026 できた!





 …………それからの日々は、あっという間に過ぎて行った。

 やることは単調だから、当たり前ではある。悠香と陽子は組み立て、亜衣は接着。何せ廃材利用が多いので、作業はより慎重に行わねばならない。麗はいつも工具もろとも隅っこの方に固まって作業をしていたが、三人の方へと持ってきた時にはちゃんと配線が済んでいた。

 菜摘は自宅で勉強──のはずなのに、ちゃっかり動作プログラムを組んでいたらしい。〔出来たよ〕とのメールにパソコンを確認すると、後は導入するだけまで出来たデータが圧縮ファイルに加工されて送られてきていた。

 そんなこんなで春休みは過ぎて行く。明確な目標を持った日々というのは、過ぎ行くのも本当にあっという間である。







 そして、四月一日がやってきた。

 ついに新年度だ。


「……よし、乾いたかな」

 ボンドでつけられた最後の接合部を確認すると、亜衣はメンバーを振り返った。菜摘も今日は外出許可が出たらしく、顔を見せている。

「おっけ! 出来たよ!」

 途端。飛びついてきた悠香に踏み潰される。

「やった──! 初めての私たちオリジナルのロボットだよ!」

「ちょっ、落ち着きなよ」

 自分も飛びつきたそうにもじもじしながら言う菜摘。やれやれ、と苦笑いではあるが、それでもやっぱり嬉しそうな陽子。麗が無表情なのは──いつものことか。

 亜衣も内心、ほっとしていた。正直、一番不安だったのは亜衣なのだ。接着や溶接がちゃんと出来ていなければ、ロボットは空中分解してしまう。ダメージは全員に波及するのである。

