第2話 彼の願いと後悔と

2015年4月


 彼はいろいろ手伝いをしてくれる一方で、要求してくることが多かった。参考書を求めたり、彼女の事情も問わず、「あれを買え、これを買って」である。時にはカラオケに引っ張りまわされたこともある。いい加減、温厚な彼女も鬱陶しく感じるようだ。しかし、いろいろ助けてもらっている立場でありながら彼の要望を一蹴するわけにもいかない。要求にこたえている時点で、完全な対等な立場である。こうなれば、彼女はこんなやつに遠慮もいらないと、ため口で話すようになっていたのだ。


 入学式の日。彼女は彼と共に学校に来ていた。


「要綱もっかいみして。二組ね。そこの棟の二階。席は決まってるからな。俺は教室が分からなくなったうえに、席まで間違えて他人の席に座ってしまったという苦い思いでがある。おかげでクラスから悪い意味で印象づいた。お前も気をつけろよ。あと、間違っても俺に話しかけんなよ。どうしてもの時は、いつもみたいに携帯電話を持って話そうな」


 今は誰も周りにいなかったが、彼は普段、ほかの人には見えないのだ。彼女は声を出さずに頷いた。

 彼女は体育館に並べられている椅子に、要綱にあったように指定された席について入学式が始まるのを待った。残念なことに、今の彼女は中学の友達はおろか、知り合いさえもいなかった。見渡せば、すでに出来上がっている友達グループで固まっている人たちばかりである。一人でいるのは、彼女くらいだけである。きっとこの今の状況に、不安で戸惑ってしまっていたことだろう。しかし今の彼女の傍には、うざいまでに纏わりつく彼がいる。それだけで心強くあれた。

 入学式が終わる。これから教室に移動するというのに、先導してくれるような先生はいない。体育館の出入り口近くにあるボードに張り付けられているクラス分けの票を見て、各自で移動しろということである。

 その様を彼は彼女に説明してにやりと笑っていう。


「な? 不親切だろ?」


 これが一人であるならば、とても心細い事だろう。繰り返すが、いちいち説明をしてくれる彼の存在に随分救われている。

 彼女は落ち着いているが、それでも友達グループのいない人も彼女以外に存在する。否が応でもそういう人物は目に留まるのだ。そういった人に、彼は特に気にかけていた。


「なあ。頼みがある。そこできょどっている名も知らぬ生徒に声をかけてやってくんねえかな? 昔の俺を見ているようで辛いんだ。頼むよ」


 彼の頼みとなればどうも断りにくい。彼女はしょうがなく声をかけた。


「大丈夫ですか? ボードの前、人だかりできていますね。あなたは何組ですか?」


 男子生徒は要綱を持っていなかったらしく、自分のクラスもわからなかったらしい。


「俺の携帯見せてやって。クラス分け表の写メ撮った」


 そういって彼は彼女に携帯電話を渡した。彼が携帯電話を持っていることなどいろいろ彼女は聞きたかったが、それを我慢して表示された画面を男子生徒に見せた。


「私、写メ撮っておいたんです。貴方の名前が載ってるといいんですが」

「あ、ぼく一組だ」

「一組でしたらあの棟の4階ですよ西の方にある教室です」

「本当だ教室も載ってる。というか進学クラスだけ二年生の棟にあるんだね。危うくほかの人についていくとこだった。ありがとう」


 彼女が教室に向かう中、そこに進学クラスの生徒が迷っていたりした。彼女は進学クラスの場所を教えるなどお節介をやきつつあった。この高校には彼女の友達がいない。しかし、彼の頼みであるお節介をほかの生徒にしているうちに、クラスの人となじめるようになったのだ。


「うえー。マジかよこのクラス。ほとんどが課題やってきてねーっておかしすぎるって。俺の時なんか、クラスで課題をやってなかったのは俺だけだったのに!」


 彼が叫んでいるが、もちろん彼女は返事をしない。

 彼女のクラスの人たちは、大半が課題をやっていなかったようなのだ。一人に課題を見せるように話していたのだが、知らぬうちにコピーしてクラスの人に見せる羽目になった。コンビニエンスストアでコピーした後、カラオケなどして、親睦を深めたりしたのだった。

