第6話 彼女の精神崩壊
通学途中の事だ。彼が彼女を気にかけていた。彼女は随分と調子が悪そうなのだ。そんな彼女に彼は、買ってもらったばかりのリュックから薬と水の入ったペットボトルを取り出して無言で渡す。彼女はそれを慣れた様子で受け取った。彼は、彼女の荷物を持ったりと雑用をよくしている。薬や水、ハンカチティッシュなど常時持ち歩いているのだ。そんな二人はすっかり通じ合っている。
「女の子は大変だな。でも、薬、飲みすぎはちょっと心配だ。もう一箱空いたし」という一言に彼女は「頭痛薬、また買っておいて」とお金を差し出した。一万円札だ。もらい過ぎだと彼は受け取るのを渋るが、彼女は日ごろの感情が言葉になってしまう。
「ただでさえ、バイトは手伝ってくれているのに。貴方の取り分は家に全額入れてるし。なんか貸しをつくっているようでいや。気持ちだけは対等でいたいし、形だけでもうけとってて」
「あい、わかった。了解いたします。んじゃ買ってくるよ。他に何か買う物ある?」
「無いよ。というか、聞きたいことあるけど」
「何?」
何故彼は、他人から姿が見えないくせして買い物などができるのかということが彼女にとっては不思議でたまらないのだ。
それについては実体化したりしなかったりしているだけで、あとは気配消しの魔術を使っているのだという。姿を消す魔術とは違うのか聞いたところ、別の系統の魔術らしい。一定の範囲に対し、映像記録媒体、人の記憶にも干渉することのできる魔術だ。魔術といっても、あらゆるやり方が存在するのだ。
彼女の世界でも認識されている魔法は、属性にわかれる魔法、魔法陣による魔法の二種類がある。彼の知識にはそれ以外の理を歪める魔法形態がある。それを儀式魔法と併用していてようやく気配消しの魔術は成り立つのだ。しかもそこそこ難解なのだという。
「認知されないながらも理を歪める魔法は存在している。武器召喚なんて、まさにそれ。魔力の物質化のほんのわずか先の技術、それぞれの使い手の生き様や感情が反映される。生き様思考を物質化した魔力に、異次元、世界としておろして、理をゆがめて召還する」
「魔術を一から作るのって、本当にすごい。気配消しの魔法」
「すまんな。すこし見栄を張ってしまった。実を言うとそんなに凄くないんだ。魔術作成がブームになるんだよ。インターネット上に、皆がこぞって新作魔術をあげるんだ。それに作ったのは俺だけじゃなく、俺と友達三人でつくったからな? 石田君と三矢と俺の三人さ。コンテストで賞を受賞した!」
「石田君、三矢君、ということは一年生の時か……」
「今くらいの時だな。……あれ? 魔術ブーム来てない?」
2016年2月
「バレンタインチョコが欲しい」
彼女が部屋でくつろぎながらノートをまとめていた時、彼がわめいた。呟いたとかではなく、うざいくらいにねだるのだ。
「ほら。バレンタインデーが近づいている。バレンタインチョコが欲しいんだ」
「いきなり何なの? 唐突だよ」そんな彼女に対し、彼は「未練なんだ! どうか欲しい! できれば学校の下校時に、下駄箱とか体育館の裏とかで渡してくれたらさ!」とあまりに必死に懇願するのだ。
「え? 場所とか関係あるの? 何? 儀式か何か?」
「違う! さっきから言っているように、ただの未練だ。純粋にバレンタインチョコが欲しいんだよ」
「こ、怖いよ。場所までこだわって変だって。もう寝るから」
「……」
「に、睨まないで、出てってよ……。寝たいんだって」
「……」
「怖いんだってば……」
彼女はもともとバレンタインチョコはあげようと思っていた。それなりに尊敬もしているし、感謝もしている。しかし、いざ言葉に出そうとすれば恥ずかしくなってしまい、伝えることができなかったのだ。彼は彼女が眠るのを妨害するのかのように何度も同じことを言うのだが、ついにあきらめて彼女の部屋を出ていくのだった。
バレンタインデーの日。
彼女の部屋。彼は随分、しょげた雰囲気で時計を眺めていた。もう彼女どころか家族も寝静まっており、静寂に包まれている。時計はすでにてっぺんを回り、明日になっていた。彼はバレンタインを期待していたのであった。そんな彼は、彼女が寝ているベッドと時計を何度も見たあと、はあ、とため息をついて部屋を出て行った。
