第24話 迷宮都市


 チャロアイトの街。またの名を迷宮都市。

 かつて、この地にまだ街が存在せず、何もない荒野だったころからその迷宮はここにあった。

 言い伝えによれば、その迷宮を発見したのはこの地を通りかかった一人の旅人だったという。

 彼は偶然その迷宮の入り口を見つけ、おそるおそるながらも迷宮へと足を踏み入れた。

 そして、そこで彼は財宝を見つけたのだ。

 もっとも、財宝と言っても大した額ではない。精々、一般市民が数十日ほど暮らせるぐらいの額だ。しかし、その話は瞬く間に近隣の町や村へと広がった。

 その旅人と同じように迷宮に眠る財宝を見つけようと目論んだ者は、我先にと迷宮へと潜って行った。

 一部の人間は、目論見通りに財宝を手に入れ。

 また、一部の人間は、何も手に入れられずに。

 更に他の一部の人間は、迷宮の罠に捕らわれて命を落とし。

 噂が噂を呼び、迷宮には次々と人々が集まってきた。

 やがて、この地に迷宮に挑む人間目当ての各種商店が立ち並ぶようになる。

 最初は露店に過ぎなかった店々は、迷宮に挑む人間が増えるにつれ、徐々に数が多く規模も大きくなっていった。

 商店以外にも宿屋、酒場、娼館、神殿など、人々が暮らしていく上で必要な様々な業種の店や施設が立ち並ぶようになり、最終的には街を形成していく。

 ある程度街が大きくなった時、今度は迷宮に挑む者たち──いつの頃からか、彼らを発掘屋と呼ぶようになった──以外にも、この街に集まる者たちが現れた。

 この迷宮の中には、時折とある文字が見かけられることがある。それらの文字は、今では遺失された神々の文字であるといわれ、その文字を研究する学者たちもまた、この地に集まるようになったのだ。

 ある時、とある学者が「遺失された神々の文字が散見されることから、この迷宮は神が造り出したものに違いない」と発表。それ以後、この迷宮は解読された神々の文字から「試練場」を意味するチャロアイトの迷宮と呼ばれるようになり、街もまた同じくチャロアイトの街と呼ばれるようになる。

 迷宮発見から今日まで約百年。しかし、いまだに迷宮の最下層に到達した者は現れない。

 現在、探索の手が伸びているのは第六十四階層までとされているが、それ以後にどこまでこの迷宮が伸びているのか誰にも分からない。

 百年で六十四階層しか到達していないと聞けば、随分と遅く感じられるかもしれない。だが、これには様々な理由があった。

 迷宮を探索する発掘屋たちは、自分もしくはその仲間たちがどの階層まで到達しているのかを、他人にはあまり明かさない。

 時に金に困った発掘屋が、自分が探索した迷宮の情報を売る事もあるが、それも精々が現在の中層域である三十階層前後まで。

 なぜなら、深層の情報を売るようなことをすれば、その階層に到達している他の発掘屋たちが黙っていないからだ。

 自分たちが苦労に苦労を重ねて到達した階層の情報は、ある意味で財宝よりも価値のある宝である。それを横から掠めるように得ようとされれば、誰だっておもしろくはないだろう。

 そのため、深層の情報は売らないというのが、いつの頃からか発掘屋たちの暗黙の了解となっていた。もしもこれを破れば、同業の発掘屋たちから爪弾きにされるだけではなく、時には凄惨な制裁を受けることにもなりかねない。

 よって、表層や中層ならともかく、深層の情報は到達したごく一部のものたちだけのものであり、これが迷宮攻略に時間を要している一因となっていた。

 そして、当然ながら迷宮には様々な障害が待ち構えている。

 ある者は複雑な迷宮の構造に志を半ばに探索を断念し、ある者は迷宮に仕掛けられた罠で命を落とした。

 またある者は、迷宮に時々現れる魔獣に襲われたこともある。

 これらの魔獣は迷宮自体が生み出すのだとも、チャロアイトの街以外のどこか別の場所に繋がっている出入り口から迷い込んだのだとも言われるが、それを確かめた者は皆無でありその真相もまた誰にも分からない。

 チャロアイトの迷宮では、英雄譚や御伽話のように浅い階層では弱い魔獣とそれほど強力ではない罠、階層が深くなるにつれて徐々に障害も手強くなっていく──などという甘い事実はない。例え第一階層でも、時に強力な魔獣と遭遇し、致死性の罠が待ち構えている。