 彼女はそこで、部活動やこれからについて楽しそうに話すのである。

 そんな学生らしい遊びの後。何を思ったのか、家に帰宅するや、彼女は彼に色々聞くのだ。


「貴方は生前、どんな学生時代を過ごしていたの? 部活動は何所属してた?」 

「いっぱい」

「例えば?」

「武術部同行会、将棋部、文学部、ボランティア部、バレー部、ダンス部、ウェイトリフト、ジャグリング同行、イラスト同行、んーと本当に色々だ。どうせすぐどれも幽霊部員になっちったけどな。部活関連の友達は正にゼロだ。意味なかったな」

「特に力入れてた部活は?」

「筋トレ部に、……無いな。力を入れてたのは、部の活動をしているのが俺だけのものばっかりだな。それはもはや部活や同好会とは言えねえだろ。一人遊びだ」

「何かおすすめは?」

「女の子らしい部活でもやっとけよ。ちなみに生前の俺の性格では、野球、バレーみたいな団体競技はまず無理だったな。何をするかは重要じゃねえな。うん。誰とするかだ」


2015年5月


 彼女はバドミントン部に入ることとなった。彼はどうやら、バドミントンの経験もあるらしかった。


「バドミントンに限っては一年近くはやってたんだぜ? んーと、ありゃ八か月か?」

「何故やめてしまったの?」

「同期の仲のいい友達が自殺しちまって、顔を出しにくくなってな。そいつとは本当に気が合ったんだけど。魔術研究同行の一人でもあってな、そいつとかで一緒に魔術も作ったんだよ」


 彼女は合間を縫って、部活動をする日でもないのに部活の練習をするようになった。彼の経験もあってか、彼の指導が功をなし、すぐに実力を身につけたのだ。


「なんかいろいろ凄いわね、貴方。こうして私にずっと教えてくれているし、ランニングで疲れ切った時には背負って家に連れて帰ってくれるし。疲れないの?」

「俺には肉体が無いからね」


 そういう意味で聞いたわけではないが、それはそれで気になった。


「どう違うの?」

「まず疲れない。病気にもならない。感触はあるけど痛みを感じたことはない。ランニングも永遠にできるんだ」

「へえ。凄い。うらやましい」

「おいおい。体が無いっていうのはそれはそれで悲しいんだぞ?」

「ごはんとかおかしとかたまにつまんだりして生きている人とほとんど変わらない生活してるのに?」

「うーん。やっぱ不要なんだよ。それについては生前の俺の行いを表面だけまねてるだけさ。歯を磨いても、唾液と混ざる感覚も無し。食べ物も胃に落ちて、満たされる感覚もない。それに今やってるランニングとか。俺はな、体を動かすのが好きだったんだ。頭が真っ白になって、息が切れて、何も周りが見えなくなるあの瞬間が特に!」そこからさらに言葉をつづけると思いきや、彼は何かに落胆するかのようにいきなり目を伏せた。ため息をついて情けない口調に変わる。「……今じゃもうあの興奮がうまく思い出せない。言葉にもできない。好きだったんだ、と思う。体を失った今、わかるんだ。理性に塗りつぶされて、何をしても何を見ても快楽が何もなくなった。心を激しく揺さぶられない。むなしいわけではないけど、残念だ」


 彼女はどう答えればいいものかわからず、言葉を詰まらせた。


「いいなあ。お前にはいろいろあって」


 ある授業の時、そんなことを言っていた彼の様子が異常だった。テンションが見るからに高いのだ。それはいつか彼自身が言っていた事とまったくの真逆のものだ。


「おお! ザキザキ君だ!」


 彼がさす先には、男子生徒がいた。どうやら生前の友人であるらしかった。聞くところによると、何かと切磋琢磨しあったライバルなのだとか。結局勝率では彼が負けていたようだったが。


「長田! 前に出ろ! 模擬戦だ」


 先生が彼女を呼んだ。今は、魔術に対する実践的な自衛訓練の授業だ。


「何で私なんですか⁈ 普通男の子同士でやるんでは?」

「あー。ケガはさせない。だよな笹崎。あくまでもこれは、魔力有りと無の差を認識するためのもんだ」

「怖がってるんだ」と彼女は他の生徒からもからかわれる始末。仕方なく、彼女はグラウンドの真ん中についた。

「いいないいな。ザキザキ君とやり合うのか」


 彼のボヤキがムカついてしようがない。


「他人事だと思って。もう誰か代わってよぅ」

「本当か?」その瞬間、先程の楽し気な表情から一変した何一つ笑わない表情で彼が迫った。その瞬間。彼女は意識を手放したのだ。


 気が付けば、彼女は保健室にいた。何かあったのは彼女は感覚で分かっていた。模擬戦闘から時間が経っているのも理解している。そんな彼女は保健室のベッドに横たわっているのだ。周りには彼がいるだけで、誰もいない。


「ぁ。な、何が起きたの?」彼女の体は傷だらけであった。苦痛で体が思うように動かせていなかった。そんな状態の彼女に彼が申し訳なさそうな表情で伝える。

「すまなかった。俺がどうやらお前の体を乗っ取ったようなんだ。憑依って感じのあれだ」

「そ、そんなことできたの?」かすれた声で無理やり言葉をひねり出す。

「俺も分からなかったけど、できたみたい。それで、俺がザキザキ君と打ち合ったんだ。凄く楽しかった」

「?」申し訳なさそうな表情から一変する彼の表情。すこしおかしいと感じ、彼女は眉をひそめていぶかしむ。

「俺のジャブが入った瞬間、警戒してきたんだ。ンで、力で殴り掛かってくるところをタイミング合わせて引き倒してマウントを最初に取ったんだ。でもザキザキ君、うまいことそこから反撃してこようとするもんだから、3回だけ殴っただけですぐ距離とったわけ。そこから俺のヒットアンドアウェイ戦法、からのフェイクで首を取ってダウン。そこで先生の制止が入って、1ラウンドはそこまで」

「2ラウンド、あったの?」

「そう。あいつ、剣の柄で顔面殴りに来やがったわけ。先生が制止している中で。力量見誤るのも情けないですねって言葉、やっぱりまずかったんかな」

「それは挑発だよ。というか私、前歯がなくなってる」

「うん。それだよ。その時に折れちまったんだ。後で治しておくから。ンでだな、あいつ武器召喚だけじゃなく2級魔術も使ってきやがった。完全に近づかせないようにしてきてるってわかったから、ムカついてな。魔術かいくぐって、敢えて剣を受けてやって、その上で全力で拳を振り下ろしてやった。肩が完全に砕けて、そこでk.oってわけだ。それまでも5回もダウンを取ったんだぜ? 総合格闘技のルールとかわかんねえけど、完璧に俺の勝ちだぜ」

「楽しんだようで何より。逮捕術って、そんなに凄い武道なの?」

「あくまでスポーツさ。倒れるまで殴るなんて本当はしない。ポイント制なんだ。極真空手みたいな、古武術みたいな殺しの技じゃねえよ。ちなみに、その時の打ち合いなんだが。お前の魔力暴走ってことになってるっぽい。もう喋んなよ。後は俺の魔術で次の日までには、何一つなく治してやるさ。なんか先生が救急車呼んでるけど、ひつようねえよ」


 彼の楽し気な表情を見ていると、ムカついてた彼女の思いは霧散した。まあいいか、と思い直すのだ。



2015年8月


 夏休みに入ってしばらくした頃。彼女たちはキャンプに来ていた。学校の行事ではない。個人で企画し、友達を誘い、そしてやってきたのだ。まぎれもなく、ただの遊びである。女子の友達三人、どうにか男子の友達二人を誘って一泊二日だ。

