第36話 この手に光る希望を

 もっと。もっと早く。このことに、気づいてさえいたのなら。

 大草原の夜風にツインテールをあおられながら、萌黄は、手の中の弾丸の形状を確かめていた。クトゥグアの爆発には、法則がある。すべてはこの内側から奇妙な形にへしゃげた弾丸が証明している。


「まさかその弾丸でクトゥグアを倒せるとは言わないわよね!?」

 スペンサーライフルに弾丸を装填しながらシャーロットが、不審そうに尋ねる。

「いえ、でも、この弾丸がクトゥグアの能力を紐解く糸口になることは間違いないです」


 クトゥグアが持つ不滅の炎の能力。

 人間がどれほどに抗おうと、立ち向かおうと、揺るがない絶対の力。

 すでに萌黄たちの幾多の攻撃をはね返し、予見をはね返してきた。

 しかしやはりハスターが言うように、それは決して万能のものではない。必ず『法則』があり、『制約』があり、『欠点』がある。

 その糸口をたどっていけば、炎の邪神ですら倒せる。

(ありえないことは、ありえない)

 それはいかなる時でも、何が相手であっても、『そう』なのだ。

 どんなときも人間は、自らの知恵と決意の力を信じるしかない。


「…もう一度、あともう一度、クトゥグアに挑みます」

 決意した表情で萌黄は、かたくうなずく。

「ここは、賭けるしかありません」


 もはや後はない。クトゥグアの力の強大さは、けた外れだ。ちっぽけな人間の力だけで立ち向かえるものではない。だがあと一歩だ。あと一歩、逃げ出さずにほんのわずかな奇跡が降りてくるまで耐え抜けば、それを覆せる何かがつかめる気がする。


「来たわよ」

 シャーロットが、張りつめた口調で萌黄を振り返った。


 眼下の大海原のような闇に唯一、それと分かる火の手がいまだ盛っている。全焼したエイワス農場だ。もはや燃えるようなものなどないと思えるほどに、建物も焼け崩れ炭くさい黒煙を発しているが、地上はいまだ炎の地獄である。


 まるであの炎の邪神の邪悪な気配に呼応して、盛っているかのようだ。

 すべてを破壊する炎は、残った萌黄たちを消滅させるべく、不滅を勝ち誇っていた。


「あれね」


 シャーロットは闇を溶かす炎の中に、人影を発見した。そのまま問答無用で、照準をつける。そのとき、薄墨を刷くように漂っていた雲が風で晴れ、萌黄の目にもはっきりと見えた。クトゥグアはまだ、そこにいた。逃げた萌黄たちを、追いもせずに。まるで待っているから狙ってくれ、と言わんばかりに、ぽつんとたたずんでいた。


「銃弾は効いたのよね!?」

 シャーロットは尋ねたが、形ばかりだ。このまま何に阻まれても、引き金を絞るつもりだ。説明しようとしたが、すでに距離を詰めている。この馬鹿でかいミ・ゴの接近に、クトゥグアが気づかぬはずはない。


 上空からシャーロットは、急所を狙った。スペンサーライフルが火を噴き、重たい風切り音がクトゥグアを襲った。弾丸は、クトゥグアの顔へ真っ向から飛び込んだと思えた。まったくのノーガードである。KOパンチを喰らったようにクトゥグアは両手を広げて、真後ろにダウンした。その頭上を、ミ・ゴが飛びすがる。


