迷宮迷走編

第23話 巨岩の罠


 とある場所。

 天井が驚くほど高く、端が見えないほど広々とした室内に、一人の男性がいた。

 燃えるような赤毛を長く伸ばし、それを複雑に編みこんだ長身の男性だ。

 彼が身に纏うのは、黄金に輝く金属鎧。そして、その腰には一振りの長剣ロングソードを佩いていた。

 広々とした室内の真ん中に自然体で立つその男性。それまで硬く閉じられた両の瞳が、不意に開かれた。

「…………これは……」

「貴様も気づいたか?」

 不意にかけられた声。だが、赤毛の男性は驚いた素振りも見せずに声の方へと振り返る。

 すると、そこに四人の男女の姿があった。つい先程まで、この室内には赤毛の男性以外には誰もいなかったはずなのに。

 そのことを不思議がる様子も見せず、赤毛の男性は現れた四人へと問いかける。

「貴様らが揃ってここに現れたということは……やはり間違いないのだな」

「その通りさ。我らが感じたあのしん……あれは間違いなくおんかたの神気だ」

 現れた四人の内、青い髪を短く刈り込んだ男性が嬉しそうに言う。その男性の傍らに寄り添うように立つ、波打つような漆黒の長い髪の、少しふくよかな女性がその男性に向けて陶然とした笑みを浮かべた。

「我らが父にして母なる御方……ようやくお目通りがかなうのね」

「ああ。もうどれだけ長い間、御方との再会を待ち望んだのか……」

 永い永い時の彼方に消えたその面影を思い出しながら、緑の髪の男性が懐かしそうに呟く。

「だが、こうして御方は再び目覚められた」

 皆の想いを束ねるように、肩口で切りそろえた金髪の女性──この場に集った最後の一人──が表情を変えずに言う。

 だが、この場に集っている存在たちは、今の彼女が感動に打ち震えているのをしっかりと理解していた。

「間もなくだ……間もなく、御方は再びここにお戻りになられる」

「でも、御方がここに戻られるには、もう少し時間が必要でしょう?」

「ああ、君の言う通りさ。だが、我々はこれまで永い永い時を待ったんだ。もう少しぐらい待つのは造作もないだろう?」

しかり。我々にとって、時の流れは決して害悪とはならない」

「あと少し。あと少し待てば良いのだ。御方との再会を夢見て、もうしばし待とうではないか」

 緑の髪の男性の声に、残りの四人が揃って頷く。

「我らを導く父にして──」

「我らを産み落としし母──」

「そして、我らが唯一想いを捧げる愛しい方──」

「時の彼方に姿を消されて幾星霜──」

「だが再びまみえる時が来た──」

 その場に集った五人の男女は、揃って恋に焦がれる少女のような熱い眼差しを足元へと向けた。

 彼らの視線の先。そこには先程まであったはずの床はなく、漆黒の闇が幾層にも重なった暗黒が広がっている。

 だが、彼らの目には、その闇の向こうにあるものが確かに映り込んでいた。



 ごごごごごごという轟音と共に、巨大な岩が急勾配な下りの通路を、転がりながら迫って来る。

「ちょ、ちょちょ、こ、ここここここれ、どうするのよおおおおおおおおおおっ!?」

「オレに聞くなっ!! オレに聞かれても困るっ!!」

 薄暗く、二人並んで歩くのが精一杯という狭い通路を、一人の男性と一人の女性が転がり来る巨岩から逃げようと必死にひた走る。

「れ、レグナムっ!! あ、あああああんた、あの岩ぶった斬りなさいよっ!!」

「無茶言うなっ!? いくらオレでもあの大きさの岩は斬れねえよっ!!」

「い、岩が斬れないとは言わないところが呆れるわねっ!!」

「そう言うパレットこそあれ何とかしろよっ!? そのために、本職の発掘屋であるおまえと組んだのだろうがよっ!?」

「か、か弱い女の子である私に、あんな大きな岩をどうしろとっ!?」

 二人は全力で走りながら会話するという、実に器用なことをしながら必死に通路を駆け抜ける。

 今、彼らの背後に迫っている巨岩は、その直径が一ザーム(約三メートル)もある巨大なものである。そんな巨岩に追いつかれれば、二人がどうなるかなど子供でも容易に想像できるだろう。

 どれほどその通路を走り続けただろうか。レグナムはともかくパレットと呼ばれた少女の体力がそろそろ限界に差しかかった頃、通路の途中に横道が伸びているのをパレットが発見した。

