第8話 二年生とその周りの恐怖と

2016年3月


 彼女と彼は日が暮れた裏路地を通っていた。今日も魔物を封印した帰りなのだ。そんな時、誰かの姿を見て彼が嬉しそうに叫んだ。


「ヤタ君だ!」


 彼の視線の先には私服姿の男子学生がいた。八幡という人物だ。八幡は彼の生前の友達であり、その友達の中でもリーダーのような存在であったらしい。彼にとっては親しみと同時に尊敬もしている人物だ。しかし、彼女はその八幡が嫌いなのだった。彼が生前に仲が良かったこともあり、彼女も何度かその八幡と関わろうとしたことがあった。しかし性格も合わない上に怒鳴られたこともあった。嫌いというよりも、畏怖に近い苦手意識を持っているのだ。


「……魔物」彼女が呟いた。

「ほんとだ、雑魚フリークだ。さっきの中ボス戦闘の時の弱体化結界から漏れたんかな?」


 二人の視線の先にはファンタジーの挿絵にあるような、禿散らかした汚い巨人がそこにいた。ただ大きいだけの愚鈍な存在だ。恐れることもない。しかし、八幡という男子学生が、その愚鈍な魔物を見て情け無い声を上げていた。


「助けに行ってあげたら?」

「バカ言え。ヤタ君があんな雑魚如き……。ごめん。ちょっと行ってくる」


 八幡という男子生徒は、数体の魔物から無様に逃げ回っているのだ。彼はそれをみて考えを改めたようで、助けに走り出す。

 彼が助けに走れば十分だろうと思った。しかし、新たに現れた一匹の魔物が八幡に襲い掛かろうとしていた。

 彼女はそれを眺めていて、「死ねまでとは思わないが、怪我でもしていろ」と内心思う。しかし、そもそもの原因は自分たちにある。結界から漏れたのだ。しかも、何故魔物退治みたいなことをしていただろうか。それは、彼の未練、願いのためだ。彼の友人、知人たち、それらの不幸の回避だ。彼の友人が幸せであることは、何としてでも叶えるべき彼の悲願なのだ。


 そのように考えると、彼女の行動は早かった。

 彼女は魔術を併用して、素早く八幡という男性を押しのけた。遅れて、愚鈍な魔物が突っ込んできて、彼女と八幡の二人を吹き飛ばした。直撃を免れた八幡は殆ど軽傷だ。


「あ。うで」


 彼女が瓦礫から引き抜いた腕は、先が無くなってしまっていた。欠損の大怪我なんて、彼女には慣れたこと。彼女は危険が無くなったことを感じ取り、彼を探そうとふらふらと立ち上がりながらあたりを見回した。魔物の多くが彼によって殺されている。彼が手をタオルで拭いながら近づく姿に彼女は声をかけた。


「腕、無くなっちゃった。痛い」

「原型は無いな。……どうにもなんないってこれ。取り敢えず止血な」


 彼は彼女に手荒に治療を施すと、八幡に「ヤタ君は大丈夫ですか? 余計なことしてしまってたらすみません。また明日の始業式の学校で」と声をかけて何事もなかったように去っていくのだった。


 先程から八幡が彼女に声をかけていたが、彼女は興味を失ったかのように視線を一切合わさない。声にも応じない。八幡は助けてもらえたのを理解していたが、自身を助けるために女の子が片腕を失っている。魔物から逃げないと、死なせなてはいけないと、混乱した頭で必死に話しかけていたのだ。しかしその姿は彼女にとって滑稽に映っていた。ケガは免れたし、もうこれ以上関わらないようにしたかったのだ。

 八幡は、彼女が学校の制服を着た男子生徒しか見えていないかの様子に戸惑ってしまった。八幡を助けるのはあくまで作業とでも言うべき対応に、驚いているのだ。

 八幡が冷静さを取り戻したのは、二人が去ってからの事だった。残された魔物の残骸に、壊れたブロック塀、穴だらけの道路、血だまりだ。八幡は警察に連絡を入れるくらいしかできなかったのだ。血は本物で、残った肉片も本物だ。

 八幡は、彼女が一切返事や反応を示さなかったのはしょうがなかったのだと判断した。あんな状況に慣れているほうがおかしいのだと。

 彼女のその時の服装と言えば、学校の指定のジャージだった。それに、どこかで見覚えのある生徒だった。恐怖と混乱で記憶は曖昧になってしまっていたが、これだけの点がそろっていればすぐに見つかると考えたのだった。


2016年4月


 今日から彼女は二年生である。

 彼女は、利き腕が無いまま始業式を迎えていた。自転車を片手で運転するのはあまりに危なっかしいと、彼と二人乗りで来ているのだ。昨日、彼女と彼は夕方に近い時間に魔物を封印していたのだ。しかし本来なら中ボスといえど、彼と居ればもはや遅れをとることは無い。だがその時は、たまたま彼の生前の友人である男子生徒を庇って利き腕を失ってしまったのだ。断面が綺麗ならば、彼の魔術なら三分とかからずに治してくれる。しかし、断面どころか、原型も残らずにグッチャグチャになっていたのだ。治すには一月かかるかもしれなかった。

