第三話 沼の男と神様の適性
「今回が交渉の三回目。あなたが望むなら、今すぐにでも神様にしてあげられるよ」
三度目ともなると慣れたものだ。
突然あどけない少女が目の前に現れても、そして間髪入れずにファンタジーめいたことを話しかけてきても、僕はそれを平然と受け入れていた。
「いや、まだ聞きたいことがある。決めるのはそれからだ」
もちろん即断できる話ではない。
昨日この少女から聞かされた「神様」の実態は、僕が思い描いていた
でも、僕は神様になる選択肢を捨てたわけではなかった。
神様になったら、この世界にはいられなくなる。それでもだ。
少女と話せる時間はたった十分。あまりぐずぐずもしていられない。
なにもすることがない生活がここでは幸いし、僕は質問したい項目を一日かけてまとめることができた。彼女は自らを
「僕がもし、神様にならないという選択をしたらどうなるんだ? 天界や人間界に影響が出たりするのか?」
神様になるかならないか、この二択は本当に自由意志なのだろうか。とても根本的な疑問だが、その点についてはまだ聞いていなかったはずだ。
極端な話、神様になるもならぬもあなたの勝手ですが、あなたが神様にならなければ地球は滅亡します、では僕に選択の余地はない。
「なにも変わらないかな。天界はもちろん、人間界もそれによって大きく変わることはないと思うよ」
「僕自身も何事もなかったかのように日常に戻れる、ってことでいいんだな」
「うん、それは心配しなくても大丈夫。……わたしに会ったこととか、話した内容とか、神様に関係する記憶は全部なくなっちゃうけどね」
最後の一言を少女はしんみりと付け足したが、そんなことでは僕の気持ちは動かない。
神様に会った記憶はなくなる、か。
僕はむしろ安心した。もし神様にならない道を選んだとして、現実でうまくいかないことがあるたびに「あの時、やっぱり神様になっておけばよかった」と後悔することは、ひとまずないというわけだ。
「神様になったあとにまた人間に戻ることはできないんだよね?」
「うん、それは無理。人間界に大きな影響を与えるのは、天界のルールが禁じているから」
「まあ、そうだろうな」
無論、そんなことができるなら神様の交渉は意味をなさない。
しかし、神様はなんでもできると言うわりには、できないことが多すぎる気がしてしまう。そもそも神様ってやつは、人間界に来ることを想定していないのかもしれないな。ただ見守るだけの存在か、あるいは完全に隔離された存在か。
「じゃあ話を変えるぞ、昨日きみが言った『僕のコピー』ってのはどういう存在なんだ?」
「どういう、っていうと?」
「なんて言えばいいかな。見た目だけ同じような別物なのか、中身までそっくり同じなのか、ってことさ。スワンプマン、なんて言ってもわからないよね」
スワンプマン――直訳で「泥の男」。自分とまったく同一の構造を持った、より新しい存在をたとえたものだ。
仮に、僕が沼のそばで落雷に打たれて死んだとしよう。目撃者はおらず、僕は跡形もなく燃え尽きてしまった。するとまもなく、もうひとつの雷が沼に落ちる。その瞬間、雷によって沼の汚泥が奇跡的な化学反応を起こし、僕と原子レベルで完全に一致する人間を
この
もちろんそのルーツを考えれば彼は別人どころか別物なのだが、それを証言できる「僕」はもういない。姿かたちはおろか癖や習慣も同じだから、他の人からはまったく違いがわからない。そのうえ、生物学的に見ても分子構造からDNAまで僕と同じなのだ。
要するに、スワンプマンと僕は同一人物であるとも言えるのではないか、というのがこの話の趣旨である。
「んー、難しいなあ。基本的には中身までそっくり同じなんだけど、コピーされたあなたの肉体は、神様の力によって作り出された人間界の物体にすぎないから、別物とも言えるかも。コピーくんはあなたが今まで送ってきた生活をもとに暮らしていく人形みたいなもので、自分の意志という概念がないの」
「意志を持たない……?」
「あらかじめ決められたパターンにそって行動しているだけだからね。周りからは、あたかも『自分で考えて行動している』ように見えるけど」
なるほど、少女の言う「コピーくん」の行動はパターン化されているのか。
限りなく僕に近づけて作られたロボットと考えれば、かなりわかりやすい。人間界の常識では人間の思考を完璧にプログラムに落とし込むことはできないが、そこは神様の力でどうにでもなってしまうのだろう。
「でもさ、厳密に僕と同じ存在とは言えないのなら、それで人間界に矛盾が生じないとは言い切れないんじゃないか。だって、僕らしさだけを積み重ねたものが僕だとは言えないだろう?」
