第13話 再襲撃
感じた。
確かに感じた。
懐かしい……凄く懐かしい、あの気配を。
あの気配を感じなくなって、もうどれくらい経つだろうか。
暗い暗い海の底。それよりも更に奥深い、この世界で最も深い海底亀裂の奥底で
ゆらり、とそれはもう随分と動かしていなかった身体を久しぶりに揺する。
それに合わせて、身体の上に降り積もっていた細かな砂や、大きな岩礁などが崩れ去り、そこを根城にしていた深海魚たちが驚いて逃げ惑う。
身体を動かしたついでに、するすると触手を伸ばして手近にいた体長2ザーム(約6メートルほど)の深海魚を絡め捕ると、そのままぱくりと口腔の中へと放り込む。
ばきりばきりと深海魚を咀嚼する音が周囲に響き渡る。
久しぶりに捕食した「餌」は極上の甘露だと、それの動き始めた脳細胞が感じ取る。
同時に、「餌」を食べなくなってどれくらい経つだろうという疑問も。
まあ、いい。
沸き上がった疑問にあっさりとそう結論づけると、それはゆっくりと身体を動かした。
光の届かない暗い海底に、蛍の光のような淡い輝きが無数に灯る。
身体の各所をきらきらと輝かせながら、それはゆっくりゆっくりと浮上していく。
懐かしい、あの気配の元へ。
自分の主たる、御方の元へ、と。
それはとある傭兵と、神を自称する少女が出会い、二人がラリマーの街へと入る少し前のことだった。
「申し上げます! 港に再び魔獣が上陸! その数の詳細は不明ですが、先程よりも遥かに多いかと!」
駆け込んできたカムリの部下は、主人の前で跪くと彼がここへ来た用件を告げた。
「防戦はどうなっているっ!? 現在、港にはどれ程の戦力があるっ!?」
「は! 現在、港ではグラシア家の兵士五十名余が防戦に当たっておりますが、魔獣の数が多く苦戦しております。グラシア本家及び港周辺の治安に当たっていた兵士も港へと向かっておりますが、港から逃げる民衆に足止めをされている状態でして……」
部下の報告を聞き、カムリはレグナムへと振り向いた。
「レグナム殿……いや、レグナム。改めて、貴公の手を借りたい」
「構わねえよ。オレは傭兵だからな。金さえ払ってもらえれば、どんな戦場へだって行くぜ?」
レグナムの軽口に口元を綻ばせたカムリは、彼とごつんと拳を一度ぶつけ合わせて部下へと再び向き直る。
「至急、私も港へ向かう! 我らが行くまで、兵士たちには防戦を第一にせよと伝えよ! 魔獣を討つ手柄は不要! 港の施設と船、そして人民を守ることを優先せよ!」
カムリの命令に、彼の部下は応と答えると、現れた時の勢いのままに緑(りょく)神(しん)神殿の鍛錬場を飛び出して行った。
「そういうわけです、猊下。慌ただしくて申し訳ありませんが、我らは──」
「ええ、心得ておりますとも。私にお気遣いなさらず、早く港へと向かわれるがよろしい」
イクシオンが肯けば、カムリはレグナムとその隣の小柄な少女を見た。
「レグナム。私との手合わせで疲れているだろうが、ここはもうひとがんばりしてもらうぞ」
「おう、任せておけ。その代わり、さっきも言ったが報酬は弾んでもらうからな」
「分かっている。では、カミィ殿。貴女はここで猊下と共に我らの帰りをお待ちください」
カミィの前で跪き、まるで王族に仕える騎士の如く、恭しくカムリは告げた。
しかし、当のカミィは彼の言葉にきょとんと首を傾げている。
「どうして我輩がここに残らねばならんのだ?」
「どうしてと言われましても……まさか、レグナムと共に港に赴かれるおつもりか? それはなりませんぞ。港には危険な魔獣が無数にいるのです!」
──危険極まりない魔獣がいたとしても、彼女はレグナムの傍を離れたくないのか。それ程までにこの少女はレグナムを──
と、カムリがレグナムへの嫉妬心からやや見当違いなことを考えているのも知らず、少女本人はぐっとその小さな拳を握り締めると高々と宣言した。
「これは好機なのだ! 我輩が颯爽と現れて魔獣に怖れ逃げ惑う民衆を救えば、我輩に救われた者どもは皆、我輩を敬い奉り、そして信仰するに違いないのだ! ふふん、待っていろ小僧どもに小娘ども! 信仰をがっぽがっぽと稼いですぐに貴様たちと対等の立場に舞い戻っ──ぷぎゃっ!!」
カミィの小動物じみた悲鳴と、ごちんという鈍い音が同時に響く。
「む、むううぅぅぅっ!! 何をするのだっ!? 貴様は気安くぽんぽんと神の頭を叩きおって! 今に神罰が下るぞ!」
脳天に拳を落としたレグナムを上目使いに睨むカミィ。しかし、レグナムは彼女のそんな訴えなど気にもしない。
「こいつのことなら心配無用だ。こんな見た目だが、こいつは下手したらオレより強いからな」
「な……なに……?」
信じられない、といった表情でカミィを凝視するカムリ。
彼がそう思うのは無理もない。少なくとも、カミィの見た目は小柄で手足も細く、とてもではないが荒事が務まるとは思えない姿をしているのだから。
困惑するカムリに、レグナムは更なる驚愕の事実を突きつける。
「……領主のおまえには言っておくが、さっき港に現れた魔獣を全滅させたの……あれ、実はこいつなんだ」
「…………………………………………………………………………………………………………………………は?」
たっぷりと数呼吸分は間を置いた後、カムリは何とも間の抜けた声を発した。
先程見た、「破壊」され尽くした無数の魔獣たち。
魔獣をあのように徹底的に破壊したのが、この小柄な少女だと────?
