第五話 少女の過去と僕のジレンマ

 わたしは、あたりを山に囲まれた小さな村で生まれた。

 そこはもう、すがすがしいほどの田舎だったんだ。線路も高速道路も通ってないし、バスだって一日に片手で数えられるくらいしか出ていない。ちょっと大きな買い物になると、隣町まで行かないとできなかったりして。今にして思うと、その隣町もけっこうな田舎だったかな。


 ……あ、そんな話ばっかりしてたら時間なくなっちゃうね。

 村には、昔から受け継がれてきた伝承があったの。古文書っていうのかな。よくわかんないんだけど、古い巻物が三本残ってて、そこにいろいろと書いてあったんだって。


 一の巻は、村の過去について。災害の記録とか教訓とか、これはあんまり関係ないから次に行くね。

 二の巻は、村の未来について。村の予言書とも呼ばれていて、歴史的な不作とか大地震をぴたりと的中させたって言われてる。それがどこまで本当かはわからないけど、村の昔からの住人ならみんな信じていたし、疑う人はだれもいなかった。


 そして三の巻が伝承の起源、村に住まう神様について。

 すごく簡単に言うとね。村には守り神様が住んでいて、いつもみんなを見守ってくれている。でも守り神様は、百年ごとに新しい神様と交代することになっているの。その節目の年のいちばん最初に生まれた女の子を、神様のお嫁さんとして神社に入れなさい、ってお話。……それが、たまたまわたしだった。


 六歳になってすぐ、わたしは神社の中にある宿舎で過ごすことになった。

 神様のお嫁さんは、神社から出てはいけない決まりがあったの。だから、隣町まで行くことはもちろん、家に帰ることもできなくなった。学校も隣町にしかなかったから、わたしにはお手伝いさんが勉強を教えてくれた。


 神主さん一家とお手伝いさんとの共同生活。それはそれで楽しいこともあったけど、ずっと一緒にいたお母さんと離れるのは、やっぱりさみしかった。

 半年もしないうちに、わたしは脱走した。行き先はわたしの家だったから、すぐに見つかっちゃったけどね。まだ小さい子供だったのに、こっぴどく叱られたよ。


 それからのわたしは、ちゃんといい子にしてたんだ。わたしは特別な存在だから、そのくらいは我慢しなきゃって思えるようにもなった。もちろん嫌なこともあったし、家に帰りたい気持ちも、お出かけしたい気持ちもずっとあったけど……でも、お母さんは毎日のように会いに来てくれたし、わがまま言ってもきっと困らせちゃうだけだから。


 十歳のころ、だったかな。お母さんが病気になった。

 それを知ったとき、わたしは居ても立ってもいられなくなって、神主さんにお願いしたの。お母さんの看病に行かせてください、って。何度も何度もお願いした。

 でも、許してもらえなかった。村の人たちの間では、あの巻物の記述は絶対のもの。神様の代弁者たる神主さんが、それに反することを認めてくれるはずがなかったの。


 わたしは二度目の脱走を決行した。夜遅くに抜け出して、日が昇らないうちに帰ってくる。最初はうまくいったし、これなら大丈夫だと思った。

 けど、そんなの何度も成功するはずがないよね。結局、すぐにばれちゃったんだ。

 わたしは外鍵のついた建物に移された。一人ではもう外に出られない。お母さんに会うことは、とうとうできなくなった。


 あなたも知っている「神様ネゴシエイター」がわたしのもとに現れたのは、それからかなり月日が経ってからだった。

 ずっと信じてた、やっと神様に会えた――でも、「あなたがわたしのお婿さん?」って聞いたら、困った顔して「なんのこと?」って言うんだよ。話をするうちに、わたしが……ううん、村のみんなが信じている神様なんてものは、ただの作り話だってことに気付いちゃったんだ。


 それじゃあ、今のわたしはいったい、なにをしているんだろう?


 自分の存在が、ものすごく空しいものに思えた。

 外に出たい。

 どこでもいい、ここじゃないどこかへ行きたい。


 ――お嬢ちゃんも、神様になれるんだよ。


 そのとき、わたしはようやく救われたと思った。



  * * *



「……わたしが神様になった経緯いきさつは、こんな感じかな」


 先日の疑問をそのまま少女にぶつけた僕は、想像を超えた彼女の過去をぼうぜんと聞いていた。途中から相槌もままならなくなっていた。人間界での話を聞いたというのに、また違った知らない世界の話を聞いたかのような気分だった。


「だから今あなたに見えているのは、わたしの当時の姿。神様の姿は、神様になると決めた瞬間の意志を強く反映するの。時間が経っても、そこから老けたり若返ったりはしない。写真で見たお母さんの若いころみたいに、きれいなお姉さんになれないのはちょっと心残りかな……なんてね」


 少女は律義にすべての疑問に答えていく。

 冗談めかした彼女の笑顔が、僕の目には今まででいちばんさみしそうに映った。


「……なんだか、ごめんな。そんな話だとは思ってなくて」

「ううん、いいの。たまにはこうして思い出さないと、大切なことも忘れちゃうしね」


 大切なこと……彼女の母親のことだろうか。


「でも、いくら外に出たかったとはいえ、神様になったら人間界にはいられないじゃないか。きみは本当に、それでよかったの?」

「うん。今のわたしは、この上なく自由だから」


 その答えに、迷いはなかった。

 そういえば前にも似たようなことを聞いたっけか。「きみは神様になって本当によかったと思う?」――そのときの答えも、迷いのないイエスだったことを思い出した。

 改めて見てみると、少女のさみしげな笑顔の中にある瞳には、強い意志が宿っているようにも思えた。さっき僕が抱いた彼女への同情は、次第に自分への情けなさに姿を変えていった。


