第9話 騎士の国の騎士


 その光景を見て、騎士であるカムリ・グラシアは盛大に顔を顰めた。

 辺りに充満する血臭と腐敗臭。それだけでも顔を顰めるのに十分な材料であるのに、視界には無残に破壊された魔獣の屍。

 所々に人間の死体も混じっているが、魔獣のそれの方が遥かに多いのは間違いない。

「……一体、どうやったら魔獣の身体をここまで破壊できるのだ?」

 低位の魔獣ならば、それを殺すことは少し経験を積んだ兵士や傭兵なら難しくはない。

 もちろん、中位、高位ともなれば一握りの人間しかまともに渡り合えないだろうが、本日ラリマーの港に出現した魔獣は、数は多いものの全てが低位ばかりだった。

 剣で斬る。槍で突く。弓で射る。戦棍メイスで叩く。魔獣を殺す方法は多々あるが、目の前で屍を晒している魔獣たちは、そのどれにも当てはまらない。

 全てが力任せに破壊されていた。

 そう、魔獣たちは殺されたのではない。破壊されたのだ。

 正直に言って、カムリでもここまで魔獣の身体を破壊する事は不可能だろう。

 彼は騎士であり、このラリマーの街を中心とした一帯を預かる領主でもある。

 ここ、オルティア王国には諸隣国のように貴族制──より正確に言えば爵位制──を用いていない。

 王を頂点とするのは同じだが、他国の貴族に相当する立場の者は総じて騎士と呼ばれる。

 騎士は近衛騎士、上級騎士、下級騎士の三つ階級に分類され、他国で言うところの公爵・侯爵が近衛騎士、伯爵が上級騎士、子爵・男爵が下級騎士に相当するだろうか。

 騎士の階級は世襲されることはなく、例え近衛騎士の子弟であっても最初は下級騎士からの出発となる。

 とはいえ、騎士階級の出身ならば少なくとも下級騎士にはなれるのだから、全くの世襲が行われないというわけではない。

 この国から爵位が撤廃されたのはもう随分と昔のことであり、当時の腐敗した貴族体制を騎士たちが打ち破り、新たな体制を築き上げたことが始まりであったとされる。

 以来、この国では支配階級は全て騎士であり、騎士として厳しい戒律と激しい修練が課される。

 この戒律に違反したものは、例え近衛騎士であろうと騎士の位を剥奪されるし、騎士としての実力が足りないと判断された者は降格処分を受ける。

 故に、オルティア王国は近隣より「騎士の国」とも呼ばれていた。

 そんな騎士の国で代々近衛騎士を勤め上げてきたのが、カムリを現当主とするグラシア家だ。

 現当主であるカムリは現在二十八歳。その若さで既に近衛騎士の階級にある。

 上背はあるものの騎士らしからぬ細身の、茶色い髪と同色の瞳の男性である。しかし、彼の配下の者たちは知っている。彼の身体がただ細いのではなく、無駄を全て削げ落とした結果なのだと。

 鍛錬に鍛錬を重ね、カムリは己の身体から剣を振るうために不必要なものは全て切り捨てた。

 その結果、彼の身体からは余分な脂肪や無駄な筋肉は全て取り除かれ、今の彼の身体には純粋に剣を用いるのに──戦うために必要な筋肉だけがみっちりと詰まっている。

 その自分を以てしても、目の前のように魔獣を破壊し尽くすことはできないとカムリは判断する。

「……一体、何があったというのだ……?」

 再びそう呟きながら、彼はずっと顔を顰め続けていた。




 魔獣の返り血で染まったカミィの服を買い換えた──古着屋に入った途端、さっさと服を脱ぎ出したカミィの脳天にレグナムが拳骨を落としながら──二人は、どうにか宿屋へと戻って来た。

 その途中、港に魔獣が現れたことは既に街中に広まっており、どこへ行ってもその噂で持ちきりだった。

 更には、港に現れた四肢のある魚の姿をした魔獣が、別のもっと恐ろしい魔獣に襲われて片っ端から食われたなどという噂もあった。尚、その噂によれば魚の魔獣を食ったという別の魔獣は、全身が真っ赤で黒い鬣を生やした獅子のような魔獣らしい。

 港に現れた魔獣の噂は宿の一階の酒場でも囁かれていたが、レグナムとカミィはそれらの噂を一切無視して上階の部屋へと戻る。

 彼らがこの宿で取っている部屋は、寝台(ベッド)が二つある二人用の部屋を一つだけ。

 カミィはレグナムの前だろうが平然と着替えをするし、いつの間にか寝台に潜り込んでいたりするしで、それぞれ一つずつ部屋を取る必要がないのだ。これらの点に関しては、もうすっかり諦めの境地にいるレグナムである。

「それで? あの魔獣は一体何だ?」

 部屋に入り、一息吐いたところでレグナムはカミィに問いかける。

 対してカミィは、二つある寝台の一つに腰を下ろし、帰り道で買い込んだ串焼き──どうやら気に入ったらしい──をもっきゅもっきゅと食べながら、レグナムの質問に対してきょとんとした顔を向けた。

「知らんのか? あれは蜥蜴魚とかげうおだ。海の深い所に群れで棲み、主に魚を食べる魔獣なのだ」

「やけに詳しいな? まさかと思うが、信者獲得とやらのために、おまえ自身が呼び出したとか言うんじゃないだろうな?」

 未知なる神々の加護を受けているらしいこの少女なら、何でもありだとレグナムは勘ぐる。

「そもそも、魔獣というものは『邪神の囁き』がある所に出現するものだろ? この街の近海に『邪神の囁き』があるなんて聞いたことがないぞ? それに、どうして深場にいるはずの魔獣が港に揚って来るんだよ?」

「そこまでは知らん。そして、我輩は魔獣を呼び出したりはしておらんのだ…………ん? そうか! その手があったか!」

 ぽんと手を打ち合わせるカミィ。そんな彼女に、レグナムは嫌な予感しかしない。

「……あまり聞きたくはないが、一応聞いておく。何を思いついた?」

「さっき貴様が言ったのだ。わざと魔獣を呼び寄せて、その魔獣を我輩が退治する。そうすれば、我輩を崇め奉る者どもがうっはうっはと集まるのだ! レグナム、貴様はなかなか頭がいいな!」

 やっぱり。こういう嫌な予感ほどよく当たりやがる。

「そんなこと、絶対にするんじゃねえぞ」

 レグナムは右手で顔を押さえながら、左手でカミィの頭に拳骨を落とす。

「にぎゃっ!!」

 カミィは猫が押し潰されるような声を上げた。




 カムリ・グラシアはまず、突然の魔獣の襲来に関する情報を求めた。

 魔獣が突然姿を現したのには、何らかの原因があるはずだと思ったからだ。

 例えば、知らないうちに漁師が彼らの住み処を荒し、それに腹を立てて魔獣が報復のために上陸したなど、きっとなんらかの原因があるのではないか。それがカムリの辿り着いた考えだった。

 今、カムリは領主であるグラシア家の屋敷に戻っていた。その屋敷の中の自分の執務室で、カムリは部下からの報告を聞いている。

「現場の目撃情報によりますと、上陸した魔獣を退治したのは一人の少女のようです」

「何だと?」

 情報集めを任せた部下のその報告を聞きいて、彼は思わず眉を寄せた。

「少女……だと? それもたった一人? では、その少女があの破壊を繰り広げたとでも言うのか?」

「はい、閣下。現場に居合わせた者たちからの証言です。しかも、一人や二人ではありません。十数人の人足や船員から、同じ証言が得られています。しかも、一部の証言によるとその少女は、そ、その……ぜ、全裸だったとか」

「馬鹿を言うな。真っ昼間から素っ裸で出歩く若い娘がどこに居る? そんなものは昼間から安酒を飲んでいた船員どもが見た幻だ。大体、女が一人であれだけの数の魔獣を倒せるわけがなかろう。それに、他にも証言はあっただろう? あの魚のような魔獣以外に赤い獅子のような魔獣が現れ、あの魚モドキどもを襲ったとかいう」

