066 はかりごと




 その日はちょうど、ロボコンまで一週間の日であった。

 家に帰ってパソコンを開き、ふとロボコンの公式ページを見た菜摘は、あっ、と呟いていた。当日の一般公開の概要が出ているのだ。

「八時半に開場、九時半より開会式……か」

 みんなに伝えておかなくちゃ。スマホを取った菜摘は全員に向けてメールを打ち、ページが更新された事を記す。これでよし、と送信ボタンを押した。

 いよいよ一週間前、三日後の日曜日には事前審査が待っている。

──明日は物理部の人たちが取り付けてくれた部品のセットアップをして、そしたらいよいよ完成かな……。

 ごろんと寝転がってスマホを見ながら、菜摘はこれからの日々を思う。本番に向け、少しずつではあるが緊張が高まってきたような気がする。


──お母さんに話したら、見に来るって言ってくれるかな。


 ふっと脳を過った母の影に、菜摘は身体を起こした。

 菜摘はまだ、ロボコンに関する一切を家族に話してはいない。話す価値を感じなかったからだ。どうせ『そんな下らない』云々と文句ばかりを垂れられるに決まっているのだから。

──でも、もうお母さんが逃げられないような段階まで来たわけだし、ものは試しよね。

 思い付いたが吉日だ。台所に立っていた母の元に降りていくと、菜摘はいきなり言った。

「お母さん、今度私、出るから」

「何に?」

「ロボコン」

 はいはい、と聞き流す格好だった母が、最後の単語を聞いた瞬間にいきなり振り向いた。悪戯が上手くいったような気分の菜摘は、スマホを振ってみせる。

「これに出るんだ。クラスメート四人と、チームで」

「いつの間に……」

「もう何ヶ月も前から準備してたよ」

 ふんと鼻を鳴らす菜摘を前に、母は突き出した画面を呆然と眺めている。何ヶ月前というのはいささか誇大表現だが、そんな事はこの際どうでもよい。アピールが大事なのだ。

「これ、平日じゃないの。どうするの?」

「部活としてやってるから、公欠を出してもらえると思うよ」

「……なら、いいんだけど」

「どのみち出席日数は足りてるから構わないよ、そんなの。それよりそのロボコン、一般公開もするみたいなんだ。お母さん来る?」

 母は暫く考え、カレンダーを見ていたが、「いいわよ」と言った。

「この三ヶ月間、何をしていたのかずっと気になってたのよね。期待してるわよ」

 『期待』の単語を本音で言っているのかは疑わしいが、約束はできたわけだ。うん、と菜摘は笑った。


──これを機に、私に対する親の心証をもっと改善させてやる!

 密かに菜摘がそんな企みをしていることを、母はきっと知らない。




 同じ頃。

 東京都杉並区の玉川家でも、悠香が似たような算段をしていた。

 菜摘からのメールを見るや、ピーンときたのである。これは、自分を認めてくれない家族にアピールをするチャンスではないかと。

 というわけで、帰ってきて早速カバンを自室に放り込んだ悠香は、パソコンで公開されたビラを印刷し、それを手にリビングに降りてきた。この日は夕食が遅いので、母はリビングのソファーに座ってテレビを見ながら寛いでいる。


「ねえねえ」

 悠香は声をかけた。反応はない。

「ねえねえねえ」

 もう一度声をかける。テレビに夢中のようだ。

「ねえってばー!」

 肩を掴んで揺さぶると、

「うるさいわね! 今テレビ観てるの!」

 追い払われた。


 心が挫けた悠香は、悄然として食卓に座り込んだ。

──私って、もう話すら聞いてもらえないんだなぁ……。

 明らかに話を振ったタイミングが悪かっただけなのだが、この待遇にはやっぱりショックが大きかった。テーブルの向こうで光るテレビの画面が、そこに映る人影が、眩しい。羨ましい。あんな風に母の心を掴めたならいいのに。

 すると、目の前に置いてあったビラがひょいと持ち上げられた。

「何これ?」

 友弥だった。ちょうど今、塾から帰ってきたらしい。

「……おかえり、ユウヤ」

「これ、今度のロボコンのか」

「うん。一般公開の情報が色々と出てね。入場料が五百円とか、開場が八時半からとか」

「入場料取るのかよ、官公庁主催なんだろ?」

 友弥は苦笑した。「俺は行きたいと思ってるよ。この日、ちょうど山手は創立記念日なんだ」

 母体である私立山手中高と、そこから派生した私立山手女子中高とでは、創立記念日が異なる。いいな、と悠香はぼやいた。山手女子も休みなら、応援に駆け付けてくれる人が増えるかもしれないのに。

冬樹あいつも来るかもしれないけど、いい?」

「え……」

「そんな露骨に引くなよ、可哀想だろ……。ま、客席にいるから悠香にはそんなに関係ないよ」

 ほっとする悠香。実はいい人そうなのになぁ、とかいう感想は心の奥にそっと隠しておくことにした。

「いよいよ、一週間か」

 にやっと笑った友弥は、指を立てた。

「俺の金を借りてまで取り組んだんだから、しっかり成果は見せてこいよな。ロボコン、楽しみにしてるぞ!」

「うん」

 強張った表情で悠香は頷く。口元で笑顔を作った友弥が、その頭に手を置こうとした時だった。友弥の後ろから母の声がした。

「ロボコンがどうしたの?」

 今さらのように母が食いついてきたのである。どうしてこのタイミングなのか。もしかしなくても、“ロボコン”の語を口にしたからであろう。

──ああ、また一から説明かぁ……。

 萎えまくった心を何とか奮い立たせ、悠香はビラを手に話を始めるのだった。







 悠香の努力の結果、友弥以外にも母がロボコンを見に来る事になった。さすがに平日なので、父は来られないらしい。

 翌日になってふたを開けてみれば、全員の両親が来ることになっていた。麗も陽子も亜衣も、同様の交渉をしていたのである。一般公開の座席は自由らしく、しかもさすがは人気のロボコン、どんなに用意していても席は例年かなり早い段階で埋まるとの話だった。ならば固まって座ってもらった方がいいと陽子が言い出し、保護者勢には決まった時間に集合してもらおうと決まる。