次の日の登校。
「はい。一日遅れのバレンタイン。友チョコどうぞ」
彼女は女の子同士で多数の人とチョコを渡しあっていた。
ある一人の友達との会話の時である。彼女からチョコを手渡されるとき、女子生徒が受け取る手を止めて言った。
「有難う。あ。やっぱり私、こっちのチョコが欲しい。包装が綺麗だし」
「ごめん。こっちは特別な友達に渡すからちょっと駄目なの。中身はいっしょだからこっちで」
「友達なら私がもらっても別にいいじゃない」
「その、それは困るというか。そのカードをつけてたりしてるし」
彼女はしつこく欲しがってくる友達をどうにか断った。そのチョコというのは、彼に渡す為に用意したものだ。いじめるつもりは無かったが、昨日、チョコをあげなかったことで彼は随分落ちこんでしまっていた。彼女は流石に申し訳ないと思ったのだ。そもそも昨日は日曜日であり、休日なのである。彼が望むような手渡し方ができないため、それだけに今回はどうにか真似事でも叶えてあげたかった。普段言いにくい感謝の言葉を書いたカードもつけておいた。
だが、彼女の思うようにはいかなかった。彼女は肝心のチョコレートをなくしたのだ。いくら探しても、それは結局放課後になっても出てくることは無かった。友達に間違えて渡してしまっていないかも確認したが、それでも見つからなかったのだ。
彼女は最後の最後まで探していたが、やはり見つからない。
彼女はあまりにショックで、友達がいろいろ声をかけてくれる中、「しばらく一人にして」と突っぱねた。
時間はあっという間に過ぎた。すでに日が暮れてしまい、すぐに暗闇となっている。暗闇の教室の中、彼女は消沈した状態で机に突っ伏していた。
「お前、俺に待っとけって言っておいて。来てみれば電気もつかない教室でうなだれてるし。その、まあなんだ。失恋なんてよくあるさ」彼が教室の出入り口の前に立っていた。彼の存在に気が付いた彼女は顔を上げた。
「は?」
「いや、振られて落ち込んでんだろ。元気出せって」
「なんの話?」
「まあいいや。帰ろ帰ろ」
「その、待たせておいて悪いんだけど、バレンタインチョコも用意できていないの。いや用意はしていたんだけど、失くしてしまったの」
「いや、別にいいけどそんなん」随分と泣きそうな気弱な表情に、彼は戸惑ってしまうのだ。
「ごめんね。あれだけ欲しがっていたのに……」
彼女は真似事でさえ叶えてあげられなかったのが、余程ショックなのだ。今まで助けてもくれたし、それなりに尊敬もしているし、感謝もしている。しかしそれを伝えることも応えてあげることもできない。それが悔しくもあり、情けなくもあった。滅茶苦茶な言葉になりながらも彼女は彼にそのことを伝えた。
「お、おう? 気にしなくいいけど。むしろ日頃から俺が申し訳ない程に無理させてしまってるような気がすんだが」
「そんなことはないよ」
「少なくともチョコレートごときで俺は落ち込まないから」
その後、彼女と彼は歩いて帰っている。しかし彼は随分と上機嫌だ。
「お願いだからニヤニヤしないで。友チョコの残りなんだし。なんか隣を歩いてる私が恥ずかしい」
「いいじゃんいいじゃん。うれしいんだし。生前じゃ貰ったこともなかったからな」
彼は彼女からもらったチョコレートをニヤニヤ眺めながら歩いているのだ。チョコレートごときで彼は落ち込むことは無いと言っておきながら、チョコレート如きで酷く喜んでいた。しかも彼は、「このまま歩いて帰ろう! できるだけこの余韻に浸りたい!」という始末だ。
「嫌だよ。寒いし」
「じゃあ少しだけの間でいいから、腕組んでかえろう」
「ごめん。流石にキモイ。歩いて帰りますからそれは勘弁してください」
彼は彼女が自転車に乗って先に帰られないようにするためか、彼が彼女の自転車を奪って押して歩く。しかし、しばらくすると、彼の目線は前を見ることなく、またチョコレートをにやにやと眺めはじめるのだ。
「心配しなくても並んで歩くくらいは付き合ってあげるから」
「にひひひ。なんとなーく。せめて荷物になりそうなのは持ってやるって」
「あ。そういえば貴方に渡すように用意したチョコレートに、手紙もつけておいたの」
「手紙?」
「いま思えば恥ずかしいし、出てきたとしてもすぐに捨ててね」
「どんな内容だよ」
並んで歩いていたが、彼女は彼より前に出て後ろ向きに歩いて喋る。向き合う形だ。彼女の口から出るのは感謝の言葉だ。彼も流石にチョコレートから視線を外し、彼女と見つめ合う形になった。嬉しいのと恥ずかしいのが相まって、彼は照れくさくてすぐに視線を外してあらぬ方向を向いてしまう。
その瞬間彼の視界の一部が不自然にが真っ赤に染まった。
「あ」
誰の声なのか。彼自身のものなのか彼女のものかわからない。そんな漏れたような声とともに、血が勢いよく舞っていた。そして遅れて、崩れるように膝から落ちて、彼女が倒れる。
「え?」
彼が珍しく理解が遅れた。何故というよりも、血を流して彼女が倒れていることにパニックに陥ったのだ。
自転車を投げ出して彼は慌てて彼女に駆け寄った。うつぶせに倒れていた彼女を抱き寄せて様子を見るが、意識は無かった。そんな彼女の首からは血が噴き出ている。傷口を抑えてどうにか事なきを得た。しかし、彼が落ち着きを取り戻し、当たりを見回したところでその原因が見当たらなかったのだ。彼は救急車をよんで対処した。
彼女は彼が呼んだ救急車に運ばれた。彼女は彼の手当てもあって、次の日には学校に登校するのであった。どうやら彼女は不審者に首を切られたようなのだ。しかも傷は深かったらしく、動脈も切られていた。彼の手当てが遅れていたなら、死んでいた可能性が高かったらしい。後で彼女もそのことを聞かされていたが、本人は凄い経験をしたと面白がるのである。
彼は治療を行っていたが、取り乱した中でしていたためか、治るころには目立つ跡となってしまっていたのだ。しかし彼女は、変なことに、この傷痕を消さないでほしいと言うのだった。
彼女はその後、テストに追われたり被害届を取り下げたりバイトをしたりと色々と慌ただしかった。
そんなある日、彼は以前からあることを言っていた。
「少しばかり離れる。長くても五日くらい?」
「何で?」
「俺の生前に、今くらいの時にえげつないフリークが現れたことがあるんだ。隣の県でだけどな」
「どんな?」
「俺は見てねえのよ。中ボスじゃない別の存在で、中ボスよか格上の存在だったと言われてる。でも、俺の時と未来は変わってるからな。フリークはあまりでなくなってるし、中ボスに関しては確実に出てこなくなってる。自然発生型はまだ一つだ。きっと、これもうまく影響してくれてるはずさ。俺はただ、確認して安心したいんだ。というわけでしばらく帰りませんので、よろよろ。心配は何一つねえよ」
「交通費は必要?」
「うーん、観光もかねて、のんびり歩くつもりだから要らないかな?」
「そ。楽しんできてね。面白いお土産あったらお願い。はいお小遣い」
「おいしそうなお菓子買ってきてやんよ。五日後には帰るよ」
彼女は彼がいなくても大した問題ではないと考えていた。しかし、それは間違いであった。彼がいないことで、想像以上にミスが続いてしまったのだ。もとより彼女は無能ではないこそ、有能な人物でもないのだ。今までは彼がいてくれて三人分の能力で仕事を片付けられていた。周りも周りで、今までのそれがハードルを上げてしまい、彼女のキャパシティを超えて多く仕事を与えたのもミスを誘発した原因だ。
彼女は初日からさっそく気落ちしてしまい、早く彼が帰ってこないものかと待ち遠しくなった。しかし、ミス、不運というのは重なるのだ。
彼女はある時、しょぼしょぼと家に帰った。今日も今日とてミスをしていたのだ。そんな彼女は帰宅と同時に家族会議になっていた。彼女は「話がある」と親から呼び出されていた。彼女はまず、こんな時間になって帰ってきたことについて咎められた。そしてふざけるのもいい加減にしろとか、変な奴らとつるんでいるのは目に余るとか、未成年にあるまじき、と彼女自身よくわからないことで責められた。不審者に首を刺されてしまったことも原因だ。彼女は強くせめられると、反論もできずに怒鳴られっぱなしになる性格なのだ。
そして彼女はしばらくして、親の権限によりバイト、部活動を辞めさせられたのだ。しかも、部屋に戻れば、彼女の私物の全てを目の前で捨てられ、何もなくなってしまった。彼女のクローゼットの中には、ふざけて彼に買い与えた衣服も入っていた。それも勘違いさせる要因であったのだが、彼女はそこまで考えが至らなかった。
