第10話 失われた願いと、中ボスの脅威と

 土砂降りの天気。数メートル先も見えないような雨だ。まだ五時であるが、夜のようにくらい。学校の三階の廊下で、男二人は途方にくれたかのようにいる。笹崎とその友人だ。

 笹崎は窓側を背にもたれながらしゃがみこみ、もう一人の男子生徒は窓ぶちに肘をかけて外を眺めている。そんな二人に八幡は話しかけた。


「お前らも雨があがるまでどうしようもないのか」


 二人は八幡の姿を見やると、力無さそうに「そんなとこ」とこたえた。笹崎の友人は八幡に言う。「丁度良かった。ザッキの恋愛相談にのってやってくれよ」と。

 ザッキとは笹崎の事だ。「恋愛相談?」と言えば、笹崎は独りごちるように喋りだした。


「俺、弱いんだってよ。戦うの嫌なんだってよ。何が弱いの定義なんだろか」


 話が見えないと八幡が言うが、友人が「要するに好きな人に相手にされないって嘆いてんの」と説明した。


「彼女の言う弱くない奴って、あいつなんだろな」そう言いながら笹崎は、窓から隠れながら様子を見るように、頭をひょっこり出して外を見た。

 八幡が察して、つられるように外に視線を向けた。そこでは、土砂降りの中の校庭で誰かが何かを振り回している。二人いて、もう一方も魔法を使っている。

「喧嘩!?」慌てる八幡に、笹崎は違うと言った。「長田と、誰か知らない奴が模擬戦闘してんの。つーか、アイツ、なんてやつ? ヤタと同じクラスの奴だろ?」

 言われて、初めてそこにいる奴が長田という女子生徒だということに気が付いた。もう一方の男子生徒は、八幡が何度か見たことのある人物だ。その二人は奇しくも模擬戦闘をしている。ただ、長田の相手をしている男子生徒名前は知らなかった。


「なんつーか、イキイキしてる」八幡は戸惑った。


土砂降りの中でもわかるくらいに、彼女は明るいのである。少し休憩でもしているのか、男子生徒とバーカと言い合いながらじゃれている。


「俺の時なんて、本当に死んだ目をしてるかのような、終始すわった目付きだもんな。本当に嫌われちまってる」


しょんぼりと呟く笹崎で、八幡はそう言えば「恋愛相談」と言われた事を思い出す。


「笹崎、お前もしかして、長田の事が好きなのか?」


笹崎の友人は「いまさら」と笑うのだ。周知の事だ、とも。

 八幡は驚いた。それを悟られないように、「いつからだ?」と聞けば最初かららしい。「どこに惚れた?」と聞けば「色々」と答える。


「好きだという女の子相手に殴りあうお前も大概だけどな」「お前も長田の腕、何度も折ったことあるじゃん」「事故だと言いたいけど、返す言葉も無いな。なんというか、本当に長田って、殴り合い、楽しそうにするもんな」「制する瞬間が堪らなく好きなんだそうだ」「話聞いたけど、ザッキ、中途半端な強さだから嫌だって言ってた。関節外しただけじゃ、負け認めないし、周りから手加減しろって言われ、好きなように戦えないからストレスたまるんだと」「それが原因?」「わからんけども、ザッキのこと、逃げようとしてるのは明らかだよな」


「せめて、前みたいに話ができる関係に戻りたい。ヤタ、どうすればいい? 俺と長田の接点って、模擬戦闘しかないんだ」


話を振られた八幡は戸惑った。笹崎は長田という女子生徒を嫌っているのだとばかり思っていた。しかしそれは真逆だったのだ。自分は今まで勘違いをして、かわいそうなことをしてしまったのではないか。そんな考えが浮かんだ。


