第4話 ほっとする匂い
その日の夕暮れ時。
カミィとレグナムの二人は、当面の目的地である宿場町に到着した。
結構大きな宿場町だけあって宿屋の数は多いが、レグナムはカミィを連れてとある宿屋へと迷うことなく向かう。
レグナムが慣れた様子で宿屋の扉を開ければ、中からは酒と料理のいい匂いと賑やかな喧騒がどっと押し寄せてきた。
「いらっしゃあああいぃん」
それと同時に、野太く間延びした声も響く。
声にした方をカミィが見ると、そこには派手な化粧を施した昼間見た山賊の頭領に負けない巨漢が、肌も露な扇情的な──少なくとも、一般的な女性が着れば十分扇情的である──真紅のワンピースを纏ってくねくねと身体をくねらせていた。
「あぁぁぁら、レグナムちゃんじゃなぁい? お久しぶりねぇん。相変わらずイ・イ・オ・ト・コ」
くねくね。くねくね。くねくね。ちゅば。
宿屋のカウンターの向こうで、巨漢が不気味な踊りを踊る。因みに、最後の「ちゅば」は、男がレグナムへと向けて飛ばした投げキッスだ。
「ああ。久しぶりだな、アリオン」
「本当よねぇん。レグナムちゃんったら、ワタシの気持ちを知っているくせにずーっと会いに来てくれないんですものぉ。本当に憎い人ねぇん」
薔薇色に染めた頬に両手を当て、くねくねと腰を振る巨漢。
その存在に、カミィは思わす目を白黒させる。
「むぅ……れ、レグナム。この珍妙な生き物は何だ? 我輩はこのような珍生物は初めて見るのだ……」
レグナムはカミィの反応に苦笑を浮かべながらも、内心では感心した。
この男を一目見て、そのまま逃げ出さない者は極めて少ない。中にはその場で失神する者もいる。
それなのにカミィはこの男を見て少々の驚きを浮かべただけ。どうやら彼女は戦闘力だけではなく、精神までも強靭のようだった。
「こいつはアリオンと言ってだな、昔の傭兵仲間さ。傭兵の仕事中に怪我を負って傭兵は引退したが、今ではこうして宿屋の主に収まっているんだ。まあ、なんだ。見た目はアレだが、これで悪い人間ではないから安心してくれ」
このアリオンという元傭兵、以前はその巨体が示す通りの豪放磊落な性格の男だったのだが、とある仕事中にその男性器に再起不能な怪我を負い、その衝撃で心が「女」になってしまったという経歴の持ち主である。
だが以前同様に義理堅く面倒見もいいので、レグナムはこの宿場町に泊まる際は必ず彼の店で泊まるのを習慣としていた。
レグナムが背後のカミィにそんなことを説明していると、そのカミィを見たアリオンが突然素っ頓狂な声を上げる。
「いっっやあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!! なんて可愛らしい
巨体を覆う扇情的なワンピースの裾を持ち上げ、悔しそうにそれを噛みしめるアリオン。
当然持ち上げられた裾の中身が露になるが、彼はカウンターの向こうにいたため、レグナムたちが捲られた裾の中を目撃するようなことはなかった。
実に幸いなことである。
「おまえの言う『熱い一夜』とやらは、数年前に魔獣に襲撃された村を巡った徹夜の攻防戦のことだろうが! いらん誤解を招く言い方をするんじゃねえ!」
宿の一階に併設されている食堂兼酒場には、レグナムたち以外にも客の姿がある。
そんな客たちに意味深な視線を向けられて、レグナムは慌てて誤解を解くべくアリオンの言葉を全力で否定した。
「それで? あのお嬢ちゃん、どういったワケありなの?」
アリオンは、カウンターに腰を下ろしたレグナムの前に彼の好みのエール酒が満たされた木製のジョッキを置きながら、彼が連れていたカミィという名の美しい少女について改めて尋ねた。
現在、そのカミィはと言えば、客室にアリオンが湯を運び入れ、ご所望だった湯浴みの真っ最中である。
そして尋ねられたレグナムは、アリオンが信頼できる人物であることもあって今日起きたことを全て正直に伝えた。
「ふぅん。神を自称する少女ねぇ。確かにあの娘の美しさは人間離れしているわねぇん」
「それだけじゃないぞ。あいつの筋力や跳躍力といった身体能力、それに俺の傷を癒した『神の息吹』……只者じゃないのは確かだ」
