第10話 一目惚れ
「この度は猊下にご尽力いただき、本当に感謝の言葉もございません」
「いや、グラシア卿。傷つき苦しむ者がいれば、それを救うのが神に仕える者の役目。卿が気に病む必要はございません」
男たちは互いに丁寧に相手と向き合う。
この地の領主──カムリ・グラシアは、オルティア王国に直接仕える騎士であり、その階位は近衛騎士。身分的に言えば、彼よりも上位の者は国王を始め近衛騎士の団長や隊長格などの数名だけだ。
その彼がここまで丁寧に目の前の相手に接するのは、当然わけがある。
神殿とは神に仕える存在であり、王国に属するものではない。神殿の主は神であり、決して国や王ではないのだ。
そのため、神官などの神殿に属する者は、例え国王の前でも跪く必要はない。
もっとも、これはあくまでも建前であり、実際には神官だろうがより高位の司祭だろうが、国王の前に出れば跪くのが通例である。
また、国に属さないということは、その庇護を受けられないということも意味する。
もしも神殿に賊などが入り、金品や人命が奪われたとしても、その罪人を国が咎めることはできないのだ。
そのため、神殿は独自の戦力を有する。神殿に仕える神官の中には、武器の扱いに長けた者が何人かいるのが普通であり、これらの神官は「神官戦士」と呼ばれて神殿の安全を守る任を受け持つ。
もちろんこれもまた建前であり、神殿で何か事件があれば、国はその事件に介入──もちろん神殿の許可を得た上で──するだろう。
以上の理由から、神殿の最高司祭ともなればその立場は一国の国王にも比肩し、この地の領主であり、近衛騎士でもあるカムリといえども、目の前の緑神神殿の最高司祭──イクシオン・フォレスタを相手に無礼な態度を取ることは許されないのだ。
「ですが、グラシア卿。怪我人の数が思ったより少なかったのは僥倖でしたな」
「は。フォレスタ猊下の仰る通りです。これも全ては緑神を始めとした神々の加護があってのものでしょう」
例の魔獣騒ぎで出た怪我人や犠牲者は、その数自体はそれほど多いものではなかった。
その理由は神を自称するある少女が、魔獣出現の早期から魔獣を撃破したためだが、この場で和やかに会話する二人はまだそのことを知らない。
「しかし、猊下の『神の息吹』があればこそ、助かった命があるのも事実。我が領民に成り代わり、お礼申し上げる」
「ですが、私の『神の息吹」』は病の治療が専門。確かに僅かばかりの怪我の治療はできますが、大した力ではありません」
「それでも、通常の方法では助からなかった者が、猊下のお力で助かったのも事実です」
彼──イクシオン・フォレスタが宿す「神の息吹」は、カムリが言うように病を癒す力である。
その力の応用で怪我の治療も可能ではあるものの、その効果は微々たるもの。
それでもカムリが言うように、通常の治療方法に比べれば比較にならないほどの速攻性がある。イクシオンの「神の息吹」によって救われた命が多数あるのも事実だった。
「承知しました。卿の言葉を受け入れましょう。ところで、港の方ですが……」
「は、承知しております。幸い、港の施設には大きな被害はありません。すぐにでも船の出入りは再開できるでしょう」
「それならばよろしいのです。港はこの街の生命線。いつまでも封鎖しておくわけにはいきませんからね」
このラリマーは交易都市であり、その交易の殆どを担っているのが港である。現在、その港は魔獣出現のため、一時的に封鎖されていた。この封鎖が長引けば、それだけ痛手を蒙る者が出るのは考えるまでもないことだ。
「しかし、あれで魔獣の襲撃が終わったという保証はありませんぞ?」
「それも承知しております。現在、我が家に仕える兵を動員し、港の警備に当たらせております」
「そうですか。実はですね、卿。その港の警備に関し、私に少々腹案があるのですが」
「ほう? それはどのような案でしょう? 猊下の案が有用であるのなら、私としても是非採用させていただきたいですな」
「実は──」
丁度その時であった。応接室の扉を誰かが叩いたのは。
一瞬、互いに顔を見合わせるイクシオンとカムリ。
現在は領主と最高司祭が会談をしている最中である。余程の事情がない限り、その会談を邪魔するような真似はしないだろう。
となれば、何か至急を要する事態が起きたのか。
様々な考えを頭の中で巡らせつつ、イクシオンが扉の向こうへと声をかければ、彼の副官ともいうべき部下が応接室へと足を踏み入れ、イクシオンに来客だと告げた。
「また来客ですか。ですが、今はご領主殿と会談中です。申し訳ないが出直していただきなさい」
「ですが……そのお客様というのが、先程もお越しになられたレグナム様なのですが……」
