006 不思議な先輩






 通話を切った直後。ついでに会話の堰も切ったように、悠香たちは話し出した。


「……申し込んじゃったね」

「うん」

「けっこう楽しそうでよかったけど……」

「うん……」

「……物理部に先手、取られてたね」

 そう呟くように言った悠香の声からは、さっきまでの興奮が明らかに欠如していた。吉野に最後に釘を刺されたのもあろうが、物理部の件、かなり引きずっているようだ。

──ほんとに分かりやすいな、コイツは。

 そういうところも悠香らしい。ため息をついた陽子は、笑って言う。

「ま、むしろ敵が出来てより遣り甲斐が増えたと思えばいいじゃん。出場の目的だってきっと、あたしたちと向こうとじゃ違うだろうし。ねぇ?」

「うーん……、やり甲斐は別にいいんだけどさ」

 肯定的な意見を求めて周りに同意を促してみたのだが、亜衣たちの表情は依然として厳しいままだ。

「やっぱり、向こうがどんなロボット作ってくるかが気になるとこだよね」

「だよねー。だって、向こうにしてみればこんなの専門の分野じゃん。おまけに三回も出場経験があるって言ってたし」

「偵察、してみる?」

 これは麗の提案である。

「偵察?」

 耳慣れない言葉の意味を悠香が問い返すと、麗はぴっと窓の外を指差した。中二αの教室のあるこの建物──事務教室棟の隣には、理系の教室を集約した理科棟が建っているのが見える。

「向こうがどんなマシンを作ってるのか、見に行くの。いわば敵情視察」

 なるほど、悪くない発想だ。

「あたしもそれ、賛成かな」

 陽子も手を挙げる。ちょっとわくわくする気持ちも手伝って、残りの三人も反対意見を出したりはしなかった。


 かくして、五人は物理部室へ偵察に行くことにしたのである。





「へー。ハルカ達もエントリーしたんだぁ」


 物理部の部室の扉をちょっとだけ開けて中を覗き見している怪しげな五人に気づいた、悠香たちと同学年の物理部員──瀬田せた聖名子みなこが、陽子の話を聞いて真っ先に示した反応がそれだ。

「……なんか、面子が面子だけにスゴい事故とか起きそうだけど」

 はっきり言い過ぎである。しかもその対象は聞くからに明らかだ。

「ちょっと、失礼ね! これでも私たち真面目に──」

 腹が立ってそう言いかけた亜衣は、廊下の向こうから歩いてくる人物を見て、軽く首で礼をした。先輩だろうか。

「どうしたの? 何か用?」

「あ、北上さん。いや別に、何でもないんですけど」

「なんだ、入部希望かと思って期待してたのに」

 北上さんと呼ばれた彼女は、物理部部長──北上きたかみ汐里しおりであった。瞬間、少しがっかりしたように眉を動かした北上だったが、すぐに元に戻ると顔を上げた。困惑の表情を浮かべる悠香の顔を見て、何か勘違いしたらしい。

「あっ、もしかして誰か待ち? 呼ぼうか?」

「え、あ、いや、そういう訳ではなくてですね……。少し、その……」

 悠香が無言なので横から亜衣が取りあえずの繕いを入れる。いつの間にか聖名子は、活動の中へ戻っていってしまっていた。

 悠香はあらためて、北上の顔を眺めていた。割と顔立ちの整った、綺麗な人だと思う。服装にも気を配っているのか、ファッションセンスの無い悠香でも『お洒落だ』と分かる出で立ち。まとう雰囲気は大人のそれである。

 初っ端に出会ったのがこの人でよかった、と悠香は安心した。長良さんという人がどうなのかを悠香は知らないが、何となくこの人はいい人そうな気がする。

 すーっと軽く息を吸い込むと、さっそく本題へ。

「えっと私たち、ちょっと敵情視さ……」


──⁉


 陽子の手は反射的に動いていた。

 『察』を言い終わる前に悠香の顔、いや、首だったかもしれないが、とにかくそこに腕を回してがっちりと口を封じた。

「いっいえ違います! 今のはその、違うんです! あ、違うっていうか……そのなんていうか……!」

 後をカバーするように亜衣が大声で弁明に入る。

 悠香は正気か⁉ 普通に考えて、敵情視察であることを敵に対してバカ正直に口にするか⁉

 激しく沸き上がる疑惑を必死に押し込め、悠香以外の四人は頑張って誤魔化し笑いを浮かべる。いや、ここでも麗は無表情なままだ。

「?」

 キョトンとしている北上。何とか感づかれなかったらしい。

──よかった……。

 内心ほっとしつつ、亜衣は一旦深呼吸して、悠香に引っ掻き回された頭の中を整理した。

「あ、あの実は、私たち今年五月の『JRC2015』にエントリーしたんです。そうしたら既に物理部の方々もエントリーしていた事がわかったもので、私たちはロボコンに関して完全に初心者なものですから、どんな感じなのかなーと思って、見学させて頂きたいと……」

 そうそう、と言いながら自分に確認する。このくらいの言い方で十分なのである。

「ふーん、あれにエントリーしたんだ」

 北上は何か思うところがあったのか、言葉を続けようとしたが。その前に何かに気づいたらしく、目を細めた。

「……あのさ、後ろ、かなり苦しそうなんだけど」

「え」

 視線が自分に向いていると感じた陽子は、自分の腕が抱えているモノを見やる。

「──わ」

 慌てて腕を離すと、すっかり顔の青ざめた悠香はゼーゼーと息をしながらその場にへたりこんだ。「げほけほっ……ヨ……ヨーコ、力強いよ……けほごほっ」

「メンゴメンゴ」

 手をヒラヒラ振って完全に平謝りの陽子に、しかし文句も言わずに悠香は顔を上げた。調子に乗りすぎた悠香を陽子が制するパターンはこれまで何度もあったので、もうお互い大して気にもしないのであった。

 そんな二人に北上は尋ねる。

「君たちは何かの部活なの?」

「いえ、そういう訳ではないんです」

「じゃあ有志なんだ? すごいねぇ」

 褒められた、のだろうか? 悠香は陽子の顔を見、陽子も悠香を見る。照れ顔を北上に見られるのは恥ずかしい。


「初心者で、部活でなく有志団体かぁ……。ふーん……」

 まだ呟き続けていた北上の瞳が、不意にすうと黒くなった。

 彼女はさらに尋ねてくる。「リーダーは誰がやるの?」

 代表者の事だろうか。噎せ込みながら悠香が手を挙げた。

「わ……私です、ケホッ」

「君?」

「……はい」

「そっか」


 そう言うなり。

 北上は急に悠香の目線にしゃがみこむと、悠香の目の奥を覗き込むように一瞬眺め回した。

 思わず、悠香はビクッと身体を震わせた。北上の瞳の奥は、予想に反して一切の光を映していなかったのだ。




「リーダーが君なら、君だけに忠告しておくよ」

 明るい桃色の唇が開閉する。

がつくほど大変だと思うよ。代表リーダー




 廊下の風景が、ぐらりと揺れたように思えた。

「……え"っ?」

 聞き返した拍子にまた咽せこむ悠香。

「どうかしたんですか?」

 何と言ったのか聞こえていない他のメンバーに、北上は顔を向ける。もうそこに、さっきまでの冷たい笑顔は残ってはいなかった。

「初心者って言っていたけど、ロボットとかに手を出したことのある人、いるの?」

 ……麗が小さく手をあげた。

「あったんかい!」

 聞いてないよと驚くメンバーに、麗はまるで言い訳みたいに小声で答える。「小学校の、夏休み自由研究コンクールで。工作キット程度のレベルですけど、自作しました」

 科学系のコンクールに出たことがある、という麗の噂は真実だったようだ。

「工作キットか……。うん、それならまあ、大丈夫だろうな」

 北上の語調は何やら思わせ振りである。亜衣がいぶかしげに質問した。

「あの、どういう意味ですか?」

「あっ、いや、特に深い意味がある訳じゃないの。気にしないでくれていいよ」

 問い詰められたとでも思ったのであろうか、北上はそう言うと眉根を上げ、ちょっと口元を歪めた。土下座の姿勢のまま下を向いて咳き込む悠香以外の四人の目には、少なくともそう映った。


 それは、かつてのつらい記憶の傷でも抉っているような、少し哀しげで、少し苦しげな表情だった。


「本当よ、聞き逃してくれて構わない。私が言いたかったのは、生半可な気持ちで臨むと痛い目に遭うよ、っていう事だけ。今年のルールはまた一段とめんどくさいみたいだけど、たかが積むだけの競技だとか思わない方がいいと思う。……私はこれでも前はロボコンの出場メンバーだったから、経験者の立場で言っているつもりよ。どう? 覚悟は出来てる?」

 最後の方は北上もしゃがみ込み、まるで悠香に向かって言ったような感じだった。

 いきなり覚悟とか言われても、心の準備がない。

「それは、ロボコンに挑む覚悟、っていう事ですか?」

「そう、その覚悟」

 顔を上げた悠香に、北上はまたも目を合わせてくる。人間観察趣味でもあるのかな、悠香は北上の目線にそんな印象を受ける。


「リーダーって仕事、凄く大変だから」


 その声はまるでさっきとは別人のように、冷たかった。

 だが、北上の目は、どこまでも底知れぬ真剣さを湛えていた。

「もしも何か困った事があったら、私に相談しに来ても構わないからね」


 悠香はぱくぱくと口を開閉させただけだった。それ以上、どんなリアクションをすればいいのか分からなかった。

 呆気にとられている他の四人に、北上は人差し指を立てて提案する。

「そうだ、参考に物理部ウチの出す奴、見てく?」

「いいんですか? もしかしたら私たち、敵同士になるかもしれないんですよ?」

「いーのいーの。どうせこれから大会までの三ヶ月の間に改造を加えてくから、本番ではきっと駆動部分以外は全部違うモノになっているはずだし。それにロボコンのメンバー、今日は部品の買い出しで校内にはいないからね」





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