僕は未来の神様

たたみ

第一話 出会いと全能のパラドックス

 八百万も神様がいるなら、一人くらい僕のところに来てくれてもいいじゃないか。子供のころ本気でそう思っていた。でもよく考えたら、どんなに少なく見積もってもこの国には一億もの人間がいるわけで、そのうちの八百万となれば結構な競争率だ。だれもが神様のご加護を受けられるわけじゃない。

 もちろん、八百万やおよろずとは数がとても多いことのたとえだというのは知っている。だが、どうしてか僕にはこの八百万という数字が、とてもリアルなものに思えて仕方がないのだ。


 僕は今日も、家の近くにある公園の屋根付きベンチにいる。横になってスペースを占領したところで、それをとがめる者はだれもいなかった。晴れた日はいつもこうしている。外に出たからといって特に体を動かすわけでもないが、ずっと家にこもっているよりはよほどいい。


 そして、ひとり空想の世界へ旅立つ。空想と言っても、教室に突然現れたテロリスト集団を自分の手で壊滅させる、なんて中学二年生の妄想じみたものではない。たまにはさっきのように哲学めいたことを考えたりもするが、だいたいはただ読書をして過ごすだけだ。

 最近ではもっぱらファンタジー小説を読んでいる。伝説や神話が当たり前のようにある世界をずっとのぞき込んでいるうちに、いつの間にかその世界の一員になっている、僕はそんな魔法に身をゆだねる感覚が好きだった。


「こんにちは!」


 いきなり声をかけられ、僕は現実の世界へと帰還した。

 だれだろう、こんな場所に人が来るなんて珍しい。そう思って体を起こすと、視線の先で白いワンピースの少女がこちらを向いて立っていた。


「あ、えーと、僕になにか?」

 僕が戸惑いながらも言葉を返すと、彼女はにこっと微笑んで言った。


「わたしは神様です。あなたに会いに来たの!」


 ……目の前の少女が、一瞬にして理解不能な電波ちゃんになった。

 なんなんだこいつは。

 僕は思わずあたりを見渡す。特に変わったところはない、どうやらいきなり異世界に迷い込んだなんてことはないらしい。


「あれっ、見えてないのかな? いやいや、そんなわけないよね」


 少女の他にはだれも見当たらなかった。雰囲気は幼げだが、年は中学生くらいだろうか。あやしい新興宗教の勧誘なんかではなさそうだし、なるほど、この年頃特有の流行り病ちゅうにびょうの子だな。選ばれし者にしか見えない神様の設定ってとこだろう、しかもそれで知らない人に話しかけるなんて……おめでとう、将来の黒歴史化決定だ。

 しかし、だからといって気を抜いてはいけない。はたから見れば、雑草がぼうぼうに茂る公園のベンチで年端としはも行かぬ少女と男が二人きり。いわゆる事案ってやつだ。万が一見られて通報でもされたら面倒なことになる。


「もー、聞こえてるでしょ! ねえねえ、黙ってないでさー」

 しかしこの少女、一向に引き下がる気配がない。


「……じゃあ、きみが神様だっていう証拠はあるのかい」


 結局、根負けした僕は返事をしてやった。

 こんなの本当はスルーした方がいいに決まってる。しかし、なにより暇なのだ。ちょっとからかってやるくらいならいいだろう、そう思った。


「証拠?」

「ああ、なんだっていいよ」

「なんでもいい、が一番困るのよね。じゃあ、手っ取り早く見せてあげる」


 少女は手のひらを返し天に向けた。すると彼女の手が光に包まれ、次の瞬間そこにはさっきまで存在しなかったはずの物があった。僕は目を疑った。しかし異世界の物体などではなさそうだ。現れた白黒の球体はどう見てもサッカーボールだった。


