091 五メートルの行末
物部と陽子の決戦が終わっても、閏井とフェニックスの戦いが終わるわけではない。
陣地に返ってきた陽子は、すぐに麗の足元にそれを置いた。
「車体に嫌なヒビが入ってるんだけど、これ大丈夫かな。直せる?」
「ガムテープで補修する」
麗の言葉が切れる前に、素早くガムテープを箱から取り出した亜衣がそれを投げた。もうすっかり連携プレーが出来ている。
「残り四段!」
菜摘が叫んだ。手元の画面の数値が、目まぐるしい勢いで移り変わる。【エイム】の速度や計算状況が、そこには反映されている。やや、速度が減少気味か。
「ハルカー、大丈夫ー⁉」
すぐ目の前を駆け抜けた悠香と【エイム】に、陽子は声をかけた。悠香は一瞬振り返り、何とも微妙な笑いを浮かべていった。
亜衣が怪我を負ってからずっと、悠香は会場内を走り続けている。
「次……!」
なるべく閏井の縄張りに入らないように、なおかつ最寄りの『積み木』を選んでは、悠香はそこに駆け寄って型を当て、スプレーを噴射した。さらに、【エイム】がそこに至るまでのコースを予想して、コース上に存在する邪魔な部品の欠片を取り除いた。さすがは激戦区の中央フィールド、ありとあらゆる夢の残骸がそこかしこに散乱している。自分が踏んで怪我をするわけにはいかず、移動はかなりの苦労を極めた。
「もう六段目か……!」
少し向こうで閏井の積み上げる塔が見え、息を切らしながら悠香は独り言を言った。こちらはあと三段、やや遅れを取っているか……?
「ナツミ!」
声を張ると、自陣の菜摘がパソコンから顔を上げた。悠香はさらに叫ぶ。「今のペースじゃまずいかな⁉ どう思う⁉」
「今のままでいいはずだよ! 向こうもこれから高くなってきて、積みにくくなるから!」
菜摘の発言は計算に基づいている。フェニックスの【ドリームリフター】もそうだが、リフトアップロボットの上昇速度は常に一定だ。だから高さが高くなればなるほど、積み上げのための往復にかかる所要時間が増えるのである。
よし、と悠香が閏井を再び視界に入れた時だった。
「あ、まずい! 向こうもロボット増やしてきた!」
今度は菜摘が叫んだ。悠香も、はっとした。【BREAK】が二台に復帰している!
閏井が多少なりともペースアップする可能性は大きい。こうなったら咄嗟の判断で動くしかない。【エイム】が【ドリームリフター】から降りてきたのを見届けるや、悠香は菜摘に怒鳴った。
「速度上げよう! 1.5倍にして!」
「不安定になるよ⁉」
「大丈夫!」
その為に広い面を使い、接着までしているのだ。序盤と違って、悠香たちにもロボットにも落ち着きがある。そう目を通して訴えると、菜摘は仕方ないとばかりに画面を指で打ち、高速移動する【エイム】を追いかけてきてUSBを繋いだ。これで、読み込みは完了だ。
「あとちょっとだよ、【エイム】」
少し速度を上げた【エイム】に、悠香は言った。足も疲れているけれど、そう伝えればまだ少し、頑張れそうな気がした。
《両チーム、恐ろしい勢いで『積み木』を集めていますね》
《『Armada閏井』は残り三段、『山手女子フェニックス』は残り二段です! どんどんその差は縮んでいます! さあ、どちらが先に五メートルに達するのでしょうか!》
大興奮の実況すら呑み込む大きさの歓声が、会場内を巨大なうねりとなって駆け巡る。既にリタイアしたチームは控え室に戻っているが、そちらでも応援が閏井派と山手女子派に別れて合戦になっていた。
「行けるわ……! 行ける……!」
長良は自己暗示をかけるように、さっきから何度もそう口にしていた。北上は真っ白な顔でフィールドを見つめ、友弥や冬樹、渚や聖名子は祈るように手を組んで見守っている。
頑張れ、敗けるなとさっきまでは夢中になって叫んでいた保護者たちの席も、今や静まり返っていた。五人の母親は応援の言葉すらも忘れて、百メートル近く先で動き回る我が子の姿を食い入るように見ていた。
浅野と高梁も、それは同じだった。ただ、高梁の目付きにはまだ余裕がありそうで、時折腕時計を見ては頷く事を繰り返していた。
「あと二個!」
四十八段目が積まれたのを見た悠香は、ぐるりと周りを見た。もう、近い距離に『積み木』が見当たらない……。
「ハルカ! あっちにある!」
亜衣が指差した『積み木』は、縦向きになっている。でもあれは、と尋ね返しかけた悠香の側を、【ドレーク】が猛スピードで通過した。
「修理終わった! もう大丈夫!」
麗が親指を立てている。陽子の操縦を受けた【ドレーク】は急いで『積み木』の裏に回り、塔の方向目掛けてぶっ飛ばした。転がった『積み木』の向きは次々と変わり、……横向きになった!
