第2話 神と傭兵


 焦茶色の髪の青年と山賊の頭領が見詰める先で、神を名乗った少女はその裸の身体を惜しげもなく明るい陽光に晒しながら、堂々と立っていた。

 長く真っ直ぐな漆黒の髪が、風にそよと揺れる。

 程よく膨らんだ胸の双丘も、その頂にそっと息づく可憐な果実も。更には下腹の叢までも堂々と晒していながら、恥じらう素振りも見せないその少女。

 きゅっと細い腰に美しい曲線を描く尻。そしてその尻から足へと続く稜線は、眩しいほどに美しい。

 そして何よりも、その恐ろしいまで整った美貌。

 ぱっちりとした金の瞳と、すらっと通った鼻梁。そして薄桃色の花びらのような唇。

 それらは神の造形と言われても納得できるほどの美を、この少女に与えていた。少なくとも、その点だけはこの少女が神であると言う言葉をすんなりと信じられるかもしれない。

 そして少女は、小柄で幼い顔つきながらも圧倒的な威厳のようなものを白い裸身から溢れさせていた。

「………………………………………………神?」

 思わず零した青年の呟きを、耳聡く拾った少女は「如何にも」と鷹揚に頷いた。

 その際、胸の双丘がぷるんと可憐に揺れたのを、青年の目は見ていた。見えてしまった。

「おいおい。何が神だよ? 姉ちゃんは狂人の類か? 真っ昼間っから素っ裸でよぉ。ホント、姉ちゃんみたいな別嬪が勿体ねえ。まあ、そこの兄ちゃんと一緒に売っ払っちまうんだから、狂人だろうが何だろうが構わねえがな」

 下卑た視線を少女の全身に這わせつつ、山賊の頭領が舌舐りをする。

 確かにこれほどまでに美しい少女ならば、例え昼間っから裸で出歩く狂人であろうとも高値で売れるだろう。そして、その売値以上の金を出してでも、手に入れようとする者が続出するだろう。

 青年がそんな事を考えていると、少女の可憐な唇から更なる言葉が漏れて零れた。

「して、貴様たちが争う理由は何なのだ? この場は神である我輩がきっちりと白黒つけてくれるのだ」

 両手を腰に当て、全裸で仁王立ちする少女。

 その顔には不敵な笑みが浮かび、青年と頭領を代わる代わる見比べる。

 そんな少女に、山賊の頭領は呆れたように肩を竦めた。

「あのなぁ、姉ちゃん。俺たちは見た通り山賊だ。山賊が街道を歩いている旅人を襲うのは当然だろ? 争う理由もなにもない。言ってみれば、それが俺たちの仕事なんだよ」

 頭領は、身体を隠そうともしない少女を改めてしげしげと見詰めた。

「しっかし、本当にいい女だな、姉ちゃん。いっそのこと、俺の女にならないか? そうするなら、奴隷として売り飛ばさないでおいてやるが?」

 だが、少女は頭領の言葉などまるで聞く様子もなく、じっと青年を見詰めていた。

「そこの貴様。こっちの男はそう言っているが、相違ないか?」

「ああ。あいつらは山賊。オレはその被害者。この傷を見れば一目瞭然だろ?」

 そう言って、青年は左腕の傷を少女に見せた。腕の傷は結構深く、大量の血が今でも滴り落ちている。

 だが、少女はそんな酷い傷口を見ても、その美しい眉をぴくりとも動かすことはなかった。

 それどころか、彼女は再び何か考え事をしているらしく、顎にその白い繊手を当てて俯いている。

 やがて顔を上げた少女は、再びぽんと手を打ち鳴らす。

「ふむ、分かったぞ。つまり、そっちの髭ヅラは悪人なのだな?」

「まあ、確かに俺らは山賊よ。悪人っちゃあ、悪人だな」

「山賊なら悪人以外の何者でもないだろうが」

 少女の言葉に青年と頭領がそれぞれ応えた途端、少女の身体は白い稲妻と化した。

 どごん、という大きな音が青年の耳朶を打つ。

 反射的に青年が音がした方へと振り向けば、そこには頭領のどてっ腹にその小さな拳を突き刺した少女の姿。

 少女の拳は深々と頭領の腹に突き刺さり、その衝撃で頭領は思わず舌を吐き出しながら悶絶している。

 山賊の頭領は、同世代の男性よりも長身である青年よりも更に頭半分高い巨漢だ。体つきの方もそれに見合って横幅もあってがっしりしており、少女と見比べるとまさに大人と子供ほどの体格差がある。