不運はそれだけには留まらない。彼は五日を過ぎても帰ってくる気配は無かった。不運というより、タイミングが悪かったのだ。それは学校での事だ。
少しさかのぼって、二月に入った頃。彼女は、笹崎に模擬戦闘の相手を頼まれた。放課後の事であり、先生にも迷惑をかけないだろうということだ。彼女は戦闘が慣れていない時までは、彼に中途半端に憑依してもらって戦っていた。要するに、アシストをしてもらっていた。しかし結構彼女も運動がそれなりに好きであり、相手を制した瞬間の高揚感は癖になってしまう。今では彼のアシスト無しでも、魔法の力は必要になるものの笹崎と対等に戦い合うことができてしまうのだ。
やはりというべきか、その時も彼女は笹崎を相手に勝ってしまった。しかも無傷で制する、完全勝利だ。
そのことが今に至り、彼女が集団で責め立てられる大義名分となった。彼女はどこかの使われない教室に呼び出され、集団で責め立てられているのだ。他にも色々責め立てられてはいたが、彼女が確実に覚えていたのは笹崎の事だけだ。後は、誰かを孤立させたとか、変な噂を流して誰かの関係を壊したとか、ものを隠したとか、あることないことを好きなように言われるのだ。勿論彼女は言い返すこともできずに、責められっぱなしだ。
その集団から解放されたころには随分落ち込んでいた。自分はこうも嫌な奴だったのか、という思いが彼女の中で渦巻いていた。夢中になったら周りが見えない性分だ。制するために必死になり、模擬戦闘の途中で相手の腕の骨を折ってしまったこともある。彼が憑依した時ではなく、正真正銘の自分の時に何度もやらかした。気が付かないだけで、他にも色んな誰かを不愉快にしてきてしまったのだ。一度そういう考えにとらわれた彼女は、もう止まらない。もう頼りにしている彼は帰ってきそうにない。二人でさえ出来ていないのならば、一人で何ができようか。後は誰かを無作為に傷つけるだけだ。身の程を忘れ、勘違いしていた自分が恥ずかしく思えた。
――もうだめだ。
彼女はトイレの個室の中、そう思いながらカッターナイフをのど付近ににあてがった。
2016年3月
結局彼が家に帰ってこれたのはあれから十五日後であった。彼は強いフリークと戦ったのだ。と言っても戦いではなかった。もはや彼でも戦うための知識もなく、闇雲に力をまき散らすしか抗う方法が無かったのだ。よって、こんなにも帰ってくるのが遅れてしまった。ちなみに、何が決め手になったのか、彼にもわかっていない。それほどにがむしゃらに、必死に戦ったのだ。
彼は買ったお土産を手に、意気揚々と彼女の部屋に入ったのだ。しかしその瞬間、彼は異様さを感じ取った。
彼はあまりにおかしな彼女の部屋を呆然と見渡す。部屋の物が無くなっていた。買い集めたぬいぐるみや手編みのマフラー、ゲームの景品に飾ってあった小物どころか、棚も全てが消えているのだ。あるのはベッドと勉強机だけ。
そしてその部屋の主である彼女は、何もない部屋の隅で膝を抱えて小さくなっていた。見開いた目で彼女が見つめていることに気が付き、彼は部屋の様子を見渡していた視線を彼女に向けた。自然と見つめ合う形になる。
「お帰り」
彼女が少し遅れた反応で彼に言った。いつものにこりと笑った人懐っこい印象の表情になった。ようやく彼は家に帰ってきたのだという実感が湧いた。先程の様子は勘違いだと彼は自身に言い聞かす。
「おう。予想に反したえげつない奴だった。おかげでこんなにも帰りが遅くなった。というか話が変わるけど、部屋の模様替えしたのか? 行く前と行った後で滅茶苦茶違ってんだけど」
「あ、う、その……ごめん。ごめんなさい」
彼女は途端に目を伏せた。先程の笑ったものとは違い、今にも泣きそうな表情だ。
「なーに謝ってんだよ。どうせ連絡もよこさないクズ野郎に制裁として邪魔な荷物を捨てたってとこだろ。ひひひ。残念でした。そんなんじゃ俺はへこたれませーん。精々かさばる服を片付けたとか、俺が編んだマフラーを処分してしまったとかそんなんだったら気にしねえし」