 そのため、駆け出しの発掘屋にとって、第一階層こそが最大の難所と言われている。ここを潜り抜け、経験と自信を得た少数の者だけが、本当の意味で迷宮を攻略する資格を得るのだ、とも。

 加えて、これは深層に到達した者たちの間でのみ囁かれているのだが、深層になると時々迷宮の構造が変化するらしいのだ。

 折角苦労して到達した迷宮の深層。地図を描きながら少しずつ攻略したその迷宮が、ある日がらりとその造りを変えてしまう時があるという。

 まるで誰かが発掘屋たちの動向を観察し、その苦労をあざ笑うかのように。

 しかし、それでもごく一部の幸運を掴み取った者は、確かに財宝を手に入れた。

 その財宝は、金や銀といった貴金属や宝石類などから、神々の加護である神の息吹を宿した武具、中には倒した魔獣の毛皮や肉、骨などといったものまで、様々なものが発掘屋たちの手によって地上へと運ばれる。

 時には、迷宮の中で朽ち果てた者の遺した武具や金銭、装飾品などを拾う者もいる。それもまた、迷宮で得られる財宝には違いないのだ。

 いまだに誰も到達していない迷宮の最奥。果たして、そこには一体何が待ち構えているのか。

 一説によれば、最奥に到達すれば莫大な財宝が手に入るという。

 また別の説によると、最奥に到達した者はこの迷宮を建造した神にその実力を認められ、神々の階梯へと引き上げてもらえるともいう。

 もちろん、その真相を確かめた者はいまだ存在せず、今日もまた、発掘屋たちは迷宮に様々な夢を求めて挑んでいく。

 迷宮で命を落とす者もいれば、財宝を手に無事に地上に生還する者もいる。そして、新たに迷宮に挑もうとこの街に訪れる者は、今日も後を断たないのだ。




 レグナムとカミィ、そしてクラルーがチャロアイトの街に到着したのは、ラリマーを発ってから十日後の昼を少し過ぎた頃だった。

 隊商の馬車たちと共に街の入り口を通り過ぎれば、賑やかな喧騒が三人を出迎えた。

 大通りを歩く多くの人々。その人々を狙った、通りの脇に店を構えた各種商人たちの呼び込みの声。

 昼をやや過ぎた時間帯という事もあり、街は一日で一番の賑わいを見せる頃合いなのだろう。

 ちなみに、オルティア王国では食事は一日二食が基本であり、午前の遅めの時間と日暮れごろに食べるのが通常である。

 中には旅人などのように、その都合上で朝早目に食事を摂ることもあり、その場合は昼過ぎにも簡単な食事を摂る一日三食とすることもある。

「はわー、人が一杯いますよ、ご主人様」

「うむ。確かに人が一杯なのだ」

「この街の人口は日に日に膨れ上がり、今ではラリマーよりも多いそうだからなぁ。この人込みも頷けるってもんだろ」

 大通りを人波を縫うように歩きながら、三人は気楽な会話を交わしていた。

 通りは、実に様々な風体の人物たちで溢れている。

 この街で暮らす市民もいれば、街の治安を預かる衛兵の姿もある。

 だがやはり一番多いのは、迷宮へと挑む発掘屋たちだろう。

 傭兵であるレグナムには見慣れた金属鎧や革鎧姿の男女たち。中には、魔獣のものと思しき骨を組み合わせた奇妙な鎧を纏っている者もいる。

 そんな彼らが持つ武器も実に様々だ。

 レグナムと同じ長剣ロングソードや戦斧などを持つ者もいれば、戦棍メイス戦槌ウォーハンマーのような打撃武器を得物にしている者もいる。時折、小振りな弓や弩を所持する者も見かける。

 ただ、両手剣や槍、棹状武器ポールウェポンのような、大型の武器を持つ者はあまりいない。

 やはり発掘屋たちの戦場が狭い迷宮内ということもあり、取り回しの悪い大型の武器は敬遠されるのだろう。

 今、彼らが目指しているのは、このチャロアイトまで護衛してきた隊商の商人に紹介された宿屋だ。

 その宿屋は客室の掃除も行き届いており、それでいて低料金で料理も美味いという。

 特に、料理が美味いと聞かされた時に美少女と美女の主従は目を輝かせ、レグナムは二人のその様子に苦笑しながらそこをこの街の拠点とすることに決めた。

 そして、宿屋を目指して歩く三人の背中に、その人物が声をかけたのはその時であった。

「ねえねえ、そこのお三人さん。もしかして、この迷宮都市は今日が初めて?」

 その声に三人が揃って振り向けば、そこには一人の女性──いや、少女の姿。

 年齢は十六、七ぐらいだろう。背中の中ほどまでありそうな明るい色合いの茶色い髪を、頭の右側で一つに纏めている。瞳の色も髪と同色で、ぱっちりとしたその双眸は意志が強そうだ。

