011 準備は整った




 秋葉原遠征の翌日、悠香たちは学校で再び顔を揃えた。モノを手に入れたら、次は場所だ。麗の家にはどうやら実験設備がある程度あるらしいが、如何せん家の位置が他のメンバーから遠すぎて、現実的とは到底言えなかった。

 『物理課研究室』とされた扉の前に、五人は並ぶ。

 この学校には所謂『職員室』はない。先生はそれぞれ所属する『〇〇課』の研究室内に自分の机を持ち、空いた時間の多くをそこで過ごしている。

 どうせ使うなら、やっぱり設備の整っている物理実験室が望ましい。でも使うには物理課の許可が必要だ。


 堅苦しい文字に、気圧されそうになる。

 ダメ、負けちゃダメ。ここを抜けないとこれからの活動に響くかもしれないんだから。ごくりと唾を飲み込んで、悠香は扉を軽くノックした。

「し、失礼します。高梁先生はいらっしゃいますか?」

 出てきたのは隣の物理実験室の管理担当教諭、高梁たかはし啓輔けいすけだ。中肉中背ののっぽなシルエットが、壁の如くにドアの前に立ち塞がっている。

「何の用だ?」

 悠香はふっと肩の力を抜いて、姿勢を整えた。

「あの、物理部の活動のない毎週の月、水、金、土の間、私たちに物理実験室を貸して頂けませんか」

 言いながら『利用申請用紙』と書かれた紙を手渡す。さっき事務室で受け取って、必要事項を記入したものだ。

「私たち今度、ロボットコンテストにエントリーすることになったんです。ただ、自前の作業場的なものを持っていないものですから。物理部の皆さんの活動に迷惑はお掛けしません」

 亜衣が補足説明を加える。高梁は低く唸りながら紙に目を通していたが、やがてばさっとそれを後ろの机の上に置いた。

「君たちだったのか。話は聞いていた」

「ご存じだったんですか?」

「ああ。私は物理部の顧問だからな、向こうの方から色々と話は伝わってくるんだ」

「…………」

 おしゃべり物理部め、と悠香たちは心の中で罵った。話すとしても聖名子か、もしくは北上だけなのだが。そんなことなど知る由もない目の前の物理教師は、ふっ、と口の端を歪める。

「──まあ、それならば特に問題ないだろう。きちんと利用マナーを守って使うこと、でなければ使用は禁止する。それと知っていると思うが、一般生徒の下校時刻は午後五時半だ。それまでに鍵を返しに来なさい。私からは、以上だ」

 それだけ一気に言ってのけると五人の反応を待たずに身を翻し、高梁はドアの向こうへ消えていったのだった。


 途端。

「あー、怖かったー……」

 急に力の抜けた悠香は、地べたに座り込んでしまった。

「……さすが、体育課よりも入りにくいと評判なだけのことはあるな」

 かくいう陽子の声も緊張からか、微妙に揺れている。

 物理課の教師は、山手女子では一般に最も敬遠されている。それは、あの高梁を含むほぼ全員が『几帳面』だとか『融通が効かない』というどぎついレッテルを貼られているためだった。その風評被害を受けてか物理そのものに対するモチベーションも低く、成績も全体的に芳しくない。もっとも、授業のそもそものレベルが高いからか、模試の成績だと中の上クラスに落ち着いていたりする場合が多いのだが。

 山手女子は昔から理系教育が盛んな学校だ。だが、文部科学省の『スーパーサイエンスハイスクール」認定は受けておらず、また学校側のアピールも少ないので、あまりそちらの分野で注目されることは少ないのが現状だった。


 悠香は、密かに考えた。

──北上さんが言ってた『大変』って、こういう事だったのかな。こういう場面だと私は常に矢面に立たなきゃいけないし、それが大変って事なのかな。

 でも、と思い直す。それってなんだか楽じゃないだろうか。何だかんだで肝心な説明は亜衣に任せればいいし、今までのところ全く苦労しないで済んでいる。大体、頼み事なんてそんなに頻繁にしないだろう。

──それを覚悟って言うのって、変な感じがするけどなぁ。


「まあともかく、活動場所は手に入ったわけだ」

 亜衣はチラッと物理実験室の方に目をやってから、「で、いつから活動始めるわけ?」

「今でしょ!」

「……いや、そういうのいいから。しかもネタ古い」

「まず何が必要なのか確認しなきゃいけないんじゃない?」

 珍しく菜摘が提案に回った。

「基本的な工具類はうちにもあるけど、なんか『ハンダごて』とかいうのが必要って書いてあったし」と陽子も同調する。

「私、持ってくる」

 手をあげたのは麗だ。「大概のものは持ってるから」

 さすが、ある意味チームの要だ。そういう点は本当に頼りになる。陽子はみんなを見渡した。

「それじゃ、工具類はレイに一任でいいか。というかマジで時間ないし、もう今日始められる所から始めちゃっていいんじゃない?」




 いざ梱包を開けてみると、中は細かい部品類でぎっしりだった。

「……うっわ……」

 思わず声を漏らす亜衣。もう萎えそうだ。

 けれど、やがて五人は気付く。

「ありゃ? 意外に電子基盤とかが少ないな」

 拍子の抜けたような声を上げて陽子がつまんだ基盤は、三、四センチ四方のごく小さいものだった。それにコードが数十。あとはギヤボックスやタイヤなど駆動系の部品ばかりで、LEDなどは既に取り付けられている。これで足りるのか?

「ライントレーサーは基本、赤外線を当てて認識したラインの上を辿るっていうごく単純なプログラミングしか必要ないから、仰々しい基盤なんか要らないんだと思う。配線も、センサーがめんどくさいだけ」

「なるほど」

 麗の注釈を聞きながら、悠香は取扱説明書の表紙を広げて眺める。「こいつはいわゆる単細胞ってヤツなんだなー」

「そりゃハルカだ」

 綺麗に口をそろえる他の四人、いや麗抜きで三人。異論はあるはずもない。

「ひどーい!」

 叫ぶ悠香から取扱説明書をぶんどると、陽子は『必要工具類』のページを開いた。このまま悠香が持っていたって、大して役に立ってくれそうもない。

「『本キットの製作には、一部箇所でハンダ付け、エポキシ系接着剤を使用します』だってさ……?」

「何、そのナントカ系接着剤って」

「プラスチックとかの接着に使う奴。耐熱性とか耐水性はあるけど、ちょっと接着に時間はかかる」

「……それ以外の部分は基本、嵌め込みってことか。案外苦労しないですみそうだね」

「いや、むしろちまちまと嵌め込んでく作業の方がダルくてやだわぁ」

 ……好き勝手言っている四人を、悠香はまぁまぁと収めた。

「で、早速なんだけど。どれから始める?」

「そんなに早まらなくたって……」

「いいじゃん! 時間だって余裕無いんだしー」

 お前が早くやりたいだけだろ、と陽子は内心毒づく。しかし、本当に目を輝かせている悠香に面と向かってそう言うのも躊躇われたので、代わりに言った。「まぁ、工具がない今、出来ることっつったら一つだけでしょうね」

 言うまでもない。組立である。悠香はぽんと手を叩くと、その言葉を聞くなりもう始めようとした。

「そんじゃ、説明通りに進めていこう。まずは脚から──」

 と、部品を取った悠香の腕を、亜衣が手に取る。

「ちょっと待った」

「えー、何さ? 余裕無いんだよ?」

 よっぽど早くやりたいのかぶつくさ不平を垂れる悠香にも、亜衣は至極冷静だ。「だからってみんなして同じ作業に従事したって非効率なだけじゃん。ここは、江戸時代から採られてきた方法を採用すべきだと思うのよ」

「江戸時代?」

「そ」

 亜衣は細長い部品をペン回しの要領で器用にクルッと回した。「分業マニュファクチュアだよ」




 話し合いの結果。

 CPU研究同好会所属である点から、プログラミングは菜摘が担当。

 細かい配線は手練れの麗に一任。

 精密さの求められるハンダ付けや接着には、手先の器用な亜衣を配属。

 残りの組立は『単調な作業が得意な』悠香と、『辛抱強い』陽子が選ばれた。


「……さっきの話し合いさ、辛抱強いとか何とか一見まともなこと言ってる感じ醸し出してたけど、明らかにあたしたちって左遷組だよな……」

「同感かもー……。『単調な作業が得意』って、なんかバカにされてる気がする」

「ほらほら、愚痴ってるヒマあるならとっとと進める進める!」

「はいはい」

 決まってしまったからには仕方ない。悠香と陽子は黙々と作業を進めた。パソコンのない菜摘と鏝のない亜衣、ケーブルを挿す場所のまだない麗は見ているだけなのだった。





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