そう言って彼はクローゼットを開けてみた。
「え?」
彼が見たのは、何もない空間だけが広がるクローゼットだった。空っぽなのだ。以前は、多くの服が入っていたはずだった。それだけではない。クローゼットの端に置いている本棚も何も無かった。彼の何度も読み直すお気に入りの小説や読みかけの本は勿論、彼女のお気に入りの本も雑誌もない。釣り竿やレジャー用品などの遊び道具も全てが無くなっていたのだ。
彼女は彼に対して、ただ「ごめん、ごめん」としか言葉にしない。
「その。保管場所を変えた?」
「その。あの、あの……。全部捨てました」
「? 俺は別にいいんだけど、あんなに大切にしてたもんまで? 結構高くて気に入った服も合ったじゃん?」
彼は、彼女の意思で捨てたわけではないとすぐにわかる。何があったのか聞けば、親に捨てられたそうだったのだ。
「ああなるほど。母さんか。そりゃしゃーねーわ」
「? お父さんだけど」
彼女は親を怒らせてしまったそうで、全て捨てられてしまったのだった。それこそ全てだ。
彼女は落ち込んでいるようだった。いつの話か聞けば、十日以上の前の事であった。
「立ち直れよ。また買い集めればいいんだし」
と彼は声を出して笑った。しかし、結構簡単な話ではなかった。部活もバイトも親の権限により辞めさせられたのだ。彼女はバドミントン部をすでに辞めてしまっていたが、それ以外にも手芸クラブや多数の部活動をしていた。それも辞めさせられたのだ。通帳も完全に抑えられてしまい、自由に扱うこともできなくなった。
「にしてもどした? 俺の時は怒り狂うのはいつも母さんだった。父さん怒らすとかよっぽどだな。何があったんだよ」彼は膝を抱えて小さくなっている彼女に密着するように座った。
「学校で問題起こしたり、家に帰っても殆ど会話もないし、バイトはいっぱい入れてるし。怒らせることはいっぱい」
「? バイトの制限、校則に無かっただろ? うちの高校、結構自由だし。不良でもねえ限り」
「私、不良なんだって言われたけどね」
「??? バイト入れてるっつても、ちゃんと法律にのっとってし、何も問題ないだろ? 居酒屋でもないし、時間も九時には帰らさせてもらってるし。? 何がいけなねえの? 補導もされたことないだろ?」
「私も分からない。とにかく、よくないんだって。私は不良なんだって」
彼はわけがわからず、言葉を返すこともできずにいた。彼は生前真面目であり、彼女も真面目なのだ。彼自身でもくそ真面目だと思っているほどだ。彼女も言葉やルールに強く縛られる節がある。ゆえに彼が積極的にさせようとしていた。それでも彼女には足りないとさえ思っていたのだ。なのに不良とはどういうことだろうか。
そんな彼の思考をよそに、彼女はしゃべり続ける。
「それにしても、不良にしても何にしても。私、結構頑張れていたと思わない?」
どいう点で、という言葉など必要ない。彼女は全てにおいて頑張れていた。勉学、部活動、家事、バイト、友好関係。バイト代も家に入れている。
「私、自分では頑張れていたと思っていたの。中学生の時と比べたら、成績はものすごく上がったし、友達も増えた。家のことなんて、私と貴方で殆どすべてやってる。でも、でもさ。これ以上どうすれば良かったのかな? もうわからないの」
彼女は言った。「死ぬ意外に、道が見えなくなっちゃった」と。
彼はその言葉にハッとした。彼女の首には、不自然に巻かれた包帯がある。
「なあ、その傷、もしかして」
「うん。自殺未遂しちゃって」
「なんで?」
「だって、私、貴方と二人でできたところってたくさんあったじゃない? でもそれよりもっとうまくやらないといけなかったの。なのに、ずっと貴方は戻ってこないし。これから一人でもっとうまく生きてくって、無理じゃない。貴方とやってきたことで無理なら、もう無理なの。死ぬ意外に無いじゃない」
「っくくっ、自殺……。ははははは! マジか! 自殺か!」彼はいきなり声を出して笑いだした。「やっぱりお前は俺だな! 自殺なんてくだらない事考えるなんて!」
