第21話 閑話──流行
ラリマーの街の路地裏を、幾つもの足音が駆け抜ける。
間隔の短くて軽やかな足音たちは、路地裏の空き地へと到達すると一斉にそこで立ち止った。
「よーっし! みんないるな?」
先頭を走っていた人物は、背後を振り返っていつもの顔ぶれが集まっていることを確認し、満足そうに頷いた。
「じゃあ、昨日の続きをやろうぜ! 俺、《けんき》な!」
先頭の人物はそう宣言すると、足元に落ちていた手頃な小枝を二本拾い上げ、それを片手に一本ずつ持って振り回す。
そして、その人物に続いて、他の顔ぶれたちもそれぞれの役割を決めていく。
「じゃあ僕、《りょうしゅさま》がいい」
「オイラが《へいしちょう》だ!」
「えー、もしかして、ボクが《おおあまがえる》? 魔獣の役は嫌だよぉ」
喧々囂々とそれぞれがそれぞれの役割を決めると、最後に取り残された一人に全員の視線が集まる。
「あ、あたし、《わがはいさま》は絶対に嫌っ!!」
この場にいる唯一の女性──いや、女の子と言った方が正確か──が、一歩二歩と後ずさりならがいやいやと首を振る。
「仕方ねえじゃんか。女はおまえしかいないんだし」
先程、真っ先に《けんき》を宣言したこの集団の代表格で一番年上の少年は、「役割」を拒否した女の子へと詰め寄る。
だが、頑なに《わがはいさま》は嫌だと言い張る女の子に、この集団の代表格──早い話がガキ大将の少年は、仕方ないなぁと嘆息する。
「いいよ。じゃあ、俺が《わがはいさま》をやってやるから。おまえが《けんき》をやれよ」
「うん!」
一番の年上である彼は、腕っぷしが強いだけではなく面倒見もいい。仲間に嫌がる事を強制するほど我が儘な性格はしていない。だからこそ、彼は皆に認められたこの集団──三歳から六歳ほどの子供数人の集団──のガキ大将なのだ。
持っていた二本の小枝を女の子に渡すと、ガキ大将はその場で着ている服を脱ぎ出した。
そして服を全て脱ぎ終えて素っ裸になると、ここ最近彼らの間で定番となっている『けんきとわがはいさま』という遊びを始める。
『けんきとわがはいさま』。それはラリマーの街に住む子供たちに今後永く永く遊ばれ続けていく、ラリマーに現れた《おおあまがえる》を《けんき》と《わがはいさま》を始めとした街の人々が退治する、という「ごっこ遊び」のことだった。
緑神神殿を訪れたカムリは、いつものように応接室へと通された。
そこでしばらく待っていると、扉を叩く音と共にこの神殿の最高司祭であるイクシオンが姿を見せる。
「お待たせして申し訳ない、グラシア卿」
「いえ、こちらこそ突然押しかけて申し訳ありません。猊下がお忙しいのは重々承知ですが、少々ご相談したいことがありまして」
ラリマーの街を含むこの地方の領主でるカムリ・グラシア。
オルティア王国の緑神神殿の最高司祭であるイクシオン・フォレスタ。
領主であるカムリが最高司祭であるイクシオンに相談するとなれば、それは当然この地方の行方を決める重要な内容──かと思いきや、カムリが口にしたのはここ最近、ラリマーの街の住民たちの間で流行っていることに対してだった。
「──ええ、そのことならば、私も気づいていました。とはいえ……」
「はい。猊下がお考えの通りです。いくら私が領主であるとはいえ、あれを全面的に禁じるのは──」
二人の視線が、互いの顔からすぐ傍の窓の外に広がるラリマーの街並みへと同時に向けられる。
今、ラリマーの街で徐々に流行り始めていること。
それは「肌の露出」だった。
オルティア王国は「騎士の国」とも呼ばれるように、国の運営を国王と騎士たちが執り行っている。
騎士たちには厳しい規律があり、その規律を破った者はその立場に拘わらず罰せられる。
一般市民にまで騎士の規律の遵守は義務づけられてはいないが、それでもある程度はこの規律を守ることは暗黙の了解となっていた。
そして、騎士の規律に明確に定められてこそいないものの、厳格なこの国では必要以上の肌の露出は敬遠される傾向にある。
しかし先日の大海魔襲来の一件以来、このラリマーの街では肌を露出する住民たちが増えてきているのだ。
元々この地方は年間を通じて温暖であり、肌を露出していても体調を崩すようなことはまずない。
それに加えて、港街であるラリマーには、南の群島から様々な民族が訪れる。それらの民族の中には健康的な褐色の肌を堂々と露出させている者もいるが、それでもやはりそれは他国の人間だからという認識があった。
だが、ここ最近のラリマーの街では、街の住民が肌を露出させる傾向にあるのだ。
若い青年たちは上半身裸で表通りを闊歩し、若い娘たちも胸元を布で覆い、腰廻はゆったりと布を巻き付けただけ、といった格好が流行っている。
親の手伝いもできない年齢の子供に至っては、全裸で元気に走り回っている者もいるほどだ。