「長田って、どんな奴なんだ?」


二人は、「今見えてる通りの性格」と答えた。二人が指す彼女は、雨の中でも楽しそうに動き回っている。


「それと、勉強もスポーツも万能。んで完璧と思わせながらの若干の天然ちゃん」と笹崎の友人。生気の無い笹崎だったが、「長田が天然」という言葉に反応してクスっと笑う。


「長田は天然だ。平気で勘違いするような事をするし、受け答えもおかしいな」「『付き合って下さい』をド突き合いと解釈するのはおかしいわ! 『バンテージ用意しなくちゃ』って」「前々から思ってたけど、三角絞めとかなんか柔術? あれも色々駄目な気がする」「マウントとるのも、何であんなに顔に近いところでまたがるのか。羨ましくないけど、いけない」「おい。あれ、俺の腕を膝で抑えこんでんの。やったらわかるけど、長田、寝技のレベルクソたけーからな?」「光景思い出しては夜な夜な抜いたりしてるだろ」「長田との模擬戦闘で失神あんど、勃起してはてた奴には言われたくねーし」「おい。否定しろや」


笹崎は一通り話すと、思い出したかのように笑っていたが、「あー。なーんでかねえ」とやけくそになったかのように声をあげた。


「長田が相手にしてる奴と戦って、勝てでもしたら見直してくれるかも」「止めとけと言っておく。見るからに長田よりつえーじゃん」


 八幡は二人の会話に割り込んだ。


「笹崎。お前、長田に病院送りにされたんだろ? 何で好きになる要素がある」


 笹崎は黙り込んでしまった。痛いところをつかれたかのようだ。


「ザッキが悪い。でも長田は普通に許してくれてな。多分それもあったんだろ? 長田は異常なまでに優しいからな」と友人の方が答える。


 笹崎が一方的に長田に殴りかかった。それを返り討ちにしたのが真相だったのだ。


「八幡、長田とザッキの模擬戦闘見たことあるだろ? 実力なんて圧倒的。ま、お前らのクラスでは長田は大したこと無いんだろうけど」

「何が切っ掛けで、喋らなくなったんだ?」八幡が聞く。理由なんて、八幡にはわかっていた。

「わからない。でも、俺とは普通に話してくれるんだ。ザッキにだけ、極端に距離を置くというか、他人行儀みたいな感じ。前まで普通に喋ってたし、怪我もお構い無く模擬戦闘してたし。それと、自殺未遂したって話もある。その時、俺、同じクラスだったけど、インフルエンザで長いこと休んでて事情がわからなくて」

「でも、少なくともそれより前から俺は長田と目を合わせてくれなくなっていたがな」ふてくされたように笹崎がぼやいた。


 自殺に関してだが、噂では「かまってちゃん」の特有の痛々しい行動でしかない、と言われていた。しかし、とてもではないが、そんな風に思えずにいる。むしろ今の彼女は、誰からも話しかけられたくないかのように振る舞っているのだ。


「一度、完全に嫌われたとき、どうすれば関係を直せるのか教えて欲しい。謝っても、おびえたように逃げられる。その場合、どうしたらいいんだろうか」

「俺も聞きたい」


 笹崎に、八幡はそう返すしかできなかった。


2016年5月


 彼女はある時、先生に話を持ち掛けられた。近々、二年生が丸々一つ、一学年がそのまま魔物に対する講習を受けるのだ。その際に、彼女がいつも持ち歩く封印された魔物を貸してほしいと言われたのだ。どういうわけか話を聞くと。その行事に、デモンストレーションに魔物を使わさせてほしいのだと言った。彼女は先生の考えを疑った。彼女にはとても手に負えない魔物なのだと説明する。しかし、先生もなぜか必死だった。


