第7話夫婦といえど。

「ふう…さっぱり…」

 私は、朝いちで起床し朝風呂に入ってきた。折角来たのだから、元を取らなくては…勿体ないというそんなところ。風呂場には、口喧しい太郎さんの姿はなかった。なので、ゆーっくり温泉気分を満喫できた、思う存分。どうやら、彼は寝過ごしたらしい。何をしていたんだか?我が妻洋子も絶賛朝風呂の真っ最中です。彼女は、移動疲れが抜けなかったらしく昨晩は、一度しか湯船に浸からなかったらしい。実にもったいない話だ。今朝は、そんな姿も見せることなく彼女は真っ先に風呂場へ向かって行った。どうやら体調も戻ったらしい。「やっぱり気持ちいいや。露天風呂ってさ。今朝、洋子に言われた時は、本当に嫌々だったけど、外に出てしまえば、近くのコンビニと対して変わらないやっぱり近場のコンビニより温泉だな」と思いつつ、牛乳を探すのであった。温泉と言えば、牛乳でしょう。「牛乳でも飲むかな」と思いながら廊下をスタスタと歩いて行った。隣にある女風呂を超すとあの家族風呂がある。昨日は、洋子と家族風呂に入ろうとしたら先約が入っていて入れなかった。

「家族風呂ねぇ…やっぱり入りたかったなぁ…。洋子の身体も…見てみたいし…うんうん(何考えてんだ)。何時までやっているのかな?」

「…」

 ”えぇーと…入場時間帯は…”壁にかかっていたインフォメーションポスターを覗いた。

「朝の10時から夜の9時までかぁ…。えぇーと、今は何時かなぁ…」

 私の徐にはスマフォが…。「あれっ?」スマフォを持って出てこなかったらしい。部屋に忘れてきたようだ。

「…」

 恐らく、8時を少し回ったくらいかと…。起床したのが、6時ちょい過ぎだったから…それほど進んでいるとは思えない。湯船にもそれほど浸かっていないし。これからマンションへ帰ることを考えると、ここで力を使い果たすのは、得策でない。

「…朝飯、朝飯」

 休日含めて、朝飯など食べる習慣は特にない。しかしながらこういう旅館に来ると必ず朝食を食べたくなる。かなり大食いの時もあった。不思議なものです。アドレナリンがいつもより増強しているせいか?

「うぎゃーうぎゃー…」

「うん?」

 壁沿いにあるソファーへ目が映った。そのソファーには、一・二歳くらいなる男の子(もしかしたら女の子かもしれぬが)がちょこんと座っており、力強く泣いていた。赤ん坊が泣くときは、だいたいおっぱいを飲みたいときか自分の存在を確認するときに泣くそうです。どこかの雑誌で読んだ気がする。

「赤ん坊…」

「うぎゃーうぎゃー…」

 なんて元気のいい子なんだ。両親はどこ?と思いながら、この周辺をキョロキョロ覗いてみたが、両親の要る気配は全くなかった。

「……」

 こういう場合…どう判断すれば良い?どういう判断が正しいんだ?そのままってわけにはいくまい…。

「……」

 う…ん。俺は、子供なんて抱いたことないぞ…。困ったもんだ。

「…」

 このまま、誰か来るの待つか…。

「うぎゃーうぎゃー…」

 子供は、また力強く泣き出した。今度は、目の前にいる俺を見ながら…なんともいえぬ光景だった。…この子は、俺に助けを求めているのか?うむむっ…。

「…」

 取りあえず、この子を抱いてみるかぁ。泣くなよ泣くなよ…泣いたら、私だって怒っちゃうよ。同じ男だから分かるな。

「…せーの…」

 私は、取りあえずその子を抱いてみた。人生で初めての経験なんだ。怖い怖い…。兄の子供も一度も抱いたことがない私が、よその子を抱くなんて信じられない。怖くて…怖くて…腰が抜けそうです。「あぁーこわぁ…」

「…うん?」

 さっきまで泣いていた男の子が突然泣き止んだ…。おぉーーーーー奇跡だ。今年一番の奇跡だ。

「…?」

 「むぎゅ」っとその男の子は、力強く私の身体を抱きしめて来た。やっぱり一人じゃ心細かったのか?ふんふん、この感触も初めてだった。マショマロのようなこの感触。何とも言えないこの感触。ぷにゅぷにゅしていて気持ちがいい。抱きかかえる雰囲気も全然悪い気がしなかった。これが赤ん坊の感触かと。また一ついい経験をさせてもらった。「しかし、これからどうする?」私は、ここから先どうしたらよいか見当も付かない。無知というのはとても怖ろしい。無知というのは…危険だ。

 ん…あっそうだ。手っ取り早くフロントに行って預けるべきだな。そうだそうだ、そうしよう。

「それがいいよなぁ…坊や…」

「あっ!」

「うん?」

「晴彦!!」

 私は、洋子の声が背中の後ろから聞こえてくるのが分かったので、男の子を片手で抱きかかえながらそっと振り向いた。洋子は女風呂から出てきたばかりだった。身体から湯気が立っていたので安易に想像が付いた。なかなか浴衣姿も色っぽい。何を着ても似合うね、さすが我が妻。

「…」

「どうしたの?その子」

「竜之介」

「その子の「名前」を聞いているんじゃないの。その子はどうしたの?とか聞いている!」

 洋子は、竜之介を抱えている私を見て驚いている。「そりゃそうだ」

「…あそこで拾った」

「…」

 洋子は、目が点になっていた。「何言っているの?」と言いたげだった。

「…冗談は…止めてよ」

「そんなに怒るなって。家族風呂の横にある、あのソファーの上でちょこんと座っていたんだ。そこでワンワン犬のように泣いててさぁ…困っているようだから拾ってあげたわけ。で、ちょっと今どうしようかなぁ?と思ってたんだ。思いついたのがフロントへ預けに行こうという事だったもんでこれから行くところ。そんな矢先にお前といま偶然出会ったわけよ」

 私は、ベロベロバァーって変な顔をしながら答えた。

「なぁーんだ。そうか、そうだよね。びっくりさせないでよ」

「僕の子かと思った?」

「…そうは…思わないけど…」

 洋子は、肩を落としながら答えた。

「そろそろ…フロントに行こうか。両親が、この子を探しているかもしれないからな」

 私たちは、この子をあやしながらフロントへ向かって歩き出した。まだ一・二歳の男の子だけど、結構重たかったりするんだ。ズシンっという重たさではないが…経験した重たさじゃない。言葉にならないそんな重たさです。命の重たさというべきか。

「…そういえば、その子「竜之介」って言うんだ?」

「うん?知らない」

「知らないって?」

「勝手に名付けた。まだ一・二歳の子が、喋れるわけないじゃん」

 その男の子を反対の腕で抱き直した。

「…そうよね、おかしいと思ったわよ。名前なんて勝手に付けないでよ、バカじゃない。トラウマになったら、どうするのよ?一・二歳が大事って言うじゃない。知らないわよったく…」

「…そんなに大きな声を出すなって。まったく…もう~。そろそろおねむの時間だよなぁ…ほらっ…」

 目がとろんとした男の子の姿を洋子に見せながら答えた。

「あっごめん…なさい」

「気をつけなさい」

 クスッと笑いながら答えた。

「あぁーーー偉そうに」

「偉いですもん」

「言ってくれるじゃない」

「言いましたーーー」

「今度は、私がその子抱っこしてあげようか?」

「抱きたい?抱きたい?」

 私は、小ばかにしたような仕草で言った。

「うるさいな」

「うるさいですって、龍之介。はしたないお言葉ですねーーー」

「もう」

「すぐそこがフロントだから大丈夫だよ、竜之介待っていろよなぁ…もうすぐそこだよ」

「…だから、勝手に竜之介って言わない」

 洋子は、笑いながら言った。

「…」

「そういえば、晴彦ってそんなに「子供」好きだったっけ?」

 洋子は、驚いたような顔で言った。「そんなに驚くことか?」と正直思った私とのギャップは計り知れない。

「…」

「…うん」

「そうだったんだ」

「えっ知らなかったの?昔から子供は好きな方だよ、多分。まぁ、こういうことってさ、他人と比べるものじゃないしどこから好きでどこから嫌いかって聞かれるとよく分からないけどさ」

