第3話 三方ヶ原の戦い
「ちょっと、犬井さん、いいかな」
「いっすけど…なんすかね…」
「いや、ちょっと、あ、向こうで、いいかな」
「いっちゃん、どうかしたの?」
「え、いや、ちょっと、ほんとなんでもなくて、あ、契約書のことです、契約書」
「いっちゃ…あ…CEO…どうかしたっすかね…」
「おい、おまえ、今」
「女の子におまえなんて言ってはダメでしょう?いっちゃん」
「あ、いや、そうですね…すみません…」
「そっすよ…いっちゃ…あ…CEO…」
「完全にわざとだよね」
僕はにこやかに、あくまでもにこやかに爽やかに、犬井の手を掴んで部屋を出た。どういうつもりなのかわからないが、これは完全に色々理解している目と考えて間違いないだろう。
「これは一体どういうことだろうか、犬井さん」
「どういうこととは…あたしぃそういうのよくわかんなくてぇ」
「ダメじゃん、キャラ変わっちゃってんじゃん」
「あれえ、面接もう終わったのー?」
「フジ!」
夏だからといって甚平に雪駄という「ちょっとそこのコンビニまで」のような出で立ちで出社してきているこの男は藤田藤丸。弊社のCTOだ。基本、意識低い系でとにかく何もしたがらないのだが、エンジニアとしてのスキルはすこぶる高い、極低モチベーション・ウルトラ・フルスタックエンジニアである。よく意味はわからないが。ちなみに各種イベントでの登壇のお声が多くかかるが大抵は断る。極稀に周りに促されて渋々参加することになったとしても、壇上で寝る、tweetする、ツムツムをする、そもそも行かない、という傍若無人振りだ。まあ、人としては終わってる。
「もう、内定出したー?」
「そのことなんだけど、フジ、お前前回の面接のときにどういう話を聞いたんだ?」
「そりゃ志望動機とか希望年収とかー?」
「お前知ってるな…?」
「ん、何を?」
「ゆりおば…皐月さんと俺が知り合いだってことだよ!」
「そりゃあ、まーねえ」
僕との関係を知った上で、仮に面白そうだからといった不純な理由で二次面接を通過したとして、そもそもフジがどこで僕との関係に気づけたのだろうか。名前、ではもちろん気づけるわけがない。住所でも難しいだろう。なぜならフジとは大学に入ってから、つまり皐月家と疎遠になったあとの上に、家を出て一人暮らしを始めてから知り合ったのだから。
「なあ、フジ」
「んー?」
「なんで知ってるわけ?」
「あー顔を覚えてたんだよね」
「顔?」
「そ、顔。お前の爺さんの葬式で、さ」
――嗚呼、あの時か。
おじいちゃんが死んだのは大学二年の時だった。家から近い大学だったにも関わらず、高校卒業を機に一人暮らしをするよう勧めたじいちゃんは入浴中の突然死であっけなく逝ってしまった。そのおじいちゃんを見つけてくれたのがゆりおばさん。ゆりおばさんからの連絡を受けて駆けつけた取り乱した僕を落ち着かせてくれたのもゆりおばさん。通夜、葬儀の手配それら一切の手助けをしてくれたのもゆりおばさん。そしてそれら全てを僕の隣で見ていたのが僕と一緒に駆けつけたフジ、というわけだ。
「そりゃあ?あの取り乱したCEOを?的確に慰めて?必要なことを確実にこなす?その姿を見せつけられて?落とせますかっての」
「う…」
「そっすよ、いっちゃCEO」
「犬井さん、もう開き直っちゃってんじゃん」
「だって、やばいでしょ!やばいですよ、CEO!」
う、営業の
「ぱねっす、ぱねっすよ、CEO」
うう、営業の
「まあ、アリだと思いますけど」
ううう、クールなプログラマ
「いいいいいいと思います」
「ぶふふ、ぼくもいいと思いますよぉ」
うううう、痩せているのに
なんだなんだ。社員が続々と前に出てくる。
「で、どうするのー?」
「いや、そうは言ってもさ、フジ…」
――いや待て!これは…この三日月型の陣形は…鶴翼の陣!くそっ!包囲されている!
「諦めろ、家康!」
「ぅおのれ…信玄…」
「あの…三方ヶ原の戦いごっこ、もう終わりでいっすかね…」
秘書部秘書課の旧知の友母(はは) 自堕落 @jidaraku
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