「あの、私が以前に見せたあの魔物を使うのですか?」

「うん。そうなんだ」

「待ってください! ランクDです! 本来であれば私が相手のできない恐ろしい相手なんです。あれは私の友達が協力してくれてどうにか封印に成功したんです!」


 彼女は封印を解いたら、どうなるかわからないと言った。先生は、心配ない、彼女には戦わせないからと交渉する。彼女はいくつかの条件の下、ついに折れたのだ。

 家に帰った後、彼女はそのことについて彼と話をする。


「そんなことがあったのか? 頭おかしすぎる! 訓練と言っても、本当にイノシシとか犬とか殺すのか?」

「? なんの話?」

「例えだ! いくら害獣指定されてるから、被害が出てるからって、訓練で未成年の俺らにフリークと戦う事を強いるのか? おかしいよな?」


 彼女は言われてみるとおかしいと思った。仮にイノシシとか熊が大量発生して被害が出るとなっても、本当に生きた獣を使って訓練を行うのは、倫理としても、安全面でも色々問題があるように感じた。


「何か意味があるのかも。それに、貴方の世界と私の世界は随分違うし。倫理観も違うんじゃない? 魔物に対する認識が。火災訓練に本当に炎を使った程度の認識だったり」

「うーん。そんなんかなあ」と納得のいかない彼。

「因みに貴方のところではどんな訓練だったの?」

「訓練なんかなくて、フリークがいきなり現れての実戦だな。当時は出現の予測が立たなかったんだ」

「魔物に対処できなかった人達って、死んでるんだよね」

「うん。先生は間違って無いな。時には強いる事も必要だな」


「それでね。その訓練にね」


 彼女は引き受けたことを彼に伝えた。勿論、彼女の持つ封印された中ボスを使ってである。


「は? おいおいおい! マジでやるのか?」

「待って! 私も戦う。それと貴方も一緒に戦うことを条件に出した」

「でも、た、確かにいつも戦ってるし、あんまり強くないとはいえ。でもだけど定義は十分に中ボスだ! もしものことがあれば。もしものことが……」


 彼は悲しそうな表情を一瞬見せた。それを見て彼女は、自身の判断が間違えていたことを察した。彼女は思い出す。

 彼は元々、不幸な未来を回避するために魔物を封印していたではないか、と。

 彼の目的というのは、家族、友達、大切な人達の不幸を回避することにあるのだ。もしも、失敗したとなれば取り返しがつかないのだ。何故また危機に晒すかも知れないような事に手を貸すというのか。彼の事がいまだに考えられなかったのだという思いと、自分のバカさ加減に申し訳ない気持ちになった。


「……。ごめんなさい。私、浅はかだった。やっぱり、明日断るよ」

「うんそうだな。それがいい。それにしても、どうして引き受けたんだよ」


 彼女は、チャンスのように感じたのだ。彼女はいろいろと自信を失ってはいたが、彼と何かすることに関してはそれなりに自信を持っていた。特に魔物に対処した経験の数ならば、誰にも負けないつもりにあった。それと彼女は今のクラスの立場に不満を持っていたのだ。誰だって、脱却できるならば脱却したい。そしてその機会を先生が持ってきた話に見出したのだ。だから引き受けたのだという。


「だって私、あまりいいところなんてないじゃない。でも、貴方と一緒ならきっとうまくいくかなって思って。そしたらきっと、私も扱い、変わるんじゃないかなと思ったの。ごめん。身の程知らずで考え甘いね」

「……」


 彼が黙り込んだ。もはや間違えていたのは彼であった。彼は彼女がそこまで考えて決断していたとは思っていなかったのだ。きっと、先生から断り切れずに引き受けたものだと思っていたのだ。彼はせっかくの彼女の一歩を否定してしまったのだ。


「やっぱり、引き受けてみようや」彼が言う。

「は? なんで? さっき、やめておこうって言ったじゃん?」

「面白そうだし、それに、お前のクラスからの認識を変えるのもたのしそうじゃんか。ほら、扱いが変わるかもって自分で言ったじゃないか」

「そうだけど、でも、もしもの事を考えたら」

「そん時は先生の責任さ。盛大にやらかすンも、それでいい思い出だよ」

「なんで? なんでそんなこと言い出すの?」

「だって俺、もともと部外者だよ。未来を変えようとしてたのなんて、すごくおこがましい。なるようになるべきなのさ」

「……何かあったの?」

「ひひひ」

「笑ってごまかされても、言ってくれないと分からないよ」

「……だって、この世界には俺のものが何もないじゃないか。……何一つ無いじゃんか」


 彼が必死に守ろうとしていた友人、家族、皆、彼の知るものと大きく違いすぎていた。失わないよう、消えないように守ってきたのに、それらは既に欠片ほどしか残っていなかった。彼に言わせれば、もともと無かったというのが適当か。いままでの行動も結局意味をなしておらず、続けたところで報われる物でもないのだ。もはや、彼は目的が分からなくなってしまっていた。


