第20話 下僕


 ラリマーの街に存在する、領主であるカムリ・グラシアの館。

 その館の応接室で、カムリとイクシオンはレグナムからことの次第を聞いて目を丸く見開いた。

「……か、カミィ殿が本物の神である……だと?」

「……正直、こればかりはおまえの言葉とはいえ、おいそれとは信じられんな……」

 呆然と呟く二人。そんな二人を、レグナムは苦笑を浮かべて見詰める。

 彼自身はカミィを神だと認めたが、それでも彼らの気持ちもよく分かる。

 そう思いながら、ちらりと横目で隣に座った少女を見てみれば。

 件の神は、相も変わらずお茶と一緒に出された焼き菓子を物凄い勢いで頬張っている。

 そして。

 そして、その少女の隣にはもう一人、女性の姿があった。今、その女性はグラシア家の女中のお仕着せを着ている。

 大海魔との戦闘の後、海から全裸で現れたその女性。彼女は衣服を含めて一切の所持品を持っておらず、騎士であるカムリが婦女子を裸のままにしておくわけにはいかないから、と提供してくれたのだ。

 なぜ女中のお仕着せかと言えば、独身であるカムリの家には他に女性用の衣服がなかったからであって、何か特別な趣味があったからではない。決してない。

 対して、カミィはレグナムが買い与えた服を着ている。こちらは宿に置いてあった着替えを、カムリの部下の一人がわざわざ宿まで取りに行ってくれた。

 問題のその女性のぱっと見の年齢は二十歳前後。カミィよりは年上に見えるが、レグナムに比べれば年下に見える。

 背丈も女性にしては長身な方だろう。レグナムの肩ほどまでのその身長は五十五ザム(約一六五センチ)ほどか。五十二ザム(約一五六センチ)と小柄なカミィと比べると、その背の高さが際立つだろう。

 肩口で切り揃えられた艶やのある髪は深海を連想させる深い蒼。そしてその瞳は、カミィのそれと同じ金だ。

 その容貌は極めて整っており。とはいえそれはカミィに比べると二回りも三回りも劣るものだが、それでも人間の標準と比べて十分に美人と呼べる容貌だ。

 均整は取れているものの全体的にほっそりとしたカミィに比べて、彼女の身体には色々とめりはりがあった。胸元は大きく張り出しており、尻周りの丸みも十分以上。それでいて腰はしっかりと括れており、カミィを可憐とするならこの女性は妖艶と呼ぶべきだろう。

 その女性は今、カミィと同じような勢いでお茶受けの焼き菓子を頬張っている。

 レグナムは、猛然と焼き菓子と格闘する二人を眺めながら、その女性とカミィとの先程のやり取りを思い出していた。




 海から物凄い勢いで飛び出し、カミィへと抱きついたのは一人の裸の女性だった。

「ご主人様っ!! ご主人様っ!! ご主人様っ!! ご主人様っ!! お、おおお、お、お会いしとうございましたっ!!」

 目の前に裸の女性が二人。どちらも標準以上の美女であり、その身体つきも申し分ない。

 だというのに。

 その二人を見ているレグナムに、男の本能に起因する劣情は一切沸くことはなく。

 それどころか、途方もない疲れを感じる有り様だった。

「………………また、裸の女かよ……」

 レグナムは、うんざりとした口調でそう零す。しかも、そう零しただけではなく、武器を持たない左手で思わずその顔を覆ったほどだ。

 そして、抱きつかれているカミィはと言えば、何とも鬱陶しそうにその女性を払いのけようとしていた。

「ええい、そんなにぎゅうぎゅうとくっつくな! 貴様の身体はひんやりとして冷たいのだっ!! 今すぐにその冷たい身体を離せっ!!」

「嫌ですぅっ!! ようやくこうしてお会いできたのに、ご主人様と再び離れるなんてわたくしには耐えられませんっ!! それに、どうして今日まで一度もお呼びくださらなかったのですかっ!? もうずうううううううううっと、わたくしはご主人様に呼ばれるのを、暗い暗い海の底で待っていたのですよっ!?」

