第12話
2016年7月
彼女は酷く落ち込んでしまっていた。
捕獲した魔物を処分されてしまっていたのだ。ノートなどの、関連した物も全て無くなっていた。それからというもの。封印した魔物は持ち帰らなくなった。その場に放置である。その際。夏休みは学校の人も多いという理由から、魔物の封印をする際は変装していた。変装と言っても、服装を変えるだけではない。両手足が義肢であることを利用し、身長さえも誤魔化していた。
そこまですると言えばおかしいかもしれないが、彼女にとって折角の良い天気に、部屋にこもりっきりは嫌だった。家にいることは苦痛であり、知り合いに変なことをしているとばれるのもつらいのだ。変な事とは、魔物の封印だ。
「今日、今頃は終業式だね。明日から夏休み。折角の夏休みだし、外へ行きたいね」
彼女が部屋でぼやいた。彼女の部屋は閉め切られているというのに、常に換気されたかのような空気が漂っている。もはや使い慣れた魔法によるものだ。
「散歩するか?」
「したい」
彼の言葉に彼女は即答した。彼女の心は随分快方へ向かっている。彼女の部屋にあるごみ箱には返却されたテスト用紙が突っ込まれていた。テスト期間のわずかな間だけ彼女は出席していたのだ。そしてその返却されたテストの結果はいいものであるが、彼女にとってはよくないものだ。その時彼女はテスト用紙に書き込むはずの自らの名前が書けなかったのだ。名前の『ゆう』という文字が書けなかった。漢字はもちろん、ひらがなの『ゆ』がどうしても思い出せず、テストの名前の欄には幾度も書き直した跡があるのだ。
返却された何枚かは、自信満々に書いておきながら間違えて書いている。自身の名前が書けなかったのに気が付いたのは三教科目になってからだ。「こんな名前だったかな?」と思って自分の名前が書けてないことに気が付いたのだ。思い出そうとすればするほど、わからなくなったのだ。
彼女はあきらめて名前の欄を空白にして提出した。あきらめと言うが、ひどく彼女は自分に絶望してしまうほどだったのだ。彼女はそれを思い出したくない。
「よし! 行くか! どこ行く?」
「でも怖いかな。完全に姿を消す魔法とか無いの?」
「魔眼持ちに出くわしたり、解除系の魔法食らったら変人扱いされちまうって。最近の監視カメラも精度もわからねえし、あんまりすすめられねーけどな」
「でも、なんか勿体ない。散歩したいな」
「俺と一緒じゃ嫌か? 気配はまぎれるぞ?」
「妄想と一緒に歩くつもりになるのもね」
「まだ言ってんのか」
「変装とかはどうかな。手足伸ばしたりして身長変えられない?」
「できねーことはねーけど。そこそこ痛いぞ?」
「それでもやりたい。家にいるのは嫌い」
数時間後。凄まじく身長が高くなった彼女がいた。彼が作り出した鏡に、彼女は自らの姿をうつしている。彼がこっそり親からくすねた金を使って買ったウィッグをつけたりするなどで遊んでいた。
「すごい! 私じゃないみたい!」
「ああ……、うん。モデルみたいだな。スレンダー」
彼女はその姿を気に入り、その姿で出歩くのだ。しかし、時に身長を低くし、どこかの中学の男子学生服を着て出歩くこともしていた。
「お前、ゼッテーコスプレとか好きだろ」
「違う何かになりきるのが楽しい」
彼女は彼にも変装を強要したりして楽しんだりするのだ。
逃避の感情によるものだ。何かをしたいと思う一方、何かをするのを恐れている。そういうジレンマの中、コスプレと言う名の変装だ。自分をやめたいという願望が彼女にはあった。
彼女たちは隣の県まで小旅行に出かけたり好きなように夏休みを過ごした。適度な運動、刺激が欲しくて魔物とも戦うのだ。少しハプニングもあって街中のど真ん中で魔物と戦ったりもしたが、彼女は変装もあって気にしていなかった。彼女の心は確実によくなっている。
その際の戦闘であるが。戦い方も変えたり、封印方法も敢えて時間のかかる非効率なやり方をするなどして、本来の彼女を思わせるようなことは全て誤魔化していた。彼は万能で、器用なのだ。あたかも彼女が一人で戦っているように見せるのも簡単であり、様々な戦い方を見せるのも得意なのだ。
「中学生や一般人が魔物と戦うって記事、間違いなくお前の事だぜ! バレてねーし、変装が完璧だったんだ!」
「それより、次ここ行ってみたいと思わない?」
「あらら。キョーミねーのね」
2016年9月
彼女は始業式に合わせて学校に行くようになった。
彼女はどうにか感情のコントロールができるようになっている。怖いものは怖いことに変わりはないが、その感情を出さずにいられるようになったのだ。彼女は時折自身のうわさ話を聞いたりするが、全て無視して聞かないようにした。
彼女は彼の口癖を思い出す。「『勇怯の差は小なり、責任の差は大なり』ってな。追い込まれているときにどう立ち振る舞えるかで人の価値は決まると思ってる。俺の武器召喚もそう。理性の鎖。これが俺の生き方だったんだ」と。