2016年6月





2016年6月


 一学年の真ん前で魔物と戦う行事は、結構大きいものだったらしい。テレビや魔物専門の駆除の資格を持った人、研究している専門家が来るのだそうだ。彼女らは、そういった人たちが見る中、戦うことになるらしい。ちなみに戦うのは彼女だけでなく、他の生徒が数人いる。先生がどうやら選出したらしかった。

 その行事の当日。彼女は先生に呼び出されて説明を受けていた。手順、流れ、いつ封印を解くべきなのかの説明だ。彼女はそれまで、誰が一緒に魔物と戦うのかわかっていなかった。初の顔合わせなのだ。

 彼女はやっぱり多少なりとも不安だった。彼女は他に戦う男子生徒に自己紹介した後、いろいろ話をした。対峙した時の役割や、動き、倒れた時の対処などを確認したかったのだ。なにせランクDというのは、彼が言うに人が立ち向かえる最高難易度の魔物なのだ。

 しかし、彼女は笑われるだけなのだ。


「心配しすぎだよ長田さん。ランクDなんて雑魚だよ」

「そんな怖いなら、やめときゃいいのに」

「おいおい。俺ランクB相手にしたことあるけど」


 彼女は余程弱いらしかった。彼もいままで彼の世界と違うところから、そんなものなのかと感じた。自らの自分の能力を把握してもらうとしても、他の男子生徒たちは「だから心配しすぎ」と言われるのだ。彼女はせめて、使い魔のような彼の存在くらいは認知してもらいたかったが、聞く耳を持たれなかった。

 彼女たちはクラスの生徒とは別に、待機することになる。

 彼女は必死に自分を落ち着かせようとしていた。他の皆はこんなにも冷静なのに、自分だけが脅えている。結局彼女は冷静になることはできず、その緊張状態のまま呼び出されることになった。彼女は眼鏡や髪を止めていたゴムも外した。とにかくなるべく集中できる状態でしたかったのだ。

 運動場では多くの生徒がいた。学年一つ分だ。当たり前と言えば当たり前であるが、それ以外にもテレビ局やらお偉いさん方も見ていた。

 先生が色々魔物について説明している。そして、先生が叫んだ。「実際に見てもらいます」と。小声で、「ほら、前へ」と彼女らに言う。彼女は大きく息を吸って前に出た。彼女以外の三人の男子生徒もそれに続いた。


「それでは説明します。今、この生徒が持っている――」


 色々説明があった後、封印を解くことになった。

 グラウンドの中央に、封印された水晶をおく。魔物を見たことのない生徒も多いのか、どちらかと言えば皆は静まっているほうだ。彼女がこれから何をするのか興味があるのだ。しかし彼女は他の人たちの期待にそうことなくその水晶から離れた。それに代わりに彼が姿を現す。いきなり何もないところから現れた彼の姿に、他の生徒も先生も皆「誰?」という反応だ。彼はそのまま膝まずいて、詠唱を開始した。

 超高度な封印術を解くのもたやすくない。彼と言えど封印を崩壊させるのに時間がかかるのだ。あまりに時間がかかっており、流石にざわめき出す。中には、「あいつ部外者だろ?」という声も聞こえている。しかし、そんなざわめきはより一層凄まじいものとなった。