今日あった一連の出来事を思い出し、レグナムは改めてカミィのことを考える。
「まさか、本当にあいつが神だなんてことはないと思うが……もしかすると、どこかの神殿の奥で大切にされていた極めて強い祝福を受けた聖別者……巫女かもしれないな」
「そうねぇ。レグナムちゃんの言う通りだとすれば、その可能性も高いわねぇ。となると、今度はどうして神殿の巫女様が、平原のど真ん中に一人でいたのかってことが問題になるわねぇん」
しかも
レグナムも、さすがに出会った時のカミィの姿まではアリオンに話していない。
「これからレグナムちゃんはどうするつもり?」
「とりあえず、ラリマーまでは一緒に行くさ。お互い一緒の目的地だからな。ラリマーで神殿を幾つか巡って、あいつの手がかりになりそうなことを探すつもりだよ。それに、ラリマーにはイクシオンもいるしな」
「あらあらん。相変わらず面倒見がいいわねぇん」
茶化すようなアリオンの言葉に、レグナムは放っておけと憎まれ口で応える。
レグナムは、顔見知りの傭兵仲間たちからよく面倒見がいいだの、人がいいだのと揶揄されることがある。しかし、そのことは彼自身も自覚しているのだ。
剣を振らせれば並び立つ者はなく、《剣鬼》という異名を持つほどの凄腕の傭兵。
それでいて情に脆く、お人好しなところがある青年。それがレグナム・スピアーノという人物だ。
取り立てて美形というわけではないものの、平均以上には整った顔とその性格から、彼は傭兵仲間や顔見知りたち、そして付き合いのある娼婦などに意外と人気がある。
「でも、レグナムちゃんが一緒なら、あの娘も安心ってものよねぇ。何と言っても《剣鬼》が護衛についているんですものぉ」
「下手すると、あいつの方が強いかもしれないがな」
レグナムとアリオンは互いに楽しそうに笑い合う。
二人は傭兵時代から妙に気が合い、二人一緒に仕事を請け負うことも多く、気づけば二人の間には友情が芽生えていた。その友情はこうしてアリオンが傭兵を引退した後も変わりなく続いている。
そのことが嬉しくて微笑むレグナム。エール酒を喉に流し込んだ彼の耳に、湯浴みを終えたらしい噂の姫君の声が響いた。
「なんだ、こんなところにいたのか? ん? それは酒か? 美味いのか? 美味ければ我輩にも寄越すがいいのだ」
その小さくて可憐な口からぽんぽんと飛び出す幾つもの言葉。
それらの言葉に苦笑しながらもカミィへと振り向いたレグナムは、思わず口にしていたエール酒を盛大に吹き出した。
いや、彼だけではない。アリオンを始めとした、宿の一階に居合わせた全員が目を点にして彼女を見ていた。
なぜなら。
なぜなら、カミィがまたもや素っ裸でレグナムたちの前に現れたからだ。
「おおぅ、これは美味いのだ!」
腰に手を当て、茫然自失のレグナムからジョッキを奪い取り、ごっきゅごっきゅと豪快にエール酒を一気飲みするカミィ。
ジョッキの中のエール酒をすべて飲み干し、ぷはあっと親父臭く息を吐いたところで、ようやくレグナムが我に返った。
「ば……っ!! 馬ッ鹿野郎っ!! 何て格好で現れやがるっ!!」
レグナムは素早く全裸のカミィを横抱きにして抱えると、そのまま足早に上階の客室へと走り出す。
その後ろ姿に、こっちもようやく我に返ったアリオンが呆れたように呟いた。
「……本当、面倒見のいい男ねぇん」
客室へ駆け込み、足で器用にドアを閉めると、レグナムは抱えたカミィを寝台へと乱暴に放り投げた。
「きゃん」
可愛い悲鳴を上げるカミィ。だが、レグナムはそれを無視して一方的に怒鳴り付ける。
「何考えてやがるっ!? ただでさえ目立つ姿してるってのに、人前に裸で出る奴があるかっ!?」
だが、カミィも負けてはいなかった。
「仕方がないのだっ!! 我輩には着る衣などないのだからなっ!! 貴様が用立てたあの衣なら二度と着ないぞ! あんな着心地が悪くて臭い服、断じて神たる我輩が着るべきものではないのだっ!!」
「ああ、そうかい! だったら明日の朝一番でおまえが気に入った服を買ってやる。それまではこれでも羽織っていやがれっ!!」
そう言って、レグナムは愛用の外套を彼女の頭から被せた。