「いったいどこから……」

「いま見てたでしょ、わたしがつくったの」


 少女はそう言ってボールを放り投げた。それは空中で白い光を発したかと思うと水色の風船に姿を変え、そのままふわふわと飛んでいった。ぼうぜんとする僕に向けられた少女の得意気な表情は、まるで勝利宣言のよう。よく見れば、その体もほんのわずかに宙に浮いている。全てが超常現象だった。

 信じられないことだが、しかし、目の前の少女は本当に全能の力を持っているようだ。


「……どうやら認めるしかないみたいだな。それで、僕をどうしようというんだ」

「もー、そんなに身構えなくてもいいじゃない」


 少女はそう言って笑った。こっちは真剣なのに調子が狂う。

 しかし今の彼女を見ている限り、敵意だとか悪意だとか、そういうものはないらしい。それもそうか、宇宙人との邂逅かいこうじゃあるまいし、最初に彼女の方から会いに来たと言っていたではないか。


 そもそも、この少女は全能の力の持ち主なのだ。僕がどんな対応をしようが、彼女にはどうってことないのだろう。最悪、僕を消してしまうのだって造作もないことかもしれない。そんな存在を相手に、僕ができることなんてあるわけないじゃないか。

 そんなある種のあきらめを持った途端、すっと肩の力が抜けた。世間ではそれをやけくそと呼ぶのかもしれないが、もう僕は遠慮することなく少女に疑問を投げかけていた。


「神様って、本当になんでもできるんだね?」

「まあ、そうね」


「それじゃあ、神様にも持ち上げられないくらい重い石を創ることはできるのか?」



 全能のパラドックス――全能者は、何者にも持ち上げることができない石を作ることができるのか。

 作れなければもちろん全能ではない。作れたとしたら、自分がそれを持ち上げることができないから全能ではない。古くから数多あまたの哲学者によって議論され、現代でも語り継がれているパラドックスだ。

 言葉遊びと揶揄やゆされることもあるが、本物の全能者が目の前にいるのなら話は違う。意地の悪いことをしているのは承知の上だ。はたしてこの自称・神様、いったいどうするのだろうか。



「もちろん、できるよ」

 二つ返事だった。少女が地面に向かって小さな手を広げると、ついさっき見たのと同じような光の塊が僕の足元に現れ、瞬く間にそれはこぶし大の石ころになった。


「……え、これが?」

「そうだよ」


 そりゃあ石とは言ったが、現れた石は本当にただの石にしか見えない。川原でちょっと探せば見つかりそうなサイズだ。


「ふーん、こんなに小さいなんて拍子抜けだなぁ」

「もっと大きくしてもいいけどね、そうしたらあなたが持てないじゃない」

「え、僕もやるの?」


 当たり前でしょ、と少女に言われるがままに現れた石ころを拾ってみる。

 ……はい、無理です。もはや重いという表現が正しいのかもわからない、そもそも地面に落ちている物体だという気がしなかった。まるで地面そのものを引っ張り上げようとしているような感覚。すこし力を入れただけで、これが愚かな挑戦であることを悟った。


