第19話 ゴーストタウンの少年

(静かすぎる…)

萌黄は、辺りを見回した。昼下がりの建物の中は、深い闇がこごっている。人の気配がないせいだ。萌黄は思わず、腰の銃に手をやった。誰もいないことが薄々分かっているとは言え、この静寂感が強いてくる不可思議な居たたまれなさには、どうにも堪えがたい。

「へッ!びびってんじゃねえぞ萌え萌え」

と、うそぶきつつ弾正も放胆に目抜き通りを闊歩かっぽするが、このゴーストタウンの異常さは肌で感じているのだろう。

(…見られている)

経験のあるものなら、ぞっとしただろう。こんな場所は確かにある。

(ここは死んでいるのに、生きている場所だ)

一見死者と見えながらも、この街は、じっと侵入してくるものを獲物と定め、見つめ返してくるのである。無論、実際に誰かが息を潜めて様子をうかがっている、と言うことそのものも、否定できないが。

(そう言う問題じゃない)

歩きながら萌黄の指は思わずホルスターに、伸びていた。この雰囲気は何かと、意識に刺さるのだ。萌黄は、戊辰戦役の戦場経験をいやが上にも思い出していた。あれは江戸開城の前後だ。

鳥羽伏見で敗退を喫し、賊軍となった幕軍の進路を、村ぐるみで蹶起けっきして阻もうとする民兵たちが、各所に出没したのだ。新政府軍となった薩長の首脳部は各地で、そうした民兵たちの村の年貢減免を約束していた。

あのときも、村ぐるみ人がいなくなり、無人の寒村を行軍させられた。幕軍の兵士たちはどこかで、戦闘を覚悟しきれていない。半分は話せば分かる、程度に軽く考えていたのだ。

「…誰か出て来ても、いきなり撃つんじゃないぞ」

レズリーの声が、萌黄をはたと我に返らせた。いつの間にか顔から血の気が引いてきた萌黄の心中をいちから察したかのようである。

「いや、あのっレズリーさんっ!わたし、わたしはっ」

あわてて言いつのった萌黄に、レズリーは形容しがたい苦み走った笑顔で報いる。

「気持ちは分かるさ。実は、おれも感じる。…何だか、妙な感じなんだ。実際、見られているはずがないのに、どこかで見られていると感じる」

的を得た表現をされて、萌黄は思わず息を呑んだ。

「見ているのは、人間じゃない」

と、言いきってから、レズリーは切断ソードオフしたショットガンの銃身をくるりと回した。

「そう感じるのも、無理はないさ。あの異常なものと出会う経験を、一度ならずしていればな」

萌黄の脳裏に浮かんだのは、異形のはねを拡げ、夜半に群れ飛翔ぶミ・ゴの姿だった。

「びびるんじゃねえって言ったろうが、萌黄」

弾正は軽口を叩いたが、結局は萌黄と同じ直感で行動していることは、足運びをみてすぐに知れた。

「おい、レズリに…そろそろ来るって言えよ」

それから弾正は、さっきとは打って変わった低い声で萌黄に向かって囁いた。

「いきなり撃たねえと間に合わねえぞ」

それは萌黄も感じていた。ちょうど今、萌黄は通りの中間に差し掛かったのだが、気配で察していた存在は、さらにおおきなものとして、萌黄には感じられてきたのだ。

それはこのサンフランシスコに来て遭遇したミ・ゴと似て非なるものだ。説明がしにくいのだが、ミ・ゴより巨きいとしか言いようがない。まるでこの廃屋群の屋根に腕をのっけて、巨人に似た存在に山の向こうから見下ろされているような形容しがたい気持ちの悪さを感じる。

「ちっ」

そのとき、弾正がわざと音を立てて砂場の足元をにじった。合図のつもりだ。そう察した萌黄も間髪入れずに銃を抜いた。

「おいッ!何をじろじろ見ていやがるッ!薄気味の悪い野郎だッ、抜くならさっさと抜きやがれッ!」

弾正の怒号は日本語だが、可燃力のある声音だ。生半可な人間なら、浮足立つに違いない。あわてて撃って来るか、少なくとも、何がしかの反応を示すはずだ。だが銃声は立たなかった。萌黄も、とっさに反応したレズリーも発砲のタイミングを逸した。その後だ。

からりと廃屋になったサルーンのスウィングドアが開き、誰かが出てきた。それは背の低い少年だった。

(男の子が一人…?)