 それでいて尚、少女の拳は頭領に大きな打撃を与えていた。

「うが……げ……ぼぉ……」

 頭領の口から涎と胃液が吐き出されて、少女の白い背中を汚す。

「うわあっ!! 気持ち悪いのだっ!!」

 少女は背中を濡らしたものが何かを悟り、慌てて頭領の身体から離れる。

 途端、支えを失った頭領の身体がどさりと大地に倒れ込む。

 その光景をあっけに取られる思いで見ていた青年。そんな彼に、少女は無遠慮に近づくと強引に彼が纏っていた旅用の外套を剥ぎ取った。

──ようやく裸でいることが恥ずかしくなったのか?

 そう思った青年は、苦笑を浮かべながらも少女にされるがままでいた。

 彼としても、このような美しい少女を往来のど真ん中で裸のままでいさせることは気が引けたのだ。

 少女は青年から奪った外套で身を包むと、その中でもぞもぞと蠢いている。

「何をしているんだ?」

 青年の問いかけには一切反応せず、外套の中でもぞもぞと動いていた少女は、やおら外套を再び脱ぎ捨てるとそのまま青年へと外套を突き返した。

 にっこりと微笑む少女。

 困惑する青年。

 青年は、目の前の少女の笑顔──意識してその眩しいばかりの裸体は見ないようにした──と、突き出された自分の外套を何度も見比べる。

 どうやら、少女は青年の外套で背中の汚物を拭き取りたかっただけらしい。

 差し出された外套を、青年が顔を顰めながらも受け取ろうとした時。

 外套がはらりと力なく地面へと舞い落ちた。




 突然、山賊の頭領が苦悶の表情のまま起き上がり、手にした戦斧を少女へと叩きつけてきたのだ。

 それに気づいた青年が少女を突き飛ばそうとするが、足に受けた矢傷が彼の行動を阻害した。

 激痛にがくりと膝から力が抜ける。

 思わずつんのめる青年の目の前で、巨大な戦斧が少女の華奢な身体を両断せんと迫る。

 青年は少女の華奢な身体が上下に両断される様を幻視した。

 だが。

 頭領が振るった戦斧は、少女のその繊手にてぴたりと受け止められていた。

 山賊の頭領が愛用している戦斧は、その巨体に見合った大きな物だ。それこそ、ヒグマでさえ両断できそうなほどに剣呑である。

 その戦斧を、少女の小さな手が受け止めている。それも片手でだ。

 青年は思わず目を見張った。いや、青年だけではなく、頭領もまた驚きを露にしている。

 少女は相変わらず全裸だ。鎧も着ていなければ楯も所持していない。

 寸鉄も帯びていない全くの素手の掌で、少女は戦斧を受け止めたのだ。

「お、おまえ……化け物か……?」

 震える声が頭領の口から零れ出る。

「化け物とは心外な。言ったはずなのだ。我輩は神である、と」

 特に表情も変えずに言う少女。彼女はその形の良い足を振り上げると、両足の奥の秘密の花園が露になることを厭うこともなく、回し蹴りの要領で頭領の巨漢を2ザーム(約6メートル)ほど吹き飛ばした。