「レグナムが……?」
その名前を聞いた途端、突然の来客を告げられてどことなく不機嫌だったイクシオンの顔が和らいだ。そして、彼は部下にレグナムをこの部屋へ通すようにと申しつけた。
「グラシア卿。先程申し上げようとした私の腹案ですが、どうやら、向こうの方からやって来たようです」
「は? それはどのような意味でしょう?」
「卿は《剣鬼》という異名を持つ傭兵のことはご存じありませんかな?」
カムリもその異名を耳にしたことがあった。
彼も騎士である。傭兵とは立場が違うとはいえ、それでも腕の立つ剣士の噂はどうしたって耳に入ってくる。
たった一人で百人もの敵を斬り捨てたとも噂される剣の鬼。その剣の鬼が今、カムリの目の前にいた。
自然体で応接室のソファに腰を下ろして、下級神官が用意したお茶を口にしながらイクシオンと談笑を交わしている。
その仕草は決して優雅でもなければ洗練されてもいないが、彼にはまるで隙というものが見当たらない。
身長はカムリと同じくらいか。使い込まれ、手入れの行き届いた防具と武器。それを見ただけで、その実力の程が窺い知れる。
そして、先程のイクシオンのいう腹案というのが、港の警備に彼を雇わないかというものだった。
イクシオンと《剣鬼》は以前から知り合いらしく、彼は《剣鬼》に全幅の信頼を寄せているようだ。
「こいつなら、どのような魔獣が現れても決して遅れはとりませんぞ?」
緑神神殿の最高司祭に、そこまで言わせる男。
確かに、カムリが感じたところでも、この男は噂に違わぬ技量を持った剣士だろう。
だが、それよりも。
目の前にいる噂に名高い傭兵よりも、その隣に腰を下ろした小柄な少女の方が、カムリは気になって仕方がなかった。
最初は「これだから神殿は嫌なのだ。これ見よがしにあちこちから神気を垂れ流しよって。これは我輩に対する当てつけか? ったく、緑の小僧のくせに生意気な」と、ぶつぶつ文句を言っていたが、下級神官が持ってきたお茶請けのお菓子を見た途端、目を輝かせた。
今、その彼女はお菓子を物凄い勢いで口に入れ、実に美味しそうに頬張っている。
先程、レグナムと名乗った青年がカムリとイクシオンに紹介したところによると、彼女の名前はカミィと言うらしい。
夜の闇を思わせる漆黒の髪に、透き通るほどに白い肌。そして何よりは、妖しいまでの輝きを秘めた金の瞳と恐ろしいほどにまで整った美貌。
カムリは生まれてこのかた、これほどまでに美しい女性を見たのは初めてだった。
彼とて名門グラシア家の当主である。これまでに美しいと評判の令嬢は何人も見てきた。
しかし、目の前の少女に比べれば、その令嬢たちの美しさは何の感銘も彼に与えない。
そしてカムリは、自分でもそうと気づかない内に、剣の鬼にこう尋ねていた。
「レグナム殿……とか申したな。貴公、そのカミィという少女とは、そ、その……どのような関係なのだ?」
こう尋ねられて、レグナムは一瞬だけ視線を宙に彷徨わせて考え込むと、きっぱりとこう口にした。
「まあ、色々と成り行きでな。今はこいつの保護者みたいなもんかな」
ぽんぽんと親しそうに少女の頭を軽く叩くレグナム。そして、少女の方もどこか嬉しそうにされるがままでいる。
「そうか……で、では、そ、その……か、カミィ殿」
突然名前を呼ばれ──レグナムがそう呼ぶので、最近では不本意ながらも慣れてしまった──、カミィの顔がカムリへと向けられた。
その時、彼女の頬はまるで栗鼠のようにぷっくりと膨れていたが、今のカムリにはそれが目に入らない。
「か、カミィ殿っ!! わ、私と……こ、このカムリ・グラシアと……そ、その……しょ、将来を共に過ごしていただきたいっ!!」
「将来を共に過ごす」。それはこの国の騎士の間に伝わる、伝統的な求婚の言葉。
顔中を朱で染め、それでいて真剣な眼差しで。カムリはカミィを真っ正面から見て、彼は求婚の言葉を告げた。
そして、それを聞いていたレグナムとイクシオンは、揃って口にしていたお茶を思いっ切り吹き出したのだった。
はっきり言って、これまで異性にはまるで興味がなかった。
もちろん、だからといって同性に興味があったわけではないが、異性と付き合うよりは、己を鍛える方が余程有意義だと彼は考えていたのだ。
しかし。
しかし、そんな考えは目の前の美しい少女を見た途端、遠く群島の彼方まで飛んでいった。
そして、その代わりに彼の胸に沸き上がったのは、何としてでもこの美しい少女を自分のものとしたいという熱い想い。
このような想いを女性に対して抱くのは、カムリはこれが初めてだった。
彼は名門家の当主である。若くして近衛騎士の階級にまで登り詰め、騎士たちの間でも出世頭との評判も高い。