 身体の方は全体的にほっそりとしている。細身でありながらもそれなりに出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるカミィとは違い、この少女は本当に全身がほっそりだった。胸周りとか尻周りとか。

 その細身の身体を、茶色い固い革鎧ハードレザーが覆っている。腰の左右には二振りの小剣ショートソード。その出で立ちからこの少女も発掘屋のようだ、とレグナムは見当をつけた。

 容貌の方もそれなりに整っている。だが、ここ最近はカミィとかクラルーとか平均を飛び抜けた美貌ばかり見ているレグナムには、やや物足りなく感じられるのは仕方のないことかもしれない。

「オレはこれまで何度かこの街には来たことがあるが……こっちの二人は確かに初めてだな」

「ふうぅん」

 レグナムがその声に応えれば、少女はまじまじと三人を見比べた。

「その身なりからして……やっぱり、この街には迷宮へ挑むつもりで来たのかな?」

「いや、迷宮に挑むつもりはねえけど?」

「…………………………………………………………え?」

 レグナムのその答えは、どうやら少女が期待していたものではなかったようだ。

「オレは……オレたちは傭兵で、隊商の護衛でこの街まで来ただけだ。オレが過去に来た時も同じ理由からだな。だから、迷宮に挑むつもりはねえよ」

 レグナムの言葉に、少女はぱちくりと目を見開いて三人を見やる。

「発掘屋志望じゃ…………ないの?」

「ないな」

 短くそう応えて、再びレグナムたちは歩を進める。

 彼の両脇を固める美少女と美女。その彼女たちが彼へと向ける表情から、二人が望んでいるものをレグナムは正確に察する。

──彼女たちは美味いと評判の食事をご所望だ。間違いない。

 その望みを叶えてやるため、レグナムは少女にあっさりと背中を向けて、まるで餌を前にした子犬のような二人を従えて教えられた宿を目指す。

 そしてそんな三人を、その少女は呆然とした表情でずっと見送っていた。




「どうして、おまえがここにいるんだよ?」

「別にいいじゃない? 私がどこで食事を摂っても」

 教えられた宿の部屋で荷を解き、身軽になった三人は早速その宿の一階にある食堂へと降りた。もちろん、カミィとクラルーが待ち望んだ食事のために。

 すると、そこににこやかに微笑みながら、彼らに手を振る一人の少女の姿があった。間違いなく、先程レグナムたちに声をかけたあの少女だ。

「私、パレット・エディックス。よろしくねー」

「……オレはレグナム。で、黒髪がカミィ、蒼髪がクラルーだ」

 名乗った少女──パレットに、律儀に名乗り返すレグナム。こういったところが、彼が周りから人がいいと言われる所以だろう。

 彼女を無視する、という選択はレグナムにはない。なぜなら、彼の連れであるところの美少女と美女が、じーっと涎でも垂らさん勢いでパレットが食べているものを凝視していたからだ。

 牛と思しき肉を一ザム(約三センチ)ほどの四角状に切り、それをある種のタレにつけ込んで絶妙に焼き上げたものの、胃を直撃するなんとも言えない美味そうな匂い。そして、その脇に添えられた緑菜の色が目に鮮やかで。

 一緒に卓上に並べられた焼き上がったばかりと思われるパンが、これまた香ばしい匂いを辺りに振り撒いている。

 カミィとクラルーでなくても、それはとても美味そうで涎が出そうだ。

 レグナムはパレットと同じ料理を九人前──カミィが五、クラルーが三、レグナムが一人前食べる計算──店主に注文すると、彼女と同じ卓に腰を下ろした。

「それで、そのパレットさんとやらが俺たちに何の用だ?」

 腰を落ち着けたレグナムは、改めて彼女に尋ねる。

「うん、実はね? あなたたちに頼みがあるのよ」

「頼みだと?」

 ええ、と短く答え、再びにっこりと微笑むパレット。

 そんなパレットに、レグナムは視線だけでその先を促すと、彼女は笑みを更に深めながらその頼みを切り出した。

「あなたたちに、私と一緒に迷宮に挑んで欲しいの」

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