そんな疑問を含んだ視線が、レグナムとカミィの顔を何度も何度も往復した。
どうやら彼らの態度から嘘ではないと悟り、改めて信じられないといった顔つきになるカムリ。
そして同時に思い出したのは、彼の部下が告げた「たった一人の少女が魔獣を全て倒した」という噂であった。
目撃証言は数多いものの、とても現実的ではないと思っていたその噂がまさか本当であり、しかもそれを成したのがこの小柄で世にも稀な美貌の少女だとは。
カムリでなくとも、とてもではないが信じられないだろう。
「あー、グラシア卿。貴公のお気持ちは良く分かるが、今は港に向かうがよろしかろう。事は一刻を争うのではないかな?」
混乱するカムリに、イクシオンが助け船を出した。
緑神最高司祭の言葉に我に返ったカムリは、レグナムを促して鍛錬場を出ようとした。
だが。
それよりも早く、カミィが動いた。
レグナム、カムリ、そしてイクシオンが見ている真ん前で、彼女は突然服を脱ぎ始めたのだ。
顔を真っ赤に染め、それでいてカミィの美しい裸身から目を離せないカムリ。
うら若い少女が男性がいる前で突然脱ぎ始めたことを、眉を寄せて不審そうに見詰めるイクシオン。
そして。
カミィの奇行に幸か不幸か慣れてしまったレグナムは、冷静に服を脱いでいる彼女へと近づくと、無言のまま再びその脳天へと拳骨を落とした。
「ぷびゃら」
服を脱ぐのを中断──丁度下着姿になったところだった──し、カミィは脳天を押さえて踞る。
「他人がいる前で裸になるなと、何度言ったら分かるんだ、この阿保娘っ!!」
「だから、貴様は我輩の頭を気安く叩くなっ!! それに、服を脱ぐのは当然なのだ!?」
「何が当然だよっ!?」
「服を脱がないと、貴様に買ってもらった服をまた魔獣の返り血で駄目にしてしまうのだっ!!」
「あー…………」
そういうことか、と納得顔のレグナム。
彼は苦笑を浮かべると、今度は優しげにカミィの髪を撫でてやる。
「服ぐらい、また買ってやるから心配すんな。それより、そんな格好で外に出るんじゃねえよ」
「……むぅ。いいのか?」
まるで叱られた子供のように、カミィは上目使いでじっとレグナムを見上げる。
「おう。どうやら気前のいいご領主様が、報酬を弾んでくださるそうだからな。おまえの服を買うぐらいどうってことはないさ」
「そうか!」
ぱあっと花が咲いたように笑顔を浮かべるカミィ。その笑顔をみたカムリがさっきとは違う意味で顔を赤くしていたが、それに気づいたのはイクシオンだけだった。
しかし、カミィは真顔になるとしれっととんでもない事を言ってのけた。
「だけど、やっぱり服を着ていると動きづらいのだ。だから、我輩はこのままでいいのだ」
と、レグナムが止める間もなくカミィは下着姿のままで鍛錬場を飛び出して行った。
「ば、馬鹿野郎! 人の話を聞きやがれっ!! そのまま外へでるんじゃねえええええええっ!!」
「裸ではないのだ。ちゃんと下着は着けているのだ」
「そういう問題じゃねええええええええっ!!」
鍛錬場の外から聞こえる少女の声に、レグナムが絶叫で応える。
残された男たち三人が慌てて鍛錬場の外へと出て見れば、遥か上空を舞う下着姿の黒髪の少女の姿が小さく目に映った。
その人間離れした跳躍に、思わずぽかんと見上げたままのイクシオンとカムリ。
レグナムだけは、彼女のその身体能力を知っているのでカムリたちほどの驚きはないが、ぴょんぴょんと建物の屋根を蹴って遠ざかる少女の姿に思わず舌打ちを響かせた。
「あー、もう、あの馬鹿娘がっ!! おい、カムリ! 馬はないかっ!?」
「あ、え、お、う、うむ、ここへ来た時に騎乗していたので、もちろんあるが……」
名前を呼ばれ、混乱しつつも返答するカムリに、レグナムは急かすように迫る。
「馬に乗って来たのはおまえだけか?」
「いや、部下の騎兵も何人か連れて来ている」
「よし、じゃあ悪いが俺に馬を一頭貸してくれ。あの馬鹿娘をあのまま放っておくわけにいかねえからな! 色んな意味でっ!!」
確かにあの恐ろしいほどに美しい少女を、半裸のまま往来を行かせるのは色々な意味で問題がある。
彼女に想いを寄せる一人の男として、そして領主としてそう判断したカムリは、緑神神殿まで同行した部下を呼び、すぐさま馬の準備をするように言いつける。
そしてすべての準備が整い、並走して駆けていくレグナムとカムリ──の後ろを、カムリの部下たちが追走する──を、一人神殿に残ったイクシオンは己が信奉する神に彼らの武運を祈るのだった。
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