第22話  閑話──名前


 ふと思いついたように。

 レグナムは隣で地面に直接腰を下ろし、不味い不味いとぶちぶち文句を言いつつも、支給された携行食の干し肉をがしがしと齧っているカミィへと振り向いた。

「なあ、カミィ?」

「何なのだ?」

 口の周りに干し肉のカスをこびり付けながら、カミィがレグナムへと振り向く。

 相変わらず、彼女の美貌は輝くようだ。例え、口の周りに干し肉のカスをこびり付けていても。

「そいつの名前──何て言うんだ?」

 ぴっと彼が指差したのは、言うまでもなくあのおお海月くらげが変化した女性である。

 彼女は今、レグナムとは反対側のカミィの隣に腰を下ろし、カミィと同じように干し肉をしがんでいた。




 レグナムたちが今いるのは、ラリマーから北へと伸びる街道の上だ。

 大陸の南部に位置するオルティア王国。ラリマーはそのオルティア王国の中でも最南端に存在し、大陸の更に南に点在する群島との交易窓口となっている。

 そのラリマーからこの街道を北上し、一週間と少し旅を続ければ「迷宮都市」とも呼ばれるチャロアイトへと到達する。

 レグナムたちは今、そのチャロアイトへと向かう隊商の護衛として雇われていた。

 隊商を構成しているのは、大き目の馬車が五台。隊商の規模としては大きな部類だろう。これは一人の商人が所有する馬車ではなく、複数の商人で構成された隊商のためだ。当然、その規模は個人の隊商よりは大きくなる。

 それだけ大きな隊商なのだから、護衛もレグナムたち三人だけではない。彼ら以外にも護衛として雇われた傭兵が十数人いる。

 そんな傭兵たちの中、いや、隊商の商人や使用人たち全てを含めても、カミィとそのぼくの海月女──レグナムは彼女をそう呼んでいる──はとても目立っていた。

 二人とも、表向きはレグナムと同じ傭兵ということになっている。

 カミィは白を基調とした柔らかい革鎧ソフトレザーという、いつかラリマーの港で着ていたような服装。

 海月女もまた、蒼を基調としている点以外は、カミィと良く似た格好だ。

 武器こそ携帯していないものの、どこから見ても傭兵のような装いの二人。それでも、いや、それだけに彼女たちの容姿は嫌でも人目を惹いた。

 輝かんばかりのカミィの美貌。そして、そのカミィには劣るとはいえ、それでも平均を大きく上回った整った容貌と、何より革鎧を纏っても押さえ込むことのできない海月女の妖艶な身体つき。

 今回の隊商の一行に関わる男たちは、一人の例外もなく彼女たちのその姿に陶然とした視線を注ぐ。

 それでいて、あれこれと不埒なちょっかいをかけて来る者が皆無なのは、彼女たちが《剣鬼》の連れであり、傭兵たちを含めた彼らの多くが、おおあまがえるとの激闘を直接目撃しているからだ。

 今回雇われた傭兵たちの中にはレグナムと顔馴染みの傭兵も何人かいて、そんな彼らはカミィを《我輩様》と呼んで気軽に接してくる。

 盗賊や魔獣の襲撃といった物騒なできごともなく、レグナムたちはここ──ラリマーとチャロアイトのほぼ中間地点──までのんびりとした旅を堪能していた。

 今、隊商は停止しての小休止中。警備の見回り当番でもないレグナムとカミィ、そして海月女は、街道脇の木陰に腰を下ろして隊商から携行食として支給された干し肉や干し果物を齧りながら寛いでいた。




「わたくしの……名前、ですか?」

 きょとんとした顔で、海月女が首を傾げる。

「ああ。おまえにだって名前ぐらいあるだろ? それに、人前でおまえのことを海月女って呼ぶわけにもいかねえしよ」

「いいえ、わたくしに名前なんてありませんよ?」

「は?」

 今度はレグナムがきょとんとする番だった。

「わたくしはご主人様によって造り出された存在。単なる下僕に過ぎないわたくしに、名前なんて特別なものはありません。ですから、これまで通り『海月女』でも『おい』でも『おまえ』でも『そこの出来損ない』でも、好きなようにお呼びください」