「ありがとう!」
叫ぶや悠香が駆け付け、スプレーを吹き付けた。サーモグラフィーがそれを瞬時に捉え、【エイム】はすぐに走り出す。ロスタイムが生まれてしまった分は、高速化で補えるはずだ。
「ハルカ、次はどれにする⁉」
陽子が訊いている声が、耳朶を打って乱反射する。【ドレーク】があるなら、多少遠くても問題はないはず。悠香はやや離れた『積み木』を指差そうとして、一歩踏み出した。
「あれ────」
自分の足に躓いて、派手に転倒していた。
「痛いっ!」
視界が一気に地面レベルになった。
陽子が慌てて駆け寄ってきたが、悠香は痛みを堪えてすぐに立ち上がった。走行していく【エイム】の車体の傷が、すぐ目の前に見えたのだ。
──あの子だって、疲れてるんだから。
そう言い聞かせ、不安げな顔の陽子の背後を指差す。「あれ、お願い……!」
「……分かった」
陽子はすぐに【ドレーク】を動かした。『積み木』の前に走り込んだ【ドレーク】は、二度に渡って『積み木』を弾き飛ばす。激しい衝突音が痛ましく響き渡り、痣だらけになった『積み木』が悠香の前に転がってきた。
何もかもが、二時間という長い時間を経て傷付き、壊れ、草臥れていく。
だからこそ、もうこれで終わりにしなければならないのだ。
悠香は側面に型を当てると、【エイム】を見た。ちょうど積み終わった【ドリームリフター】が、するすると高度を下げている所だ。
閏井はどうだろう。向こうもラスト一段のようだが、少しだけフェニックスの方が進展が早い。いや、それは気のせいか。
──一位だとしても、二位だとしても。ここまで来れただけでもう既に、奇蹟が起きたようなものだよね。
瞑目した一瞬の合間に、悠香は考えた。
──だったら、最後まで奇蹟が起き通してくれるって期待するのは、傲慢かな……。
きっとそれは、傲慢ではない。人事を尽くした結果、天命を待っているだけのことだ。
最後の最後まで、悠香のすべきことは一つしかない。【エイム】は地面に降り立った。悠香はスプレーを勢いよく噴射する。【エイム】がそれを見つけ、秒速1.5メートルで接近してくる。練習通りの
「【エイム】、走れえええ──────っっっ‼」
悠香は喉が裂けんばかりの大声で、叫んでいた。
陽子が悠香に倣って叫んだ。
「【エイム】、閏井に遅れを取るなあ────っ!」
【エイム】が【ドリームリフター】の板に載り、板は静かに上昇し始めた。
視界の向こうで、全く同じ速度とタイミングで【BABEL】の『積み木』が上昇していくのが見えた。
五メートルの高みへの到達まで、
あと三十秒、
二十秒、
十秒、
五秒、
一秒────────!
『ピリリリリリリリリリリリリリリ──────ッ!』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます