第17話 八幡の思い

 八幡の世界観が変わった出来事にあったのはついこの間の事である。二年生の始業式の一日前の、春休み最後の日。

 八幡はその日、誰かに命を救われた。学校のジャージを着た女子生徒である。八幡はその女子生徒に助けられていたが、その代わりに女子生徒は片腕を失うという大怪我を負っていた。八幡は結局まともな礼も言えず、連れの男とその場を離れるのを見送るしかなかった。その助けてくれた女子生徒が、見た覚えもある筈の姿だというのに、誰なのかわからずにいた。恐怖と混乱から、記憶が曖昧になってしまっていたのだ。

 恩人である人は、同じ学校の生徒で、片腕を失っている。そればかりが記憶に残っていた。


 八幡は始業式、学校が始まった日にすぐに人探しをしていた。恩人にどうしても礼を言いたいのと、片腕を失ってしまって、これからどうするのかを話したかったのだ。

 八幡は初日から学校を休んでいる人を男女関係無く全員調べ、更には別学年をも調べてみた。魔物に襲われた通りが滅茶苦茶になった事件は新聞記事にも載っており、八幡はその切り抜きを持って周辺の病院を当たってみたりもした。しかし、その日にそんな大怪我をした人はいないし、何も恩人に繋がるような手掛かりは得られなかったのである。

 八幡は自分でも気持ち悪い行動力だと思っていたが、それ以上に恩人の事が気にかかっていた。肉片とジャージの切れ端がありながら、警察も手掛かりを掴めていない様子であった。それももどかしく思えたのである。




 ある日。

 学校で昼休みになり、八幡は昼食をとっていた。教室で友人らと喋りながら弁当箱をつつく。今日は聞き込みしながら恩人を探そうかと考え込んでいると。ふと、教室で誰かが笑い者にされていた事に気が付いた。

 あまり関わった事もない生徒ではあるが、あまり気分の良い物ではない。そう思って、振り向く。しかし見てみれば、だ。

 笑い者にされている者の様子は、馬鹿にされてもしょうがないものだった。箸もまともに持てず、ぼろぼろと食べこぼしが目立ち、弁当箱に限り無く口を近付けて貪るような姿で食べているのだ。

 しかもその女子生徒は、よく見れば長田という生徒であった。八幡はこの女子生徒に対して、良い印象を持っていない。


「気持ち悪い食い方だ」


 八幡も気が付けば周りの生徒と同じ言葉を吐いていた。

 頭のおかしい奴。魔術の素質があるのを良いことに、平気で八幡の友人である笹崎という生徒を病院送りにした事もある。しかもそれについて何も反省もした様子がない。

 そんな存在だ。


「なんだありゃ。品もねえ」


 八幡の友人が呟くが、もっともだと思えた。せめて両手を使えと言いたい。その瞬間、八幡ははっとした。慌てて長田の姿を再度見る。


「あいつ、腕がない!」


 腕がなかった。もう一度確認する前に、そんな彼女は慌てたように食べかけの弁当を片付けて教室を飛び出していくのだ。他の生徒は一切気にした様子も無く、「うわ。逃げた」とかささやくのだった。



 何度見ても、彼女に右腕は無かった。

 八幡はそれを受け入れるのに時間がかかった。探している恩人と同じ状況というのは、偶然であっても気持ち悪い。長田という女子生徒が恩人かもしれないというのは、思い過ごしだ。きっと気のせいだ。はたまた元々片腕の無い奴だったと思い込もうとしてしまったりもした。しかしあの惨めな食べ方は、明らかにおかしい。何より八幡自身が、長田を何度か見ている。その時は間違いなく、異常など無かったのだ。少なくとも、最近何かあって、腕を無くしている。


 八幡は自身に言い聞かし「彼女に片腕の理由を問いただす」と心に決める。だが、休みを挟んだ次の日。呆気なく八幡の心は折れた。

 見覚えのある男子生徒が彼女のそばに居たのだ。間違い無く、あの日に現場にいた男子だ。

 八幡は心のどこかで、恩人が彼女ではないこと願っていた。八幡の友人である笹崎に暴力を行う他、何かと評判の悪い奴。八幡の知人もこいつに色々やられている。そんな奴に助けられていたなんて思いたくもない。

 八幡は彼の姿を見て、彼女が恩人であるのを確信すると同時に、ようやく自身の心情を理解したのである。


 それから。八幡の視線は、ずっと彼女を追いかけていた。何故助けたのか。しかも何故、助けたことにも鼻にかけないのか、恨まないのか。少しはこちらに対して話し掛けたりしないのか。こちらには何も思うことも無いのか。

 彼女に対して知りたい事ばかりが溢れている。

「いや。何を言っている。まずは感謝の言葉を伝えるべきだ」

 何より彼女は腕を失っているのだ。確認するように言葉に出して自分を叱責する。しかし、すぐに首を振った。

「……違う。謝るべきだ」

 彼女は惨めに食事をとっていた。気が付かなかったなんて、済ませられない。クラスにも馬鹿にされていた。自分のせいだ。あの時魔物と遭遇していなければ。自分を見て見ぬふりをしていれば、怪我をする事等なかったのに。様々な思いが入り乱れていた。