当然これまでに、年頃の令嬢たちからは何度も声をかけられているし、縁談だっていくつも舞い込んで来ている。見た目とて、決して平均より劣っていないだろうと自分でも思っている。
カムリはそれらの申し出を、全て撥ね除けて剣一筋に生きてきた。
その彼が。
そのカムリ・グラシアが、今は切実に焦がれていた。この目の前の少女が欲しい、と。出会ってすぐに求婚を申し込んでしまったほどに。それほどまでに、カムリは一目でこの少女に魅了されてしまったのだ。
──この美しい少女を伴侶に迎えて、この先共に一緒に過ごしていきたい。
そんな溢れんばかりの想いを込めた、カムリの求婚の言葉。
馬鹿正直に。真っ直ぐに。真っ正面から切り出した、実に彼らしい求婚の言葉。
その言葉に、目の前の少女はにっこりと花が咲くように微笑んだ。
その微笑みを見た途端、カムリの心臓がどくりと一際大きく脈打ち、彼の顔が期待に輝く。
だが。
「断る」
「………………………………………………………………………………は?」
だが、少女は笑顔のままきっぱりと彼の申し出を拒否した。
「なぜ、我輩が貴様と共に過ごさねばならんのだ?」
はっきりとそう告げると、少女はそれでカムリに興味が失せたとばかりに、再び笑顔でお茶請けへと手を伸ばして夢中で頬張り始める。
呆然とするカムリ。
嬉しそうにお茶請けを頬張るカミィ。
そんな二人を見て、レグナムとイクシオンは何と言ったら良いのか分からず、ただ黙って二人を見詰めているだけだった。
「な、なぜですか、我が乙女よっ!? なぜ、私を受け入れてくださらない……っ!?」
我に返ったカムリは、そう言ってカミィに食い下がった。
それも当然であろう。彼は正真正銘、真面目に求婚したのだ。確かに出会ってから求婚するまで短すぎるのは確かだが、それでも彼は本当に本気で求婚したのだ。
それが「断る」の一言で拒否されれば、納得がいかないのも道理だろう。
「では聞くが……」
カミィは身を乗り出して問い質すカムリに、口の中のお茶請けをごっくんと飲み込んだ後、面倒くさいといった表情を隠すこともなく言い放つ。
「貴様が見ず知らずの女からいきなり招来を共に過ごせと言われて、はい分かりましたとそれを承知するか?」
「そ、それは……」
それもまた、道理だった。見ず知らずの相手から突然求婚されたとしても、普通はそれを受け入れたりはしないだろう。
確かに彼女の言う通りだと、肩を落とすカムリ。
これだけであれば、カムリも初めて抱いた熱い想いゆえの暴走だったと反省し、時間を置いて冷静に考え直すなり、取り敢えずは知り合いとして付き合い始めるなり、いくらでも対処の仕方があっただろう。
だが。
だが、ここでカミィが余計なことを口走った。その結果、レグナムは今日何度目かの天を仰ぐ羽目となる。
「────それに、レグナムと違って貴様からはあの匂いがしないのだ」
「に、匂い……ですか……?」
「そうなのだ。一緒の寝台で寝ている時や、抱き締められた時に感じる、あのどこかほっとする匂いだ。共に過ごすというのならば、あのように心が落ち着く匂いに包まれていたいものだな」
それはまるで、自分の恋心を甘く語る乙女の
少なくとも、カムリにはその時のカミィの表情がそう見えた。
もっとも、レグナムには彼女のその顔が、自分に不幸をもたらす邪神にしか見えなかったが。
カミィのその言葉を聞いたカムリの顔が、ぐりんっと勢いよくレグナムへと向けられた。
その顔は、先程とは別の赤で染まっている。
そしてそれだけではなく、この神殿の最高司祭であり旧友である男もまた、じっとりとした視線をレグナムへと向けていた。
「い、いや、おい、誤解するなよ? オレは別にそういうつもりじゃ……そ、そりゃあ、確かに宿に泊まった時なんか、気づくといつの間にかこいつが俺の寝台に潜り込んできたりするし、所構わず服を脱ぎ出すこいつを止めるために、思わず抱きついて止めたこともあるが……」
レグナムは、自分で墓穴を掘っているなーと何となく気づいていた。気づいていたが、それでも言わずにはいられなかった。
「……レグナム殿……」
地を這うような、低いカムリの声がレグナムの弁明を遮る。
そして、レグナムはその時のカムリの表情を見て、とあることを確信する。
「レグナム殿……私はオルティア王国近衛騎士、カムリ・グラシアの名において貴公に決闘を申し込む!」
ほら、やっぱり。
きっと最近の自分は、邪神に魅入られているに違いない。
レグナムは溜め息を吐きながら、そんな事を頭の片隅で考えていた。
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