第17話 蘇る疑惑
萌黄たちは生き残ったピート・ブレイカーズを拉致すると、騒ぎを避けつつ草原の洞窟小屋に戻った。黄衣の王で連絡すると、シャーロットがすぐに、怪我人を収容する馬車を仕立ててやってきてくれたのだ。
「上着を脱がして。黄衣の王で傷口を塞ぐ」
シャーロットの処置はその特殊能力を抜きにしても、的確だった。まずは弾正と萌黄に二人がかりでエイクリーの服を脱がせると、感染症を防ぐために傷口を素早く酒で洗い、黄色い軟体を塗りこめて一気に包帯を巻いた。
「手慣れたもんだな」
銃創に刀傷を負ったエイクリーを見ても、シャーロットは眉ひとつ動かさない。
「カウボーイには、怪我がつきものよ。指が取れても、自分で縫えるくらいじゃなきゃ、仕事は務まらないわ」
傷に触る痛みで舌を噛まないようレズリーが猿轡をする前、ウイスキーを飲ませてやると、エイクリーの意識は何とか話せるほどにはなっていた。
「後は、本人の体力次第ね。何しろ傷口が多いから、黄衣の王が、あなたの一部になるまではもう少し時間が掛かると思うから。しっかり気を保ちなさい」
「皆、すまない。本当に助かったよ」
エイクリーは微かな声で、礼を述べた。
「へン、馬鹿なこと思いつきやがるからだ」
「先輩、なんてこと言うんですか。エイクリーさんが身を挺してくれたから、わたしたちここにいるんじゃないですか」
萌黄は、傍らに繋がれているピートを見やった。ピンカートン探偵社のエージェントであるこの男は、表情を消し気配を殺している。萌黄は油断なく銃を突きつけてはいるが、恐ろしい相手だった。
「あなたたち、あれすごい騒ぎよ。保安官が来るかも知れないわ!」
と、言いつつ、シャーロットは丘のはるか上から、穴だらけになったダブリン酒場を見て、口笛を吹く。
「ダブリンさんに悪いことしちゃいましたね…」
今さらながら、萌黄が後悔していると、
「気にすることはない。やつも実は、親父の同志だ。それなりに腕は立つし、保安官が乗り込んできたときの、誤魔化し方くらいは心得ているさ。それより問題は奴だな」
レズリーは、背後にあごをしゃくった。ピート・ブレイカーズは中々手ごわそうだ。
「なに、遠慮することはねえ。こっちだってそれなりにやられてんだ」
英語で尋問も出来ない癖に、弾正は捕縄につながれたピートに不用意に近づいていく。ピートは刺すような目で、弾正を見上げた。
「あんたに言っても無駄かもしれんが」
英語が通じないことをもちろん知らないピートは、英語で弾正を脅した。
「やめておいた方がいいぞ。ピンカートンのエージェントの通称は、『
「なーに言ってんだこいつ」
弾正は右足を上げると、容赦なくそのつま先をピートの咽喉元に突きこんだ。
「ぐうっ」
その瞬間、馬車が大きく傾いだ。
「せっ、先輩!あぶなっ…てゆうか、何するんですか!?苦労して、せっかく捕まえたんですよ!?大体英語、分からないじゃないですか!?」
「るせえっ萌黄。俺からこいつに聞くことなんて何もねえんだよ」
ピートは激しく咳き込んで突っ伏した。その瞬間をみすまして、弾正の右拳がアッパー気味にピートの顔を殴り飛ばした。
「こいつの分さ」
落とし前だと言うように弾正は、担架に安置されているエイクリーを指してみせた。
「すまん
「へッ」
エイクリーが言うと、弾正は照れ臭そうに鼻の下をこすった。確かにさっきの局面、弾正はエイクリーに命を救われたと思ったのだろう。うずくまるピートに、弾正は詰まらなそうに吐き捨てた。
「後はこいつに話しな。そのメリケン語でな」
ピートは苦しげに咳き込んでいたが、その表情に怯えはない。ただ不気味に唇を頬転ばしていた。
「何が楽しい?」
馬に鞭をくれながら、レズリーの声が降った。
「別に、楽しくはないさ。ただ、残念だと思っているだけだ。俺が話すまでもない。お前らは体感するんだからな。この世の、他のどの世界でも味わえない恐怖を」
「牧師さま、それがあなたの決め台詞ってわけ?」
シャーロットはこれ見よがしに口笛を吹いた。
「悪いが、俺たちは想像力がなくてね。当然、ろくに新聞も読まないし、あんたが本当はどんな人間かも知らない。もうすぐ、落ち着ける場所に着く。頭の悪い俺たちに、分かるように話してもらおうじゃないか」
