第二話 交渉と親殺しのパラドックス

 僕はもう小説を読む気がしなかった。

 なにせ現実の自分がファンタジーの主人公になってしまったのだ、空想のファンタジーが書かれた本を読んでなにが面白いというのか。


 もうなにをしていても、例の少女のことが、あのときの言葉が気になって仕方がなかった。

 公園から持ち帰ってきた石ころを「証拠品」と称し、それを机に乗せてただならぬ形相でにらみつけ、かと思うと突然にやけはじめる僕は、もし同居人がいたなら問答無用で病院に引っ張っていかれるほど異様な姿だったにちがいない。


 幸いにも僕はひとり暮らしだった。学校に通っているわけでも仕事をしているわけでもないから、特に日常でだれかと会うこともない。平たく言えばニートだ。クリエイティブでアーティスティックななにかを作りたい、という漠然とした夢を抱きながら、ずっとそれを形にできないで毎日を過ごしている。


 神様の数は八百万。人間の数は一億超。

 こんなうまい話があっていいのか。今の自分の生活にかんがみると、明らかに僕は選ばれない側の人間だった。


 世の中には天才と呼ばれる人種がいる。そして教育者たちは彼ら天才の成功を見て、「君たちも何かひとつ、他人に負けないものを持ちなさい」という言葉を口にする。

 そんなものがあれば苦労はしない。僕からしてみれば、それはその人が神様に選ばれたから成し得たことだ。

 いくらでも替えが利くような社会の歯車の一つになって生きている人も世の中にはたくさんいる。その多くは、そうやって生きていくしかなかった人たちだ。それに、かつて天才と呼ばれた人ですら成功できなかった例も、世の中にはたくさんある。


 二十年以上生きてきて、僕には特にこれといった才能も見当たらず、学歴も特技もない。神様なんて、自分には縁もゆかりもない存在だと思っていたくらいだ。


 神様は、こんな冴えない僕に全能の力をくれるらしい。

 僕を神様にすると言った、あの言葉は本当だろうか。

 だとしたら、なぜ僕なのだろうか。

 そもそも、あの出来事はすべて現実なのだろうか……


 少女と出会った次の日、僕はいつもより早く公園に向かっていた。本は家に置いてきた。いつものベンチに寝転んでみても、なんだか気持ちが落ち着かなかった。

 しばらく時が経ち、僕は不安になって体を起こした。やっぱりあれは夢だったのだろうか。期待が大きかったぶん、失望も大きく膨らんでくる。


 そのとき僕のすぐ近くで、明らかに異質な白い光の塊が輝いた。それがなにを意味するのか、僕は直感的に理解していた。次の瞬間、そこにはけがれなき純白のワンピースを身にまとった少女が立っていた。


「やっぱり、夢じゃなかったんだ」

「昨日はごめんなさい、いきなり終わりにしちゃって」


 少女からは謝罪の言葉。そして、申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。

 僕はなんだかそれが無性におかしかった。なぜかって、神様が人間の僕に頭を下げて謝っているのだ。安堵感も手伝ってすっかり気が緩んだ僕は、いぶかしがる少女をよそにけらけらと笑っていた。



「神様の交渉には、時間が決められているの」

 僕が聞くより先に、少女は昨日の出来事を説明しはじめた。


「一回あたり、きっかり十分。ふだんは時間なんて気にしないから、すっかり忘れてて」

「そうなんだ。それも天界のルールなの?」

「ううん、これはネゴシエイターの規則。ネゴシエイターっていうのはわたしが今やってるお仕事のことなんだけど、まだ慣れてなくて。あ、あんまり話すとまた時間なくなっちゃうから、このへんで勘弁してね」


 少女はそこまで言って一方的に話を切った。しかし、交渉に仕事か、なんだか今日は一気に人間くさい話から入ってきたな。勘弁しろと言われなくても、あんまり掘り下げたくない話だ。


「じゃあ単刀直入に聞くぞ、僕を神様にするってのは本当か?」

「もちろん。そのために来たんだもの」

「それなら今すぐ神様にしてくれ!」


 僕は大げさに両手を広げてみせた。

 すると少女は申し訳なさそうな表情を見せた。


「……ごめんね、わたしもそうできたらいいんだけど。これもネゴシエイターの規則で、人間を神様にするには、三回以上の面会が必須とされているの」

「面会、って面接みたいなものか? 僕が神様にふさわしいか見極めるための」

「ちがうちがう。すんなりと交渉が進まない人もいるし、神様になったらもう戻れないから、いろいろと説明する時間として与えられてるってだけ。あなたはちゃんと、神様の素質があるって認められたんだから」