 そこまで思い至って、亜衣はふと思い出した。まだ動作試験が済んでいない。

「待って」

 悠香をどかすと、亜衣はパソコンを立ち上げる。

「喜ぶのはまだ早いでしょ。きちんと動いてくれなかったら、何の意味もないんだから」

 真っ黒なウィンドウが開き、大量の文字が浮かび上がる。「あ、そっからは私がやるよ」と菜摘がマウスを握った。

「あの設計図通りに出来てるんだよね?」

「うん。てかまあ、他に指針がないし」

 よし、と呟くと、菜摘はキーボードを叩き始める。画面に次々に文字列や数列が出てきては、消えてゆく。

 小気味良いその音を聞きながら、ふと陽子が亜衣の背中で囁いた。

「ナツミってさ、何気にすごいよね。CPU部が何をしてるのか知らないけど、こんな高度な事が出来たら、将来は明るいよなぁ……」

 それは言えているな、と亜衣も思った。パソコンスキルというのはこのご時世、さぞ重宝されるだろう。

「私、将来の事とか考えた事ないなー」

「うん。確かにハルカは考えてなさそう」

「ひどっ⁉」

「まーでも、考えないでも今はまだ何とかなるよね」

 陽子は少し、疲れたように笑う。「あたし、何でもいちいち真面目に考えすぎちゃうのが欠点だな……」

 それは良いことのような気がするのだが、亜衣も悠香も敢えてフォローするのを控えることにした。


 二分が経過した頃。

「よし、これで確認は大丈夫かな?」

 菜摘がエンターキーを打つ音が、部屋に高らかに響き渡った。それは即ち、ロボットに命が吹き込まれた音でもある。

 キュイーン。

 甲高いモーター音と共に、ロボットは自走を始めた。

「やった! 動いた動いたっ!」

 びょんびょん飛び跳ねながら、悠香が叫んだ。

 何だか胸がいっぱいで、亜衣は何も言えなかった。恐らく陽子も一緒なのだろう、黙っている。

 ロボットは、床に貼られたビニールテープの場所で静止した。位置も完璧だ。タワーに沿ってリフトが上昇を始め、天井目指して上ってゆく。

 何もかも、想定通り。成功だ。

「うん、大丈夫みたい!」

 菜摘はパソコンの席から立ち上がった。

「完成だよ!」

「よっしゃー!」

 今度は陽子が跳んできた。バランスを取れず、亜衣は思いっきり床に倒れ込む。

「わっ! 危ないじゃんヨーコっ!」

「あ、ごめん、ちょっとはしゃいじゃって……」

「あー二人してずるいー!」

 そこにさらに飛びかかる悠香。もうめちゃくちゃだ。

「ハルカ痛い! そこ乗らないでっ!」

「そうだ! 誰かその荷台に乗ってみようよ!」

「人の話聞け────っ!」

「──言われてみればここって、どのくらいの重さのモノまで乗るんだろうね」

 二メートルの高さまで上昇して止まっているリフトを見上げ、菜摘は呟く。人の山の下から、息も絶え絶えに返事が返ってきた。

「た、タワーの限界値は、ごじゅっ……、きろ…………」

「え、そんな載るんだ。じゃあ私なら載れるじゃん!」

 嬉々として叫ぶ、体重四十三キロの菜摘。実を言うと、ずっと載ってみたくて仕方なかったのである。さすがに人は……、と遠慮がちに口を挟む麗の声は、まるで聞こえていない。

「おー、載ってみて載ってみて!」

「ちょっとハルカ、あたしの背中に手つかないでよ!」

「……く……苦し……げほ、げほっ」

 騒ぐ三人の横に、リフトが降りてくる。強度の確保のためにリフト上に適当な板を渡せば、準備OKだ。

「よっ、と…………」

 ミシリ。

 不吉な音が、地べたに這いつくばる亜衣の耳に聞こえてくる。強張った顔でロボットの影を見上げる亜衣。そこはかとなく、嫌な予感がするのだが。

「上昇!」

 二人から飛び降りた(瞬間、二人は吐きそうになった)悠香が、ロボットが前のめりに倒れないように車体後部を押さえつけると、キーを押した。妙な機械音を立てながら、菜摘を載せた装置はゆっくりと上昇を始めた。