手掛かりのない遣り取りが続く中、萌黄はピートの表情だけを見続けていた。確かに本人の言う通り、追い詰められて強がりを吐いている、と言うよりは、湧き上がる愉悦を抑えかねている。そんな感じに見えた。
同じ表情を、萌黄はかつて見ている。
襟足を粘土で固められて獄門台に安置された以蔵の首には、無念は無かった。元来、しかみ首と言って、生首の多くは刑死の苦痛と無念の表情で歪む。しかるに、その表情には自分が死してなお、何かを期待するようなそんな不可解な愉悦が、こびりついていたのだ。
「ちっくと草葉で待つがええき」
自身もお尋ね者だった龍馬の言葉は、その一言だった。いずれ自分も捕縛されれば、遠からず親友の
(母上は生きているが、龍馬さんは確かに死んでいた)
龍馬の遺体の検分は、土佐藩邸から医師がやってきてその場で下したはずだ。萌黄は、直接遺体に会えなかった。だがその死は確実であった。龍馬とともに襲われ、三日生き残った
そして母の脳は、龍馬が死んでほどなく奪われた。龍馬以上に細心に、母は身を隠していた。それにも関わらずだ。誰かが手引きをしなくては、母を見つけ出すことなど到底不可能だった。
「何をずっと、黙り込んでいる?」
萌黄はピートに夢想を破られた。
洞窟の小屋に戻ると、レズリーは
三人は負傷したエイクリーと今後を相談に行き、萌黄は監視役に残された。その間、萌黄は現実のエイワス農場よりも、幕末日本の渦中にいた。刑死した以蔵の異様な笑みを思い出し、脳を盗られ殺された龍馬の謎の言葉を繰り返し思い出していた。
(あの以蔵の首)
無宿人鉄蔵を名乗った以蔵の首は、どこへ行っただろうか。引き取り手のない無縁仏として、葬られたのだろうか。だがそれでは、以蔵の首はあんな笑みは浮かべなかっただろう。
「ちっくと草葉で待つがええき」
あれは少し。
ほんの少しだけ、墓場で待っていろ。
もしかしたら、そう言う意味だったのかも知れない。
以蔵は胴体と首を切り離され、死んだ。
普通、死から先、人間は現世のことに期待はしない。だが以蔵は、もしかしたら何か、坂本龍馬と、交わした秘密を持って刑死したのではないだろうか。
「どうかしたかと聞いたんだ」
はっ、と萌黄は息を呑んだ。ぞくっと背筋に冷たいものが走った。今、以蔵の首に話しかけられたと思ったのだ。ピートだった。
(この男のせいだ)
そこにはあの以蔵と同じ、不快な嘲笑が、貼りついたままだった。
「まさか、今さら後悔し始めたんじゃないだろうな。言っておく。手遅れだぞ?」
「あなたは、死ぬのが怖いと思わないんですか?」
ピートは首だけ巡らすと、大きくため息をついた。
「それは、脅しか?それとも、質問か?」
「…どっちにしてもらいたいですか?」
萌黄はホルスターから自分の銃を外すと、ピートの咽喉に突きつけた。
「
「何が言いたい?」
萌黄は、問答無用で撃鉄を起こした。
「脳を盗られても死者は、蘇るかと聞いたんです」
萌黄はすでに、撃つつもりで威した。ピートはしばらく、その萌黄の殺気の度合いを試すように沈黙を守っていたが、
「さあな。少なくとも、私の能力では不可能だ。あれは幽霊みたいなものだからな。だが、君だって体感しつつあるはずだ」
「有り得ない、などと言うことは有り得ない」
「そうだ」
ピートはまるで宣教師のように、断言した。
「…で?…君は死人を蘇らせることに、興味があるのか?」
「なんのつもりですか?」
ぴくりと萌黄は柳眉を逆立たせた。ピートは、初めて物柔らかな笑みを見せた。
「親切で聞いてる。私が君に話してあげられることだってないとは言えまい?」
萌黄が関心を示したので、ピートは取りこめると考えたのだろう。声をひそめて、そう申し出たときだ。
どかっ、とドアが開き、シャーロットが銃を持って入ってきた。
「交代よ萌黄、あなたの意見も聞きたい」
「はい」
萌黄は銃を仕舞うと、そそくさと立ち上がった。
「何か聞きだせた?」
萌黄は即座に首を振った。
「いえ、何も話しません」
萌黄が否定した時、ピートは薄く唇を綻ばせた。見張りは交替だ、まだ交渉のチャンスがある。そう思ったのだろうか。
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