「れ、レグナムっ!! あ、あああああそこっ!!」

 背後から転がり迫る巨大な岩。狭く真っ直ぐな下り坂の通路。その途中にある脇道など、あからさまに怪しい。だが、今のレグナムたちには、その脇道に飛び込むしか選択肢はない。例え、その脇道がこの巨岩以上に凶悪な罠だとしても。

 今まさに巨岩に追いつかれそうになった時、二人はその脇道まで辿り着いた。

「と、飛び込めっ!!」

 レグナムはパレットを突き飛ばすようにして、その脇道に転がり込んだ。幸い、その脇道に罠の類はなく、二人は九死に一生を得ることができた。

「……死ぬかと思ったわ……」

「死ぬかと思ったわ、じゃねえよ……」

 脇道は通路というよりは単なる窪みで、二人が入り込むと殆ど余裕がなかった。その中で、二人は互いにもたれかかるようにして座り込み、荒くなった息を整える。

「パレット……おまえ、本当に本職の発掘屋なんだろうな?」

「あ、当たり前でしょっ!? 私はこう見えても、この迷宮都市ではちょっとは名の知れた発掘屋よっ!?」

「だったら、あんなあからさまな罠を発動させんじゃねえっ!!」

 レグナムの言う「あからさまな罠」とは、急勾配の下り通路の頂上付近の床に存在した、一振りの剣であった。

 その剣は台座に突き刺さっており、いかにも価値のありそうな剣であった。ただし、通路のど真ん中にぽつんとある剣だ。怪しさの方も相当である。

 当然、それを発見しても、レグナムはその剣に触れようとはしなかった。

 彼とて剣士の端くれである。価値のありそうな剣に興味がないと言えば嘘になる。それでも、ひたすらに怪しすぎる剣に触れるような愚かな真似はしない。

 しかもご丁寧に、その剣が突き刺さっている台座には、「触るな! 危険!」という注意書きが掘り込んであったのだ。おそらく、過去にこの剣に関わった発掘屋の誰かが、後続の同業者のために残したものだろう。

 だが。

 だが、パレットはレグナムとは少々違ったようだ。

 彼女は無警戒に台座に近づくと、「あ! 値打ち物っぽい剣発見っ!!」と言い放ちながら、するりと剣を台座から抜いてしまった。

 それこそ、レグナムが止める暇もないほどあっさりと。

 そして、それはやはり罠だった。

 剣を抜いた途端、レグナムたちの背後に隠されていた扉が開き、そこから巨大な岩が転がり出した。

 岩の大きさは通路一杯。そんな巨大な岩が転がり出たことで、レグナムたちに残された道は、背後の急な下り坂のみ。

 そのことに気づいた時、レグナムとパレットの顔色は真っ青になる。そして、どちらからともなく慌てて下り坂を駆け下り始めた。

 そんな二人に合わせるように、巨岩もまた下り坂を転がり始める。

 その後、命がけの鬼ごっこが始まったという訳だった。




 脇道で息を整えた二人は、警戒しながらも下り通路へと戻る。

 既に先程の巨岩は見えない。

 下り坂の最終地点まで転がり落ちたのか、それとも通路の途中に岩を回収するような仕掛けでもあるのか。少なくとも、レグナムたちの視界の中に、あの巨岩は見当たらなかった。

「ねえねえ、レグナム! この剣ってどれくらいの値打ちがあるかなっ?」

 わくわくした表情でパレットが差し出したのは、間違いなく先程の罠の引き金となった剣だった。

 レグナムは眉を寄せつつもその剣を受け取り、薄暗い通路の明かりに翳しながら件の剣を検分する。

「……確かに業物には違いねえが、それ程名剣ってわけでもねえな。武器屋に売り飛ばせば、せいぜい銀貨で二〇〇枚ってところか?」

「えー、たったそれだけ?」

 その剣と同程度の剣の武具屋での、標準的な買値は銀貨で一〇〇枚ぐらいだろうか。それを考えれば、売値で銀貨二〇〇枚ならかなりの値打ち物ということになるが、パレットはその値段に不満のようだった。

「じゃあさ、レグナム。あんた、この剣を銀貨二五〇枚で買わない?」

「買うかっ!! しかも、さりげなく値上げしてるしっ!!」

 買取を拒否したレグナムにパレットは不満そうな顔を見せたが、それでも抜き身の剣を大切そうに布で包み、背負った背嚢へと仕舞い込む。

 そんなパレットの様子を横目で眺めながら、レグナムはこの迷宮の中で逸れた少女に想いを馳せた。

「カミィ……おまえは今、この迷宮のどこにいるんだよ?」

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