第12話 異名の真意


 イクシオンは激しくぶつかり合う二人の剣士を見詰めながら、時折隣に立つとても美しい少女へと注意を向けていた。

 まさに芸術を司る神が造り上げた彫像のように整った美貌に艶やかな黒髪。そして、何より印象的なその金色の瞳。

 旧友から聞かされてはいたが、実際に自分の目で彼女を見た時、イクシオンは旧友の言葉が誇張でも何でもないことを改めて理解した。

 その少女は今、この鍛錬場まで持ち込んだお茶請けの菓子を頬張りながら、繰り広げられている戦いを熱心に見詰めていた。

「……なかなかやりおるのだ」

 指に付いた菓子の屑を名残惜しそうに舐め取りながら、少女が呟く。

「おや? 貴女はレグナムが戦うのを見たことがないのですか? 彼は《剣鬼》の異名を持つほどの傭兵です。腕が立つのは当然でしょう?」

 耳聡く呟きを拾い上げたイクシオンに、少女──カミィはちらと横目で視線を走らせる。

「うつけ。我輩が言っておるのはあの騎士の方なのだ。レグナムが強いのは当然。あやつは赤の小僧から何らかの加護のようなものを受けている。とは言え、貴様たち人間が言う『神の息吹』とは異質なものだがな」

「赤の小僧……? もしや、それはせきしんカーネリアン様のことですか?」

 イクシオンは先程、自らが信仰するりょくしんアベンチュリンのことを、この少女が「緑の小僧」と呼んでいたのを耳にした。

 となれば、今彼女が言った「赤の小僧」が赤神を指しているのは明らかだろう。

「確かにカーネリアン様は《剣神》と呼ばれ気性の荒い御方ですが、《戦女神》の別名通りに女神であらせられます。それをなぜ「小僧」と……?」

 だが、イクシオンの問いにカミィは答えるつもりはないらしい。

 彼女はイクシオンなど眼中にないかの如く、ただ黙って目の前で繰り広げられる戦いに注目した。




 強い。

 それが目の前の騎士、カムリ・グラシアに対するレグナムの偽ざる思いだった。

 おそらく、傍目には自分が圧倒的に押しているように見えるだろう。事実、剣といわず身体中を使って戦うレグナムは手数において圧倒的に勝っている。

 しかし、彼のその手数を以てしても、カムリに有効打を与えられない。

 どうやら、この騎士は攻めるよりも守る才を持つ剣士なのだろう。

 戦いにおいて、守るということは極めて重要である。

 どんなに劣勢でも、致命傷さえ受けなければ逆転する好機が訪れるかもしれない。その好機が訪れるまで守りに徹して耐えきれば、その劣勢を覆すことも不可能ではないのだ。

 もちろん、守るというのは単純に相手の攻撃を無効化することだけをいうのではない。

 敵の攻撃を受けても耐え切る頑強な肉体。生まれ持った頑強さや、鍛え抜いた耐久力など、例え相手の攻撃を受けたとしても、その威力を軽減することのできる身体があればどれだけ有利なのかは言うまでもないだろう。

 そして、このカムリ・グラシアという騎士は、その頑強な肉体の持ち主であった。

 先程から、レグナムの拳や蹴りが何度もカムリの身体を捕えている。本来なら有効打となり得るだけの手応えもレグナムは感じていた。

 それでも、カムリは身体こそ揺らめかせるものの倒れるまでには至らない。

 鎧さえ着ていない彼がレグナムの攻撃に耐えうるのは、まさに持って生まれた「守るための才」と「頑強な肉体」故だろう。

 もしも彼が騎士本来の金属製の鎧を着込んでいたら?

 おそらく、今頃劣勢に追い込まれていたのはレグナムの方だろう。

(おもしれえな、こいつ)