 実を言うと、彼が「クラスメイトの誰か何人かを誘ってキャンプしたいな」とわめいたためだ。

 彼女が誘った友人らは楽しく会話をしている。


「俺の友達に行きたがってたやつがいたんだけどな。やっぱ駄目だったん?」

「男子が少なくて当たり前よ! こっちはか弱い女の子なんだから!」

「おい。か弱くない女子が何名かそっちにいるんだけど」

「ガチの殴り合いで、実力派の男を圧倒するのは流石にね。制止に入った先生に男子二人を投げ飛ばすのもまたおかしいし。僕らじゃ間違っても勝ち目無いよ」

「つーか、俺らじゃ武器有りでも勝ち目ねーよ。実際、あの笹崎が武器ありでどうにか対等に持って行った感じだったし」


 そんな会話が繰り広げられていたが、聞いていた彼女は自分の事を言っているとは思っていなかった。その時の記憶もないのだから。

 友達を誘ったところで、泊まるとなれば説得は難しいように彼は考えていた。しかし、彼女はクラスで随分信頼されていており、彼が思っている以上に人を動かしてしまったのだ。たかが思い出作りに、異性と一泊なんて彼は考えられなかった。彼女がクラスでどういった存在かを、示しているかのようだった。

 綺麗な川が流れる山間がキャンプ場所だ。

 ここに来るまでの交通機関や最悪に備えた宿泊施設の確認、キャンプに必要な道具のレンタルの手配など。面倒なことは全て彼女が請け負っていた。さらにはそこでのテントの組み立てや夕食の準備に後片付け、花火をした後の片づけも彼女がしていた。

 むしろ、楽しむところなど無かったのではないかと思えた。だというのに、彼女は楽しそうに笑っているのである。

 真夜中、彼女は一人でテントを抜け出して夜空を眺めていた。


「何かをするっていうだけで十分楽しいね。貴方はついてきてどうだった?」

「見てるだけで十分楽しいわ。それなのに、いろいろこっそり参加させてもらえるとか、文句ねえし。ちなみに俺がここでキャンプしたのは二年生の終わりの時だったんだわ。修学旅行が取りやめになっちまってな。仲の良かった俺含めた男子三人女子二人でここに来たんだ。俺はいじられてばっかだったけど」





 彼女は感じ取っていた。


――あの人は、私を通してやりたいことをしている、と。


「ねえ。貴方は何故自殺なんかしたの?」

「何で自殺したんだろうな。よくわからなくて」

「わからないのに自殺したんだ」

「わかってるんだ、心では。言葉にできないんだ。あの時点では、俺は死ぬべきだったんだ。それがベストだったんだと判断して自殺したんだ」

「意味わかんないけど。判断してってどいうこと? だったら今更私に『こうして、ああして』って言うの?」

「……」



 彼の思いはわからない。しかし彼女は彼の願いにこたえてやりたいと思えていた。深い意味はない。彼女は優しい性格なのだ。彼にはどうか救いがあってほしいと思ったのだ。

 おかげで彼女は活動的になっていた。彼が生前に釣りをしていたことがあると言えば、経験も知識もないのに道具を買い揃えて釣りに出かけたり、クロスバイクを買ってサイクリングに出かけたり、変わった店に立ち寄るなどした。それらの出来事をできるだけ彼女は携帯電話の写真に残すのだ。その写真に映る彼の表情は笑っていたり、驚いていたり、彼女の悪ふざけによって不機嫌に顔を歪ましている表情が多かった。どれもが感情を感じさせるものばかりだ。彼女は見返すたびに笑みがこぼれた。そんな写真を撮った時、この人のためになしたのだという達成感があった。満足感ついでについつい形に残したくて、意味なくSNSに写真を投稿してみたほどだ。


「おい。何だよこれ。お前の顔はともかく、俺の顔も映ってんだけど」

「いいじゃん。ただの日記。ほら、フォロー無しだし、誰も見ないし」

 そう言いつつ彼は思い出にふけるのが好きなようで、存外この日記を気に入り、彼女の携帯電話を勝手に使ってたまに読み返すのであった。


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