「……いや、幾ら何でもそれは拙いだろう」

 はふぅ、とレグナムは嘆息する。人前で彼女を「出来損ない」などと呼ぼうものなら、他人からどのように思われるか分かったものじゃない。

「おい、カミィ。おまえもこいつを造り出した時、名前ぐらい付けてやらなかったのか?」

「…………そう言えば、名前など付けなかったな。そもそもこやつは一時の遊戯のために造り出しただけで、その遊戯が終わればそれっきり存在自体を忘れていたのだ」

「………………酷いです……」

 存在自体を忘れていたと再びきっぱりと宣言された海月女は、えぐえぐと涙目になりながら地面に指先で何やら書き込み始める。

 そして、そんな二人のやりとりを聞いていたレグナムもまた、呆然とした表情を浮かべた。

 確かにせいしんに勝負を挑まれてこの海月女を造り出したとは聞いていたが、その勝負の詳細までは聞いていなかったことを今更ながらに思い出したのだ。

「……そもそも、どういった経緯で青神がおまえに勝負を持ちかけたんだよ?」

「さあな。青の小僧が何を考えて我輩に勝負を挑んだのかなど知るわけがないのだ」

「でも、結局その勝負は受けたんだろ? ってか、おまえって青神の従属神か何かだったのか?」

 主人が臣下に気まぐれで何らかの勝負を持ちかける。神々とはいえ、そのようなこともあるのかもしれない。

 何気なくそう考えたレグナムだったが、彼のこの言葉にカミィではなく海月女の方が激しく反発した。

「な、何を仰いますか、レグナム様っ!! ご主人様は青神様の従属神などではありませんっ!! それどころか──」

 どごむ、という鈍い音と共に海月女が言葉の途中でレグナムの視界から突然消え失せた。

 その一拍ほどの後、ずしゃしゃしゃーという何かが地面を滑っていく音。

 思わず音の方へとレグナムが振り向けば、そこのは顔全体を地面へと接触させ、尻を高く掲げた状態という少々はしたない姿で突っ伏して、ぴくぴくと痙攣する海月女の姿があった。

「──余計なことを口走るな、愚か者が」

 そして、突き出した右手をゆっくりと引き戻すカミィ。

 そのカミィが、ちらりと上目使いでレグナムの方を見た。

「────────────────────知りたいか?」

 一口に神と言っても、その性質や司るところは様々だ。

 また、神々にも地位や序列といったものがある、と神官たちは説く。

 さいたいしんを筆頭にした元に、それぞれ数多くの従属神がつき従う、とされているのがサンバーディアスの常識の一つである。

 かつて神であったというカミィ。

 ならば、彼女はどのような神であったのか。性質は? 司るところは? 序列は?

 彼女を神と認めて以来、レグナムとてそのことは何度も考えた。

 しかし。

「んー、確かに気にならないと言えば嘘になるけどよ。知られたくないから、あいつをぶっ飛ばしてまで言わせなかったんだろ? だったら無理には聞かねえよ」

 神としての全てを失ったというカミィ。それを尋ねるのは、彼女にとっては気乗りする話題ではないだろう。

 だから、レグナムは敢えてこれまでそれには触れてこなかった。

「……そうか」

 カミィが花のように微笑む。

 彼女もまた、レグナムのその気遣いに気づき、それが純粋に嬉しかったのだ。

 そんな笑顔を浮かべる彼女の向こうで、いまだに海月女が尻だけを上げた姿勢でぴくぴくしていた。




「──確かに、最初は我輩と青の奴の勝負だったんだが……」

 相変わらずもしゃもしゃと干し肉を齧りながら、カミィは当時を思い出しながら言葉を紡ぐ。

「いつの間にか、他の連中も我輩たちの勝負に乗ってきおってな。気づいた時には全員参加の大勝負になっていたのだ」

 他に誰が参加したのか、レグナムは聞かない。聞かなくても大体の想像はつく。だから彼は黙ってカミィの言葉に耳を傾けていた。

「最終的には我輩の海月……こやつが勝ち残ったのだが、あれはなかなか壮大な戦いであったな」

「そうですねぇ。大ダンゴムシとか大ナマコとか大カマキリとか大ヤドカリとか……手強い神獣ばかりでしたからね。まあ、結局はわたくしが勝ちましたけど。あの大カエルは神獣の中でも最弱で、序盤であっさりとくたばったとばかり思っていたんですけど……どさくさに紛れて生き残っていたんですねぇ」