 そんな思いが、レグナムの胸中に沸き上がる。彼もまた、剣に生きる一人の剣士だった。




 噂とはまるで違う。

 それが目の前の傭兵、レグナム・スピアーノに対するカムリの偽ざる思いだった。

 彼も騎士であり、これまで《剣鬼》と呼ばれる傭兵の噂は聞いていた。

 いわく、剣を持たせれば誰にも遅れは取らない、まさに剣の鬼。

 この世界──サンバーディアスにおいて、「鬼」とはひとがたをした魔獣を指す。

 よって、《剣鬼》という異名は、「剣を持たせれば魔獣のように強い」という意味だと思っていた。

 しかし。

 実際の《剣鬼》の戦い方は、殆ど剣を使わない。

 拳で。肘で。膝で。蹴りで。時には頭突きや肩からの体当たりまで、身体中のあらゆる部位を用いて攻撃してくる。

 彼の持つ大小二振りの剣は、主に攻撃よりも防御に回されていた。

 自分の攻撃をその剣で受け、弾き、受け流し、そして拳や蹴りで反撃する。

 その様子は、人間ではなくまるで魔獣を相手にしているようだった。

 カムリも騎士。これまでに大規模な戦争こそ経験していないものの、隣国との小競り合いや野盗退治といった実戦を経験している。

 そして当然、その中には魔獣の討伐も含まれていた。

 魔獣の討伐経験のあるカムリには、レグナムという傭兵が人間ではなく魔獣のように思えてならない。

 人形の魔獣を鬼と呼ぶと先程言ったが、実際には人形の魔獣など存在しない。人形の魔獣──鬼は、あくまでも御伽噺や架空の物語にだけ登場する存在である。

 だが、もしも鬼が実在するとしたら。

 それはきっと、目の前のこの男のような存在ではないだろうか。カムリはいつしかそう思うようになっていた。

 そして同時に、彼の《剣鬼》という異名の、本当の意味も何となくだが分かってきた。

 《剣鬼》という異名の本当の意味は、「剣を持たせれば魔獣のように強い」ではなく「剣を持った人形の魔獣」ではないだろうか。

 実際に《剣鬼》と剣を交えながら、カムリはそう確信するようになっていた。




 カムリの振り下ろした幅広剣ブロードソードを、レグナムの小剣ショートソードが弾き上げる。

 右手に持った剣を跳ね上げられ、本来なら右側面の防御ががら空きになるのだが、カムリはレグナムと手合わせしている間にしっかりと学習し、身体の右側を半歩引いて、左手に持った盾を全面に押し出すような防御姿勢を取る。

 これによって、至近距離まで接近して攻撃しようとしていたレグナムの目論見は見事に潰される。

「ちっ、更に防御が固くなりやがったな!」

「貴公のお陰でな! 嫌というほど学ばせてもらった!」

 互いに口元に笑みを浮かべながら、二人は弾かれた様に距離を取り合う。

「あんたとの手合わせは十分おもしろかったが、そろそろ終りにしようか」

「同感だ。これでも私はこの地の領主なのでな。そうそう暇でもないのだ」

 カムリは盾を前に出し、剣は身体の後ろに隠れるように構える。

 対して、レグナムは左の小剣を腰に戻し、両手で長剣ロングソードを肩の高さで地面と水平に構えた。

 レグナムのその構えを見たカムリは、彼の真意を悟る。

 レグナムは「剣は止めを刺す時に使えばいい」と言っていた。ならば、今の明らかに攻性的な構えが意味するのは、次の一撃で確実に敵が倒せるということだろう。

 即ち、《剣鬼》とまで呼ばれるレグナムの一撃必殺の攻撃。

 カムリはそれに対して、腰をどっしりと落としどんな衝撃にも耐えうる体勢を取る。

「行くぞ?」

「いつでも来られよ」

 だん、と地を蹴る音と共に、レグナムの姿が霞んで消える。

 そして次の瞬間には、彼が真っ直ぐに突き出した長剣の切っ先がカムリの喉元へと迫っていた。

 まさに、雷光のような速度の身体速度と突き。

 しかし、カムリはこの攻撃をあらかた予想していた。

 レグナムの先程の構えから、彼の攻撃が突きであることは容易に予測できていた。そして、予測できていれば、カムリにはその攻撃を防ぐ自信があった。

 とはいえ、この雷光のような速度までは予想していなかった。

 それでもカムリは、レグナムの剣の軌道上に盾を割り込ませることにぎりぎりで成功する。これもレグナムの攻撃が突きだと分かっていなければ不可能だっただろう。

 更には、その盾で以てレグナムの突きの軌道を逸らせることさえしてのけた。

 盾の表面で突きを真っ正面から受け止めるのではなく、盾で突きを受け流す要領でその軌道を逸らせる。もしも真っ正面からレグナムの突きを受け止めれば、木製の盾など容易く貫かれて左腕に重傷を負っていただろう。