率直な疑問だった。
自分とはどういう存在なのか――なんとも哲学めいている。たった十分しかない交渉時間、本来はもっと実のある質問をしなければならないのだが。
「うーん、もしかしたらあなたはちょっと勘違いしてるのかも。アナライザーって仕事があってね、それぞれの人間の未来を解析した結果を、わたしたちネゴシエイターに教えてくれるの。コピーくんは、いくつかある未来のパターンのどれかひとつをなぞるようにして生きていくんだよ。だから、実質的にあなたとまったく同じ存在なの」
ああ、なるほど。パターンというのは僕の行動のパターンではなくて、僕の未来のパターンということだったのか。
行き着く未来とたどる道筋さえ同じなら、「コピーくん」が本質的に僕と異なる存在であっても問題ない。あまり納得はしたくないが、それなら理に
「ということは、僕の未来がどうなるか、もうきみは知っているのか?」
「知ってるとも言えるし、知らないとも言えるかな。ほんの小さな差とか、確率ゼロに限りなく近いものまで入れたら、それこそ無数に未来は分岐しているから。こうなるだろうなってのはわかっても、実際にどうなるかはわからないし」
無数の未来――魅力的なフレーズだ。
僕は少女と話しているうちに、神様になるメリットを見失いつつあった。全能の力を使ってこの世界で無双できるならともかく、人間としてのすべてを捨ててまで神様になりたいかと言われたら、今の答えはむしろノーに近い。
「……さっきから、きみは本当に僕を神様にする気があるのか?」
「えっ、どうして?」
「あなたには無数の未来がある、なんて言われたら人間のままでいたくなるよ。普通そういうことは言わないと思うんだけど」
「ネゴシエイターは、相手の疑問すべてに誠実に答えなければならない。これも規則だからね」
少女はそう言って笑った。でも僕は、たぶん規則なんてなくても、この子は全て正直に話してくれるような気がした。
「わかった。じゃあ次は、あなたが神様になりたいと思うような話をするよ」
しまった、そりゃこういう流れになるよなあ。
これでまた選択に迷うはめになるかもしれない。余計なことをしたかな、と僕はすこし後悔した。
「人間の未来は分岐している。その理由はね、人間のもつ自由意志にあるの。みんな自分の意志に従って生きている。あなたにも経験があると思うんだけど、自分の意志って、その日の気分や周りから受ける刺激によって大きく揺らいだり、ひっくり返ったりするよね」
今まさにそんな状況だよ、と僕は首を縦に振ってみせる。
「人生全体から見たらほんの少しの違いかもしれないけど、それがたくさん積み重なると、ときに自分や周りの人の未来を大きく変えることもある。コピーくんは意志を持たないから、もしそういう要素をたくさん持っている人がコピーくんと入れ替わってしまうと、この世界の未来に大きな影響を与えてしまう」
その日の気分で未来が変わる……ちょっと想像できないな。
すくなくとも、僕の生活ではありえない。公園に行くか行かないかの違い程度でなにが変わるというのだ。
「だから、将来この世界に大きな影響を与えるかもしれない人のコピーは作ることができない。交友関係が広かったり、気分屋さんすぎる人はだめ。神様になれる人間は限られているの」
「ふーん、神様に選ばれるのにも条件があるんだな」
「うん。その点、あなたは適任と言えるのかな。未来を変える要素が元々ゼロに近ければ、なんにも問題ないじゃない」
はあ、なんだよそういうことか。結局ばかにされてるだけじゃないか。
かいつまんで言えば、僕はほとんどひきこもりで交友関係もろくに持ってないから、神様にするにはぴったりだってことだ。そんなこと言われたってぜんぜん嬉しくないぞ。
……神様になれる人間は限られている、か。
今まで生きてきて、どんな役割や地位であっても、そこにいる自分が自分でなければならなかったことが、僕にはなかった。たまたまそこにあったから回っているだけの、付け替えが可能な歯車のような存在。
僕でなくてもいいのなら、他のだれかがやってくれ。思い返してみれば、かつての僕は自分の存在意義を見出そうとして、社会というシステムから飛び出したのだ。
僕には一つ確信があった。
それは、僕がたまたま神様に選ばれたわけではないということだ。
僕は不本意ながら、神様になれる条件を満たしている。
そして少女は、僕には神様の素質があると言った。偶然なのかもしれないし、運命なのかもしれない。いずれにしろ、僕が選ばれたことにはそれなりの理由があるのだろう。
自分が生まれてきた意味、それがもし新たな神様になることだったとしたら、僕は神様になるべきなのだ。