 僕は思わず胸をなでおろした。いやあ焦った、神様の内定取り消しなんて洒落しゃれにならないからな。

 そのうえ僕は天界のお墨付きときた。自覚はまったくないが、僕にはなにかしらの才能があるらしい。そもそもの話、なんでもできる神様が、なんにも調べずに適当な人間を神様にしようとするはずがないか。


「じゃあ、なにも心配はいらないってわけだ」

「うん。もちろん交渉というくらいだから、あなたが望まないなら無理に神様にすることもないし」

「その点は問題ない。僕は、新世界の神になる」


 すっかり調子に乗って口走った言葉は、ずっと昔に漫画で読んだセリフ。もちろん、精いっぱいのキメ顔で。

 しかし、だれしもが一度は言ってみたいフレーズだと勝手に思っていたこの言葉、なんと目の前の少女には通じなかったようで、笑い上戸じょうごの彼女にぽかんとした顔で見つめられてしまった。

 嘘だろ、と僕は小さくぼやく。ああ恥ずかしい、これがジェネレーションギャップってやつか。


 さて、気を取り直して今回の作戦を考えようじゃないか。

 すぐには神様になれないというのなら仕方がない、この子と世間話でもして、できるだけ神様や天界のルールのことを知っておくのが賢い選択だろうか。まあ、たった十分やそこらでなにか変わるとは思えないが、無駄に時間を費やすのももったいない。

 なんて考えているとさっそく一つ、聞いてみたいことを見つけた。気分はすでに神様だ。前回のやけくそとは違う遠慮のなさで、僕は少女に質問を投げかける。


「なあ、ちょっとした思いつきなんだけど」

「うん」


 もちろん実際にやろうとは思わないよ、と念のため前置きをする。


「たとえば僕が過去にさかのぼって、僕が生まれる前に自分の両親を殺したとするよ」

「んー、それは現実的な話じゃないかな。時間を操作するには特別な許可が必要で、ほとんど申請が認められたって話も聞かないし」

「いいからさ、たとえばの話だよ。僕が両親を殺す。片方でもいいか。そうしたら今、親を殺した僕はいったい何者なんだ?」


 無理やり黙らせて話を続ける僕を、少女はおとなしく見つめている。


「僕を生む前に親が死んだんだ、もちろん僕は生まれてこない。理論上、その世界に僕は存在しないことになる。すると存在しない僕は当然、過去に遡ることもできない。だから、僕の親が殺されることはない」


 僕は数学の証明をするように、丁寧に順序立てて話していく。


「でも、彼らが生き残った先の未来、それは今だ。僕はこうして生まれてくる。そして、過去に遡り親を殺す。わかるだろ、堂々巡りだ」



 親殺しのパラドックス――過去に遡り自分の親を殺すことはできるのか。

 タイムトラベルというテーマを扱うときに必ず問題となる障壁、それがタイムパラドックスである。親殺しのパラドックスは、タイムパラドックスの中ではもっとも有名なものの一つだろう。


 過去に遡ることで生まれるパラドックスの例は枚挙にいとまがない。たとえば、タイムマシンで自分が過去に遡るとする。そこで自分が、タイムマシンが完成しないように過去を変えてしまった場合、自分という存在はどうなるのか。逆に、自分の手で世界初のタイムマシンを完成させた場合、今いる自分はどういう存在なのか。

 創作でもよく用いられる平行世界パラレルワールド説をはじめ、その解釈については現在でも多く議論されている。神様はこれに対して、どんな答えを出してくれるのだろう。



「あなたって、変なこと考えるんだね」

「どうだよ、この矛盾は神様の力で解決できるのか?」


 もちろんこの程度、あっさり解決してくれなければ面白くない。

 僕はこれから神様になるのだ。たとえ机上の空論でも、天界のルールがどう人間界で作用するのかを知っておかねばならない。後々役に立つかもしれないのだ。

 あるいは、今まで生きてきた世界の矛盾や不可能をつぶすことで、自分が全能者たる優越感に浸りたいだけかもしれない。まあ、そんなこと今はどうでもいい。


「うーん……推測でしかないけど、おそらくそれは、矛盾ですらないかなあ」

「へえ、その答えは予想外だ。どういうことなの?」

「結論から言えば、もしあなたが過去のこの世界にいる親を殺しても、あなたの存在はなくならない。この前は天界と人間界って言ったんだっけ。その時点でのあなたは神様だから、天界のルールによって存在は守られ、消えてなくなることはない」


