第11話 手合わせ
そこで今、二人の男性が互いに剣を向け合っていた。
一人は、仕立てのいい服を着た茶色の髪と同色の瞳の二十代後半の男性。右手に
対してもう一人は、つんつんと逆立てた焦茶色の髪に、やはり同系色の茶色の目の青年。年齢は二十代の前半から半ばほどだろうか。
こちらの青年は、所々を金属で補強した
ただし、なぜか小剣の方は鞘に収められたままだが。
その状態の小剣を目にした幅広剣の男──カムリ・グラシアの眉が不審そうに寄る。
「ああ、この小剣が気になるか?」
カムリの表情から言わんとすることを察したのだろう。対峙する青年──レグナム・スピアーノが、左手の小剣をふらふらと振って見せた。
「
「……貴公がそう言うのならそうしよう。ただし、この勝負に貴公が負けても、その小剣のせいにはしないでいただこう」
「当然だ」
二人は互いに剣を目の前に立てて構えると、鋭く踏む。
次いで、剣と剣がぶつかり合った鋭い金属音が、鍛錬場に響き渡った。
カムリが一目惚れの勢いでレグナムに決闘を申し込んだ時、その場に居合わせたこの緑神神殿の最高司祭であるイクシオンは、やや呆れの表情を浮かべながらカムリを押し止めた。
「グラシア卿。貴公がこちらの少女に求婚を断られて傷心しているのは理解する。だが、決闘はさすがに行き過ぎですぞ。それでは、こちらのレグナムに単に八つ当たりしているに過ぎない。とは言え……」
イクシオンは、ちらりとレグナムに視線を向けると素早く片目を閉じた。
レグナムはそれをイクシオンの「ここは任せろ」という合図であると察し、この場を彼に預けることにした。
「……このままでは貴公の気持ちも整理がつきますまい。なので、ここは決闘などと仰々しいものではなく、あくまでも鍛錬のための手合わせということでいかがか?」
イクシオンの言葉を聞き、カムリは頷いた。
彼もまた、レグナムに決闘を申し込むことが単なる八つ当たりであることは気づいている。それでも、気持ちが収まらないのもまた事実であった。
ならば、ここはイクシオンの言う通り、あくまでも鍛錬としてレグナムと剣を交えてみよう。
カムリは騎士である。それも骨の髄までの。
ならば、目の前のレグナムという傭兵の人と成りが、直接剣を交えればあれこれと口で語るより余程よく判るはずだ。
「承知しました、猊下。レグナム殿はそれでいかがか?」
「ああ。それで構わないさ。但し、あんたが勝ったからってこいつを寄越せとかいうのはナシだぜ? そもそも、こいつモノじゃねえんだ。ま、オレとこいつは最初から特別な関係じゃないけどな」
「う、うむ、無論だとも。私が勝ったからと言って、カミィ殿には何も強制したりしないと我が剣にかけて約束しよう」
隣に座って、相変わらずお茶請けを幸せそうに頬張っている少女を指差しながらレグナムが言えば、カムリもそれを受け入れた。
「では、その手合わせは私が立会人となります。双方、異存はありませんな?」
イクシオンがそう申し出れば、レグナムとカムリは揃って頷いた。
カムリが放った鋭い突きを、レグナムは左手の小剣で弾き上げた。
そして、カムリが剣を引くに合わせて踏み込み、長剣の刃ではなく柄頭でカムリの顎を狙う。
その一撃を、カムリは目を丸くしながらものけぞってやり過ごす。カムリにしてみれば、これは十分奇襲であった。まさか初撃から剣の刃ではなく柄頭を用いるとは。
騎士であれば絶対にありえないその攻撃に、再び彼の眉が寄せられた。
「済まねえな、騎士様よ。こっちはあくまでも傭兵でな? 騎士様のようなお行儀が良くて華麗な戦い方とは無縁なんだ。それにこれは鍛錬だろ? だったら、今までに経験したこともないような戦い方を知るいい機会ってもんだぜ?」
「なるほど……確かに貴公の言う通りだ。戦場で騎士の礼儀が通るなどとは私も思っておらん。戦場では勝利するのではなく、生き残ることこそが重要。それが傭兵の戦い方だったな?」
「そういうこった」
にやりとした笑みを浮かべるレグナム。その彼の姿がゆらりと揺れた。
いや、揺れたと言うより姿が霞んだようにカムリには見えた。
そして、気づけばその吐息が感じられるほどまで、レグナムは接近していた。
別にレグナムは特殊なことをしたのではない。
最短の距離を最速で踏み込んだだけ。だが、彼のその鋭い挙動は、まるで瞬間移動でもしたかのような錯覚をカムリに感じさせた。
(は、速い! だが、この間合いでは長剣は振れまい……っ!!)
