00-5.「Fascination」
【語り部:私立探偵・
歌舞伎町の一角。雑居ビルではなく、4階建ての建築物。
看板には紫がかったピンクのネオンサイン。しつらえられた文字は『fascination』。
電気はまだついていないが、日が暮れた後のその趣味の悪さは容易に想像ができる。
その下品なサインの下には、まっ昼間にもかかわらずタキシードにサングラスをした白人が後ろに手を組んで佇む。まるで宮殿の彫刻みたい。ダビデ的な?
「fascination《ファッシネイション》……『魅惑』ね」
ダビデ像の視界からはずれた角の、コインパーキングの看板に背中をつけ、煙草の煙を眺める。
見る人が見ればまさに探偵映画のワンシーンだろう。
……かっこつけてるわけじゃねえよ?でちゃうんだよね、こういう雰囲気。
「探偵さん!路上は禁煙ですよ!」
いきなり後ろから声を掛けられる。
そこに立つのは一人の女性。この街特融のケバケバしい匂いはしない。
しかし、俺の背後に無断で立つとは……。俺がゴルゴじゃなくてよかったな。
「絵美子。来るなって言ってるだろ?」
「なに言ってるのよ。私はあなたの助手よ?」
「助手にした覚えはない!お前は事務だ」
俺の事務所で、俺意外の唯一のスタッフ。俺が雇い主でこいつは雇われ人。立場的には俺が上。歳も俺が上。こいつは1年前に社会人になったばかり。社会人歴も俺が上。でもタメ語。なのに雰囲気は清楚なお嬢様って感じ。なんで俺のところにきたのかは不明。
「あそこが今回のターゲットね」
「聞いてるのか……お前は――」
声を押し殺して怒鳴ろうとしたその刹那、わが探偵事務所の大事な教育を遮り、近づくもう一つの影。
「おい、探偵。あそこがOLが通っていた店か?」
なんだよ、まったく。
「加藤……。お前も邪魔しに来たのか。兄妹そろって…」
加藤は俺の言葉を無視し、俺ではなく、我が事務員に向かい諭すように語り掛ける。
「絵美子。
そう、こいつらは兄妹。兄貴が学費を払って妹を大学に通わせていたそうだ。どうでもいいから詳しい事情は聞いてないけど。
「兄さん。私も空手の学生チャンピオンよ!このくらい平気だわ」
でた、いつものやつ。
「そういう問題じゃないだろ」
がんばれ、兄。
「チャンピオンといってもサークル内の試合での話だろ?まともな大会に出たこともないくせに。賀陽、どういうつもりなんだ?絵美子になにかあったらどうする?」
いやいや、俺に言われても……
「なに言ってるのよ、失礼ね。賀陽さんは強いのよ!いざとなったら賀陽さんが守ってくれるわ。ね?」
そういう問題じゃねえだろ。
「……守らねぇよ。さっさと帰れ」
「賀陽、守れよ。絵美子になにかあったら許さんぞ」
この兄弟は……
「加藤、言っとくがな――」
「うるさい!車がきた」
てめぇ。
店の前に横付けされる一台の高級セダン。運転手が車を降り、ダビデ像に向かって拝礼する。
数分後、スーツにメガネ、似合わないハットを深めに被った中年男性がホスト達に周りを固められながら重そうな扉から登場し、3段ほどのステップを降りると、車に乗り込む。
パトロン様のお帰り。まだ昼間。ホスト達の時間外出勤はさぞ高くつくだろう。ホスト達が頭を下げると、静かに車が走り出す。さぞかしいい乗り心地の車なんだろうな…。あんな車、いつかは乗ってみたいもんだ。
「あいつは?」
加藤が車のナンバーを手帳に控えながら聞く。
「某永田町にお住まいの某秘書様。某財務省所属。あいつはゲイって話。ただの客だな。税金がこんな変態野郎の趣味に使われてると思うと悲しくなるな。俺たちは何のために血と汗と涙の結晶『税金』をお国に納めているんだか…」
「給料になってからの使い道は個人の自由だ」
「あ、わり。お前も税金でメシ食ってんのか」
「だが、確かにあの使い方は腹が立つな」
「お、だろ?しかも、おそらく公費。給料になる前の金だ」
「だろうな…」
「ま、なにかあった時のゆすりのネタに写真は抑えてるがな。使いたくなったら言ってくれ。安くはできないけどね。週刊誌に売りつけても相当な額だ」
「ふむ」
「それよりよ、送り出したホストいただろ?あんなかの背のちっこいの。あれが本命だ」
「あの左耳に3つピアスをあけてたやつか」
「あいかわらずすごい観察力と記憶力だな」
「右側にいたのは、左目の下にホクロ。背の高いのは手の甲に縫った痕があったな」
なんともまあ……
「ちなみに運転手は、首にアザがあったわね」
絵美子が口をはさむ。
「お前ら兄弟は化け物か!」
思わず声に出た。思ったことを口に出してしまうのは、映画とかアニメとかの世界だけかと思っていたのだが、今日はキャスバル・レム・ダイクンの気持ちが痛いほど良く理解できた。
しかし、実際、
「で、ピアスになんの用だ?」
「源氏名は
絵美子に睨まれた。……こわっ。
「警察手帳が必要になったら言ってくれ。妹の機嫌が悪くなると手におえない」
……だな。しかし、お前のその一言、それもまた妹さんの機嫌、悪化させてるぞ。
「はっはっは」
……空気よめよ。
笑う警官は、空気を読まないまま、上着のポケットから震える携帯を取り出す。
どうやら、こいつの携帯が主人に代わって空気を読んでくれていたようだ。
「加藤だ。……ふむ。わかった。署にもどってから聞こう」
電話を切り、腑に落ちない顔を見せる。
「司法解剖の速報だ。遺体に外傷がないのは話したよな?毒殺が考えられたが、なんど調べても、消化器どころか、全身どこにも異常がないらしい。胃の中はからっぽだったが、水分、栄養分、どちらも不足していた様子はみられないそうだ」
「原因不明の心肺停止?」
医大卒の探偵助手が口をはさむ。
「ところが、血中の酸素はいまだに豊富」
「……チアノーゼも出ていない……」
「脳と心肺は完璧に止まっているのに、血中酸素濃度は通常。体の細胞は仮死状態ってことだな」
俺も、医大の一つでも行っとけばよかった。
「理解できないわね…」
ふむ。どうやら医大に行けばいいって訳でもないらしい。
「ひとまず、俺は署にもどる。絵美子、この件にかかわっている行方不明者はおそらく女性だけだ。もうこれ以上かかわるな」
「…ええ」
「賀陽、お前も関わる必要はないんだぞ?いや、関わるな」
「わるいな、俺も仕事しなきゃ飯くえないんだ。せめて原因だけでも説明できないと今後にも関わる」
「賀陽、原因はわかったら教えてやる。手を引け」
「あ?」
「探偵ごっこで解決できる問題じゃない」
――プチン。短気はよくない。分かっている。が、我慢できなものは我慢できない。
「『ごっこ』だと?てめぇ!」
加藤の胸倉をつかみ、拳を握りしめる。俺様の怒りの鉄拳をお見舞いしてやろうとしたその刹那――
あたり一帯でサイレンが鳴り響き、胸倉から手を離した俺の横を数台のパトカーが脱兎のごとく駆け抜ける。加藤の携帯もサイレンに共鳴したかのように震えだす。
「加藤だ。……そうか。わかった。今近くにいる。急行する」
「んだよ?」
「二人目だ。新宿御苑」
……チッ
「俺の客じゃないだろうな?」
「知らん」
「俺も行くぞ。絵美子、お前は事務所に戻ってろ」
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