「やったわ」

 シャーロットは声を上げた。だが、萌黄は知っている。

 たとえスペンサーライフルであろうとも、クトゥグアを射殺することなどは出来ないと言うことを。


 ミ・ゴが飛びすがる瞬間、萌黄はクトゥグアと目が合った。顔面に弾丸を喰らったはずの炎の邪神は、狙撃されたとは思えない顔つきで、遥か天頂を見上げていた。

 瞬きもせずにその瞳が、飛行する萌黄たちを追っている。


「どうする!?もう一発撃つ?それとも下へ行って、直接攻撃しようかしら!?」


 上擦った声でシャーロットが聞いてくる。彼女はまだ、真下に倒れているクトゥグアが、どんな状態になっているのかは、把握していないようだ。


「次はわたしも攻撃します」

 萌黄は意を決することにした。

「それについて、これから相談があります」

「OK、次はさらに接近ね」

 排莢したシャーロットは瞳を輝かせ、飛行する邪神と化した『黄衣の王』に命じた。

「起き上がってこなくても、そのままぶち込む」

 旋回したシャーロットの照準に、再びクトゥグアが捉えられる。炎の邪神は両手を広げたままねそべり、まるで大地に磔刑されたようだった。

「いくわよッ!!」

 クトゥグアは、ぴくりとも動かない。そう思えたときだった。


 急接近の一瞬、かすかな爆裂音とともに、何かが光った。銃火ガン・ファイアと見えたその小さな炸裂があったのは、仰向けに寝そべったクトゥグアの顔面だった。


 狙撃態勢に入っているシャーロットは気づくべくもなかったが、それを見た瞬間、萌黄は背に氷柱をぶち込まれたように、顔色を喪った。


「シャーロットさん避けてッ!早く避けてッ!」

「萌黄…!?」


 何が、とシャーロットが問い返そうとしたときだ。視界が塞がれるほどの閃光が、飛行する萌黄たちに容赦なく浴びせかけられてきたのは。続く猛烈な衝撃波で、二人は漆黒の空へ放り出された。


 まるで何もない空が爆発したかに見えたが、萌黄には分かっていた。今のはクトゥグアの攻撃だ。シャーロットが撃ち出したスペンサーライフルの弾丸を、撃ち返してきたのである。なんと、その口の中からだ。


 だが、見るべきはそこではない。そんなことはさっき、萌黄もされたのだ。クトゥグアには銃弾は通用しない。


「なに!?今、いったい、何をされたの!?」

 真っ暗な中空に投げ出されたシャーロットが悲鳴を上げた。

 そう、問題はただ、銃弾を撃ち返されただけのことではないのだ。


(ライフルの弾丸が爆発した…!?)


 撃ち終わって、火薬もついていない実弾である。それがまるで、手投げ弾のように、萌黄たちの眼前で『爆発』したのだ。直撃は免れたが、黄衣の王で出来たミ・ゴは大きく態勢を崩した。この衝撃波の威力。今の一瞬気づかずにいたら、翼ごと吹っ飛ばされたに違いなかった。


 に、しても萌黄たちはミ・ゴから振り落とされ、なす術もなく落下していく。


「萌黄!じっとしていてッ!」

「はっ、はいですッ!」

 差し伸ばされたシャーロットの手をつかみ損ねて、萌黄の両足は宙を掻いた。


「ひっ」


 放り出されたのは、地上二十メートルと言ったところだ。五階建ての建物くらいの高さから、この草原になんの装備もなく落下したら、生きていられるはずがない。


黄衣の王イエロー・キングッ」

 シャーロットの命令で、もんどりうったミ・ゴが旋回して態勢を整える。覚悟を決めて身動きしなかったのが幸いしたか、その飛行体は地面に激突する前に二人を回収した。


「しッ死ぬかと思った!?」

「ったく!一体、なんだったのよ今のは!?」


 シャーロットは、毒づきながらミ・ゴを地上へ着陸させる。これ以上、空中から攻撃するのはむしろ、こっちの危険であると判断したのである。


「ライフルの弾丸たまを撃ち返してきたんですよ!…でもそれが、それが…わたしたちの目の前で爆発した!」

「まったく理解不能ね!あれも新知覚能力ドアーズみたいなものかしら!?」


 シャーロットは急いで弾丸を装填した。撃っても無駄なのは、今ので分かっている。しかし、やらざるを得なかった。なぜなら、地面に降りれば今の化け物と直接相対しなければならないからだ。効かないと知りつつもここは、使い慣れた銃に頼らざるを得ない。


「珍しいものが飛んでると思ったが、お前らか」


 クトゥグアはさして面白くもなさそうに、顔を歪めた。


「芸がないぞ。銃とか言うしょぼい武器には、もううんざりだ」


 炎の邪神が再び、じっくりと歩を詰めてくる。萌黄の本能は総毛だつものを感じたが、ここで退くことは出来ない。ここで退けば、二度と立ち向かうことなど出来ないからだ。


「どうする、萌黄!銃弾は効かないわ」

 ライフルを構えたシャーロットが、こちらを見てくる。銃弾ではクトゥグアの前進を止めることは出来ない。

「待ってください」

 そのまま、と目配せをしながら、萌黄は、落下した装備の中から何かを拾い上げた。


「次は何をする気だ?そろそろ諦めて、祈ったらどうだ。…死ぬとき人間は、神とやらに祈るんだろう?無事に魂が安らぎを得られますように。…まあ、おれはお前らを粉々に吹き飛ばしちまうから、魂が残っていたら、の話だがな」