カムリがそう考えたのは、彼もまた剣の扱いに長けているからだ。
だが、その想像は容易く裏切られる。
彼我の距離が殆ど零のこの間合いで、レグナムは剣を振るのではなく膝を蹴り上げたのだ。
防具を纏っていないカムリは、この膝蹴りをまともに鳩尾に食らう。
腹に叩き込まれた衝撃に、カムリの呼吸が一瞬止まる。それでも鍛え抜かれた彼の腹筋は、その衝撃の殆どを吸収する。
だが、その一瞬の停滞を見逃すレグナムではない。
ととん、と軽い足裁きで二歩ばかり後退すると、今度はくるりとカムリに背中を向けた。
突然のレグナムの奇行に、カムリの頭が白く染まる。そして、がつんと側頭部に衝撃。
目を白黒させながら何が起こったのかを確認すれば、目の前のレグナムの右足が振り上げられていた。どうやら自分は、彼の後ろ回し蹴りを食らったのだとカムリはようやく悟る。
後ろへと数歩たたらを踏むものの、カムリの強靭な下半身はそこで踏み留まった。
そして、怯むことなく前へと出たカムリは、右手の幅広剣ではなく、左手の円形盾を思いっきりレグナムへと突き出した。
盾は相手の攻撃を受け止めるだけではない。このように、時としてれっきとした武器となる。
ごう、と唸りを上げて自分へと迫る盾。その攻撃面積の広さもあり、その迫力は剣を向けられる以上のものがある。
その盾による攻撃を、レグナムは地に這い蹲るようにして避けた。そして、その姿勢のまま足を回転させ、カムリの足を刈り取るように振り抜く。
盾による攻撃のために踏み込んだ足を刈られ、カムリは今度こそ耐え切れずに横倒しに倒れる。
その倒れたカムリに向かって、飛び起きたレグナムは剣を真っ直ぐに突き下ろした。
「ぐ……っ!!」
自分へと迫る長剣の切っ先。それをカムリは倒れても手放さなかった幅広剣で振り払う。
後ろへと飛び下がって間合いを取るレグナム。カムリもまた、その間に立ち上がると剣と盾を構え直す。
「……それが貴公の……傭兵の戦い方……か?」
「ああ。少しは参考になったかい?」
怪訝そうな顔のカムリに、レグナムはにやりと笑みを浮かべる。
「だが……貴公は《剣鬼》の異名を持つ剣士だろう。なぜ剣を使わない?」
私を舐めているのか? そんな思いを滲ませながらのカムリの言葉に、レグナムはひょいと肩を竦めて見せた。
「そもそも《剣鬼》なんて異名、オレが自分で名乗ったわけじゃねえ。気づいてみれば、いつの間にかそう呼ばれるようになっていたんだ。オレの知ったことじゃねえよ。大体、剣なんてモンは止めを刺す時に使えばいいのさ。要は、絶対に避けられない状況を作り出し、そこで初めて剣を使う。それがオレの──オレが師匠より受け継いだ戦い方だ」
そう言われてみれば、先程レグナムが剣を使用したのは自分が倒れていた時だった、とカムリは思い返す。
最初から剣を振るうような相手は、彼にとっては雑魚以外の何者でもない。逆に言えば、彼が剣を使わないということは、それだけ相手が強敵であるということでもある。
レグナムは、カムリを簡単に倒せる相手ではないと初見で判断したのだ。
「納得してもらえたか分からねえが、続けるぜ?」