 話を戻そう。

 彼女らは気配消しの魔術を使っているとはいえ、二人乗りを教師に咎められるのも都合が悪いと思えて早めに家を出ていた。通学途中も、学校に着いても、ほとんど人の気配はない。


「ほい、到着。そういやあ、しばらく休んでたんだよな。どうだ、久々の学校は!」

「凄く嫌」

「そんなこと言うなって。狙ってた進学クラスだぜ」


 彼は新しいクラスに移動しながらも、言い聞かすように彼女に話しかけている。いや。実際、言い聞かしているのだ。暗い雰囲気は、よりいっそう人を寄り付かせなくなってしまう。負のサイクルに入れば、抜け出すのは難しい。彼は、それを回避しようとしていた。彼女を思っての行動なのだ。

 しかし結果から言えば、わかっていなかったのは彼の方であった。

 二人が教室についた頃。時間が早すぎて、まだ彼女たち以外に居なかった。そこにしばらくして、誰かがやって来る。数人で固まって来たところを見るに、仲のいいグループで来たのだろう。そんなグループの一人から放たれた言葉があった。


「え? 嘘。ちょっと待って、何か居るんだけど」


 そのグループから放たれた言葉は、間違いなく彼女を見て放たれたものだった。彼は何かの間違い、もしくは、勘違いと思うようにした。だが、おそらく同じ女子生徒から何度か「なんでいるの? どう思う?」と、あからさまに聞こえるようにグループでしゃべるのだ。

 今日は、二学年になって一日目である。誰からも話し掛けられなくても、別におかしくはない。明るい生徒や静かな生徒で早々にグループができているなか、彼女だけが孤立してしまっているのは偶然に違いない。

 彼はそうであって欲しかった。

 家に帰った二人は、何となく今日のことについて話していた。親の権限により、バイトも部活も辞めさせられた彼女には、これでもかというほどに時間があった。


「ヤタ君に井口さんも同じクラスだったな。ザキザキ君と鈴さんは居なかったけど。うんうん、二人が同じクラスというだけでも嬉しいもんだ。というか、朝、教室に入ってくるなり『何か居るんだけど』って言ってた奴、知り合い?」

「一年の時の四組の人。で、結構みんなのリーダーみたいな人」

「関係悪そーに見えたけど、なんかあったん?」

「全然何もないよ。というか、あなたは勘違いしているよ」

「何が?」


 そう聞く彼。その言葉に彼女は少し、悲しそうに微笑んだ表情で彼の顔を見つめた。


「一年の頃から。私、二組以外での対応、みんなあんな感じよ」と彼女が言った。


 微笑みながら言うものだから、冗談のようにも思える。むしろ冗談であってほしくて、彼は否定する。


「いやいやいや。みんなって言い方はねーだろ。ヤタ君に井口さんもいるし」

「むしろ、その二人は筆頭だけどね。みんなは適度に関わらないでいてくれるけど、攻撃的な性格の人は特に嫌かな?」


 悲しそうに笑う表情そのまま、彼女はついに言ってしまった。


「は?」

「最初はあなたが、あなたの友達の事を良く聞かせてくるもんだから、仲良くしてみたいなって思って、何度か話しかけてたんだけど。ちょっとうざかったみたいでね」


 彼女の言葉は止まらない、止められない。彼が彼女のことについて知っていないことについて、憤りを覚えるのは門違いだ。しかし彼女は、彼が彼女自身がおかれている状況を知らないのが苦痛に感じた。彼が悪いわけではないというのが分かっている。しかし、どうしても耐えられずに理解してほしいという心が言葉となって漏れた。


「私ってば、結構嫌われてるのよ?」


 知ってさえいてくれたなら、どんな言動でも許せる、どんなものでも自身の為なのだと思える。それ程に彼女は彼を信頼しているのだ。それだけに、彼には知っていて欲しかった。

 一方、彼はそんな彼女の言葉が素直に信じられなかった。彼の親友達が無視したり、はっきり拒絶の言葉を口にするなど、全く想像もできないのだ。彼はきっと、「彼女が無意識に嫌われた事をしたのかも」と思うようにした。いや、それを考えても、やっぱり彼の親友達がそんな対応をするとは思えなかった。

 あなたが私のことをどう見てくれているのかはわからないけど、結構過大評価なのだ。と、信じられずにいる彼に、彼女は締めくくった。



 二年になって、まだ数日。クラスではもう完全に友達グループが完成していた。だと言うのに、彼女は孤立している。昼休みとなれば、それははっきりとわかるのだ。数人で机を合わしたりするのに対し、彼女は一人で食事をする状況だった。


