092 終結







 いつか聞いたホイッスルの音が、会場内に高らかに共鳴した。

 五メートルより先のプログラムはされていない。ホイッスルによって生まれた静寂の中を、二台の積み上げロボットたちはゆっくり高さを下げていき、やがてフィールドに降りた。その時すでに会場内は、瞬時に押し寄せた巨大な静寂にすっぽりと包まれていた。

 『山手女子フェニックス』と、『Armada閏井』。二チームの十人は、気が抜けたように一斉にへたりこんでしまった。


「疲れたぁ……」

 悠香は魂までも抜けていきそうな声を発して、床に大の字になった。横に座り込んだ陽子が、目も虚ろに指摘する。「ハルカ、その服装でその格好はヤバいと思う……」

「……もう、見られてもいいや」

「おい……」

 それ以降、会話をする気力もなくなって、五人は沈黙の中に浸かっていた。疲労と共に身体からどんどんエネルギーが消滅していき、代わりにもっと別の何かが身体の中に浸透していくのが感じられた。

 ああ、これこそが本物の『充足感』だ。そう、確かに思えた。胸をもやもやと埋めていた不安や重責感は、いつの間にか空に溶けるようになくなっていた。



 閏井にしても、その状況は大して違うわけではない。

「疲れた……」

 自陣に戻ってくるなり、有田と物部は背を向けてぐったりと座り込んでしまった。前線に出る分、二人は何かと気疲れも多かった。

 そこへ飲み物を持った川内が歩み寄ると、順にそれを手渡した。

「お疲れ様だったね、二人とも。ありがとう」

「ありがとうは結果が出てから聞くさ」

 草臥れていても、有田は笑顔を忘れない。

「奥入瀬もラストは大変だったよな。悪いな、手間かけちゃって」

「暇よりずっといいだろ」

 奥入瀬も汗を拭き拭き、負けじと笑い返す。

 フェニックスより口数が多いのは、疲れていないからではない。気持ちと身体にどれほどの余裕があるかによって、喋れる余力は決まる。なまじ昨年もこのメンバーで出場している分、五人には経験があるのだ。ロボコン独特の、この焦りの混じった汗ばむ疲労の経験が。



 双方とも、出来ることは全て、やり切った。後は結果を待つだけだ。


 そう思いながら、十人は結果が発表されるのを待っていた。

 しかしいつになっても、あの大画面ディスプレイは大会のロゴマークを表示したまま、全く変化を見せようとしない。


「……遅くない?」

「うん、遅い」

「そんなに大変だったのかな、判定」

 少しばかり回復したフェニックスの面々が、口々に話し始めた時。スピーカーから実況の声が流れ出した。

《えー、長らくお待たせしている結果発表なのですが、かなりギリギリの差であるため現在映像判定の準備を行っています。フィールド内に残っている挑戦者エントラントの皆さん、どうぞ控え室へお戻りください》

《結果発表は閉会式中で行います!》

 五人は思わず互いを見つめあった。映像判定を行わなければならないほどに、僅差だったということか。せっかく消えかけた不安が、また顔を覗かせてきている。


「……とりあえず、戻ろっか」

 悠香のその言葉で、五人と三台のロボットはゆっくりと腰を上げ、フィールドを後にする準備を始めたのだった。と言っても、することといえば段ボール二つの持ち運びだけだ。どうせ亜衣が怪我をしているから、速くは歩けない。せっかくなのでロボットには全てパソコンを介してコースを指定し、自分で控え室に戻ってもらう事にした。

 閏井も同様だった。【BABEL】には帰還コースを設定し、有田と物部がいつも通りに【BREAK】を操縦して、控え室に引き揚げていった。


 退場する十人に向かって、ぱちぱち、と誰かの拍手が響き出した。

 それはすぐに周囲に伝播し、離れた席の人に広がり、そうして遂には会場中に拡大した。十人が控え室に消えたあとも、それは暫く波のようにうねりながらフィールドを包んでいたのだった。物理部フィジックスも友弥たちも、保護者グループも教師陣も、みんなみんな誰もがすっかり痛んだ手を叩き、その大いなる波に加わっていた。

 それは決して、十人だけに贈られたものではない。この場所で戦った四十八組、二百四十人の若き挑戦者フィジックスたち全員に対して、贈られたものだった。







 競技終了から閉会式までは、三十分近くの余剰時間がある。

 その間、無人のフィールドを取り囲む観客席では、侃々諤々の議論が交わされていた。議題は言うまでもない、結局どちらが勝ったのかについてだ。


「玉川、お前はどう思うんだ?」

 冬樹に聞かれた友弥は、首を振る。

「分からないよ……。あんまり夢中になってフェニックスのことばっかり見てたから、『Armada閏井』とかいうチームの方はさっぱり見てなくて」

「俺もなんだよなぁー」

 冬樹は頭の後ろで手を組むと、でも、と逆接の接続詞で言葉を繋いだ。

「俺、引き分けじゃないかって思う」

「それってありなのか?」

「さあな、少なくともこれまでの年にはなかったみたいだけど」

 前例なんて気にしなさそうじゃない、と冬樹は笑う。確かにもっともだと友弥も感じた。引き分けの可能性は、ないとは言えない。

 しかし、それは映像判定でも差が分からないくらい僅差の場合だ。それは一体、どれほどの幸運があれば掴み取れるのだろうか? 