 どうやら、僕は大きな勘違いをしていたみたいだ。神様の適性は、あくまで「人間界とどれだけ繋がりがあるか」を表す指標でしかない。コピーくんの話と同じだ。その人が本質的にどんな人間であるかは、まったく関係がない。


 それが僕みたいな落ちこぼれである必要なんて、まったくなかったのだ。


 現実問題、外界と関係を持たない人間なんてそう居やしない。僕は勝手に引きこもりニートくらいのものだと思っていたが、神様の適性を持った人には、なんらかの特別な事情があることの方が多いのだろう。もしかしたら、そういう事例がほとんどなのかもしれない。

 選ばれた存在だったがゆえに、神様になった少女。考えれば考えるほど、そういう存在の方が神様としては普通であるように思えてくる。


「今日はそろそろおしまい、思ったより時間を使っちゃったかな。もっとも、あなたにとって有益な話だったかはわからないけど」

「いや……話してくれてありがとう」

「お礼なんていいよ、これがわたしの役目なんだし。また、来るね」


 少女は再会を約束すると、光の泡沫ほうまつとなって消えた。

 それを見届けた僕は、小さくうめきながら頭を抱えた。


 今までの僕は、自分の損得だけを考えて答えを出そうとしてきた。それだけなら、いずれ自分が納得できる結論を、きっと出せただろう。

 だが少女の話を聞いたことで、僕の心の中には新たな葛藤が生まれてしまっていた。


 こんな僕が、ただのクズだった僕が、本当に神様になってもいいのだろうか。

 なにより、自分がそれを許せるだろうか。

 今の僕が神様になるのは、少女への冒涜ぼうとくのような気がしてならなかった。


 神様でありながら常に負い目を感じて生きていく――そんなことになるくらいなら、このまま人間としてちょっとでも真面目に生きていくのが賢明なのではないか。

 だがすぐに、それは不可能だということに僕は気付いた。いつか少女の言った「ルール」が、その選択を許してくれないのだ。


 神様にならなければ、神様や天界に関する記憶はすべて抹消される。


 仮に心を入れ替えて人間として生きていく道を選んだとしても、少女と交わした会話も、神様に関する記憶も、なにもかもが消えてしまうのだ。もちろん、真面目に生きていこうという僕の決意だって少女かみさまの過去に感化されて生まれたものだ、きれいさっぱり忘れてしまうのだろう。

 そうなったら、また以前のような生産性のない生活に戻ってしまう。自分の未来どころか、現在すら変えられない。これも今の僕には取りがたい選択だった。



 ジレンマ――しばしばパラドックスと混同されがちな言葉だが、その意味は根本的に異なる。パラドックスは「どちらを選んでも筋の通らない、矛盾した事象」であるのに対し、ジレンマは「どちらを選ぶこともできるが、そのどちらを選んでも不利益や不都合が発生する事象」を表す言葉だ。


 有名な例に、ヤマアラシのジレンマというものがある。

 冬の寒空の下、二匹のヤマアラシはお互い温め合おうとして身を寄せる。すると、体についたトゲが刺さり傷ついてしまう。だからといって体を離せば、彼らは冷たい北風に身を打たれ凍えてしまう。どちらを取っても、お互いにとってよくないことが起こってしまうのだ。



 神様になるかならないか、僕にとってこの二択はジレンマそのものだった。

 答えをそう簡単に出せるはずがない。全能の力なんか、もはやどうでもよくなっていた。


 神様になる――それは一発逆転のチャンス、夢のような話だったはずだ。

 すくなくとも、あの少女にとってはそうだったに違いない。だが僕にとって、それはどんなに掴もうとがんばっても掴みきれない、蜃気楼のオアシスでしかなかった。ろくでもない未来が見えていながら、それをどうすることもできない。かといって、人間界を離れるメリットも僕には特にない。


 どうして天界の神様は、僕なんかを新しい神様に選んだのだろう。


 少女のような特別な存在を求めているのなら、僕がそうでないことくらい容易に見抜けたはずだ。人間界でどんな存在なのか、あんなに細かく分析していたのはいったいなんだったのか……


 「あっ」

 思わず声が出た。ひとつの思いつきが、僕の脳内をじわじわと侵食していく。


 神様は、その適性を数値で算出していた。人間の未来について話していたときも、確率という表現を使っていたはずだ。

 今までは、なんとも合理的な神様候補者おちこぼれの発見手段だ、くらいにしか捉えてはいなかったが……もしかしたら神様は、人間を数値としてしか見ていないのではないだろうか?

 まさかとは思いながらも、完全には捨てきれない仮説だ。僕のような人間界の落伍者が引っ掛かったのは想定外だった、なんてことがあったとしてもおかしくはない。


 ……あの少女はどうだろうか。

 自分の仕事をまっとうしながら、僕のことも案じてくれる。彼女が僕を「人間関係の評価値、九十五ポイント」の存在としか見ていないようには、どうしても思えなかった。やっぱり、僕の考えすぎなのだろうか。


 ともかく、天界のことをこれ以上考えるのはやめよう。そこがどんな世界なのかはこの目で見られないのだから、それをいくら考えたって大した意味はない。僕にできる唯一のことは、少女からもっと詳しく話を聞き出すことだ。



 ヤマアラシのジレンマには、続きがある。

 二匹のヤマアラシは、体を寄せては離しを何度も繰り返すうちに、体は温まるけれどトゲの当たらない、お互いにとって最適な距離感を見つけるのだ。


 僕が置かれている状況とは、だいぶ違う話かもしれない。

 でも、ちょうどいい妥協点が、僕にもきっとあるはずなんだ。

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