 僕は顔を上げ、本題を切り出した。


「きみはこれを持ち上げられるのか?」

「もちろん、できるよ」


 さっきも聞いたフレーズ、しかしいったいどういうことだ。少女はスッとこちらへ寄ってきたかと思うと、地面にへばり付いた石ころをその細い右手でつかみ、そして――


 持ち上げた。いとも簡単に。力を入れたようにすら見えなかった。


「ちょ、ちょっと待てよ、話が違うぞ」

「なにが?」

「神様にも持ち上げられないくらい重い石、って言っただろ。そんな簡単に持ち上がるなんておかしいじゃないか、インチキじゃなければ矛盾だよ」


 僕の言葉に、少女はむっとした表情を浮かべた。


「インチキとは失礼ね。ここまで来て信用できないとは言わせないよ」

「じゃあ、今なにが起こったのか、僕にもわかるように説明してくれよ」

「わたしはなんでもできるって言ったでしょ。だから、神様にも持ち上げられないくらい重い石を作れるし、それを持ち上げることもできる。どこかおかしいかしら」


 おかしいから聞いているのだ、僕はそう突っかかりたくなる気持ちを必死で抑えた。熱くなってはだめだ。


「持ち上げる前に軽くして持てるようにした、ってことか?」

「それもできるけど、そんなことする必要ないじゃない」

「じゃあ、作った時のきみはそれを持てなかったけど、今のきみは持てるようになった。つまりパワーアップしたんだ」

「あはは、パワーは変わらないかな。ゲームじゃないんだし!」


 どっちも不正解か。そして少女はまた笑い出した。この子は本当にすぐ笑うな、別に僕がおかしなことを言ってるわけじゃないだろう?


 しかし、まるで会話がかみ合わない。かと言ってはぐらかされているようでもない、まるで根本的に価値観が違う異国の人間と話しているかのようだ。

 そんなことを思っていると、ようやく笑いがおさまった少女が話し始めた。


「ごめんね、ちゃんと説明しないとわからないよね。と言っても、これが説明になるのかはわからないんだけど」

「なんだよ、ということは、やっぱりなにかカラクリがあるんだな」

「あー、うーん、そういうわけじゃないんだけど……」

「どんな話でもいいよ、聞かせてくれないか」


 ここで口ごもられても困る。僕が話の続きを促すと、少女は言葉を選びながら説明してくれた。


「えーとね。神様っていう存在は、この世界のルールには縛られないんだ。神様には神様のルールがあるの。だから、あなたたちの考える常識では説明できないことも、わたしにとっては普通のことになる。……うまく言えないんだけど、そうとしか言えないかな」


 うーん。なんとなくわからなくもない、つまり神様は人間の理解を超越した存在なのだということが言いたいのだろう。

 しかし、なんとも要領を得ない回答だ。これで納得しろと言われても無理がある、そもそも答えになっているのかすら微妙な気もする。


「もっと詳しく頼むよ。この世界っていうのは、人間が住む世界のことだよね」

「うん。簡単に、天界と人間界って言えばわかりやすいかな。わたしも含めて、神様は天界の住人なの。そして、神様は人間界のルールより上位にある、天界のルールに従って存在している」

「つまり、神様は人間よりも上位の存在だから、人間界のルールは適用されないってことか?」

「んー、ちょっと違うかも。人間界に来た神様は、基本的には人間界のルールに従うよ。だけど、そのルールでは不可能なことをやろうとした時だけ、それが天界のルールによって上書きされるの。さっきみたいに、なにもないところからサッカーボールを創り出したり、サッカーボールを風船に創り変えたりするのは天界のルールだけど、サッカーボールや風船そのものは人間界のものになる」


 なんとなくわかってきた、ような気がする。僕は少女の右手を見つめながら言った。


「つまり、その石ころは人間界にあるもので、人間界の常識では絶対に持ち上げられない。それを持ち上げられるようにしたのが天界のルール、ってことでいいのかな」

「うん、だいたいそうね。神様にも持てないくらい重いっていう概念がすごく曖昧あいまいなものだから、もしかしたら納得できないかもしれないけど」


 いくつか質問を重ねたことで、僕はようやく少女の言ったことを自分の中で消化することができた。まがりなりにも僕が理解を示したことで、彼女はやや安心した表情を浮かべた。そして、それを見て僕も安心した。そんなに間違った解釈をしているわけではないらしい。


 しかし今の話を聞く限りでは、神様の「なんでもできる」は「人間界の不可能を可能にする」の意訳だ。実際にそういう原理なのかはともかく、理論的に考えるなら、無から有を創造したのはエネルギー保存則の上書き。「神様にも持ち上げられないくらい重い」を実現したのはおそらくベクトルの上書きだろう。


 そういえば、神様は「四角い円」を創り出すことができる、という記述をどこかで見たことがあった。四角と円のように相反する概念でも、神様の手にかかれば共存することができる。神様という存在が人智を超えているということを端的に表したものだ。