 良かった。ぎしぎし言ってはいるが、なんとか耐えている。

「お、おおー……」

 引き攣った顔で歓声を上げる亜衣と陽子を他所に、菜摘は足元を見ながら首を捻っている。

「んー……このくらいのスピードかあ。実際の大会でこのスピードじゃ、遅すぎるよね……。もうちょい上昇速度、速く設定してみるかな」

「うん分かったから! 分かったから早く降りて!」

 必死の形相で二人は説得する。悠香はおおはしゃぎだが。

「えー、んじゃ降りようかな。ハルカ、降ろしてー」

「どのキー?」

 ゼロ秒で尋ね返す悠香。


 そこからきっかり十秒間、沈黙があった。

「え、ちょっとまさか忘れたんじゃないでしょうね……?」

 亜衣の言葉に、菜摘はてへっと笑った。

「ごめん度忘れした!」

「…………」

「何でもいいからテキトーにいじってみて!」

「あ、うん……。これ?」

 指示を受けた悠香は、本当に指示通りテキトーにボタンを押した。

 そしてそれはどうやら完璧に間違っていたようだった。ウィーン、と機械らしく唸りながら、ロボットは前進を始める。

「うわ揺れるっ!」

「いやぁ──! 落ちないで! 壊れちゃうよ! 私たちの傑作が壊れちゃうよー!」

「って言ってるそばから前進スピード早くすんなっ! もういいハルカ代わって! あたしが……って、さっぱりわかんねー!」

「ナツミもぼーっとしてないでバランス取りなさいよ────あ痛っ! スマホちゃんとしまってよっ!」

「……救急箱と工具箱、持ってきた方がよかったかな……」




 他の誰も残ってない物理実験室に、五人の声はいつまでも響いていた。

 口調とは裏腹に、楽しげだった。

 自作ロボット第一号の完成という快挙への喜びに、水を差すことの出来る人などいなかったはずだ。

 五人の苦労は、五人にしか分からないのだから。




「…………ふふ」


 部屋の扉にもたれながら、壁伝いに響いてくる声を聞いている人がいた。

 誰あろう、北上である。


「ほんと、あの子たちはすごいな。ロボット初心者だっているのに、あんなに早く成果を出すなんて。物理部じゃ絶対に叶わないわ」

 自嘲気味に、彼女は呟いた。無論、その声は、中には聞こえてはいまい。

 ふーっ、と静かな息を吐き出すと、北上は天井を見上げた。修理されていない古びた蛍光灯が、チカチカと不規則な点滅を繰り返している。

 ここにいても、時間の無駄か。ゆっくりと腰を上げた北上は、最後にまた呟いた。


「……ここから先が、正念場だからね。みんな」







 すっかり日の落ちた、午後六時。悠香は一人、跨線橋の上に佇んでいた。

 例によって、JR荻窪駅の西口に架かっているあの橋である。灰色の通路の下を、オレンジや黄色や青の帯をつけた電車が忙しそうに走り回っている。杉並区広しと言えど、ここ以上の悠香のお気に入りスポットはない。

 なぜって、悠香の知る限り、ここが最も夕方の景色が美しい場所だからだ。


 襟足まで伸ばした黒艶のあるツーサイドアップが、さらさらと風に舞う。

 悠香は眼下の線路を走ってゆく黄色帯の電車に、ふと目をやった。一瞬見えた乗客の顔は気のせいか、どれもみんな笑っているように見えた。


──恋をすると、周りのものが全部ピンク色に見えるって、何かの本で読んだことがあるなぁ。さすがにそれはちょっと極端な気もするけど、実際“恋は盲目”って言うし、案外そういう時って周りがみんな恋愛仕様に見えちゃうものなのかもしれないよね。

 悠香はそっと、目を閉じた。春の風が耳に、頬に、瞼に心地好かった。


──じゃあ私は、きっと今すごく、幸せなのかな。


 線路に反射した二本の冬の陽光が、綺麗だ。

 悠香ははっとした。そうだ、こんな風にぼんやりしてる暇は無いんだった。

──早く家に帰って、私に割り当てられた部分の仕事終わらせなきゃ。次の輸送ロボットもばっちり完成させて、みんなでロボコンの舞台に立つんだ! 

 善は急げだ。悠香は階段をトントンッと、足取りも軽く下りていった。


 何だか、可笑しかった。

 普段は勉強など、しろと言われたって嫌なのに。自分のやりたいことに関わってくるとこんなにやりたくなるものなのだ。

 もっと早く気付いておけばよかったな、と思った。そうしたら嫌いな幾何も、苦手な体育や書道も、好きになれたかもしれないのに。今みたいに成績で一喜一憂しなくても済んだかもしれないのに。

──今の私になら、何だって出来そうな気がするな。

 テンションは今や右肩上がりだ。悠香はさも愉しげに呟いた。

「そうだよ、たかがロボコンの一つや二つ──」




──"生半可な気持ちで臨むと、痛い目に遭うよ"──




 最後の段を踏んだ瞬間。あの時の北上の言葉が唐突に、悠香の脳裏にフラッシュバックした。

 思わず悠香は立ち止まった。今更のように、手すりの冷たさが戻ってきた。


──痛い目。

 悠香は脳内で繰り返した。

──痛い目って、いったい何だろう。ただの脅しってわけじゃないはずだよ。きっと北上さんは前に苦労した思い出があったから、あんなことを言ったんだ。当てずっぽうにしては、目が真剣すぎたもの……。

 痛い目と言ったら、怪我をするとか、仲間割れするとか、大会に間に合わないとか、そんなことだろうか。

 有り得そうで、怖い。


──って、なんて縁起でも無いこと考えてんだろう、私。

「よーしっ、がんばるぞー!」

 悠香は遥かなあの空に向かって、ガッツポーズをしてみた。思いっきり叫んでみた。吸い込んだ空気が清々しいまでに冷たくて、気分がよくなった。

 周りの視線が一斉に集まってきたが、別に気にはならなかった。気にしなかった。


 ……そうでもしなければ、色んな邪念がたちどころに頭の中に立ち込めてきそうな気がしたからだった。








 北上の予言めいた言葉は、的中する。

 これからが、ロボコンに挑むこの少女たちの正念場だった。だが悠香も陽子も亜衣も菜摘も麗までも、誰一人としてその事実を未だ知らないのである。


 立ちはだかる壁は、ロボット研究会に最大の危機をもたらすことになるのだ。



 ロボコンまで、残り三十六日。






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