つけ出す確立が高い。罠に関する知識など全く持たないレグナムは、罠に関しては二人に一切任せていた。
無論、本来ならこのような仕事は発掘屋のお家芸とも言うべきものなのだが、この場で唯一の本職が役に立たないのだから仕方ない。
また、二人が不用意に扉に触れないのは、時に扉の表面に接着剤のようなものが塗布されている場合があり、扉を調べようとして触れるとそのままくっついて離れなくなってしまうという罠も存在するからだ。
扉自体には異常がないと判断したカミィとクラルーは、次いで扉に耳を押し当て、その向こう側の物音を探る。
扉の向こうに何か生き物がいれば、何らかの物音を立てる。熟練の発掘屋ともなれば、その物音だけで何がいるのか明確に言い当てるほどだが、さすがの二人もそこまでの技量はない。だが、扉の向こうに何かがいるのが分かれば、それだけ対処しやすくなるのは事実である。
二人が物音を立てずに耳を扉に押し当て、向こう側の気配を探っていた時。
かたん、という軽い音と共に、扉が回転した。
それも本来なら扉の横の蝶番を基点として開くはずの扉が、扉の中央付近を軸にした縦回転で、だ。
不意に足元から扉に掬い上げられるように持ち上がられた二人の身体が、そのままぱたんと扉の向こうに運び去る。
「か、カミィっ!! クラルーっ!!」
その光景を見たレグナムが、慌てて扉へと駆け寄る。その際、思わず放り出してしまったパレットが、床に投げ出された衝撃で目を覚ました。
「……あつつ……一体、何ごとっ!?」
慌てて身を起こした彼女の目に、扉を開けたまま──先程とは違い、普通の扉のように蝶番で開いた──呆然と立ち尽くすレグナムの姿が映る。
「ど……どうしたの……」
背後からそう声をかけるが、彼はそれに振り返ることもなく、音もなく前を向いたまま。
不審そうにパレットがレグナムの肩越しに扉の向こう側を覗き込む。どうやら向こうはちょっとした部屋になっているらしい。
だが、その部屋の中には何もなかった。
扉の仕掛けで部屋の中に飲み込まれるように消えた、カミィとクラルーの姿さえも。
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