 ぎゃりりっと異音を奏でながら、レグナムの長剣がカムリの盾の表面を削る。

 そしてレグナムの身体が攻撃のために伸びきったところで、今度はカムリがその身体へと突きを放つ。

 自分へと迫る幅広剣の切っ先。レグナムはそれから目を逸らすことなく睨むように凝視する。

 攻撃のために伸びきった身体は言うことを聞かない。このままではカムリの剣はレグナムの身体を貫くだろう。

 ぎりっと奥歯を噛みしめ、レグナムはわざと足を滑らせて体勢を崩した。

 右側へと傾ぐように倒れるレグナムの身体。だがそのおかげで、カムリの剣の切っ先をまさに紙一重で躱すことに成功する。

 ぎりぎりで顔の横を通り過ぎる幅広剣。レグナムは、剣に映り込む自分の顔を見たような気がした。

 同時に、左の頬にぴりっとした痛み。カムリの剣が僅かに掠め、レグナムの頬に一筋の朱線を引いたのだ。

 そのまま倒れ込むレグナム。カムリもまた、無理な体勢から突きを繰り出したために地面へと倒れ込んでいた。

「ちぇ、俺の負けだな」

 レグナムは地面に仰向けに寝転び、頬を流れる血を乱暴に拭いながらそう呟く。

 騎士同士の決闘の作法の一つに、「最初の流血」というものがある。

 騎士と騎士が己の名誉をかけて決闘を行う際、最初に血を流した方が負けとする決まりだ。

 もちろん、中には命懸けの決闘を行う場合もあるが、大抵の決闘はこの「最初の流血」で勝負が決まる。二人が今日行ったのは手合わせであって決闘ではない。だが、これがもしも決闘であったならば、「最初の流血」によりレグナムの敗北となったであろう。

「強いな、あんた……おっと、グラシア卿と呼ばないとまずいか?」

 上半身だけを起こし、レグナムが満ち足りた笑顔で言う。

「いや、今後は私のことはカムリと呼んでもらって結構だ。ただし、私も貴公のことはレグナムと呼ばせてもらうがな」

 カムリもまた、レグナム同様に上半身だけを起こして笑顔を見せる。

 そんなカムリにレグナムは、承知の意味を込めて右手の親指を立てて見せた。




「強いな、あの騎士は」

 いつの間にか傍まで来ていたカミィが、肩で息をするレグナムに穏やかに告げた。

「ああ。でも、楽しかったぜ」

 まるで子供のような屈託のないレグナムの笑顔。それを見たカミィは「このいくさバカが」と呟きながら苦笑を浮かべ、レグナムの傍で跪いてそっとその比類ない美貌を彼の顔へと近づけた。

「え?」

 レグナムが驚いて避ける間もなく、カミィはその薄桃色の舌をいまだに血を流している頬の傷へと伸ばす。

 ぺちょりとした湿った、それでいてしっとりと柔らかな感触と、僅かばかりの痛みを頬に感じ、一瞬でレグナムの顔が赤く染まる。

「ちょ? は? え? ほぁ? ま、待てぇっ!! 何をするつもりだっ!?」

「動くな馬鹿者が。この我輩が傷を癒してやろうというのだ。ありがたく我輩の恩寵を受け取り、今後は我輩を敬え。奉れ」

 イクシオンとカムリが目を丸くして見詰める中、ぴちゃぴちゃというどこか淫卑な音が鍛錬場に響き渡る。

 跪いて目を閉じ、やや眉を寄せて男の頬に舌を這わせる美貌の少女。

 本来なら男の本能を刺激する光景であるのに、イクシオンとカムリにはその姿がなぜか神々しく見えた。

「うむ、これでいい。傷は塞がったぞ。今後は遠慮なく我輩を信仰するがよいのだ」

 立ち上がり、腰に手を当てて自慢気にレグナムを見下ろすカミィ。確かに彼女の言葉通り、レグナムの頬の傷はすっかり消え失せていた。

「ほう……レグナムから聞いてはいたが……確かに治癒の『神の息吹』に間違いないな」

「な、なんと……カミィ殿は聖人であらせられたのか……?」

 同じ「神の息吹」を宿す者として、観察者のようにその光景を見定めるイクシオンと、驚きを隠そうともしないカムリ。

 だが、彼らが次の言葉を口にするより早く、カムリの部下の一人が慌てた様子で鍛錬場へと駆け込んで来た。

「か、閣下っ!! 大変ですっ!!」

「何事だっ!?」

 そのあまりにも慌てふためいた部下の様子に、カムリは一瞬で領主の顔に戻り、威厳を纏わせて部下を詰問する。

 部下は跪くことさえ忘れて、真っ青な顔を主人である領主に向けてここへ来たその理由を告げた。

「ま、魔獣ですっ!! 無数の魔獣が再び港に出現しましたっ!!」

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