「昼休みだな。今日は何がいい? お茶な気分? 甘ったるいコーヒー? ん、俺の嫌いな渋茶缶買ってきてやんよ」


 そう言って、彼は教室を出ていった。残された彼女は一人で弁当箱を広げることになる。ただ、今の彼女には利き腕がない。それでも食べないという訳にもいかず、不器用なりに左手で食べだした。


「何あれ。食べ方汚なすぎ」「お箸もまともに持てないわけ?」「こっちが見てて食欲失せる」


 クラスの声だ。誰かの声ではなく、クラスの声が聞こえた。彼女はどうしても、人の目を気にしてしまう。彼は思春期における自意識カジョーと笑うのだが、彼女にはそう感じなかった。まるで皆が皆、自分のあら探しをしているように思えるのだ。目が、前から、後ろから、横から、こちらを監視していた。

 周りを不愉快にしているのならばしょうがない、そう言い訳をして彼女は教室を出ていった。別のところで食べようとした。だが、そんな別のところが早々に見つかるわけもなかった。



「便所飯って、嘘だろ」


 絶望に似た表情と声で彼が言った。飲み物を買ったのはいいが、結局彼女の姿が見つからず、彼女にどこで食べていたのか問いただした結果の言葉だ。彼女が教室でクラスに言われたことを彼は知らない。彼女は理由として、「一人で食事しているところを見られるのが恥ずかしくて」と答えた。


「はあ? だったら昼飯、俺が姿を出して一緒にいるよ。最悪、気配消しの魔術を使えば、本当に学校の生徒かどうか区別はつかねえから、怒られはしないだろうな。多分」


 こうして、次からは彼が一緒になることになった。

 そして休みを挟んだ次の日。彼女はイメージチェンジと言って、雰囲気を変えていた。彼女は短めの髪を二つにくくり、くろぶち眼鏡をつけている。因みに、彼女は目が良く、眼鏡は必要ない。だて眼鏡なのだ。


「今までの格好より、よっぽど進学クラスの人っぽくない?」

「おう! 俺も眼鏡に憧れてたんだよな。眼鏡をつけたくなる気持ち、凄くわかる」


彼女は眼鏡におさげという姿で登校した。途端に、地味な女の子という姿に変貌している。少しでも監視の『目』から逃れたくてのイメージチェンジであった。本来の弱い彼女の姿が見える。言わずもがな、逃げの行動なのだ。

 彼女の本来の姿なのだ。今までが可笑しかった。彼女の癖に、気丈に振る舞いすぎていた。彼は彼女にこれ以上求めるつもりはない。彼は咎めるようなことは言わなかった。

 学校の昼休み。

 約束通り、彼女と彼は一緒に居た。彼は今、他の人にも姿が見える状態にいる。

 そんな彼は、愕然としていた。

 彼女のイメージチェンジは、悪い方に流れていた。今までの彼女を「でしゃばり」「ボス気取ってる」と散々言ってたのに対し、地味な姿になったらなったで、またそれを理由に貶し始めたのだ。最早、気配消しの魔術も意味がないほどに、意識を向けられてしまっている。

 要するに、彼女は嫌われている。それも、彼が思っている以上にだった。

 こうやって、彼女が弁当を開け、食事する動作一つにも笑う要因を無理矢理作って笑い者にしようとクラスはしているのだ。


「うっわ。今度は取り巻き引っ張ってきてる。それとも男を見せつけてんの? あれ?」


 もう彼は表情を隠せずにいた。

 言葉を発した人が問題だった。先程の言葉は、彼の生前の親友、井口という女子生徒だ。彼は井口を説明するのに、決まって聖女という言葉を用いるほど崇拝していた相手だ。余程ショックのようであった。


「え? え? 嘘だろ? お前、こういう扱いを受けているのか?」


 彼は彼女に確認する。それに対し、彼女は何を今さらと言いたげに、「知らなかったんだ」と当たり前であるかのように言ったのだ。

 彼女は余裕のなくなったような彼の引きつった顔が面白く思えて、つい笑ってしまう。それに、彼女の心がそのまま彼に伝わってくれたように思えて嬉しくも思えたのだ。ようやく自分の状況を知ってもらえたのだと。


「おい。お前はなんで笑っているんだ?」


 彼はそれこそ、「信じられない」と表情が語っている。彼女は必死なその姿がまた面白くてさらに笑う。


「貴方もそんな顔をするんだなあって思うとね」


「誰もいさめない。こんなに聞こえるように言われているのに誰も非難しない、ヤタ君も……。このクラス、……クズばかりじゃないか」

「これが普通なんだから。ふふ、貴方なんかおかしい」

「何で。どうして、笑えるんだよ」


 彼の言葉はクラスに消えた。

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