しかし、カミィはそれさえもぽいと横へ放り投げてしまった。
「これも臭い」
カミィは外套に染みついている、酸っぱい臭いにその美麗な顔を不快そうに顰める。
「おまえがその臭いを付けたんだっ!!」
反射的に怒鳴り返し、はあと溜め息を吐いたレグナムは、自分の背嚢を漁って着替え用の
「だったら、俺の服を着ていろよ。これも嫌だなんて言いやがったら、もう明日になっても服なんて買ってやらねえからな!」
「むぅ……仕方ないのだ……ん?」
カミィは投げ渡されたレグナムの服を受け取ると、何を思ったのかぽすんと彼の服に顔を押しつけた。
「な、なななな、何をしているのですか……?」
カミィの突然の奇行にまたもや逆に頬を赤らめたレグナムは、なぜか畏まった口調でその理由を尋ねる。
対してカミィはと言えば、しばらく彼の服に顔を埋めたままでいたが、やがて顔を上げるとにっこりとその美貌を更に輝かせた。
「うむ。この服なら悪くない。確かにこの服にも匂いはあるが、これはなぜか心が落ち着くほっとする匂いなのだ。ああ、そうか。これはレグナムの匂いなのだな。貴様の匂いは悪くないのだ」
「な……? な、ななな何を……………っ!?」
突然、何かとんでもないことを言い出した美貌の少女に、レグナムは面食らって赤面する。
「こんな服を持っていたのなら、どうして最初からこの服を我輩に着せなかったのだ?」
カミィは上目使いでレグナムを睨み付ける。
この時、レグナムは彼女がまだ裸でいることに改めて気づき、赤くなっていた顔を更に赤くするとばたばたと無言で部屋から飛び出して行った。
残されたカミィはこくんと首を傾げると、彼が飛び出して行った後の扉を不思議そうに見詰めていた。
がたんごとんと大きな騒音と共に、上階の客室へと続く階段を何かが転げ落ちて来た。
驚いたアリオンと他の客たちが階段を覗き込めば、階段の一番下の所にレグナムが無様にすっ転がっていた。なぜかその顔色はとても赤かったが。
「…………何やっているのぉん、レグナムちゃん?」
「…………放っておいてくれ…………」
すっ転がり、赤い顔のまま、レグナムは憮然と言い放つ。
そして彼は何とか身体を起こして立ち上がると、再び先程のカウンターへと腰を落ち着けた。
「何かあったの?」
「何もねえよっ!! それより飯くれ、飯! オレは腹が減ってんだっ!!」
どんどんとカウンターを叩いて催促するレグナムに、アリオンは肩を竦めると厨房の奥へと引っ込んだ。
やがて厨房の奥から何ともいい匂いが漂ってくると、しばらくして料理を携えたアリオンが戻って来た。
「はぁい、お待たせぇん。レグナムちゃんの大好物、沼牛の香料焼きよぉん」
沼牛の香料焼きと聞いて、それまで不機嫌だったレグナムの顔が一気に輝いた。
沼牛とは名前の通り湿地帯に棲息する凶暴な動物の一種である。沼牛は魔物や魔獣ではなく単なる野生動物なのだが、その凶暴さゆえにその肉を手に入れるのは容易ではない。
だが、この店に限っては事情が違っていた。
なぜなら、この宿場町の近くには沼牛が多数棲息する湿地帯があることに併せて、店主であるアリオン自身が沼牛を直接狩ってくるからだ。よって、ここでは他の店では考えられないような低価格で、沼牛の肉を使った料理が振る舞われてちょっとした名物になっている。
「こら、レグナム! どうして貴様は我輩を放っておいて、一人だけこんな美味そうな食事をしておるのだ! アリオンとやら、我輩にも同じ物を寄越すがいいのだ!」
レグナムが好物に舌鼓を打っていると、彼の服をぶかぶかに着こなしたカミィが降りて来た。そして、ちゃっかりと彼の横の席を占領すると、アリオンにレグナムと同じ料理を注文する。
レグナムが食べている料理を、まるで涎でも垂らしそうな勢いでじーっと見詰めるカミィと、そんなカミィに手元を見詰められてなぜか顔を赤らめるレグナム。
アリオンはそんな二人を見比べると、にやにやと意味深な笑みを浮かべると注文された料理を準備するため、再び厨房へと引っ込んで行った。
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