「それは貴様のことなど、さっきのさっきまで綺麗にさっぱりすっかり忘れておったからだ」

「……………………………………………………へ?」

 カミィに縋り付いていた女性は、きょとんとした表情を浮かべると彼女から身体を離し、その場にへなへなと座り込んだ。

「そ、そんなぁ…………わ、わたくしはずっとご主人様に呼ばれるのを待っていたのに……ご、ご主人様はわたくしのことなんてすっかり忘れていたなんて……」

 両眼に涙を目一杯浮かべ、えぐえぐと泣きじゃくるその女性。

 そんな女性に、なぜかカミィはじとっとした視線を向けると、徐ろにこう切り出した。

「ほほう。ならば聞くが、我輩が呼ぶのを待っている間、貴様は何をしていたのだ?」

「はいっ!! 海の底でずううううううううううっと寝こけてましたっ!!」

「全然待ってなんかいねえじゃねえかっ!!」

 最後に思わずそう突っ込んでしまったのは、それまでカミィたちのやり取りを聞いていたレグナムだった。

「おい、カミィ。こいつは一体何者だ? 海の底とかずっと待っていたとか、わけ分からんことをさっきから口走っているが……」

 レグナムが女性を見る目は、明らかに不審者を見るそれだ。

 曲がりなりにも自らが神と認めた存在に近づく、正体不明の裸女。そんなのが相手なら誰だって警戒するだろう。

 だが、不審者を見るような目つきは、女性がレグナムを見る目もまたそうだった。

「ところで、さっきから気になっていたのですが、おまえは一体何者ですか? 畏れ多くも我がご主人様に馴れ馴れしい口を利いて……人間風情が立場を弁えなさ──ぐきゃっ!!」

 女性の言葉が終わるより早く、どごんと鈍い音が響く。

 そして、件の女性が突然吹き飛び、手近にあった建物の壁に激突する。

 驚いたレグナムが改めてカミィを見れば、彼女の腰辺りで拳が少しばかり突き出されている。どうやら、至近距離から拳の一撃を見舞ったらしい。

「お、おい……あの女、大丈夫なのか?」

「大丈夫なのだ。あやつも我輩が造り出した神獣。あの程度でどうこうなるはずがないのだ」

「し、神……獣……?」

 レグナムの視線が、カミィと吹き飛んだ女性の間を何度も行き来する。

「ま……まさか……あの女は……さ、さっきの大海月おおくらげ……?」

「うむ。あやつの正体は、紛れもなくあの大海月なのだ」

 ぽかんとした表情を浮かべるレグナムを尻目に、カミィは吹き飛んで壁に身体を半分ほどめり込ませた女性へと無警戒に近づいていく。

「立場を弁えるのは貴様の方だ。あやつは──レグナムは我輩の第一の信徒。すなわち、我輩が神としての力を取り戻し、神々の座へと帰りついた暁には、我輩の最高司祭となる人間だぞ? 神獣とはいえ所詮はぼくでしかない貴様とは霊峰と砂山ほどの違いがあるのだ」

「へ? ご主人様の最高司祭様……?」

 女性はぱちぱちと何度か目蓋をしばたかせると、壁にめり込んだ身体を引き剥がし、慌ててレグナムの前までくるとその場でがばりと土下座した。

「申し訳ありませんでした最高司祭様。立場を弁えていないのは間違いなくわたくしの方でございました。以後、このようなことがないように肝に銘じます。どうか、今後はわたくしめのことは下僕としてお扱いください」

 全裸のまま、愛想笑いを浮かべてへこへこと土下座する自称下僕の女性──というか海月女。

 レグナムはしょっぱい顔つきで海月女にくるりと背中を向けると、その光景は見なかったことにした。

 色んな意味で。




 その後、レグナムたちの所へとやって来たカムリに誘われて、こうして彼の館を訪れてそこで今回の件に関しての説明をすることになった。

 その際、りょくしんの最高司祭であるイクシオンにも説明しておいた方が良かろうということになり、カムリが使いを走らせてイクシオンもこの場に招き、改めてことの次第を説明したのだ。

 その結果が、今レグナムの目の前で呆然とした表情を晒しているカムリとイクシオン、というわけだった。

「……ま、まあ、色々と納得しづらいものはあるが、他ならぬレグナムとカミィ殿が言うのだ。ここはそういうことにしておこうか」

「よろしいのですか、猊下? 猊下のお立場で神が目の前に存在していることを認めてしまっても?」

 緑神の代行者であり、この国の緑神神殿の最高司祭であるイクシオンが、カミィが神だと公言すればその影響は容易には想像もつかない。下手をすると、国がひっくり返るほどの騒ぎになる可能性もある。

 それほどこの世界において神とは、親しみのある存在であると同時に特別な存在なのでもあるのだ。

「無論、このことは公表しない方がよろしいでしょう。レグナムとカミィ殿はあくまでもこのラリマーを救った傭兵、ということでいかがでしょう?」

 イクシオンのこの提案に、カムリは領主として首を縦に振る。

「その方がよろしいでしょうな。いいか、レグナム。本当にカミィ殿が神だとしても、そのことは軽々しく口にしない方がいい」

「ああ、分かっているさ。まあ、仮にこいつが神だと宣言して回っても、それをすんなりと信じる奴はあまりいないだろうがな」

 隣で焼き菓子をがっついている少女の頭をわしわしとかき混ぜながら、レグナムは苦笑しつつそう応える。

 そうしつつ、レグナムはふと思案顔でカムリに尋ねた。

「しかし、どうしていきなりあれだけの魔獣が……それも蜥蜴魚とかげうおはともかくとして、おおあまがえるなんてだいかいが突然襲ってきたのか、その理由は相変わらず不明のままなんだよな?」