言い終わるが早いか、レグナムは再び閃光のような踏み込みでカムリの懐に飛び込む。
そしてその勢いのまま、レグナムはもう一度鳩尾を狙って今度は肘を突き出した。
しかし、その肘打ちはカムリの円形盾で易々と防がれる。だが、それでレグナムの攻撃が終わったわけではない。
盾に止められた肘を起点にして、レグナムの拳が跳ね上がり、裏拳の要領でカムリの喉へと繰り出される。
肘打ちを防いで安堵する暇もなく、カムリはその裏拳を首を捩じって何とか躱す。
だが、カムリとて並みの騎士ではない。上半身が揺らいだ不安定な状態ながらも、腰の捻転を最大限に生かしてレグナムの胴を逆袈裟に切り上げる。
このカムリの一撃を、レグナムは何と宙に舞い上がって回避した。
しかも、空中で頭を下にした状態にありながら、腕の力だけで左の小剣をカムリの頭部目がけて繰り出すという曲芸紛いの一撃を繰り出したのだ。
宙に舞いながらの一撃。カムリは驚きつつも、これが単なる牽制であると判断した。
地に足を付けず、腕の力だけの剣撃などどれ程の力が込められていようか。曲芸紛いの一撃で自分の体勢を崩し、着地と同時に本命の──長剣の一撃を繰り出す。それがレグナムの狙いに違いない。
ならば、彼が着地した瞬間こそが、攻撃を仕掛ける最大の好機だ。
カムリは小剣を盾を翳して受け止めようとした。そうしつつ、彼は盾の陰からレグナムの着地の瞬間を虎視眈々と狙う。
そして、左手に持った盾に衝撃。これでレグナムの牽制は無効化された──と、思った瞬間、物凄い力でカムリの左腕が引っ張られる。
腕の力だけの攻撃。それは間違いなかったが、カムリはレグナムの腕力を甘く見ていた。幼い頃からみっちりと鍛え込まれたレグナムの腕力は、常人の域を越えた膂力を発揮する。
しかもレグナムが左手に装備した小剣は、防御に向いたように鍔が大きく作られており、その大き目の鍔をカムリの盾の縁に起用に引っ掻けて盾を弾き飛ばすように振るったのだ。
自然、盾を持った左腕は大きく弾かれ、カムリの防御は束の間とはいえがら空きとなる。
そこへ右の長剣の突きが打ち込まれる。この時、レグナムの身体はまだ宙にあった。ほんの束の間にこれだけの攻撃を繰り出す彼の技量は、決して噂に違わないものだった。
不安定な空中にありながら、腰の捻りを最大限に生かした突きはまさに神速。
しかしカムリもまた、この一撃を黙して見ていただけではない。
盾が弾かれたと悟った瞬間、着地間際を狙おうと準備していた幅広剣を、空中で身動きできないレグナムへと真っ直ぐに突き出したのだ。
この攻撃は意識してのものではない。長年培われてきた騎士としての本能が、その一撃を無意識のうちに繰り出していた。
空中で交差する長剣と幅広剣。
互いに放った必殺の突きは、その軌道が交差してぎぃんと澄んだ音を立てて弾き合う。
空中で身を捻り、起用に着地するレグナム。
よろけた身体を立て直し、再び剣と盾を構えるカムリ。
二人の口元には、いつの間にか良く似た笑みが浮かび合っていたのだが、そのことに当の二人は全く気づいていなかった。
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