萌黄は訝ったが、たった一人のようだ。年齢は十二、三歳くらいに見える。輝くばかりのブロンドを風にそよがせて、薄汚れたシャツにサスペンダー付きのズボンを穿いている。拍子抜けするほどに、あどけない顔をしていた。少年は殺気だった萌黄たちを見て、少しぎょっとしたようだが、次の瞬間にはなぜかその青い目を、人の好さそうに歪ませて笑顔を作った。

「あれっ…お兄さんたちこの街の人じゃないねえ。どこから来た人?」

「ガキが」

何と声をかけられたかよく分かってない弾正が、早速毒づいたが、萌黄がすかさず制した。そう言えば、いつの間にかさっきまでの不気味な雰囲気は、消え失せていた。もしかしたら自分たちの勘違いだろうか。萌黄は訝った。だが、邪気のないこの少年に害意がないと言うことは、態度から明白に思えた。

「君はこの街の人?他に住んでらっしゃる人は、いませんか?」

「いるよ」

少年は、微笑んだ。

「いるはずなんだけどなあ。ちょっとおれも聞きたいことあってさあ、わざわざ足を運んでやったんだけど」

萌黄とレズリーは、思わず顔を見合わせた。どうも、言っている意味が分からない。

「君…名前は?どこから来たの?」

意を決して、萌黄が聞くと、

「おれかい?えーと、なんて言えばいいかな…」

言葉を濁した少年に萌黄は、自ら名乗った方がいいことに気づき、

「わたし、萌黄と言います。ある人を捜して、日本と言う国から来ました」

「そこのお兄さんたちも?」

萌黄は頷いた。弾正とレズリーのことも、差支えない範囲で紹介する。

「気に喰わねえ野郎だ」

その間、弾正は腹立たしそうに、腰の柄を拳で叩いていた。

「おれはハスター。そう呼んでくれたら、それでいいよ」

「じゃあハスター、あなたはどうしてここにいるの?」

「人探し」

萌黄の質問に、少年は簡潔に答えた。だが続く、ハスターの発言はまさに、耳を疑うものだった。

「お姉さんたちと同じだね。でも、サンフランシスコじゃない。ニューヨークからさ、もうやんなっちゃうよ」

「ニューヨークから!?独りで!?」

「そうだけど」

「馬鹿言え」

萌黄の翻訳で話を聞いていた弾正が、吐き捨てる口調で口を挟んだ。

「嘘じゃないさ。この頃、東部から、有名な殺し屋が護送中だったって話、あんたたちも聞いたことない?」

「チャールズのことか」

今度は、レズリーの目がぎらついた。

「それで?君は何か知っているのか?」

「まあ、聞いた噂だけど。どうやらこの街の目抜き通りを走行中に、殺し屋は逃げたらしいんだわ」

ハスターは気楽な調子で、自分の背後を振り返る。廃屋だらけのメインストリートの向こうは、こちらも人が乗らなくなった駅馬車の寄合だ。誰のものか、壁に張り付けられた千切れた手配書が、ぱたぱたとはためいている。その奥だ。萌黄たちは初めて気づいた。その建物の奥に、焼け焦げた馬車の残骸が、横転したまま放置されているのだ。

「あの馬車は爆破された。その殺し屋の仲間が、この街で待ち伏せしてたんだろう。…君は、その殺し屋とは、どう言う関係なんだ?」

「どう言う関係って言われてもな。あいつにはあいつの、おれにはおれの目的があるから」

そのときだ。ついに弾正が抜いた。青白く光る白刃を、ハスターの頸に惹きつけて、すぐに引き斬れるように足を踏ん張った。

「せ、先輩!」

「るせえっ、萌黄、てめえは黙ってろ。お前、何者だ。とにかくただのガキじゃねえってことは、知れてんだよ。ぴんからとんの捜査官を殺したのはおめえだな!?」

「ピンカートンです!」

把握は雑だが、弾正の殺気には寸分の揺らぎもない。常人ならば、泡を喰って尻餅をついただろう。だが、ハスターと言うこの少年は違う。笑っているのだ。あごをくすぐられた猫のように、ほたほたと。頸に刃物を惹きつけられても、なんと声音もぶれていない。

「なんだよ、怖いなあ。危ないじゃんかー」

(…この子、只者じゃない)

それで萌黄もやっと気づいた。さしたる旅の用意もなく、こんな薄着でニューヨークから独り、やってきたと言うこの少年の登場の不自然さに。

「決まってるだろ。捜査官を殺したのは、その東部の殺し屋だってば。おれ、ついこの前、ニューヨークから来たんだぜー?」

「ふざけるな」

ついにレズリーも、声を荒げた。

「チャールズは抜かりのない男だ。殺し屋がどこに爆弾を隠してたかは知らんが、つまらんへまはする男じゃない」

「へまが問題じゃないさ。知らなかっただけだろう、クトゥグアのことを」

「クトゥグア?」

耳慣れぬ名前に、萌黄たちが顔をしかめた。

「ああ、クトゥグア。どこに武器を隠してるかなんて、やつには重要な話じゃないんだ。問題は…」

ハスターが言いかけた時ばらばらと、銃声が上がって廃屋のそこかしこから、武器を持った男たちが出てきた。

「あー、なんだまだ、こんなにいたのかー」

男たちの銃口は、ハスターとその近くにいた萌黄たちを容赦なく取り囲む。眼帯をした騎兵隊上がりの男が叫んだ。

「ここはおれたちの街だ!こそこそ嗅ぎまわりやがって、ぶっ殺すッ」

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