弱っているところを他の人に見せないようにしていた。彼女はこれでも頑張っていた。
「昼休みだけど。教室で食うのは嫌だよな」
昼休みの教室のことである。彼が彼女に言った。陰口を言われながら食事をとるのも相当辛い事だろう。トイレで弁当を食べるのも嫌だろう。彼女と彼は適当に落ち着いて食事をとれるところを探し始めるのだ。そんな中、ある階段に目が留まった。
「ありゃりゃ。ここも誰かいる……。三矢だ!」
彼女はその名前に憶えがあった。彼の生前の友達の名前だ。一年の頃に自殺するはずだった彼の友達だ。三矢という男子生徒は階段に座って一人きりで菓子パンを食べていた。
彼女はその前に立ち尽くしてしまった。自殺していた人物ということもあって、気になったのだ。
「……ぁ」
三矢が彼女の存在に気が付いて、彼女と目が合う。誰だろうか、と言いたげな表情を三矢はしていた。
「……あ、あの」彼女が三矢に声をかけた。「あの。私もここでお弁当、食べてもいいですか?」
三矢は驚きながらも、それを了承した。むしろ誰よりも驚いていたのは、彼である。そんな彼は姿を消して二人の様子を見ている。
彼女は戸惑いながら三矢から少し距離を取って座って、膝の上にお弁当を広げた。二人の間に一切会話などなく、食事をとっているだけだ。まるで見えない壁が二人の間を仕切っているかのように、互いに存在を気にしていないように彼からは見えた。存外それでも三矢は気まずく感じていたのか、早々に食事を済ませて去ろうと立ち上がった。
「あの!」その様をみて彼女が慌てたように呼び止める。「また、明日も一緒にご飯、食べてくれませんか!」
「え?」まるで豆が鳩鉄砲をもぐもぐ食べたかのような表情だ。きょとんとした三矢に彼女は言う。
「いや、あの。一緒にご飯食べる相手が私、いないんです。その、だから」
彼女は肝心な言葉がまた出せずにいた。随分時間をかけたあと、結局、「また明日」と小さく短い言葉で別れたのだった。
その日から彼女と三矢は昼休みを過ごすことになったのだ。
最初こそ一切会話など無かったが、ほぼ毎日一緒に食事をとるようにした。差し当たりの無い会話しかしないが、日を重ねるごとに会話の内容は増えていく。ジュースをおごったり奢られたりの関係から、彼女はある時「弁当を作ってあげる」という話にまでなった。彼女は料理が好きであり、適当な誰かに振る舞いたかったのだ。彼女の家族は彼女の料理を好まないようであり、特に父親と弟には随分不評なのだ。
もともと彼女は、自身と一緒に食べていて恥ずかしくないのだろうかという申し訳ない感情を三矢に持っていた。感謝のつもりで飲み物をおごっていたが、それに対して三矢も奢り返すという循環が生まれていた。そこで迷惑でなかったなら、弁当でも作ってきてあげるという流れになったのだ。
しかも三矢も、「毎日お弁当を作ってもらうなんて!」と申し訳ない気持ちもあって一度断ろうとしたことがあった。しかし彼女と言えば「ごめんなさい。相手の気持ちが汲めない。迷惑だったことに気がつけなかった」と泣きそうな表情で自分を責めだすのである。
それを見た三矢は「すごくありがたい。本当は毎日食べたい」と慌てて言い直すしかないのであった。
彼女は確認するかのように「本当に? 嫌じゃない?」と何度も聞くのだ。
「私、三矢君とお昼ご飯食べるために学校来てるんです。私の作ったお弁当食べておいしいって言ってくれるだけで救われているんです。だから」
彼女はできる事ならば、こういう関係が続いてほしいと三矢に言うのだ。
ある時。彼女と彼が部屋で会話をする。三矢に関することだ。
「すごくいい人ね。一緒に居て落ち着く」
「そりゃな。一番友達の中で居心地が良かった。共通点も色々多くてな」
「三矢君って、貴方の世界では一年生の頃に自殺してるんだったよね。何があったのかな」
「親が魔物に殺されて、心が随分弱ってたんだ。でも、それだけじゃない」
「どうしたの? 何かあった?」
「……。俺が、俺が、あいつの心に」
「心に?」
「差し伸べるべき手を。助けを求めたあいつの手を振り払った。振り払ってしまったんだ」
「言葉が要領を得ないけど」
「告白紛いなのか、よくわからないことを言われた。俺は『友達だよ』と言ったんだ。しばらくして自殺したって聞いた。聞いた瞬間、やっぱりなって俺は思った。言葉を放った瞬間、取り返しのつかないことになった。分かってたんだ。だけどわからないふりしてて」
「恋愛の対象として好かれてたの?」
「わからん。もう二度とわからん。でも死んだのは確かなんだよ」
「……」
「お前がお前であってくれていたから、三矢は生きてんだ。お前が俺だったら駄目だった。死んだ。生きている。それが全てなんだ」
彼の後悔だったのだろうか。酷く取り乱していた。彼が言いたいことも分からなかった。
ただ彼女は、自分だから三矢は死なずにいたのだという妙な確信を持ち、少しばかりの優越感というか、自信となるのだった。
三矢は、最初は彼女が地味な女の子に見えていた。実際、眼鏡をかけている上に、目が見えないくらいに前髪が垂れていた。しかも、お洒落を感じさせない二つに括った髪型だ。三矢は、こういう女子もいるんだなと感じていた。
ある時の自衛の授業の時だ。一年生と二年生の合同で行われる授業だ。二学期から、こんなにも規模の大きいものとなっていた。
夏休みに入る前の事だ。生徒が持ち込んだ封印された魔物が実習の際に想定以上の力をもって暴走した事があった。それが原因だった。その時に二人の生徒がそのまま魔物に立ち向かい、うち一人はその際に大怪我を負っていた。三矢はその場にいたのだ。そう言えば、あの女の子は無事だったのだろうかと思いがよぎった。生きているのだろうか、と。
しかし、普通にグラウンドの隅でその女の子は戦っていた。
テレビでも相当な話題になっているのだ。もう少し他の生徒に囲まれていてもおかしくないと思っていたが、そうでもなかった。彼女が捕まえたという魔物は例の事件が終わった後、回収されてどこかの凄い研究所で解析されているらしい。世紀の大発見。まさにお茶の間を賑わせる存在だ。それが普通に男子生徒とじゃれるように戦っているのだ。そう思うと、すごく不思議な光景に思えた。
彼女は男子生徒と素手で戦っている。
「お前、対人戦闘弱すぎ。ほれほれ。降参しろ。ここまで追い込まれたら、刺し違えるつもりでも逆転は無理だ」
「うーっ!」
彼女は男子生徒に組み伏され、足で踏みつけられている。彼女は唸りながらもがいていた。彼女を弱い扱いする生徒がいることに驚いていたが、よく見れば彼女のパートナーだ。暴走した魔物との戦闘に、一緒にいた男子生徒の事だ。魔物の暴走時は、彼女を抱えて移動したり魔法を使ったりと、とにかく凄い存在だ。
しばらく三矢が二人を眺めていると、不思議なことに二人は別の生徒に怒鳴られてショボショボと此方に向かってくるのだ。
「いや。マジで悪い。俺が組み手やろうって言っちまったし」
「しょうがないよ。私も隅でやる分にはいいかなって思ってたし。それより、私たちより怒られるべき人なんてたくさんいると思うんだけどな」
「そういう事じゃねーよ。さっきの、弟君だろ。恥ずかしいことしちゃったから、それで怒ったんだよ。言っとくけど確かに時間が経てば、お前は女らしく成長するし、弟君は男らしく成長する。いつまでもお前と双子のごとくそっくりってイメージ持つのもおかしいからな」
「? 言われてみたら確かに……。あ。三矢君」
パートナーである男子生徒と会話しながら、おもむろに自然に三矢に声を掛けてくるものだから、三矢はひどく驚いた。
彼女は「また失敗してしまった」と言いながら眼鏡ケースから出した眼鏡をかけ、髪を二つに括った。前髪もおろし、瞬く間に地味な女の子に変わったのだ。
そこで初めて三矢は、いつも一緒に昼飯を食べている彼女だと認識したのだ。
昼休みの時である。三矢は、「自分なんかより、一緒に食べる相手がいるはずなのでは?」と思い始めた。彼女のパートナーである男子生徒だ。
三矢は彼女と二人きりで話しているなか、敢えて他人である彼を話題にした。「格好よくて、凄い人だ」と。それと同時に三矢は自分を卑下して言った。それに対して、彼女はとても喜ぶのだ。
「本当にそう思う。ホント? ホント? だったら嬉しい!」と。
自分の男を誉められて、嫌な気持ちになる人は少ないだろうなと三矢は思った。
「あれね。実はね。正体教えてあげるね。あれは私なの! 私自身の別の可能性!」
「は?」
「私は他人の事も考えられなくて周りも見えなくなりやすいけど、それでもそういう可能性の自分がいるっていうのと、それを受け入れてくれる人がいるって、すごく嬉しい。折角だから姿見せて! ほら!」
彼女はとても嬉しかった。自分を認めてくれたように感じたのだ。彼女はどう生きようとも、本質を否定されているように感じていた。理性の鎧を纏えば、表面上は受け入れてくれる。しかし本質を変えるのは難しいのだ。
三矢という存在は、彼女にとって、彼を誉めた事を通して変えることのできない本来の自分を受け入れてくれたように思ったのだ。
というのも、彼女は笹崎という男子と二人きりで話していた時に、酷く彼の事を悪く言われたのだ。決して笹崎と彼女は仲が悪い訳ではない。むしろ仲が良い方だ。それだけにショックだったのだ。彼という存在は、彼女にとってみれば目標である存在なのだ。そんな笹崎の否定もあって、三矢の言葉が嬉しかった。
笹崎という生徒が彼女の使い魔である彼を酷く言ったのは、単に嫉妬によるものなのだ。何はともあれ、彼女が自分を否定されたと勘違いしてしまうのだ。
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