 当事者同士──海月女はちゃっかりと何事もなかったかのように復活してきた──が、その勝負を振り返って懐かしそうに語り合う。

 だが、それを聞いていたレグナムの顔色はどんどんと悪くなっていく。

 なぜなら。

神獣同士わたしたちの戦いの余波で、幾つもの島が沈みましたよねぇ……そういえば、大きな島が三つぐらいに分割されたこともありましたね」

「うむ、あったあった。それに自分の神獣が負けた時のあやつらの口惜しそうな顔……いや、懐かしいのだ」

 語り合う二人は実に朗らかだが、その内容は朗らかとは程遠い。

 突如現れた巨大な生物たち。割れる大地。荒れる海。逃げ惑うしかなかったであろう当時の人々。

 おそらくだが、あの大海蛙が地震を起こすだの津波を起こすだのといった伝説は、これが原因となっているのではないだろうか。

 まさに天変地異としか言いようがない会話の内容に、レグナムは激しい頭痛を感じ始めた。

 しかも、その天変地異の原因が単なる遊戯だったとなれば。もしも当時の人々がこの話を聞けばどう感じただろう。

 あっさりと信仰を翻しただろうか。それとも、逆に更に真摯に祈りを捧げたのか。

 更には、その巨大生物を造り出した方は、その遊戯が終わった途端にその存在さえ忘れていたと言うのだ。

「……一体、神々は何を考えていやがるんだ……」

 そう彼が零したとしても、それは当然というものであろう。




「それで、結局どうするんだ?」

 頭痛を懸命に堪えつつ、レグナムは再びカミィに尋ねる。

「どうする……とは、何をだ?」

「だから、こいつの名前だよ、名前」

 再び海月女を指差すレグナム。

「おまえと一緒で、仮の名前でも付けておいた方が何かと便利じゃねえか?」

「ふむ……確かに一理あるのだ」

 腕を組み、ふむふむと考え込むカミィを、海月女は目を輝かせて見詰めた。

「わ、わたくしに……下僕でしかないわたくしに、名前を付けていただけるのですか……?」

 頬を上気させ、瞳を潤ませながら美貌の少女を見詰める美女。

 そのどこか倒錯したものを感じさせる光景は、ある意味でとても妖艶であった。

 その原因が極めて低劣なものでしかなかったとしても。

「あ、ありがとうございますっ!! 不肖このわたくし、今後もご主人様のためにこの身体とこの心の全てを捧げ、粉骨砕身尽くす所存にございますっ!!」

 その場で両膝を地面につけ、へこへこと頭を下げる海月女。その彼女を見下ろしつつ、カミィは腕を組んだまま、んーと宙を仰ぎながら考え込んでいる。

 そのカミィの視線が、ふとレグナムへと向けられる。

「よし、レグナム。貴様がこやつの名前を考えるのだ」

「はぁ? オレがか? どうしてオレが名前を考えなきゃいけねえんだよ。こいつはおまえの下僕だろ?」

「ごたごた言うな! これは貴様の神である我輩の命なのだ!」

 自ら神と認めた存在からそう命じられ、レグナムはちらりと海月女を横目で見る。

 彼女は今でも両膝を地面につけたまま、じーっと期待を込めた眼差しでレグナムを見上げていた。

「え、えーと……じゃ、じゃあ──」

 視線を彷徨わせながら、レグナムは必死に考える。

 そして再びちらりと横目で海月女を見れば。

 きらきらした視線とぶつかった。

 何というか、無言の圧力のようなものを感じ、レグナムは懸命に頭を回転させる。

 海月。クラゲ。透き通っていて。ふわふわ漂う。ひんやり。ちくりと刺す──。

 海月に関する印象を次々に頭に思い浮かべながら、必死に言葉を探り続ける。

「────く、くら……クラギ……クラミ……いや、クラ……ル?」

 その時。

 何かがレグナムの脳裏を駆け抜けた。

「よし! おまえの名前はクラルーだっ!!」

 クラルー。なかなかいい響きじゃないか。そう思ってカミィと海月女──クラルーへと意識を向ければ。

 レグナムは、そこに何ともしょっぱい表情を浮かべている二人がいた。

「────────────────何と言うか……直球なのだ」

「直球ですねぇ……」

「まあ、貴様らしいと言えば貴様らしいが」

「クラルー……クラルーですか……わたくしの名前……」

 どうやら、二人にはクラルーと言う名前はいま一つのようだった。

「な、何だよ……人が必死に考えたって言うのによ……」

 不評だったことにへこみつつ、ぶちぶちと文句を言うレグナム。

 しかし。

 何はともあれ、こうして第三の仲間の名前が決定したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る