 「よーし、よし笑」って言いながらその子をさすった。子供の肌は、つるつるしていてめちゃくちゃ気持ちが良いんだ。マショマロのような感じ。食べちゃいたいくらいのこの弾力。むぎゅーーーって言葉が一番合っているように思う。

「…全然知らなかった」

「むしろ大好きだよ。この黒い瞳がたまらなく愛おしくなる。世間にまだ属していないというか…全く穢れていない汚れていない、そんな感じのこの瞳。綺麗すぎてちょっと怖いよね。油断していると、すーーーって吸い込まれそうになる。ほんとキレイだよなぁ…子供の瞳ってさ」

 もちろん抱いている男の子も瞳もキレイだった。間違いない。

「…ふーん」

「そうなんだ。全然知らなかった。そんなこと聞いたこともなかったし…」

 洋子の顔は、少し赤面していた。

「洋子だってもう36だろ…。子供子供って、そんな簡単に言える歳じゃないじゃん。僕だってさ、こう見えて結構気を使っているんだよ。分かんないかな?」

 私は真剣な眼差しで答えた。こういう話題は、こういう場所では絶対にしないものだと思っていたが、いずれ”しよう”と思っていた話題を、ついにこの場所でしてしまった。禁断の開けなくてもいいドアを開けてしまったんだ。

「…」

「…ありがとう」

「晴彦が…私に気を使っていたとはねぇ…それさえも知らなかったよ…本当にごめんなさい」

 洋子は、ポツンと言った。

「…」

「…子供なんて、コウノトリの授かり物じゃないか。焦らなくていいよな、僕たちは…居なければ居ないでいいよ、僕は。洋子さえそばにいてくれればそれでいいんだよ」

「…」

「…」

 体感的には、数十秒だろうか…洋子も私も黙っていた。

「…うん」

 そうこうしているうちにフロントの前に着いてしまった。フロントの前には、着いたときに荷物を預かってくれたふっくらした女性スタッフがちょこんと立っていた。

「…どうしたんです?その子は?」

 その女性スタッフから声を掛けてきた。

「…」

「そこで拾っちゃった」

 私は、笑いながら答えた。

「バカ」

「えっと…」

「もう…。冗談ですよ、全く…。そこは、笑うとこですよ」

「…ですよね」

「拾ったってのは、半分冗談ですけど…。そこの家族風呂の脇にあるソファーでやたら力強く泣いていたから…あやしていたんだけど、誰も取りにこなくて。さてどうしよう?みたいな雰囲気なってしまって。あぁそうだ、フロントに持って来たら何とかしてもらえるかもって…ここに来たんです。おばちゃん、この子預かってくれません?」