 不気味に嘲笑いながら、クトゥグアは十字を切った。異世界の邪神が小馬鹿にして弄ぶ祈り。かって、これほど冒涜的に切られた十字があったろうか。


「わたしは、神も仏も信じていません。死ねばただ、土に還るだけ。これは実感です。死者が教えてくれた。…故郷の戦争で、これまでどれだけ、己の殉じた土地に還っていったものたちを見たことか」


 萌黄は準備を整えると、シャーロットを押しのけてクトゥグアの前へ立ちはだかった。シャーロットにはライフルの銃口を下ろさせている。


「萌黄!いったいどうするつもり!?」

「大丈夫です。…ここはわたし一人で。さっき相談した通りです」

 萌黄は必死に声の震えを殺しながら、言った。


 上空で萌黄は、シャーロットにある覚悟を語っていた。今こそそのときと悟ったのか、もはや逃げることは考えないようだ。


「次の出し物はなんだ?その『背中』に隠してあるものか!?」


 切りつけるようにクトゥグアが言った。今ので実際、止めを刺されたような、ぎくりとする声だ。


「どうした!?今のうちに言っておきたいことが合ったら、言ったらどうだ!?」


 気圧されないように大きく歩幅を横に開くと、萌黄は息を吸い込んだ。


「あなたたち邪神は、実在する」


 萌黄は、その言葉を口にした。クトゥグアに応えると言うよりは、自らに言い聞かせるかのように。


「『ありえないことなど、ありえない』。…ここへ来るまでに、わたしたちが繰り返し教えられてきた言葉です。あなたやハスターくんのような邪神は、実在する。わたしたちの、人間がこれまでこの世界から学び取ってきた常識を軽々と超越して。わたしたちの手に負えない存在として。まるで神や仏と言う存在のように。でも、『違う』んです。あなたたちですら、この世界と言う器の『ことわり』の中にいるッ!」


 萌黄はついに、隠していたものを出した。それは、無明の闇を溶かして今度こそ、煌々こうこうと輝いていた。シャーロットの装備の中にあった。空のウイスキー瓶で作った手投げ式の火炎瓶である。


「おいおい、何かと思えば!」

 クトゥグアは、大きな声を放って笑った。ここへ来て、最高のジョークに出くわした、と言うように。

「どうかしちまったんじゃないのか!?…おれは何者だ?炎の邪神だぜ!?そのおれに、そんなものが通用すると思うのかい?」


 クトゥグアの罵声を浴びせられて。

 今度は萌黄が笑う番だった。彼女は、気が狂ってしまったのだろうか。


「安心しましたよ」

 しかし萌黄の目に、おびえの色はない。その手に掲げた灯火トーチのような火炎瓶の炎のように、美しく潤ったその目には勇気の光が灯っていた。

「あなたも所詮、『ことわり』の中にいるに過ぎなかったんですね」


「冴えない最期だったなッ!無駄死むだじねッ犬死いぬじねッ!」


 クトゥグアが飛びかかってきた。その手で萌黄にとどめを刺すために。火炎瓶の炎など、奴はものともしないだろう。そんなことは萌黄には、分かっている。もちろんこの口に灯った炎は、欺瞞フェイクである。


 萌黄は指で、火種を瓶の口から弾き落とすと、さらに一歩後ろに間合いを取った。下から瓶を、クトゥグアに向かって放り投げる瞬間、シャーロットに鋭く声を上げる。


「お願いしますシャーロットさんッ!!」


 チャンスはたったの一回だった。

 しかし、シャーロットはそれを取り落とすことはなかった。ライフルの銃口を上げ、一撃で粉砕した。鋭い銃声と共に、瓶は胴の真ん中を撃ち貫かれた。激しい炸裂音と衝撃波が、閃光を孕んでクトゥグアを包み込んだのは、次の瞬間だった。


 瓶に詰められていたのは、助燃材オイルではない。たっぷりの火薬である。萌黄が偽装したこれは火炎瓶ではない。その正体は、手投げ式の爆弾であった。


 焼けただれたクトゥグアは、投げ出され、闇の中へ吹き飛んだ。

 萌黄はその闇へ向かって勝ちを誇るように、言い切った。


「あなたの『能力』の正体、すでにお見通しですッ!」



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