 話を聞くたびに天界のルールの万能さを思い知る。それは僕をいい気分にさせた。全能の力をつかさどる世界の法則なのだ、万能であってしかるべきだ。


「一方で人間界にいるあなたは、その殺された親から生まれてきた存在ではない。だから神様になったあなたも消えないし、そうでない方、人間界のあなたも――」

「ちょ、ちょっと待って、いきなりおかしくなったぞ」


 急に理解が追いつかなくなり、僕はあわてて話を止めた。


「僕は親から生まれたわけではない、ってどういうことさ。言葉の定義からしておかしいだろ」

「ううん。もちろん今のあなたは、あなたの親から生まれたの」

「……はあ?」

「そしてあなたが神様になったとき、人間界には、簡単に言えばあなたのコピーが創られる。それがあなたの親とは関係のない存在だってこと。どちらかというと、あなたから生み出された存在、ってことになるのかな」


 僕はほとんど少女の言葉をさえぎるようにして話の整理を試みる。


「いったいなんの話なんだ。僕が神様になる、それだけの話じゃなかったのか」

「うーん、どう言えばいいんだろう。あなたは人間から神様になって天界の住人になるじゃない。それは天界にとってはなんの問題もないことなんだけど、今のあなたの存在は人間界のものだから、あなたが消えたことの辻褄つじつまを合わせなくちゃいけないでしょ」

「えっ……僕が、消える?」

「そりゃあ、人間界からはね。だって、その時のあなたはもう人間じゃない、神様なんだから」


 思いもしなかった事実が少女の口から告げられ、僕はその場に凍り付いた。


 神様は天界の住人なの、と少女は言っていた。

 それは言葉通りの意味だった。

 神様は、人間界から切り離された存在だったのだ。


「神様は人間界に矛盾を残してはいけないの。完全に世界から切り離された人間なんて存在しない。たとえどんなに交友関係の狭いひきこもりでも、人間がひとり突然消えちゃったら、どうしても人間界には矛盾が生じてしまう。だから、あなたのコピーを人間界に創る必要があるってわけ」

「……それを言うなら、この前の風船だって石ころだって、元々は人間界になかったものだ。その矛盾はどう説明するんだよ」

「もちろん、厳密に言えばそうね。だけど、あの日の公園に風船も石ころもなかったことを知っているのは、あなただけ。だれにも見つけられない矛盾は、はたして矛盾と言えるかしら?」


 その問いに僕は答えられず、言葉に詰まる。

 いや、のまれるな、答える必要なんかない。なんでこんな禅問答ぜんもんどうのような話になったんだ。話の本質を見失ってはだめだ。


 だいたい、そんなに大事なことをなぜ最初に言ってくれなかったのか。人間界にいられないんじゃ、全能の力を得たところでどうしろと言うのだ。まさしく本末転倒じゃないか。

 この子にしたって、ただ「神様にする」というだけじゃ伝わらないことくらい想像つきそうなものだ。いったいなにを考えているんだ。


「きみは、全部受け入れて神様になったのか」

「わたしはそこまで踏み入ったことは聞かなかったけどね」

「天界で暮らすってことは、周りはみんな神様なんだろう。みんなが全能の力を持っているし、それが当たり前の世界だ。つまり力を利用する場所も機会もない――それって意味があるのか? きみは神様になって本当によかったと思う?」


 そう食ってかかる僕に、少女は晴れやかな表情で答えた。


「神様になってよかった。わたしはそう思うけどね」


 彼女の底抜けに明るい笑顔の真意を、僕はまったく理解できずにただ見つめていた。


「それと……もう時間みたい。また、明日ね」

 少女は一方的にタイムアップを告げる。そして僕がなにか言う隙もなく、彼女は光に包まれて消えた。


 不完全燃焼だった。まだまだ聞きたいことは山ほどあるのだ、十分はあまりにも短すぎる。

 少女が神様について話すたびに、それは僕の思い描いていた「神様」からどんどん遠ざかっていく。僕の神様像が独善的で汚れたものだっただけ、と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが。どうやら、無条件で人生を勝利へ導いてくれる存在ではないらしい。

 それに、僕のコピーってなんなんだ。ろくに説明もされないまま消えてもらっては困る。とにかく、いろいろと根本的なことから考えなきゃいけなくなったみたいだ。


 今日、神様になれなくてよかった。

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