 八幡は自分でも、どの感情を優先すべきなのかわからずにいたのだった。


 八幡は、部活も行かずに頭を抱えて、そのような事を考えていたのだ。一晩中考えた末、どうにかまた彼女に話し掛けようと思えた。

 しかし、彼女のそばには、ずっと名も知らぬ男子が居た。此方はその男子を知らなかったが、むこうは此方を知っているのだ。あの魔物に襲われた日、男子生徒ははっきりと八幡のあだ名を呼んでいた。

 その男子生徒は、彼女の近くに常にいるのだ。彼女を目で追いかければ、自然と男子生徒の方にも意識が行く。その時、必ずと言ってもいいほどに男子生徒は此方をじっと見つめているのだ。間違い無くむこうは意識していて、威圧していると八幡は感じていた。



「腕の無いオメーに代わって食べさせてやるって。ほら。あーんってな。ほらほら」

 眼鏡をかけて地味な姿になった長田は、男子生徒に弁当を食べさせられようとしている。そんな彼と彼女の関係の中に、八幡は突っ込むこともできなかった。


 行動力に溢れた八幡と言えど、近くに寄れば男子生徒に威圧される上に、罪悪感に押し潰されてはさすがに動けないのである。


 しかし、時間が経つ毎に、八幡の思いは募る。その思いが感謝なのか、謝罪なのかわからない。彼女の事を元々悪く見ていたのもあって、尚更自分の感情をまとめるのを難しくさせた。

 そもそも、何故、自分を助けたのか。非難の言葉を言ったり拒絶するなど、嫌われたりする事はあっても好かれた事をしたような覚えなど一切ない。どのように考えても納得できず、彼女の考えがわからなかった。


 ある日。彼女のそばに彼の姿がなかった。「彼女と喋るには今しかない」そう思うと、気が付けば八幡は彼女に話しかけていた。

「長田。話がしたいんだ」




 八幡は拒まれていた。顔を見るやいなや、おびえたように後退りをする。話しかけても「反省してます。もう喋りかけません」と、いつのことを言っているのかもわからない事で、彼女はただ謝り続けて会話にならないのだ。

 八幡は彼女の事を、知りたかった。知り直そうと、他の知人に「長田ってどんな奴?」と聞いていったりもした。

 しかし聞いても、長田という女子生徒は暴力的で、男にも手当たり次第声かける等と良くない話しか聞けなかった。ボスを気取ったり、気に食わない者には容赦ないとかそんな話ばかりだ。


 雨の日。



 ある日の土砂降りの日。事前に学校で大雨になると言われていた。部活も中止、先生も皆、早く帰るように伝えていた。過去にここ付近で大雨によって孤立した事もあり、先生も口をすっぱくさせながらも生徒に言っているのだ。

 八幡は帰るタイミングを失って、校舎をうろついていた。心配性の親が迎えに来るまで、何もする事が無かった。そんな時、友達が廊下にいた。笹崎とその親友だ。

 なんとなくその二人と会話する。

 話題は不思議な事に、長田という女子生徒、彼女のことについてであった。


 二人の中での彼女は、随分噂と違った。天然ボケでありながら天真爛漫で明るく、何でもできるとか。しかも、笹崎は彼女に好意持っているらしい。

 当の本人の彼女は、頭がおかしいようで、土砂降りの中で校庭で楽しそうに誰かとじゃれている。不思議な事に、八幡のクラスにいる時とはかけ離れすぎて、別人だと思うほど明るい振る舞いだった。

 更に話をすれば、八幡は笹崎の親友から動画を見せられた。彼女と八幡との殴り合いだ。

 誰が見ても笹崎が悪かった。動画の最後の、彼女が正気に戻って痛みにあげる叫び声も鳥肌がたった。魔力の暴走が終わり、痛みが襲っているのだろう。怪我の状況も笹崎の比では無い。笹崎は少なくとも生きている。それに対して、彼女は死に際の断末魔のような声をあげている。


 笹崎の友人は動画を見せたあと、「この日を境に、長田の性癖歪んだらしい。ザッキのせいだな」と笑うのだ。「むしろオメーが性癖歪められてんだろ」と笹崎は言う。彼女は殴り合いが好きなのだそうだ。

 その後、彼女の骨を折ったり折られたり、首絞められて射精したとか馬鹿話を聞かされる。とても笑えない冗談だが、八幡はとりあえず笑っておいた。まるで笹崎もその親友も、彼女にやられたのが誇らしい事でもあるかのように笑いながら話すのだ。

 最終的に笹崎は、最近そのように彼女から構ってくれなくて寂しいと言うのであった。

 彼女は最近、模擬戦闘も特定の男子生徒しかまともに相手をしないらしい。それも含めて笹崎は嘆いているのだった。せめて以前のお喋りできる関係に戻りたいとのこと。しかし、笹崎は彼女と会話ができない原因がわからずにいるのだ。