彼女のきょとんとした表情に、彼は言う。今までの振る舞いから、彼は彼女が自分には思えなくなってしまっていたこと。友は多いし、好かれるし、勉強はできるし、遊びもバイトもよくしているし、共通点なんてないのだと。しかし、自殺というそんな馬鹿なことを考えることに、共通点を感じるなんて、と彼は言った。しかも、動機も思うところもあって尚更だと笑うのだ。
自分では頑張れていると思っても、所詮それは自分の中だけであり、自己満足。その現実を叩きつけられてショックを受けるなんて、まさに彼の思考パターンなのだ。しかし、そんな彼だからこそ、慰める言葉も浮かばない。「ま。今だけは死ぬことは考えるなよ。死ぬのはいつでもできんのさ」としか言えなかった。
彼は笑いながら彼女を抱きしめた。
「何?」という彼女に、「気が紛れると思ってよ。なんか、もっと自己チューな生き方でも悪くねーと思うぜ? 俺が言うんだ。間違いない。耳をふさいで、ついでに視界も覆う。『後の事なんて知らねー』『目先の楽しい事ばかり追いかけていたいー!』とか。逃げたいことに対してはただひたすらに逃げるんだ。気楽でいいんだって。実際、俺から見たお前は、全てベストばかりだ。俺が保証する。もしいけないことしたら、その前に俺が殺してる。保証するよ。今がベストだ」と言って、抱きしめ続けるのだった。
「ところで、学校はどした? 終業式にはまだだろ?」
「うん。サボり。只今絶賛不登校中。問題起こしていきにくくなっちゃって。学校のトイレで首を刺したから。それに、学校休むって連絡いってるみたい」
「ふーん」
「それと、私、精神病なんだって。今見えていて、触れたりできるけど、貴方は統合失調症による妄想と幻覚だってさ」
「こうしてお土産買ってきたんだけど」と半笑いに紙袋を彼女に見せてみた。
「うん。説明したけど、それも妄想の一部なんだって病院の人が」
彼女は家で声を出すのを恐れていた。というのも、彼と話をしていると、家族の誰かに見つかればひどく怒られるのだ。彼の存在は、家族さえも認知していないのだ。そのため、つい先ほど夜に彼女と彼が会話をしていて、親に怒鳴りこまれた。
「ユウ! 今、誰と喋っている!」
蹴破ったかのような勢いで扉を開けたのは父親だ。彼女は戸惑いながらも、誤魔化した。携帯電話を見せて言う。「友達と電話しています」と。彼女は父親に携帯電話を取り上げられると同時に殴り、「お前の電話は解約されていて、誰とも話なんてできない」と言いながら携帯電話をへし折ってしまった。
「お前の前には何もないんだ! もうおかしな事はするな!」と。おかしな行動を頭ごなしに否定するのだ。何が原因で、理由は何故、というものに関心がどうも家族はいかなかった。
彼と話していた時、彼女はまだましな考えであった。だが、部屋から出ることもなくなってしまう。それにつれて彼女はどんどん感情を表さなくなった。彼はその状態に心当たりがあった。
うつ病だ。
何か行動させないと、より一層悪い状態に陥ってしまう。彼はそれを経験で知っていた。
彼の場合、心を病むというよりも、頭の病気という認識でいる。自分がコントロールできなくなるのだ。意味の分からない恐怖などの負の感情にとらわれたり、ひどい物忘れ、家の帰り道が分からなくなる、友人の顔の区別もつかない、そんな症状だ。
何かをさせなくては、と彼は思った。トランプや将棋などのボードゲームを用意したが、家族に見つかっては怒られて捨てられた。彼女は何かをするのを酷く恐れてしまい、彼の誘いにも応じなくなってきた。
「部屋を出ないか」
「……」
「ランニングとかしようや」
「……」
「食事、どのくらいのペースでとってるか、自分で分かってんのか? 立ってみろ。いいから、立つだけだ。立て」
久々の彼の命令口調に、彼女はようやく応じた。随分足元がおぼつかなくなっていた。もはや彼女は歩行も困難なほどに体力が無くなっていた。
「魔術で体重はかった。30㎏だいとだけ言っとく」彼女は何も答えない。「何か思うところはあるだろ。言葉にしてみろ。なんでもいいから。……頼むから」
「うん。しょうがないよ。何も残らないんだもの」
彼女は随分心が弱ってしまっていた。
彼は、ある日。頼み込んだ。フリークの封印を手伝ってほしいと言ったのだ。
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