さすがにある程度以上の年齢の者になると、若者のような露出はしていないものの、それでも肩から腕全体を露出させたり、足も太股辺りから下を露出させていたりする。
「風習として今まで肌の露出は敬遠されてきましたが、騎士の規律でさえも肌の露出は明文化されておりません。よって、過剰に肌を露出しているからといって、その者たちを取り締まるわけにもいきません。流石に度を越して露出している者たちは捕えて説教をしておりますが……」
いくら肌の露出が流行っているとはいえ、全裸で外を堂々と歩くような馬鹿はそうそういない。
「全くいない」ではなく「そうそういない」と表現する以上、時々そのような度を超えた露出をする馬鹿も少数だがいるのだ。
いい年をした大人が全裸で外を闊歩すれば、やはり色々な面から問題となる。よって、そのような者はカムリの配下の兵士たちが捕えてこんこんと説教をする、という罰を与えている。
何度も同じことをして捕えられる者には、さすがに罰金や禁固といった刑罰も必要になるだろうが。
「卿の悩みもよく分かります。礼拝で我が神殿を訪れる信者にも、過度の露出は控えるように説いておきましょう」
「ありがとうございます」
この街の住民たちの約四割が
残る六割の内、四割が
住民の半数近くが緑神の信者である以上、その緑神の代行者でるイクシオンが露出を控えるようにと説けば、それは領主であるカムリが言うよりも効果があるに違いない。
何が原因でそのような肌の露出が流行り始めたのか。それはもちろん、先日の大海魔の襲来の際、この街を守り抜いた一人の美しい少女に起因している。
その少女が全裸で巨大な魔獣と戦ったのは、この街の住民全てが知るところだ。しかも、その少女が神々しいまでに美しいとなれば、それに少しでもあやかろうとする者がいるのは当然の成り行きだった。
中にはごく少数ではあるものの、その少女の「我輩は神である」という言葉を真に受け、彼女を崇拝する者もいるほどだ。
その少女は今、住民たちから「街を救った我輩様」とまで呼ばれている。
「あの二人……いや、三人か。今頃はどこにいるのやら」
窓の外をぼうと眺めていたカムリに、イクシオンは微笑みながらそんな言葉をかけた。
「カミィ殿はともかく、レグナムは英雄扱いされて随分と照れくさそうにしていましたからね。おそらくは当分はこの街には寄り付かないでしょう」
再びイクシオンへと視線を戻して、カムリは少し前のレグナムの様子を思い出して苦笑を浮かべる。
住民たちから救世主だの英雄だのと祭り上げられ、顔を真っ赤にして照れていたレグナム。
──オレは救世主でもなければ英雄でもない。ただの傭兵だ。
彼は何度もそう言っていたが、住民たちはそれを彼の謙虚さと取り、返ってその好感度を上げていた。
そんな彼が、カミィと新たに仲間となった
カムリとしても、できれば彼にはこの街に留まってもらいたかった。そして、彼の領地のためにその剣を振るってもらいたかった。
領主としては頼れる部下として。一個人としては親しい友として。
レグナムには総兵士長というカムリが抱えている軍の最高位、実質カムリに次ぐ第二位の地位を提示したのだが、それでもその首を縦に振らせることはついにできなかった。
その見返りというわけではないが、街を救った報酬として多額の金銭と、大海蛙との戦闘で失われた
レグナムもこれは喜んで受け取り、その後、護衛の仕事を見つけてこのラリマーを発ったのだ。
「確か……チャロアイトへ向かう隊商の護衛を引き受けた、と言っておりましたな」
「チャロアイト……確か、迷宮都市とも呼ばれる街でしたか」
レグナムたちが向かったチャロアイトという街は、街の地下に広大な迷宮が広がることで有名な街である。
かつて、神々が何らかの目的で築き上げた、と伝承に残るその地下迷宮。
その最奥には莫大な価値を持った秘宝が眠るとも、神々の力の一部が秘められているとも言われている。
当然、そんな街には様々な人々が集まる。
迷宮を探索する発掘屋と呼ばれる人々や、その発掘屋を客とする宿屋や酒場、そして各種の商店。
レグナムたちが護衛を引き受けた隊商も、チャロアイトの発掘屋相手に武器や防具を売る商人のものだ。
「はてさて、あいつらのことだ。向こうでもきっと騒ぎを起こすでしょう」
「違いありませんな、猊下。レグナムはともかく、カミィ殿はあの美しさだ。どこへ行っても騒ぎの元となるでしょう」
イクシオンはカムリの言葉に頷くと、部屋の外に控えていた下級神官に命じてワインを用意させた。
やがて二人分のワインが運び込まれると、その一つを手にとり、もう一つをカムリが手にしたのを確認してから、神官らしい朗々とした声で告げる。
「レグナムたちのこれからに幸多からんことを──」
そして、ワインの注がれた高価な水晶製のグラスを、つい、と掲げた見せるのだった。
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