「きみが僕のもとに来た理由はだいたいわかったよ。ところで以前きみは、僕には神様の素質があるって言ったろ。それについて詳しく聞かせてくれよ」
「えっ?」
言葉に詰まる少女。その反応に、いらだつより僕は戸惑った。そこが僕のいちばん聞きたいところであり、彼女のいちばんのセールスポイントであるはずなのだ。
「あー、あなたの詳細な評価が知りたいってことかな?」
瞬間、少女の手が白く輝いた。彼女は一冊のノートを創り出すと、それをぱらぱらとめくりはじめた。
詳細な評価、という言い方が妙にひっかかる。
いやな予感がする。経験上、この子と話が合わないのは、良くない事実が明らかになる前兆だ。
「あったあった。人間関係、九五ポイント。社会貢献度、九三ポイント。将来性は――」
「ストップ、ちょっと待った! それはなにを読み上げてるんだ」
「なにって、あなたの評価点を」
「その評価ってのはいったいなんなんだよ」
「神様の適性の評価だよ。あなたが神様に選ばれた理由を知りたいって言うから、アナライザーがまとめた結果をここに持ってきたの」
よくわからないが、神様の適性なるものは数値で表されているらしい。なんだか神秘性のかけらもないが、今の問題はそこではない。
人間関係も、社会貢献度も、評価されるような覚えがまったくない。将来性などもってのほかだ。もしそれが百点満点だとしたら、僕の評価は高すぎる。
「なあ……神様の適性って、どうやって出してるんだ?」
「天界での評価点が高いほど、神様の適性があるとされるんだよ」
「その評価点ってのは」
「百点満点からの減点法。人間界での評価点を引いた数が、天界での評価点になるの」
いやな予感はこれ以上ないほど的中した。
あの不自然なまでの高得点は、天界での僕の評価らしい。逆に言えば、少女の言ったポイントを百から引くと、人間界での僕の評価点がわかるということだ。
つまり、人間関係が五ポイント、社会貢献度が七ポイント。それがどういう仕組みで決められているのかは知らないが、飛び抜けて低いことくらいは想像がつく。
たしかに、周囲に影響を与えない、コピーを創っても問題がない人材という意味では、人間界における評価は低いほうがいいだろう。
しかし、詳細な評価とは、それだけなのか?
たったそれだけの理由で、僕は神様に選ばれたとでも言うのか?
「なにか僕に特殊な才能があるとか、そういう要素は?」
「あはは、そんなものがあったら『唯一性』の項目で大きく減点されちゃうよ」
「じゃあきみの言葉は、僕には素質があるっていうのは嘘だったのか!」
僕の口から、思わず大きな声が出る。
しかし、少女は冷静だ。
「天界での評価点が高いってことは、天界の力を必要としているってことでしょ。あなたは年齢のわりにポイントが高いし、周りの意見に左右されない性格だからコピーくん問題もクリアしてる。だから神様になる素質があるって判断されたんだと、わたしは思うんだけど」
「ふつう神様の素質があるって言われたら、神様になったあとに珍しい能力を発揮するとか、特別な才能があるとか……」
「神様になったら、才能なんていらないじゃない。そんなものなくたって、なんでもできるんだよ?」
神様は全能の力を持つ。天界のルールが許す範囲でなら、なんでもできる。
そこに、才能も努力もいらない。
――僕みたいなクズには、うってつけということか。
「ごめんね、今日はもうおしまい。今回は返事をもらえなかったけど、また来るから」
神様に選ばれたのは、なにも自分が特別な存在だったからじゃなかった。
適性を数値化して候補を選んでいるなら、別に僕じゃなくたっていいわけだ。僕が神様になったって、結局は天界というシステムにおける歯車の一つでしかないんだろう。
人間として生きていく未来も絶望的だ。神様の適性が軒並み高評価ということは、裏を返せば、人間の適性はことごとく低評価ということなのだ。
そんな最悪のネタバレをくらってなお、この人生をまっとうしたいと思う人なんてこの世にはいないだろう。
僕の脳裏に、今まで考えもしなかった第三の選択肢が浮かぶ。
――いっそこのまま死んでやろうか。
それはそれでありかもしれないな。神様なんて名ばかりだ、実態は人間の落ちこぼれの寄せ集めじゃないか。そんな存在になって僕はどうするんだ?
いやいや、落ち着け。ヤケになるな。頭を冷やすんだ。
まだ時間はある。焦って結論を出そうとするのはよくない。
くそ、考えすぎて熱が出そうだ……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます