第7話 邪神の囁き
レグナムは、最近出会った神を自称する少女に関して、彼女が何らかの超常的な力を宿していること。そして、あまりにも浮き世離れしていることなどをイクシオンに語って聞かせた。
「……その少女が特別な力を宿していることは理解した。それで? おまえは何を俺に聞きたい?」
「オレがおまえに尋ねたいことは二つ。まず一つめは、最近どこかの神殿の巫女が行方不明になったなんて事件はなかったか?」
レグナムの言う「巫女」とは、極めて強い「神の息吹」を先天的もしくは後天的に授かり、神殿の最奥で神と同列に遇される存在のことである。
因みに、そのような存在はその性別に拘わらず男でも女でも「巫女」と呼ばれる。この理由には諸説あるが、極めて強い「神の息吹」を授かった者は、人間を超越した存在であるとされ、そこに性別は意味がないとされる説が最有力だ。
レグナムのこの問いに、イクシオンは腕を組みながらソファの背もたれへとその身体を委ねた。
「少なくとも、俺はそんな報告は受けていないな」
「そうか……では、あいつは巫女ではないのか?」
「どこかの神殿が、巫女が行方不明になった事実を必死に隠蔽しているとも限らないぞ?」
今度はレグナムが腕を組む番だった。
言われてみればその通り。神と同格に遇する巫女が行方不明になるなど、もしあったとしても神殿はその事実を隠蔽するだろう。
結局、神殿方面からカミィの正体に関する情報は掴めそうもない。
レグナムはそう判断を下した。
「それで? もう一つは何を聞きたい?」
カミィの正体に関して色々と考えを巡らせていたレグナムは、イクシオンの言葉に我に返って改めて口を開いた。
「……金の聖痕を与える神について、何か心当たりはあるか?」
「金の聖痕……だと? もしかして、おまえの言うその少女には金の聖痕が現れているのか?」
レグナムはカミィのどこか妖しい金色の瞳を思い出しながら、イクシオンの言葉に無言で頷いた。
ラリマーの港には、数多くの船舶が係留されていた。
その殆どは遠洋の航海にも耐えられる帆船であるが、中にはガレー船もちらほらと見受けられる。
辺りは船員や船の積荷を揚げ下ろしする人足で溢れ返っており、そんな中でその小柄で可憐な姿は極めて目立っていた。
淡い草色に染めた長袖の
下半身は、丈の極めて短い茶色い
だが、その足は膝下で
見た目十五歳前後の、長い黒髪のとても美しい少女。
その少女はその辺の屋台で買ったと思しき串焼きを頬張り、残る片手で上着の襟元や脚半の裾をしきりに弄りながら一人で港を歩いていた。
「やはり、人間の衣は窮屈なのだ。こんなのを着るぐらいなら裸の方が余程マシなのだが……裸でいるとレグナムが怒るのだ……」
ぶつぶつと呟きながら歩く美しい少女を、港の男たちは様々な感情の篭もった目で見詰め、手近の者とひそひそと囁きを交わす。
「何だ、あの別嬪は? どこかのお偉いさんのご令嬢か?」
「いや、ご令嬢なら一人きりってわけがないだろう。第一、あの出で立ちは傭兵のようだぞ」
「馬鹿言え。あんな細っこい腕や足で傭兵が務まるかよ。それに武器らしき物も持っていないじゃねえか」
「こ、声、かけてみるか……?」
「止めとけって。あんな美人が一人でこんな所を歩いているなんて絶対おかしい。きっと、あの娘の後ろにはおっかない兄さんたちがいるに決まっているぜ」
「ああ、なるほど。あれは『釣り餌』ってわけか」
「そうそう。あの娘に声をかけた途端、『俺の女に何の用だ?』と強面の兄さんが登場するのさ」
男たちはそう囁きながらも、目だけは名残惜しそうにその少女の姿を追う。
そんな中、その少女は何かに気づいたようにその足をふと止めた。
立ち止まった少女は、その金の瞳を真っ直ぐに港の沖合いへとむける。
「…………何かいるのか……?」
少女がそう呟いたのと、それが海からのそりと這い上がって来たのは、殆ど同時であった。
金の聖痕ねえ……と呟きながら、イクシオンは再び腕を組んで宙を仰ぎ見る。
しばらくそうして視線を宙で漂わせていたイクシオンは、やがてその視線をレグナムの顔へと引き戻した。
「生憎と俺は知らないな。少なくとも、『
「では、他の
「俺がいくら『緑神』の最高司祭とはいえ、『緑神』以外の神々の従属神全てを知り上げているわけではない。おまえも知っている通り、俺は神官としての知識と経験はまだまだ浅いからな」
ではなぜ、自ら未熟と認めるイクシオンが僅か数年で最高司祭という地位まで登り詰めたのか。
それは
神々よりその力の一部を授かり、神々に代わってその力を人々のために振るう。
故に、イクシオンたちのような存在を「代行者」と呼ぶ。
代行者や聖別者たち、いわゆる聖人は神々と近しく、時に神々の声を聞くことがある。
代行者となったイクシオンも、その後に何度となく『緑神』の声を聞いた。それを信者たちに伝え、時に神より授かった「神の息吹」を用いてきた。
神々と近しい彼らの言葉は、他のどんな神官や司祭よりも重んじられる。その結果、彼は最高司祭という地位にまで登りつめたのだ。
「うーん……益々、あいつの正体が分からなくなってきたなぁ」
先程のイクシオンのように、ぼんやりと宙に視線を漂わせるレグナム。
「もしかすると、その少女は複数の神々の祝福を受けているのかもしれんな。おまえも聞いたことぐらいはないか? ただでさえ数が少ない聖人だが、中には複数の神より祝福を受けた者もいる。その時、瞳に現れる聖痕は祝福を与えた神々の色彩を合わせたものとなる」
例えば、とイクシオンは続ける。
『
イクシオンはレグナムの言うその少女が、複数の神々から祝福を受けた結果、金の聖痕が現れたのではないかと言っているのだ。
「……なるほど。その可能性もあるか……」
レグナムもまた、改めて考えてみる。
カミィの癒しと人間離れした身体能力は、別々の神から授けられた「神の息吹」ではないのか。その結果、彼女の瞳には金の聖痕が現れている。
そう考えれば、色々と辻褄が合うのは確かだ。
もっとも、仮にそうだとしても、どのような神々が彼女に「神の息吹」を与えたのかまでは分からないのだが。
「となると、緑神神殿以外でもあいつの直接の手がかりはなさそうだな」
「おそらくそうだろうな」
肩を落とし、ふうと溜め息を吐くレグナムを、イクシオンは苦笑を湛えながら見詰めていた。
「それからレグナム。できれば、その少女にはあまり自分が神だとか言わせないほうがいい」
眉を寄せて疑問を現すレグナム。彼らの間には、この程度で意志のやり取りができる絆があった。
「この国の人間は……いや、この世界の人間は、良くも悪くも敬虔だ。この世界は神の恩恵篤き世界だから」
レグナムも、イクシオンが何を言わんとしているのかを理解した。
自分が神だという少女。そう聞かされて、それを冗談だと思ってもらえれば問題はない。
だが、その言葉を真面目に受け取る人間も中にはいるだろう。その場合、真面目に受け取った人間はどのような反応を示すのか。
中には彼女を神として崇める者もいるかもしれないが、殆どの場合は彼女のことを「神を詐称する不届者」として扱うだろう。
そうなった場合、彼女がどのように扱われるのか考えるまでもない。
「分かった。これからは俺も注意する」
「分かればいいさ。しばらくはこの街にいるのだろう? 何かあればいつでも来るといい。力になろう」
腰を上げたレグナムに合わせ、イクシオンもまた立ち上がる。
「じゃあ、オレは行くぜ。あまりあいつを一人にしておくと、何しでかすか分かったもんじゃない」
「ははは。面倒見のいいのは相変わらずだな」
最後にもう一度握手を交わすと、レグナムはイクシオンの部屋から出て行った。
彼の姿が扉の向こうに消え、立ち去る足音が完全に消え去ると、イクシオンは疲れたようにどさりとソファに再び腰を下ろした。
彼はレグナムに嘘をついていたのだ。
もしかすると、レグナムも彼が嘘をついている事に気づいたかもしれないが、彼が敢えて言わないことをレグナムも聞こうとはしないのだろう。
本当の事を言えば、イクシオンには金の聖痕について、僅かではあるが知識があったのだ。
だが、その知識はおいそれと他人に話していいものではなく。
その知識は、イクシオンのような神殿の最高司祭や各国の国王などの組織の頂点に立つ者か、その側近などの近しい者だけに伝えられてきたもの。
それは。
金や銀、銅や鋼などの金属の色彩を帯びた神々は確かに存在する。しかし、それらの神々は五彩大神とは対極に位置する、邪なる神々であるとイクシオンは伝え聞いていた。
現れた聖痕を隠したり、誤魔化したりするのは難しい。
聖痕は必ず瞳に現れる。その瞳の色を誤魔化す方法は殆どないからだ。
仮に邪神の聖痕を瞳に持っている者がいるとしよう。しかし、その者が必ずしも邪悪であるとは限らない。
全ての聖人が神々の教えに忠実ではなく──先天的な聖別者にこの傾向が多く見られる──、時に私利私欲のためにその「神の息吹」を用いることがあるように。
「邪神の囁き」を宿しているからといって、その人物がすべからく邪悪というわけではない。
しかし、その身体に「邪神の輝き」を宿した者がいれば、その周囲の者たちは心安らかではいられないだろう。
要らぬ不安などからその者を排斥したり、最悪の場合はこっそりと闇に葬られる可能性もある。
「邪神の囁き」を宿した者と、その周囲の者たち。
双方の安寧を守るため、邪神の聖痕に関する情報は秘匿情報とされているのだ。
「気をつけろよ、レグナム……おまえが出会った少女……「神の息吹」ではなく「邪神の囁き」を宿しているのかもしれない」
その少女の「邪神の囁き」が、レグナムをも巻き込んで不幸を呼ぶかもしれない。
心配そうに小さく呟いたイクシオンの言葉は、当然誰に聞かれることもなく宙へと消えていった。
レグナムは呆然とした。
緑神神殿を辞し、この街での拠点として確保した宿屋へと戻って来たレグナムは、カミィが待っているはずの部屋の扉を開け、中に彼女の姿がないと知って思わず呆然としてしまった。
「緑神神殿へ向かう前に、あれほどここで大人しく待っていろと言っておいたのに……」
片手で顔を覆い、そのまま天を仰ぐレグナム。
ただでさえ目立つあの美しい少女が、一人で出歩いて何か問題を引き起こさないわけがない。
「あいつ、治癒や身体能力だけじゃなく、不幸を呼び寄せるような能力まで持っているんじゃないだろうなっ!?」
仮に本当に持っていたとしたら、その能力は彼女自身ではなくレグナムに向けて作用しているに違いない。
レグナムは舌打ちを一つ打つと、乱暴に部屋の扉を閉じて踵を返して走り出した。
──何か問題を起こす前にひっ捕まえる!
そう決心し、レグナムは再び宿屋を飛び出した。
しかし、彼は知らない。
既にこの時、彼女が問題ごとに巻き込まれていることを。
幸か不幸か、この時のレグナムはまだ知らなかったのだ。
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