 放課後の一番の苦労人は菜摘だった。残っている作業はプログラミングだけで、そしてその作業が一番の山場なのだ。見慣れないサーモグラフィーの映像を前に菜摘は四苦八苦し、物理部のパソコン担当だった芦田が脇からあれこれと補足や指示を加える。やっとの思いで全てを終えた時には、既に二時間近くが経っていた。


「よし! これでもう大丈夫!」

 付きっきりで説明していた芦田の声で、菜摘はやっとパソコンのマウスを放り出した。「ああ……、やっと地獄から解放された……。マジで目、悪くなりそう……」

「じゃあもうロボット、動かせるんですか?」

 悠香が訊くと、芦田は親指を立ててみせた。と、一足早くドレークを操作していた陽子が、歓声を上げる。

「おおっ! すごい! 何もしてなくても勝手に標的ターゲットを決めて攻撃してくれる!」

 なんとドレークは陽子の手元のスイッチ一つで、雑多に積み上げられた『積み木』を次々と撃破していくようになるのである。それも、恐ろしく美しい機動性能をもって。

「半自律制御ロボットに改良しておいたんだ」

 長良が笑った。「本番で疲れたり、対処すべき相手が多すぎる時は、そのモードを使えばぐっと楽になるはずよ。ただし、このチームのロボットと『積み木』も無差別に狙うから、使用時は十分に気を付けて」

「分かりました!」

 より自由に動き回れるようになったドレークも陽子も、本当に嬉しそうである。いいなぁと思いつつ、悠香もエイムを起動するとスプレー缶を手に取った。昨日の帰りにドラッグストアに寄って米代と選んだ、体感温度上昇スプレーだ。

 プシュッ!

 これまで通りに『積み木』に吹き付けると、エイムがすぐに動き出した。画面を見ていた菜摘と亜衣が、おおっと驚嘆の声を上げる。

「すごい、反応が前よりずっと速い……」

 目に見えた改善が早くも現れているようだ。エイムは滑らかにカーブを描くように走り、『積み木』へ向かう。そしてきっかり正面から、それを掴む。

「きれいな軌道!」

 悠香もびっくりした。どういうプログラム改変を行ったのだろうか?

 変革はそれにとどまらない。『積み木』を掴んだエイムはそのままその場で回転すると、ドリームリフターを確認する。予め積み上げる場所から九十度回転して待機しているドリームリフターの側面には、小さな豆電球が四つ点っている。輝度の大きなLEDでないのは、電球が発熱するからだ。

 四つの点光源──否、の位置関係から正面の向きを確認したエイムは、再び滑らかな動きでドリームリフターの前までバックし、きっちり正面に向かって進入した。

 何もかも完成されている。完璧すぎて、声も出ないくらいに。

「すごい、すごい……!」

 はしゃぐあまり、悠香は飛び上がった。「これでもう、何も問題ないよ!」

「事前審査に間に合ったーっ!」

「あー、私も入れてよっ!」

 陽子が、菜摘が、亜衣が飛びかかり、お団子状態になる。入り損ねて立ち尽くしていた麗の腕を、悠香が引っ張り入れる。毎度毎度完成するたびにこの調子だが、これが悠香たちなりの喜びの表現だった。


 指南役としての役目を終えた物理部の面々は、穏やかな目付きでそれを眺めていた。

 その雰囲気は悔しいとか妬ましいというより、羨ましそうだった。それもきっと、ロボコンに参加できるという点に対してだけではなかったはずである。




 喜んでばかりもいられない。真っ先に我に返ったのは、陽子だった。

「そうだ。事前審査、ドリームリフターを提出するんだよな?」

「条件にあった完全自律制御に一番近いからね」

「会場までどうやって持って行こうか」

 ……沈黙がいきなり発生した。そういえば、何も考えていなかったではないか。

「去年の事前審査の時は電車に乗せたけど、大きいから猛烈に目立ってたわね」

 経験者の長良がぼそっと語る。五人の顔に、汗が浮かんだ。

 と、麗が小さく手を挙げた。どうしたのと尋ねると、麗はスマホを取り出す。

「私の家から、車で持って行けばいいんじゃないかな」

 見せられた写真を覗き込んだ全員が、思わず目を剥いた。縦に無理やり引き伸ばされたような、漆黒の車体。これは、世間で言うリムジンでは……。

「……もしかしてこの子、猛烈にお金持ち?」

 横から覗き込んだ米代の声は震えているが、それは悠香も同じだ。「みたいですね……」

「明日の放課後に学校まで来てもらって、そこに分解したドリームリフターを積み込めばいいんじゃないかな。そしたら明後日、私たちは車で直行できるから」

「そしたらあたしたちは電車で行けば大丈夫だね」

 陽子の言葉に悠香たちは頷く。現状、この巨大な長さのロボットを輸送するに当たって、それよりましなプランがあるとは思えない。

「電話してみる」

 言うが早いかスマホの画面に電話帳を呼び出し、麗はすたすたと物理実験室の入り口へと向かった。残された四人と物理部員たちは、すべき事を探すように互いの顔を見つめ合う。


 答えを求められているように感じた悠香が、口を開いた。

「……物理部の人たちに色々聞ける間に、もうちょっと練習してよっか」




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