 呼び出して、数人で彼女に言った言葉を八幡は思い出していた。「俺の友達に関わるな」と言ったのだ。笹崎から話を聞く限りそれまで仲の悪くなかった様子の彼女と笹崎だが、彼女が途端に笹崎としゃべらなくなった理由はこれ以外に思い当たらなかった。彼女が自殺未遂をしでかした時期も丁度重なる。



2016年7月



 魔物との戦闘実習で魔物が暴走した、その事件から数日。

 八幡の学校には報道陣かよくわからない人だかりで溢れていた。学校だけでなく、外にも被害が出ていたのだ。問題に問われても仕方がない。

 八幡は足取りの重そうな笹崎らと顔を合わした。そんな笹崎に挨拶を交わすが、笹崎は随分と落ち込んでいた様子であった。どうも一昨日の事について、手の届かない存在で、自身が恥ずかしいのだと言う。誰の事かは明白だ。長田の事についてだ。しかしそれ以上彼女の事について話を振っても笹崎は何も返してこなかった。

 校門に入ろうとするとき、登校から取材に捕まっている生徒が何人かがいる。嫌々ながら受け答えするのはまだしも、ある生徒は得意になってしゃべっている者。そういった人に対し、無意識に八幡はよくあんな光景について受け答えできるものだと軽蔑の視線を向けていた。

 校舎に入ろうとした先にも記者なのかよくわからない人がいる。これまた誰かが楽しげに受け答えする生徒がいた。しかし聞こえてくる内容はあまりに不愉快であった。

「頭がおかしい」「どうでも良いことを大袈裟に騒ぎ立てるし」「今回の事もどうせ馬鹿な事をしたんだ」「気性は荒いし、何をするかよくわからん」「本当に理解しがたい」

 等と早口で言っている。

 八幡は何故あんな光景を学校で見ておきながら、彼女を貶す事が言えるのか。

 手足はちぎれていたし、血も沢山流れていた。観客であるこちら庇うような戦い方をしていて、それで怪我をしている。それを大袈裟に騒ぎ立てていると言っているのがムカついた。インタビューで嬉しげに話す男子生徒は他の生徒も引きずり込もうと話しかけている。八幡や笹崎らにも話しかけてきた。


 笹崎は怒ると思いきや、適当に受け答えをしただけで、早々に校舎に入ってしまった。八幡は好き勝手に言うのがムカつき、報道陣に向けて面白おかしくふざけて話す男子生徒に怒鳴ろうとした。しかし八幡より早く、笹崎の親友である白鳥が先に声を荒げていた。


「誰もしゃべらねえじゃねえか。なんか裏でやってんだろ」

「それは、それは、それを、言うのか?」

「ほら、言い返せないでいる」

 他の生徒が庇うような事を言わない事についてであるが。彼女の真相を知っている人ほど、そういった事について口を閉ざしてしまっている状況なのだ。もしくは感性が根本から狂っている人でないと喋りにくい内容なのである。うまく言えない白鳥は口ごもり、変な男子生徒に対して言い返すことができなかった。

 そんなときに、更に変な奴が入り込んできた。誰かの知り合いかと思ったが、様子からして誰も知らない男子生徒だ。何故入り込んできた、と思った。

 入り込んできた男子生徒は、先程の男子と同じように「長田は頭がおかしい」と捲し立てるように早口で言う。

「長田って奴は、張り付けにしたり、手足の数本折ってやってから模擬戦闘してしまえばいいんだ」等と言い出し、さらに自分の言ったことに対して「それ、凄く面白そう!」とゲラゲラ笑い出すのだ。


 八幡は笑い声をあげる男子の胸ぐらを掴みあげていた。胸の奥から沸き上がる怒りだった。

 しかし、胸ぐらを捕まれている当の奴は意外なのか驚いた顔をしている。

「見て見ぬふりしていてヤタ君が言うのかい?」

 そして、壁にするのかのように、誰かを引き寄せる。話題の例の彼女であった。ずっと近くに居たのだ。八幡は言葉をつまらせた。

 彼女は男子に何か言うように促され、渋々何か喋る。しかし、彼女は泣き出してしまった。半狂乱に暴れようとするが、男子が「ごめん! 遊びすぎた! 落ち着けって!」と言いながら押さえる。

 いつの間にか周囲に発生している魔力を帯びた空気は見るからに危険で、誰も彼女に近付く事が出来ない。カメラマンや他の人が「いてっ、いたたた!」と慌てたように彼女から距離をとる。魔力を帯びた空気は全て彼女から漏れていた。魔力の暴走である。

 気が付けば二人は居ないのだった。


「なんだよあれ」

 八幡は嫌悪を込めて呟いた。それとは違い、笹崎の友人の白鳥は歯痒そうな、悔しそうな、何とも言い難い表情をしていた。しばらくして息を吐いたかと思えば、白鳥は八幡に言う。

「ヤタ。お前のその言葉はどうかと思う」と。


 八幡の中では、彼女の付きまとう彼の存在は最悪の物となっていた。

 どういう訳か八幡の中では、彼女は彼に言いなりにされているのだと解釈するのだ。

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