 熟睡している男の子を女性スタッフに見せながら答えた。

「…どうしましょうか」

「私たちが預かってもしょうがないというか…ねぇ」

「ですよね」

 「よいしょ…」私は、そっと男の子を女性スタッフに手渡した。

「この子、どこの子かしらね…全く…」

 彼女は、その子を抱き直しながら言った。

「…」

「…」

「あなた達って子供いるの?」

 突然、頭の痛いことを切り出された。

「…」

「どうしてですか?」

 私は、何でそう…思うんだろうと思い素直に答えた。

「…」

「あなた、随分抱き方がうまいんだもの」

 おばさんは”よーし、よし。良い子良い子。大丈夫、大丈夫”と子供を揺すりながら言った。

「そうですかね。でも、残念ながらまだです。コウノトリがなかなか運んできてくれないもんでさ…」

「…」

「あら…やだ。ごめんなさい。ごめんなさいってこともないか」

「でも、あなたいいお父さんになりそうね、あなた。今後が楽しみだね、ねぇお嬢さん」

 おばさんは、洋子の肩をポンっと叩きながら言った。

「…」

「あっあの…」

「…」

「…ですね」

「あの…」

「おばさん…少し私の話、聞いてくれますか…」

 洋子は、ボソッと言い始めた。

「…」

「どうしたの?」

 おばさんと俺は、ほぼ同時に答えた。

「…」

「…」

「…」

 思いの外、洋子の口元が重かった。

「…」

「勿体付かないで、早く言えよ!」

「そんなに焦らないの、妻が言いたいことがあるんだからさぁ、少し待っててやんなさいよ。だから男ってのは…」

 おばちゃんは、笑いながら言った。

「…」

「私ねぇ…」

「…」

「…」

 せっかちな性格なのか「勿体付けるな」と、心の俺が言っている。口に出すと口うるさいおばさんに怒られそうなので言わなかった。

「…」

「…」

「子供がいるの…お腹に…」

「…へ?」

「…ん?」

「だから、私のお腹に子供がいるの…」

「…」

「…うん…?」

「…あら」

 私は、洋子が何を言っているか理解できないでいる。

「マジか」

「あら、まぁ」

「マジです」

 照れくさいのか小声で言った。

「ほら…この間、私、少し風邪こじらせたじゃない。中々治り難いし…おかしいなぁ…と思って。仕事の合間をぬって近くの病院へ行ってみたんだけど…。そしたら、あら、やだ。妊娠していたってわけです。で、二ヶ月とちょっとらしい…です」

 洋子は、さらに小さな声で答えた。

「…」

 私は、洋子の言っていることがすぐ理解出来なかった。

「…」

「おめでとう!」

 おばさんは、片腕で子供を抱えながら、洋子も抱えそうになった。私だけが状況判断が出来ていない。

「…おめでとう。あんたもやったね、男になったね。一人前の男になったじゃん。良かったねぇ…おめでとう!」

 おばさんは、大きな声で喋ってきた。

「…」

「…」

「うん…?」

 私は、頭の悪い子なのか?

「あんた、パパになったんだよ。しっかりしなさい!」

 おばさんは、私の背中をきつく押しながら答えた。

「…」

「俺が…パパ…」

「ですか」

「良かったじゃない」

 やっと、我に返ったようなそうでもないような…。心と体が分離しているみたいで困った。こんな経験初めてです。

「…」

「そうよ、おめでとう!あなたいいパパになるわよ!きっと」

 おばさんは、眠った子供を抱き直しながら結構な勢いでハイテンションだった。三人の中で一番テンションが高かった。それ、おかしいだろ。

「…」

「なんで…すぐ教えなかった?」

 おばさんに「なんて事いうの?素直に喜びなさい」と言われそうだが、取りあえず聞いてみた。

「…」

「…」

「あなたは…」

 洋子は、申し訳なさそうに言い出した。

「…」

”おっ風呂おっ風呂…楽しいお風呂…”とルンルン気分の太郎さんと敦子さんが2階から降りてきたらしい。当然、話に夢中の俺たちは気付くわけがないが。

”お風呂…お…”

”しーっ!ちょっと待って、太郎さん”

 敦子さんだけが私たちが居ることに気付いたようだ。

”えっ?何だよ。早く行こうぜ!おっ風呂…”

”ちょっと待ってって言っているでしょ”

”えっ?”

”目の前で敦子さん夫婦が話しているのよ”

 敦子さんだけが私たちが何の話をしているのか直感で分かったらしいです。さすがというか…そういう場合は、女の方が頭の血の巡りが良いらしいです、昔から。

”うん?あぁ…?”

 太郎さんだけが今の状況を把握出来ていない。もう…鈍感。史上最強の鈍感男!

”…”

”えっ?あぁ…そういうこと?”

 太郎さんもやっと状況を判断できたのかな?

”本当に分かっているのかしら?なんでこんな人が弁護士になれたのか…ち

っとも分かんない”

 敦子さんも疑っている。

”何か言ったか?”

”何にも。それよりそこのソファーに座ってこの状況を見守りましょうよ、あのお二人を。どんな結論が出るか楽しみだわ”

”あぁ”