「なんかやばいやばい!」運動場に、彼女と一緒に並んでいた男子生徒はそろいも揃って後ずさった。


 水晶はなんの前触れもなく、いきなり四メートルほどの青白いオオカミの姿となっていた。彼がキツネと呼ぶ中ボスであった。


「しゃああっ! 来るぞ!」彼が吠えた。


 封印が解けるまで、魔術の詠唱、武装は禁止。状況が分かりやすいようにという先生の意図である。しかし、それだけで彼女と彼にとっては難易度が跳ね上がった。魔法道具に、ため込む魔術を重ね合わすことによってようやくにして対応が可能となるのだ。実を言うと、彼女だけでなく彼も同様に緊張していた。

 彼女は叫ぶ。今まで作戦の話し合いもできなかったのだ。ならば役割は限定的ととらえる。そして自身の役割として、弱体化結界の形成を念頭に置いていた。


「私たちは浄化結界を最優先でくみあげます!」

「タイム! 情報収集! 形成完了! 弱体化結界の形成に入る!」彼の声と共に、大きいデジタル時計が空中に三つ表示されていた。変わったものであるが、魔術であることは誰にでもわかるものだ。


 彼女も魔術の詠唱に入っている。幸いにも、白いオオカミは動こうとしなかった。ちょうど、犬が『お座り』をしている様子だ。というのも。中ボスというのはどれもが命を感じさせないものなのだ。ただあるだけの存在だ。そしてそこにあるだけで、移動するだけで大きな損害を与える。物理的な消滅は殆ど不可能に近い。そして、放っておけば邪気を振りまいて好戦的な雑魚フリークを生み出すのだ。


「中止!」


 先生たちもよくないことを感じて叫ぼうとしたが、それ以上の大声が響いた。


「きた! 数は四!」彼の声だ。


 彼の声に反応して彼女がはじかれるように走って5メートルほどの高さで飛び上がった。瞬間、彼女の魔術が飛び出した。

 それは彼女の魔術の発動と同時に現れていた。白いオオカミより一回り大きい黒い何かだ。何かというのは、見ている誰かが認識するより早く彼女が原型無くばらばらにしたのだ。


 彼女は放物線を描いた落下途中に、光の剣でまた巨大な何かを切り裂いた。そして男子生徒の近くで、ユニコーンのような白い馬が現れている。それも彼女がつきだした手のひらから放たれる魔術で頭部を失った。

 遅れてボトボトボトと、魔物の肉塊が地に落ちた。残骸はどれも巨大な魔物ばかりだった。原型から、白い馬の魔物に、緑の鬼、ドラゴンのようなものがあった。原型の分からない魔物を入れて計四体。彼女はそれを文字通り瞬殺した。

 彼女は無感情に、また詠唱を行う。本当に当たり前のことをしたという反応だった。


「時間を更新! 警戒怠るなよ! 次は一分後! 急いで魔術を編み上げろ!」


 彼の声がよく響く。彼女は二度、三度と、魔物の出現と同時に瞬殺した。

 そして何回目かの瞬殺のあと、彼女が叫んだ。


「狐が動くよ! 代わって! 足止めお願い!」

「あいよ!」


 その時、白いオオカミが『お座り』したまま幽霊のようにゆっくりスライドした。運動場をゴリゴリと抉りながらだ。しかし、白いオオカミの姿が消え、移動音がゴリゴリという音から爆音に変わった。


「ずああああっ!」


 爆音はすぐに収まった。彼が青白いオオカミに引きずられながら抑え込もうとしているのが見えた。彼は鎖で白いオオカミをからめとっているのだ。力負けしているのは一目にして瞭然であるが、そんな彼が青白いオオカミを足止めしているのは理解できた。

 白いオオカミの周囲に、光る魔法陣がいくつもあらわれた。おそらく20個くらいだ。少ない数ではない。彼は急いで鎖を離して印を結ぶ。白いオオカミの周りに、杭が何十本と囲むように突き刺さった。