「それは単なる噂に過ぎません。具体的な目撃証言は皆無です。ですが、少女の方は……」

「では貴様は、たった一人の少女があれだけの事を成し遂げたと信じられるのか?」

「それは……」

 カムリの部下は思わず黙り込む。彼もまた、あの港の惨劇を直接目撃している。

 あれだけのことを、たった一人の少女が成し遂げたなど、常識で考えれば信じられるわけがない。

「例え具体的な証言がなくても、他の魔獣が現れて魚モドキを襲ったという方がよほど現実的だ」

 カムリの言葉に彼の部下は頷いた。上司の言う通り、一人の少女が魔獣を退治したというよりは、他の魔獣が現れたと考える方が確かに現実的だと思える。

 それほど、あの港の状況は異様だった。

「それで、襲われて生き延びた者たちはどうしている?」

「はい。各神殿に運び込み、そこで治療を受けさせております。重篤な者たちはりょくしん神殿へと運び込みました」

「緑神神殿……フォレスタ猊下の所か」

「はい。猊下は代行者であらせられます。重篤な怪我人でも助ける術をお持ちです」

「だが、猊下の『神の息吹』は病気を治療するものだろう? 怪我人には効果はないはずだが?」

「それでも、他の神殿よりは助かる確立は高いはずです」

 部下の判断は正しい。カムリはそう思い、重々しく頷いた。

「これより緑神神殿へ向かう。世話になった猊下に一言礼を述べんとな。先触れの使者を出して、私の訪問を伝えろ」

 席から立ち上がったカムリに、部下は敬礼すると足早に執務室を飛び出して行った。

 命じられた通り、緑神神殿への使者の選定に向かったのだろう。

 立ち去る部下の背中を見送りながら、カムリも外出の準備に取りかかる。

 彼付きの小姓たちが準備のために忙しく立ち回る中、カムリは先程の部下の報告を脳裏で反芻させていた。

「……少女が一人でだと? あり得ん。だが……」

 万が一。

 万が一、その話が本当だとしたら。

 少なくない目撃証言があるのだ。単なる見間違いだと無視してしまうには、証言の数が多過ぎた。

「念のため、探らせておくか」

 そう決断したカムリは先程とは違う部下を呼び寄せると、その少女について詳しく調べるように命じた。




 宿で少しばかり休息を取り、再び宿の外へと出たレグナムは、カミィを連れて先程通った道をもう一度歩く。

「どこへ行くのだ? 何か美味いものがある所か?」

「緑神神殿だ。さっきの魔獣騒ぎで怪我人も出たはずだからな。当然、怪我人は神殿へと運ばれるだろう」

 この世界において、神殿は神へと祈りを捧げるのと同時に、様々な知識──学術的なものではなく、生活に必要な読み書きや計算──を教えたり、怪我人や病人の手当てや治療を行う場所でもある。

 今日の魔獣騒ぎで怪我を負った者は、当然各神殿に運び込まれているはずなのだ。

「この街の緑神神殿には代行者がいるからな。特に怪我の酷い者はそこに運び込まれているに違いない」

「それで? 貴様はその怪我人が運び込まれている神殿へ行って、何をするつもりなのだ?」

「何かをするのはオレじゃねえ。おまえだ」

 レグナムにびしりと指先を突きつけられ、カミィは理解不能といった感じで彼を見返した。

「我輩が? 我輩が一体何をするというのだ? そもそも、我輩は緑の小僧の神殿なぞには行きたくないのだ」

 彼女の言う「緑の小僧」が何を指しているのか理解したレグナムは、その余りの不遜さに顔を顰めるが、それでもそれ以上は何も言わなかった。

 それよりも、彼がカミィを同行させた目的の方を説明してやる。

「さっきも言ったが、神殿には怪我人がいる。その怪我人を癒してやって欲しい」

「なぜだ? 怪我人の中に、貴様の知り合いでもいるのか?」

 カミィのその言葉に、今度はレグナムが理解不能な顔をする番だった。

「もしかして、貴様は知り合いでもない赤の他人の怪我を、我輩に癒させるつもりだったのか? なぜ、貴様がそこまでする必要があるのだ?」

「い、いや……怪我をしている奴がいて、それでその怪我を治すことができる力があれば……その怪我を治してやるのが普通じゃ……ない……のか?」

 レグナムは自分で言っていて段々と自信がなくなってきた。

 怪我人がいて、その怪我を癒す力がある。ならば、その怪我を癒してやるのは普通の事。それがレグナムの考え方と捉え方だ。

 しかし、それ故に自分がお人好しだと呼ばれていることもまた、彼は知っている。

 いつの間にか、彼はこの少女も自分と同じ考えをしているような気がしていた。

 なぜそう思うようになったのかは、彼にも分からない。頭の片隅でそんなことを考えている間も、カミィの言葉は続いていた。

「それに、今の我輩では怪我を治すには、怪我をした場所を舐めねばならんのだ。正直、見ず知らずの人間の身体を舐めるのは嫌だぞ」

 確かに、他人の身体を舐めろと言われれば、例えそれが治療行為であったとしても抵抗を感じるだろう。

 レグナム自身、どこの誰とも知れない者の身体を舐めろと言われれば、全力で拒否するに違いない。

「だ、だけどよ、おまえはオレの怪我を治してくれたじゃねえか? どこの誰とも知れない、見ず知らずのオレを……」

「うん、そうだな。でも……どうしてだろうな? 貴様の怪我したところを舐めるのはそんなに嫌だとは思わなかったのだ」

 我輩にもよく分からないのだ、と言いながら、カミィはいつものように花が咲くような笑顔をレグナムへと向けた。

 そして、そう言われたレグナムは。

 目の前の少女が、どこの誰とも知れない男の身体に舌を這わせている光景を想像して。

 なぜか。

 なぜか、とても我慢できないほど嫌な気持ちに陥った。

「う……ま、まあ……嫌だって言うことを強制するつもりもないし、そんな権利もねえけどよ……取り敢えず、緑神神殿までは一緒に行ってくれ。おまえに会わせたておきたい奴もいるしな」

 レグナムは、旧友であり緑神神殿の最高司祭の顔を思い浮かべながらそう言った。

 この少女のことを、あの男に一度紹介しておくのもいいだろうと思いながら。

 だが、後にレグナムはこの決断を後悔することになる。

 カミィを緑神神殿へと連れて行かなければ、この後の騒動は起きなかったのだから。

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