 そしてそのまま大地に伏した山賊の頭領は、今度こそ起き上がってくる様子は見られない。

「ふん、神の慈悲だ。手心は加えたのだ」

 ぱんぱんと手を払いながら、少女は地面に落ちた外套を拾い上げると、改めて青年へと差し出した。

「ところで、この辺りに水場はないか? このようなぼろ布で拭っただけでは、どうにも背中が気持ち悪くて適わん。沐浴がしたいのだ」

 少女がぼろ布と呼んだ外套を、青年はぴくぴくと眉を痙攣させながらも受け取る。

 彼が長年愛用してきた外套には、異臭を放つ真新しい沁ができていた。




「オレの名前はレグナム。レグナム・スピアーノだ。見た通りの傭兵家業だな」

 次の宿場町へと向かいながら、青年──レグナムは例の少女に自分の名前と職業を伝えた。

 生憎と少女が希望したような水場はこの辺りにはなため、渋る少女を宥め賺し、程近い次の宿場町まで一緒に行くことにしたのだ。

「で、おまえさんの名前は? なんだってあんな所に素っ裸でいたんだ?」

 自分の隣を歩く、神と名乗った少女。彼女は今、先程のような全裸ではない。先程彼女が倒した山賊からはぎ取った衣服を着ている。

 とはいえ、小柄なこの少女の身体に山賊たちの衣服が合うはずもなく、袖やら裾やらを折り曲げ、ぶかぶかなのを強引に着ている状態だ。

 あんな平原のど真ん中に、昼間っから全裸でいたのだ。自分同様に野盗にでも襲われて、身包み剥がされた上で「商品」として捕らえられたのではないだろうか。そして、野盗の隙を見て連中のアジトから逃げ出してきたといったところ。

 それが青年の予測である。

 しかし、少女が口にした返答は、青年の予測とはまるで違うものだった。

「さっきも言ったはずだぞ? 我輩は神である。名前はまだないがな」

 あくまでも自分が神だと言い張る少女に、レグナムは閉口するしかなかった。

 しかし、先程の山賊相手に見せた彼女の戦闘力。確かにあれは人間とは思えないほどのものであった。

 だからと言って、神だという彼女の言葉を、はいそうですかと信じることはレグナムにはできないが。

「じゃあ、どこから来たんだ? 突然現れた時は、確か俺の右手の方からだったと思ったが……」

 レグナムの視線が右へと流れる。

 そこには、「フーガの迷い森」と呼ばれる広大で深い森が延々と続いていた。

 言い伝えによれば、この森の中心には邪神の祝福である「邪神の囁き」を受けた人物が永遠の眠りに陥っており、その邪神の力の影響でこの森に棲息する生き物は歪みを帯びると言われている。

 「邪神の囁き」とは、文字通り邪神の力の影響を受けた物や土地、人物を指す。「邪神の囁き」が存在する周囲では、土地や空気、人の心が歪むとされ、そこからは魔物が生じるという。

 今、レグナムたちの右手に広がる「フーガの迷い森」もまた、そんな「邪神の囁き」に侵された場所であり、森の中には邪神の力の影響で歪んだ生物──魔物や魔獣が多数棲息していることで有名な魔境である。

 だが、どこから来たのかと問われた少女は、こともあろうにそんな「フーガの迷い森」を指差した。

「我輩がふと気づいたら、あの森の中にいたのだ。で、何やら物音が聞こえたので、そちらに向かったら貴様らが争っておったというわけだ」

「ふ、『フーガの迷い森』から来ただとぉ?」

 彼の森は迷い森という名称通り、奥へ入り込むと二度と抜け出せないと言われている。

 その理由は森の魔物に襲われるからだとも、森自身が侵入者を逃がさないようにするからだとも言われているが、その真相は霧の中ならぬ森の中。なんせ森の奥から生きて戻った者は皆無なのだから。

 そんな森の中から現れたという少女。これまた俄には信じられるはずもない。

「い、一体、どうやって森から抜け出したんだ?」

「跳び越えたのだ」

「と、飛び越えただぁっ!?」

「そうだ。こう、ぴょーんとな」

 少女がその場で軽く跳躍すると、その小柄な身体は空高く舞い上がった。その到達距離はどう少なく見繕っても、3ザーム(約9メートル)は超えているだろう。

 あんぐりと口を開け、空を舞う少女を見上げるレグナム。

 そんな彼の傍らに、少女はすとんと舞い降りた。

「こうやって何度も跳躍を繰り返したら、あっという間に森の外に出たのだ。次いで周囲を見回せば、大勢の男たちが貴様に襲いかかろうとしておるではないか。これは放ってはおけんと助太刀に入ったという次第なのだ」

「そ、そうか……あ、ありがとうな」

 戸惑いながらも、レグナムは何とか礼の言葉を口にした。

「ところでレグナムとやら」

「あ? あ、ああ、何だ?」

「貴様が用立てたこのころもだが、ごわごわとして着心地が悪い上に何やら臭うぞ。脱いでもいいか?」

「………………駄目だ」

 そして、人前だろうが何だろうが平気で裸になろうとする少女。

 本当にこの少女は何者なのだろう。

 レグナムの疑問はますます大きくなっていった。

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