「待たせてごめん! 浄化結界ができるよ!」


 その瞬間、薄い紫色に全てが染まった。夕焼けのように、人も校舎も全てがどこから当てられているかもわからない光で染まったのだ。


「っしゃあああ! 弱体化結界完成! 俺らの役割終了! お三方! 出番!」

「私たちはフォローに切り替えます! 攻撃お願いします!」


 彼女と彼はフォローに適した魔術を編み続けていく。しかし、男子生徒たちは何もしようとはしなかった。二回だけショボい魔術を放った後、何もしなくなったのだ。勿論、魔術を編み上げる様子もなかった。彼女は「攻撃してください」と男子生徒たちに訴えるが聞こうしてくれなかった。彼女は必死にフォローできるように探っていた。


「軌道に立ってます! そこからのいて!」


 彼女は一人の男子生徒を突き飛ばすように蹴り飛ばした。その瞬間、彼女の体が吹き飛んだ。

 吹き飛んだ彼女は激しく打ち付けられて転がった後、偶然にも人形のように足を投げ出したような、ストレッチの長座体前屈した格好で座った。


「か、はっ、はっ、はっ、は、……ぁ……」


 彼女は体を起こし妙な呼吸の仕方をしたかと思えば、そのまま崩れるように仰向けに倒れた。力なく首が横を向き、生気の無い半目がカメラと目が合っていた。彼女の体の左半分近くが無くなっていた。文字通り彼女の左側の手足は無くなっていた。吹き飛んだ体の一部である左足は、腿からスニーカーの履いた綺麗な状態でカメラの前に転がっている。彼女の妙な呼吸は止んでいた。

 死んだかどうかはわからない。ただ、この少女のような肉体は、生きている人間には見えなかった。リアルな死体を模した人形と言えばしっくりくる。なにせ、生気が宿っていないのだ。


「おっと、これはやばいかも」


 彼が慌てて駆けよる。手にはアルミケースがある。彼はそのアルミケースを開いた。白い気体が運動場に漏れた。彼は慣れたようにビニール袋を破くなりし始めた。印象的なのは、赤黒い何かや薄オレンジの肉のようなものを出していたことだ。彼は彼女の服を破き、何かした。そして、手から電気のようなものを出して両手で彼女の胸に押し付けた。


「がふ」と彼女が軽くせき込んで意識を取り戻した。彼女に駆け寄ってから、わずか十五秒程の事。意味の分からないまでの早業の治療だった。しかし、彼女の腕、足、体の一部分はむき出しだ。瞬間、彼女の傷は赤黒い何かで傷口が大きく覆われた。

 彼女はうめき声を上げて片足で立ったかと思えば、声を張り上げる。


「状況を教えなさい! わたしが倒れてからどれだけ時間が経った! 敵の状態は! 戦力は! 武器は!」

「状況は変わらず。時間は殆ど経ってない。一分ほど。狐はお前の一撃を最後にあれから一度も動いてない。戦力は、……誰も協力してくれそうにない。武器はため込んだ切り札二つだけ」

「いつもみたくに行く! 私の足になって! それと時間の表示を私にもわかりやすく! 一段階の封印を最終目標にする! それ以上は私を戦力と見ないで! 持ちそうにない!」

「りょ」


 彼は彼女を抱えて、空中を縦横無尽に駆け回る。そして抱えられている彼女は魔法を絶えず放っている。ただ、彼女の放つ魔術は一級魔術をはるかにしのぐものばかりだ。天上から隕石みたいなのが飛来したり、空を突き抜ける火柱だったり、雷だったり色々だ。それが四十分もの間、ずっと続いた。

 時折、青白いオオカミも強力な光線を出したり、斬撃の魔術のような真空の刃を飛ばしてくる。それはいかにも反撃のように見えるかもしれない。しかしそれは攻撃でも何でもないのだ。行き場をなくした漏れたエネルギーが放出されているのにすぎないのだ。中ボスの正体は、エネルギーの塊なのだ。たちの悪い永久機関。それが避雷針のように、勝手にエネルギーが彼女達に誘導されるように向かってきているだけだ。