 2人は、そーっと近くのソファーに座った。映画館の特等席に陣取ったような雰囲気だった。そんな近くで彼女らが見ているなんて私たちは知る由もなかった。

「…」

「…」

「あなたは…晴彦は…さぁ…」

「ん…「子供」が好きじゃないと勝手に思っていたの。ほらっ、買い物に行っても「子供」に見向きもしないじゃない。一緒に電車を乗った時だって、「子供」の顔を見たってなんとも思わないみたいに感じていたし…。あぁ…晴彦って、「子供」が嫌いなんだって…いつも勝手に思い込んでいたの。こめんね。だから、だから…ね、本当に自分のお腹に「子供」が出来たとき、晴彦に…素直に言い出せなかったの。本当にごめんなさい。晴彦へ正直にこのことを話したら(晴彦が)悩んじゃうかもしれないって思って。でも…私は、あなたの子が…晴彦の子がどうしても欲しかったから、大好きなあなたの「子」を生みたかったの。あなたが例え「子供」を嫌いでもこの子を降ろすことなんて少しも考えなかった。もし、晴彦が本当に「子供」が嫌いだったら、あなたと離婚するしかないって…そう考えていたの。この「子」は、私一人で育てようって…バカでしょう…本当にごめんなさい」

 洋子は、お腹をさすりながら言った。

「…」

 私は何も言えなかった。ただただ…洋子の話を聞いているしかなかった。 

「…」

”おぉーーーお前が言った通りの展開やん”

 太郎さんの目は、いつになく輝いていた。

”ちょっとむかつくんですけど!”

”黙っていて、もう…デリカシーのない男”

”すまんすまん”

”…”

”静かにして貰えますか”

”はいはい”

”…”

「本当にごめんなさい…ごめんなさい。全て私の完全に勘違いだったみたいね。でも正直…晴彦が、あんなに「子供」が好きだなんて思わなかった。想像以上でした。あの子を見ているあなたの姿…いつもの晴彦じゃなかったし。妊った私には、直感で分かったわ、晴彦は「子供」が好きなんだって。あんなに泣い喚いていた「子供」をあなたに抱かれただけで、すぐ泣き止んで…あっという間にスヤスヤと寝始めちゃった。あんな晴彦の姿…一緒に暮らしてから初めて見たような気がした。抱き姿、結構様になっていたわよ、晴彦。ちょっと羨ましかったなぁ、あの子が…。本当に「子供」が好きだったのね…晴彦。あぁーー本当に良かった良かった。心配して損したわ」

 洋子の目は、涙ぐんでいた。

「…」

「…」

「あっ…そういうことか…」

 そういうことだったのか…今朝の問題と温泉宿で交わしたあの「約束」の意味が…。全部全部解決したような気がした。あっ…バカだなぁ…もう…。そこまで洋子に考えさせていたとは…つくづく情けない男だよ、私は。ガクッと肩の力が落ちたことに気付いた。

「…」

「…ん?」

「…」

「何…独り善がりな行動を取っているんだよ…、洋子は。僕は、「子供」が嫌いだなんて一言も言っていないじゃないか。確かに「子供」避けていたのは、事実だけど…それは、洋子のことを思ってのことで…。僕は「子供」が大好きだよ。洋子の産んだ子供は世界一大好きだよ!!お前の悪い癖だぞ…一人で悩むなんてさ、そんなの反則だよ。マーケの仕事が災いになってるんじゃないか。何でも僕に相談しろよ…。そりゃ…僕は、頼りない男ですけど…これでも……」

 私は、ギューって洋子の身体を抱きしめた。思ったより小さい身体だった。

「…」

「これでもなによ…」

「これでも日本一、お前を愛しているんだよ、誰よりも…」

「…」

「お前もバカだなぁ…」

「私は、バカじゃないもん」

「ふぅ…これで日本一の、大バカなママの誕生だ」

「うるさいなぁ…もう…」

 洋子は、泣いていた。めっちゃめちゃ可愛かった。頭から食べちゃいたいくらい可愛かった。

「…」

「…」

「そうと決まったら、早く暖かい部屋に戻りなさい。お腹を冷やすと、頭の悪い子が出来ちゃうよ」

 おばさんは、笑いながらフロントの中へ入って行った。

「…」

「その子は…」

 洋子は、ボソッと言った。

「…」

「大丈夫よ。子供を置き去りにするようなお客様は、当旅館には泊まりませんって…必ず、迎えに来ますよ…ほら…ねっ…」

 僕たちより若い夫婦と見られる二人が焦ってフロントへ駆け込んできた。

「ほんとだ」

「…」

「…あはは」

 この件には深く関わらない方がいいと思ったので、軽く会釈をしてフロントを後にした。若い夫婦が頭を下げているのをチラッと見えたので、その子のご両親だと簡単に推測できた。「良かったね、竜之介」「だから名前で呼ぶなって」