「ああ。現在部下に調べさせているが、今のところ過去にラリマーの街に海から魔獣が出現した、などという記録は見つかっていない。それも一体や二体ではなく、あれほどの大群が……更には、大海蛙と言えばこれまえ伝説の上にだけ存在した怪物だ。そんな怪物が実際に現れるなど、必ず何らかの理由があるはずなのだが……」

 カムリもまた、領主としてその原因の究明は絶対にしなければと考えていた。原因をはっきりさせなければ、いつまたあのような魔獣の襲撃があるか分からないのだから。

 レグナム、カムリ、そしてイクシオン。この場にいる男性陣が腕を組んであれこれ悩んでいた、その時。

「こ、これ、凄く美味しいですよ、ご主人様っ!! 甘くてふわふわしていて……わ、わたくし、このように美味しいものを今までに食べたことがありませんっ!! わたくしが今までに食べていたものなんて、深海に棲息しているお魚とか魔獣ぐらいでしたから……ああ、なんて幸せなのでしょう。このような美味しい食べ物に巡りあわせてくださったご主人様に感謝いたしますっ!!」

 涙さえ流しながらカミィに力説するその女性。だが、彼女の言葉に男性陣ははっとした顔つきになり、一斉にその女性へと視線を向けた。

 対して、男性陣から視線を向けられた件の女性は、最初はきょとんとした表情を浮かべるも、次にはっとした顔つきになると食べていた焼き菓子をささっと背中に隠した。

「あ、あああ、あげませんよっ!? この甘くてふわふわで食べると幸せになれる食べ物はわたくしのものですからっ!? た、例え将来の最高司祭様であるレグナム様のお言葉でも、こればかりは聞くわけにはいきませんっ!!」

「誰が菓子が欲しいと言ったっ!? それよりおまえ、さっきは何を食ったと言ったっ!?」

 カミィが神であると告げた際、この女性の正体が例の大海月だとイクシオンとカムリには教えてある。とは言え、レグナム自身この女性があの大海月だとは今一つ信じられないのだが。

 だが先程の彼女の言葉に、レグナムたちが看過できないものが含まれていたのは事実で。女性もまた、レグナムたちが焼き菓子を狙っているのではないと知って安心したのか、元の姿勢に戻ってにっこりと微笑みながら説明する。

「はい。わたくしがご主人様の気配を感じ取って目覚めた時、とてもお腹が減っていて……手近にいたお魚を食べたんですよ。で、それでもお腹は一杯にならなくて……でも、一刻も早くご主人様にも会いたくて……だから、ご主人様の元へと移動しながら目に付いたお魚や魔獣などの食べ物を食べながら移動────」

「おまえが原因かああああああああああああああああああっ!!」

「ぴぎゃあああああああああっ!?」

 叫びながら、レグナムはごっつんと女性の脳天に拳骨を落とした。いつもいつもカミィに落としている拳骨に比べてちょっぴりこっちの方が痛そうなのは、やはり見た目の容姿が影響しているのかもしれない。

 カムリとイクシオンもまた、その思いはレグナムと同じだった。

 この女性──大海月は、空腹のあまりに移動しながら目に付いた「餌」を手当たり次第に捕食していったのだろう。

 そして、蜥蜴魚は大海月にとっては格好の「餌」であり、大海月を恐れた蜥蜴魚たちは、こぞって陸上へと逃げて来た。

 大海蛙については、伝説通りにラリマーの近海に眠っていたが、天敵ともいえるこの大海月の接近に気づき、蜥蜴魚同様に陸地をその逃げ場所としたに違いない。

「な……なんてはた迷惑な……」

 思わずそう呟き、応接室のソファに深々と身を預けるカムリ。

「ですがグラシア卿。彼女にしてみれば、空腹を満たすために餌を取っただけのこと……生きるために何かを食するのは神々が定めた世のことわり。卿のお気持ちは理解するが、彼女を一方的に攻めるのは間違いというものです」

「そうですな……猊下の仰る通りです。ここはあくまでも天災ということにしましょう。だからレグナムも矛先を納めてくれぬか?」

「領主であるカムリがそう言うなら、オレがどうこう言うことじゃねえがよ……」

 腕を組み、じっとりとした視線を女性へと向けるレグナム。

 レグナムに拳骨を落とされ、涙目でじーっとレグナムを上目使いで見上げる女性。

 そしてカミィはと言えば、レグナムたちがあれこれと騒ぐ中、我関せずとばかりに焼き菓子をもきゅもきゅと楽しんでいた。




 後に、領主であるカムリ・グラシアは、今回のラリマーにおける魔獣騒ぎを、伝説の大海蛙とその天敵である大海月が海中で争ったため、その戦いを恐れた蜥蜴魚の群れがこぞってラリマーの港に上陸したためだと発表した。

 その際、二人組の傭兵の活躍により、蜥蜴魚と後に上陸した大海蛙を撃退するに成功した、とも付け加えている。

 これ以降、ラリマーの街では《剣鬼》と《我輩様》という二人組の傭兵が、街の救世主として末永く語り継がれてゆくことになるのだが、当の二人がそれを知るのはずっと先のことであった。

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