00-6. 第二の被害者

【語り部:プロの刑事・加藤保憲やすのり



 新宿御苑。

 ここの桜も他の名所にたがわず、満開を誇っていた。


 そんな木々の中でも殊更に目を引くな巨木の周りに人が集まっている。しかし、残念ながら彼らの目的は花を愛でる事ではない。


 制服を着た警官たち。警察手帳を駆使し、人垣をかき分け、巨木の前へ。―――絶句。


 あまりの酷さに、ではない。あまりの美しさに……。


 とても死んでいるとは思えない健やかな表情。すやすやと眠っている様は、まさにSleeping Beauty眠れる森の美女。その眠り姫をやさしく抱きかかえようと、桜の枝が地面すれすれまで腕をさしのばしている。


 死体の芳香に誘われ、カラスでも群がっていたのか、あたりには黒い羽根がちらばり、絶妙なコントラストで妖艶さをさらに演出している。


「おい、加藤、死んでんのか?」

 賀陽かやの声で我に返る。

 ああ、こいつも来てたんだっけな。


「この遺体はお前の客じゃないな」

「……だからなんだ?俺には関係ねぇってか?」


 そうだ、喧嘩していたのだった。

 “よかったな”って意味だったんだが……これはこれで好都合だ。


「そうだ。お前の客じゃない」

「てめ……」

「ここは部外者の人間が入ってきていい場所でもない。出て行ってもらおうか」

「……いいだろ。本気の『探偵ごっこ』見せてやろうじゃねえか」


 ごっこ?ああ、歌舞伎町での私のセリフ、引きずってんのか。女々しいやつだ。


「先輩!遅くなりました」

 いつもいい所にくるな、後輩。


「豊島、規制線を広げろ。この公園一帯だ。それから、今この公園にいる人間は全員事情聴取。ただし、この賀陽さんは、事件の後に私とやってきた。つまり、アリバイがあるのでな。帰っていただけ」

「加藤、このやろ……」

「先輩?……なにかあったんですか?」


 なにかあったか、じゃない。異常な殺人事件だ。この件はヤバい。

 今までの事件では感じたことのない不安感が全身を襲う。


「なにもない。当たり前の事を言っているだけだ」


 豊島は賀陽に一瞥をくれてから続ける。


「わかりました。取り急ぎ一つご報告が」


 賀陽に聞き取れないよう小声でさらに続ける。


「先日の遺体、先ほどの事ですが、腹部にみられていた盲腸の手術の痕が……その、消えたそうです」

「!?」

「検死の先生もパニック状態で……細胞が単細胞化しているとか、細胞分裂がなんとかとか……なんやら喚くばかりで……」


 ……これは「ヤバい」なんていう都合のいい言葉が表現できる限界値を超えている。


「……賀陽、頼む。ここは俺にまかせてくれ。そして、お前は依頼を受けている女性を全力で探せ。一刻を争う」

「どうしたんだ?」

「この事件は…ヤバい」


 くそ、適切な言葉が見当たらない。私のボキャブラリの限界値もこんなもんか……


「豊島、なにしてんだ、早くしろ!」

「先輩、警視から電話が……ちょっと待っててください」

「おい、加藤。ヤバいってなんだよ」


 ほんと、ヤバいってなんだよな。


「わるい、私にもよくわからんが、こないだの遺体に異常があるらしい・・・」

「だったら、俺にもこの現場立ち会わせろよ。そんなに信用ないか?」

「だから!信用しているお前に、お前の客を一刻もはやく探せと言っている!!」


 くそ。柄にもなくどなってしまった。冷静じゃないな…


「先輩。警視がこの件から先輩を外すって……解決できなければキャリアに傷がつくと参事官が仰っているとか……」


 ……ちっ。参事官は私の「育ての親」だ。直接血も繋がっていなければ、苗字も違う。

 会社には事情は伏せているが、こんな時だけ父親面をする……。昔からそうだ。かつて私の香川県警へ異動の内示が取り消され、変わりに賀陽に内示がまわった時も……。


「……先輩?」


「豊島。俺は休暇をとるぞ」

「先輩!?」

「賀陽、本気の『探偵ごっこ』見せてくれるって言ったよな?悪いが、私もつき合わせてもらうぞ」

「は?」

「都合のいいことを言っているのは重々承知だ。しかし、事情が変わった」

「てめえの事情なんかしるかよ。説明しろ」

「わるい、後でじっくり説明する。この事件は私の手……いや、お前と私の手で解決したい」


 ――都合のいいことを言っているのは、わかっている…。


「ちっ。じっくりじゃなきゃ分からんような説明ならいらねえよ。めんどくせえ」


 ……本当、お前ってやつは。


「わるいな」

「一刻を争うんだろ?ひとまず、あのジジイを捕まえて茶でもしばくぞ、助手」

「助手?」


「まずは探偵の修行を積め、助手。それより、あのジジイだ」

「じじい?」


 賀陽の目線の先を追うと、初老の紳士が規制線の外から遺体を眺めていた。


「なぜあのご老体を?」

「探偵の勘だ。本気の『ごっこ』を見たいんだろ?」


 興味本位の野次馬という様子でもなく、ただ一心に遺体を眺めている。たしかに、あの目はあちら側(犯罪者側)かこちら側(犯罪者を追う側)か、どちらかの目だ。


 ……頼りになるな、相棒。


「豊島、わるいが、しばらく署には戻らない」

「……承知しました。先輩は働きすぎです。少しお休みになられたほうがいい」

「ああ、そうだな……」

「休日出勤の代休と有給、1カ月分くらいはたまってますよね?届け出は出しておきます。はんこはデスクの中ですか?」


 ……頼りになるな、後輩。


「そうだ。わるいな」


 さっきから「わるいな」ばかりだ…


「この現場の事は後で報告します。気になる事があれば連絡ください。うまく動きます」

「……わるいな」

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