「しゃああ! とらえたああ!」


 透明な正方形の結界が青白いオオカミを囲んでいた。ここまで来れば、殆ど終わったようなものだ。後は白いオオカミの分裂体をせん滅するだけだ。


 一気に魔物がわいた。分裂体である。白いオオカミの姿ではあるが、それよりもわずかに小さいものばかりだ。彼は最初の彼女を思わせるような動きで瞬殺していく。ほとんど同じ動きに見えた。そんな魔物は先程の大型の魔物と違い、残骸も残らずに光の粒子となっていく。

 彼女は地べたに座り込んで、そんな彼を眺めていた。何もしていないというわけではないが、手に届く範囲で彼女は魔物を滅していくだけだ。それが二十分ほど続いた後、何も出てこなくなった。残されているのは、正方形の結界に閉じ込められている本体の魔物だけだ。白い魔物はオオカミの形を無くして、アメーバのようにもがいていた。


「おう。終わった。生きてるな」


 そう言って彼は座り込んでいる彼女に近づいた。しかし、彼女から離れたと思えば、おもむろに何かを拾い上げた。彼女のちぎれた左足だった。彼は「案外、大丈夫なんだな。硬直もおこしてないし、繋げれそうだ」と意味のわからない事を言うのだ。だが、彼女には理解できているようだった。

 彼女の表情は、途端に恐怖のものになっていた。彼女は左手左足が無いのにも関わらず、その場から逃げようとあがきだしたのだ。


「待って! 待って待って! お願いだから! 痛いのは嫌なの!」


 しかし彼は待たないし、やめる気配は無い。襲いかかるかのように早足で彼女に近付いていく。


「本当に痛いの! お願いだからだから話を聞いて!」


 彼は抵抗する彼女に、馬乗りのようになっておさえ込んでいた。彼は「お願いだからじっとしていてくれ。足がないとしばらく不便になるんだ。お願いだから」と言う。彼女は「足なんてなくなっていいから止めてください」と言ったのを最後に、後は言葉にならないうなり声や叫び声をあげて拒絶した。


「おおおおっ! ああああああ!」


 瞬間。

 女の子にはとても似つかわしくない獣のような声、断末魔のような声が校庭に轟いた。

 そんな悲痛な叫び声が終わると、その声は「いだぃ、いだぃ」と普通に泣きじゃくる声に変わった。彼女は感情のコントロールができず、子供のようになることがたまにあった。痛みに堪え忍ぶ事ができる日もあれば、今日のようにみっともない醜態をさらすこともあったのだ。


「次、腕だけど」「やだあ、痛いのは嫌ぁ」


 そんな言い合いをしていた二人だが、いきなり彼女が大声を張り上げた。泣きじゃくる声ではない。勇ましさを感じさせるはっきりした声だ。

 彼女は先程まで、ぐずる子供が親に反抗するように座り込んでいた。だが、はじかれるように飛び出している。彼女は魔術を打ち出しており、いつの間にか現れた大きいだけの魔物を仕留めていたのだ。

 彼は「何故雑魚が今になって召喚されている?」と、意味がわかっていなかった。しかしすぐに彼女の声で理解する。


「狐の封印が解けてる! 浄化結界の形成を急いで!」


 あそこまで追い込んで、自力で封印を破る事なんてできただろうか、ましてや不完全な中ボスに破れるとは思えない。疑問に感じる事はたくさんだが、目の前の事に集中する事にした。


 二人は時間をかけながらも二度目の封印に成功した。彼女は勇ましい雰囲気だったのに、戦闘が終わった直後にまた泣き出した。無くなった左腕が痛いらしいのだ。

 彼女は救急車に運ばれていった。


 あの戦闘の際に、生徒の何人かは避難していた。魔物に慣れていないのであれば、無理はなかった。彼は、半数も残っていたなら十分だろうとさえ思った。しかし、校舎に居た生徒は一人残らず避難していたのにはムカついた。先生の一部も、お偉い様方も、だ。

 それに、封印が解けていた事に関してだが、原因は自衛を教える学外の先生によるものだった。とんだ迷惑である。

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