 しかし少女が言うには、人間界に創り出したものの存在は人間界のものであるらしい。人間界に四角い円という概念は存在しないから、きっとそれは不可能なのだろう。

 ただのニュアンスの問題なのだが、僕の考える「なんでもできる」とはちょっと違うな、と正直がっかりした。まあ、それでも十分すぎるほどの力だ。


「物理法則を上書きできることはわかったんだけど、じゃあ概念を変えてしまうことなんかもできるの? たとえば、僕を神様にする、とかさ」


 仮にできたとして、僕なんかが神様になったらこの世の終わりだ。そんなことは自分でもわかっている、だから精いっぱい冗談めかして言った。


「わっ、よくぞ聞いてくれました! そういえばまだ言ってなかったね、わたしはあなたを神様にするために来たの!」


 予想外の少女の言葉に、僕は一瞬固まった。


「……なんだよそれ、どういうこと?」

「言葉通りの意味だよ。あなたは神様になる素質があるって認められた、だからわたしはここにいるの」

「そ、そんなことができるのか?」

「うん。むしろ、それしかできないよ」

「ちょっと待って、全然わからない、全部一から説明してくれ」


 もう自分で考える気はなかった。それに、きっと考えても無駄だ。

 少女は「まず――」と切り出した。だがそこまでだった。彼女はハッとした表情を浮かべ、かなり焦った様子で「いけない、時間!」と叫んだ。


「え、時間って?」

「ごめんね、もう今日は時間がないの。また明日ね!」

「え、え、どういうこと」


 少女は僕の疑問に答えてはくれなかった。突然、彼女の全身が白く輝き、人型の光の柱になった。あまりのまぶしさに思わず目を閉じてしまい、僕はあわてて目を開く。


 そこに少女の姿はなかった。


 僕は言葉を失い立ちすくんだ。

 さっきまでの時間が嘘のような静けさだった。誰かが近くにいるような気配も全くない。


「夢……だったのか?」

 思わず独り言がこぼれる。


 そもそも、他に人などいるはずがなかった。僕がいるこの公園は昔から人気ひとけのない場所で、数か月前に再開発の一環として公園の取り壊しが決定したときも、誰一人として反対しなかったそうだ。一週間後に解体を控え、遊具はすでにほとんど取り払われており、いたるところで雑草が伸び放題となっている今、ここは公園と呼ぶにはいささか無理があるほどの荒れ地と化していた。


 そんな場所に、神様? 白いワンピースの少女? 考えれば考えるほどありえない。ファンタジーの読みすぎで幻を見たとでもいうのか。

 今日はもう帰ろう。急に自分が哀れに思えてきた僕は伏し目がちに足元を見た。


 こぶし大の石ころが落ちていた。


 目を疑った。見覚えがある。これはさっき、僕の目の前で少女が創ってみせたものだ。……いや、普段は石ころなんて気にも留めないから、元々転がっていたものかもしれない。おそるおそる手に取ってみると、それはあっさり拾うことができた。

 僕は一息つき、疑惑の石ころから目を背けるように顔を上げる。ふと、視界の隅に不自然な色彩が入り込んできた。思わずそちらを向くと、緑が茂る木の枝に水色の風船がひとつ、引っ掛かっていた。

 心臓が高鳴る。普段は木なんて見向きもしないから、元々引っ掛かっていたものかもしれない……なんて思うことはできなかった。あれは少女が創ったものに違いなかった。サッカーボールから創り変えられた、あの風船だ。ということは、この石ころも。


 不意に強い風が吹いた。風船は風に乗って木を離れ、天へと昇っていく。僕は一歩も動けずにただ見上げるだけだった。

 水色の風船は空の青に溶けて消えた。しかし僕の右手には、なんの変哲もない石ころがひとつ、確かに握られていた。

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