「引き分けでも、いい」

 北上が不意に声を上げ、ぴくりと二人は肩を跳ね上げた。不覚にもびっくりしてしまった。

「引き分けでも一位になるじゃない。それでいいから、フェニックスに与えてあげてほしい」

 北上は俯いたまま、ぶつぶつとそんな事を口にしている。「お願い……。あの子の、あの子たちの、私の努力を無駄にしないで」

「…………」

 妙な言い種だと思ったが、余計な口は挟まない方が良さそうだ。二人の見解は一致を見た。

「……俺も、勝ってほしいよ」

「うん、俺も。一位であれば、勝ったのと同義だよな」

「敗けてなきゃ、勝ちなんだよ」

 控え目な口調で言い合って、笑った。





◆ ◆ ◆





 いよいよ、閉会式の時がきた。


 フィールドには二百四十人の生徒たちと、計百四十四台のロボットたちがずらりと並び、なかなかに壮大な光景が広がっている。やはり日本広しと言えど、一つの会場だけでこれだけの人が集まるロボコンはここ以外にはない。

 悠香たち五人は、三十分間の猶予の間にそれなりには回復し、今は元気にフィールドに立っていた。周りは高校生ばかりなので背丈は比較的高く、先頭の悠香などはさっきからぴょこぴょこと跳び跳ねて前の様子を窺おうとし、そのたびに陽子に後ろからチョップを喰らっている。

「こんな時くらい、もっと大人しくしなさいよ」

「だって何も見えないんだもん……」

 お決まりの応酬を交わしている間に、誰かが壇上に上ってきた。あ、と慌てて二人は口を閉ざす。

《続きまして、本大会の実行委員長であります、理化学研究所先端ロボット研究センターの岩木いわきさとる様より、ご講評を伺います》

 挨拶と共に拍手が上がり、壇上の中年男性は会釈した。彼──岩木が、このロボコンの主催者だ。

『皆さん、お疲れ様でした。例年に漏れず、今年も大変にハイレベルなロボコンでした』

 岩木はゆっくりとした出だしで、スピーチを始める。

『怪我人が出てしまったのは残念ですが、迅速な対応もあって何とか無事に済みそうとの事でした。他の機関との共催という初の試みであったにも関わらず、あらゆる点で今回は失敗が少なかったと思っています。どのチームのロボットも非常にレベルが高く、また学生らしい柔軟な発想力が各所に散見されて、こちらとしてはとても満足です。また、チームプレーという点に於いては、今年は例年以上に仲間の絆を深めてくれた諸君が多いように見受けられまして、こちらも大変な好印象であります』

 会場のあちらこちらから、安堵なのか定かではない嘆息が漏れ聞こえてくる。自分たちのことを言われているわけではないと分かっていても、悠香はなんだか嬉しかった。──いいや、フェニックスの絆が深いのは、当たり前のことだ。

 さて、と岩木は声色を変えた。『今年、我がロボコンが諸君に与えた課題はなかなかにハードだったと思いますが、私のつまらぬ講評の後でいよいよ結果発表が待っています。そしてその前に、ちょっとした別の発表があることでしょう。そこに、この課題に込められた我々の期待が潜んでいるはずです』


 岩木はそこで言葉を切って壇上を下り、会場のざわめきは一気に爆発した。続けざまに三人の審査員たちが上ってきて講評を垂れ始めたが、ざわめきがひどくてほとんど聞こえてこない。常願寺の姿があるのだけを辛うじて確認した悠香は、後ろの四人を振り返った。

「別の発表って、何だろうね」

 さあ、と陽子は首を竦めた。他の三人も似たような──と思ったら、麗だけが変に難しい顔をしている。

「どうしたの?」

 尋ねると、麗は眉を上げ、ううんと首を振った。

「私のお父さん、JAXAに出入りしてるから、何か知らないかなって思ったの」

 いや、でもさすがにアレは違うかな。尚も色々悩んでいる様子の麗に、悠香も取り敢えず首を捻ってみる。

 最近、JAXAや理化学研究所が何かを発表したというニュースを目にしたことがあっただろうか。あったとしても、それとロボコンの間の関連は思いつかない。いつぞやの浅野と同じように迷っていたその時、実況が天井に響いた。

《それではここで、本大会の優勝者に与えられるについてご説明致します!》




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