「…」

「ふぅー」

 俺は、肩を軽く回しながら息を吐いた。

「…何、ため息付いているのよ。急に気が重たくなった?赤ちゃんが出来ちゃってさ」

「いや…色々…想像していたんだ、これでも。どんな風に「子供ができた」って言われるか。まさか、こんな風に言われるとは思わなかったよ」

「…」

「ごめんね」

「いや…謝る必要はないよ。あのおばさんがもし居なかったら、もっともっとうろたえていたかもしれん。感謝しなきゃね、あのおばさんに」

「…そう…ですか」

「本当に素直嬉しかったよ」

 洋子の手を握りながら答えた。

「…」

「ところでなんで、あの子の名前が竜之介わけ?」

「何となく…」

「思い付き?」

「うん…」

「思い付きにしては、案外いい「名前」じゃない。もし男の子だったら、「竜之介」って名前にしようよ。「川越竜之介」とてもいい名前じゃないか。戦国武将の名前っぽくて。うん、カッコいいわよ」

 洋子は、笑いながら言った。

「確かに案外いい名前かも…」

「あいにく…うちの家系は、女家系なんだよ。親戚含めて、なかなか男に恵まれなかったらしい。うちも女の子だよ、きっと…」

「…」

「そうとも限らないわよ。あいにく…私の家系は、男ばかりよ。どっちの血が濃いかしら。勝負ね」

 洋子は、笑いながら答えた。私の勝ちって言わんばかりの姿で。

「…」

「晴彦は、どっちがいいの?」

「どっちでもいいや。健康であれば…それでいい」

 俺は、有り触れたセリフを言った。いつもドラマか何かで、似たようなセリフを聞いたりするけど、その度にもっとマシなこと言えないのかな?って突っ込んでいたけど…言えないもんだな。健康であればいいんです。

「…」

「洋子は?」

「…」

「…」

「どっちなんだよ」

 俺は笑いながら答えた。

「うーんとねぇ…私は、女の子かな」

「どうして?」

「じゃー竜之介は、次だな」

「…」

「何で女の子がいいかって言うとねぇ…一緒にショッピングに行きたいし、パパの悪口言って楽しみたいでしょう。良いでしょ…うふふ…」

 洋子は、最高の笑顔で答えた。

「お前は、男の子だもんな。お腹から出てきたら、一緒にサッカーやるんだもんな」

 洋子のお腹を軽くさすりながら答えた。

「違うもん。一緒にショッピング言って、そんで、そんでパパの悪口言うんだもんねぇ…」

「例え女の子でも…悪口なんて言いませんよ。そんなはしたない言葉なんて言いませんよ。この子は…俺に似て…性格がいいんだから」

 心の底から久しぶりに笑いながら答えた気がした。男の子でも女の子でもいい…健康であれば…それでいいんです。

「…」

「…」

「約束…」

 あの部屋で交わしたあの「約束」のことを言い出そうと思ったが、途中で止めた。そんな「約束」どうでもいいと思った。あの「約束」を交わしたことで、今日一日めちゃくちゃ楽しかった。それだけで満足だ。

「…」

「あの…」

「うん?」

 私の前に見覚えのある顔が二つあった。

「…どうも」

「ラブラブなのもいいんですけど…もうお部屋に入りませんか?」

 太郎さんと敦子さんの声が聞こえた。

「いつから…そこに居たんです?」

「…」

「5分前いや…10分以上前かな?」

「…本当ですか」

「声掛けてくれればいいのに…」

「2人とも…相変わらずものすごく悪趣味ですね…」

 私は、ボソッと言った。

「あまりにラブラブなんで…ついつい、ね。私たちも簡単に声を掛けられませんって。少しは、宿舎の周囲にも気をを使ってくださいな」

 敦子さんは、「やれやれ」といった表情で言った。

「その通り」

 太郎さんも笑いながら言った。

「…洋子さん…」

「……はい?」

 2人は、お互い見合いながら黙っていた。

「あの「約束」は…解決のようね」

 敦子さんは、笑いながら言った。

「…はいっ」

 洋子は、満面の笑みで俺に向かって答えた。

「えぇ」

 僕もやっと肩の荷が落ちたらしく笑顔で答えられた。

「約束?何のこと?」

 太郎さんの一言にお互いの顔を見つめながら振り向いた。

「…」

「秘密…です」

 私と洋子の二人は、ほぼ同時に答えた。

「秘密は、ないでしょ…仲のいい夫婦には…」

 太郎さんは、苦笑いをして答えた。

「…仲の良い夫婦でもさ、「秘密」の一つくらいあった方がいい夫婦になれるかもよ…ねぇ、敦子さん」

 太郎さん一人だけが、「ちっとも分からない女たちの理屈だ」だと思っているかも。でも、まぁいいかぁ…。今の私には大した問題じゃなかった。

「…」

「えっ?お前も俺に「秘密」があるんか?」

 太郎さんは、鳩の目のような目をして答えた。

「うん?さぁ…どうかな?どうでしょう…ねぇ」

「それはないやろ。俺は、晴さんと違って「愛妻家」やし、よう出来た夫やと思うで…」

「自分で言うな」

 敦子さんも苦笑いしながら言った。

「愛妻家ですか…?」

 私は「ぷぷっ」と笑いながら答えた。

「何が可笑しいねん」

「気を付けた方がいいですよ、太郎さんも」

「おいおい…脅かすなよ」

「そうね、太郎さんも気をつけた方が良いかもしれないですね」

 洋子も笑いながら言った。

「誰か大丈夫って言ってくれよ」

「大丈夫だって」

 敦子さんも太郎さんの背中をポンと押しながら言った。

「…」

「全然大丈夫な気がせぇーへん」

「大丈夫ですって」

 私も笑いながら答えた。

「…」

「何が大丈夫やねん」 

「…さぁ…分からん」

 首を傾げながら答えた。

「あんたも分からんことを言うたらあかん。それにあんたが言っても全然、全然説得力がないんだよ…」

 太郎さんは、半分呆れ果てていた。

「大丈夫だって」

 敦子さんは、少し落ち込んでいる太郎さんに声を掛けた。

「…」

「そういうことにしておきます」

「…」

「なんで俺が、お前らに励まされなあかんのや?」

「そういう日もありますって」

 私たちと太郎さん夫婦は、笑いながら各自の部屋へ戻って行った。チェックアウトは、10時だということを全員がすっかり忘れていた。只今の時刻、10分前。早く用意しないとあのおばさんに怒られる。もう、説教は勘弁だ。「そんなことで、あなたパパが務まると思うの?」なんて大声で言われそうだ。

「…」

「ところで、お腹の子の名前は、決まっているの?」

 2階の廊下に辺りで敦子さんは、洋子のお腹を眺めながら徐に言い出した。

「竜之介」

「女の子だったら?」

「その時々できちんと考えます」

 サバサバとした表情で答えていた。

 洋子の…その笑顔がある限り俺は、大丈夫だ。きっと。

「きっと、気の強い女の子やで…」

「そうかもね」

「女の子やったら…」

「もう…あなたが言わないの」

「参考までに聞いておきますよ」

「この人が言うことなんて、何の参考にもならないわよ」

 敦子さんは、微妙な表情で答えた。

「そうですね」

 洋子もすんなり答えた。

「アホか。むちゃくちゃ優秀な子になるって」

「元気であればいいんです」

 洋子は、微笑みながら俺の手を握りしめた。その手は、とても温かかった。忘れていた…洋子の手が暖かいことを…覚えておこう、ずっと。

 

 こんなに幸せな時間はない…いつまでもいつもでも続きますように…。


 君は、君のままでいい

 愛に満たされていれば、

 それ意外いらない…

 変わり続ける街の中で

 変わらないものもあっていいじゃないか

 君は、君のままでいい

 愛に満たされていれば…

 無理に…変わる必要はない

 僕も変われない


 部屋で待っているから、

 早く戻っておいで…愛しい君よ


PS. あの後、太郎さんが敦子さんが営むお蕎麦屋の二階に居候するカタチで夫婦関係を継続させたみたいですよ。夫婦は、一緖にいて初めて夫婦になるんです。




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